02-02>お茶会
カップを傾け、緑茶に似た茶の味と香りを楽しみながら一口啜る。
ジウの葉を蒸して、揉んで、乾燥させた加工品――俺達の世界で「荒茶」に相当する茶葉でいれた「お茶」だ。この世界には荒茶を二次加工して煎茶にする発想がまだ無いため、産地や加工業者によって当たり外れが多いのが難点だが、まあ選ぶ楽しみがあると思えなくもない。
このお茶は、とある街の薬問屋で選びに選んで購った一品だ。店主が呆れる程、じっくり試飲させて貰いながら選んだのだが、値が張る希少な茶葉よりもこの茶葉の方が味・香りともに上と俺は判断した。
急須も併せて購入したが……携帯に不便で、使い難く、材質が脆いので、本拠地に帰ったら設備を借りて自分専用の物を作ろうと考えている。
ほうっと溜息を一つ吐き、茶をもう一口。鼻孔を擽る茶の香りと、口の中に広がる野趣溢れる味わいが疲弊した心を穏やかにしてくれる。隣でカリカリとチョコレート味のカロリーバーやクラッカーを齧る音がしても気にならない至福の時間…………
「おいっ!!」
…………ああ、至福の時間は終わったようだ。
ちょっ! ちょっと! お願いですから、指で体を突いて注意を促す様に威圧感を使わないで下さい。そんなに揺らされたら、お茶が零れます!! それじゃ背中をド突かれてるのと変わりませんからっ!!
「なんでしょうか、【セルミ】様?」
用件は判っている。……と言うか、これで6回目の催促だ。
「おかわりっ!!」
「ありません。先程それが最後だと申し上げましたでしょう?」
ガーンと言う効果音が聞こえそうな顔で【セルミ】様の表情が固まる。
お子様舌なのか、【セルミ】様に出したお茶は口を付けただけで放置され、冷めきっている。
代わりに【セルミ】様の関心を引いたのがお茶請けとして出した携帯糧食のクラッカーとかカロリーバーと言った――いわゆるお菓子だ。
重くなった場の雰囲気に耐え兼ねた俺は、喉の渇きも覚えていたので【イシュクシュナ】様の許可を得てお茶を振舞ったのだが……お茶請けに携帯糧食のお菓子を添えたのが失敗だった。
(神様には御神酒が適当かも知れないが、残念ながら消毒用のアルコール以外の持ち合わせがなかった。いや……【セルミ】様を見ていると酒がないことは僥倖だったのかもしれない。)
味覚と言う新たな刺激に夢中になり、ものの数秒でクラッカー(5枚入り)を食べ尽した「欠食児童」にまだ封を開けていなかったクラッカーが奪い去られ、それでも足りぬと矢の催促だ。
威圧感に屈した俺は、次から次へと残り僅かな携帯糧食からデザートを取り出しては渡していき、ついさっき「これが最後の一個ですからね。もうありませんからね」と何度も念押ししたと言うのに……
「なんで、もっと持っておかんのじゃ!! 神への供物は事前に『大量に』用意しておくべきであろうがっ!!」
ああ、遂に理不尽なことを言い出す暴君――いや暴神に成り果てたようだ。
『静粛に』
ぎゃいぎゃいと喚いていた【セルミ】様がピタッと動きを止め、口を噤む。
威圧感は籠められてないが、俺の背筋にも氷水を流し込まれたような気がして身震いしてしまう。
「じゃが……」
抗弁しようとした【セルミ】様の視線がある一点に吸い付けられる。【イシュクシュナ】様の前に置かれたチョコレートバーの最後の一個に………………
この先の展開を予測した俺は慌てて立ち上がると、【セルミ】様から距離を取ろうと一歩後退る。
案の定、チョコレートバーをくすねようと、猫が獲物を襲うようにソーーっと動き出した【セルミ】様が「ぎゃん!!!!」と悲鳴を上げて姿を消した。
一陣の風が俺の隣を背後に向けて吹き抜け……何が起きたのかと振り向く俺の視線の先――遥か遠くを何かが物凄いスピードで転がっていき、すぐに見えなくなった。
死んでないか、あれ?
『心配無用ぞ。あの程度では毛ほどの傷もつかんよ』
「………………」
我知らず、冷汗がドッと出る。
こともなげに仰った【イシュクシュナ】様が優雅な手つきで最後のチョコレートバーを摘み、口に運ぶ。相変わらず表情は窺い知れないが、【イシュクシュナ】様は【イシュクシュナ】様でチョコレートバーの味覚を一口一口じっくり楽しまれているようだ。
『これが知識と経験の差と言うものか。感慨深いな………………。さて、もう一杯茶を頂けるかな?』
「………………はい」
【セルミ】様についてこれ以上考えることを放棄した俺は、差し出された湯呑を受け取り――
「三煎目なので90度以上の熱いお湯を急須に注いで頂けますか?」
『ほう、温度を変えるのかね?』
湯温は俺の頭から知識を読み取って調整している――とは聞いていたが、何もない虚空から適温のお湯が急須に注がれていくのは、三度目になっても驚嘆を禁じ得ない。
「はい。一煎目二煎目で茶葉の旨みもかなり出てしまいましたから、三煎目は湯温を上げてまた違った味わいのお茶をお楽しみ頂けると思います」
手早く【イシュクシュナ】様と自分の自分の器に、交互に茶を注いでいく。
「人によっては一煎目が良い、二煎目が良いと好みが分かれますが、私は三煎目が好きですね」
問われるままにお茶の知識を披露していく。この辺りは祖母の仕込みだ。
古風な祖母は妹に茶の作法を伝授しようとしたのだが、なにごとも頭よりも勘で生きている妹にとって細々とした作法は性に合わず「私飲む人、お兄ぃは煎れる人」と俺に丸投げしやがった。
頭を振って余計な考えを追い出し、最後の一滴まで注ぎ切った茶を【イシュクシュナ】様の前にそっと差し出す。そう言えば【イシュクシュナ】様たちの湯呑も虚空から生み出された――見た目は床やテーブルと同じ材質に見えるのに、持ってみると湯呑然とした不思議な一品だ。
持って帰れば研究班が狂喜乱舞しそうだが……流石に口に出すのは憚られる。
(この病的なまでの謙虚さを、DNAに刷り込まれた民族性と言う人もいたな……)
一口茶を啜った【イシュクシュナ】様が「ほぅ…」と吐息を洩らすさまは、一幅の絵のようで神々しい。「誰かさんとは大違い……」といった言葉が脳裏に浮かびかけたが、必死に抑え込む。
◆◆◆
当初、茶に使うお湯は水筒の加熱装置を使ってお湯を沸かす積りだったが、装備同様うんともすんとも言わないので困っていると――
『……ああ、言い忘れていたが、この神域はお主が居たどの世界とも理が違うから、お主が身に着けている道具は動かぬぞ』
「理? …………えーと、物理法則が異なるのですか?」
『物理法則も含めての理だ』
「………………?」
『お主が神域に来た当初、妙な体験をしたであろう?』
「………………! まさか、あの五感の異常って」
『お主の知識にある「人は魂と魄で形成される」という説を例に使うと、神域と魂――精神を司る気は親和性が高くすぐ馴染んだが、神域と魄――肉体を司る気は親和性が低い故に馴染むのに時間が掛かった。魂と魄がバラバラ故に異常を来し、目は正しく見えず、耳は正しく聞こえず、触るものは不確かであった。それでも我の予測よりも早く順応したお主には驚嘆を禁じえぬぞ』
「………………」
幽体離脱みたいなものかな?
しかし、神様に驚嘆されると言う予想外の事態に、俺は反応に窮してしまう。
『魂が魄に働きかけることで肉体はこの世界に速やかに順応し、お主は神域でも普通に動けるようになった。しかし道具には魂が無い故、この世界に馴染むことが出来ん』
(それって、機械には魂がないから動作しないってことなのか?)
『然り。この世界では魂の有無が重要な要因と言える』
「………………では、先程までいた「あの世界」に戻れば――」
『正常に動作する』
装備が故障した訳ではないと知り、ホッと胸をなでおろす。
装備頼みなのも困るが、治安の悪さや危険生物といったものから俺達が身を守るには装備が必要だ。
それに、装備がなければ本拠地に連絡を送ることも…………
「あっ!! あの……この神域と外の時間の流れって違うんですか?」
『然り。普段はこの神域の時間を――お主たちの基準で言えば神域の一秒が人界の一万秒に相当するよう調節――』
顔面が蒼白になり、身体から血の気がサァーッと抜け、気が遠くなっていく。
1秒ごとに2時間46分40秒が経過って、リアル浦島太郎かよっ!!
ここにきて何時間が経過した? まさか年単位か?
『慌てるでない。お主を招くにあたってその辺りは配慮済みだ』
力を込めた言葉が俺の意識を揺さぶり、ほけっとした気の抜けた顔で【イシュクシュナ】様を見つめ返す。
『普段の逆、いま神域の一万秒が人界の一秒になるよう調整済みだ。お主が神域に来てから外の世界では、まだ3.582秒しか経過しておらんよ』
全身から力が抜け、テーブルに手を突く格好でへたり込む。額に押し当てる様に両の手をぎゅっと握り合わせて――
(【イシュクシュナ】様ありがとうございます。【イシュクシュナ】様ありがとうございます。出来る神様でホントよかったぁ~!!)
一心不乱に心の中で【イシュクシュナ】様を崇め奉り、感謝の念を奉げ続けた。
その後、ドヤ顔で胸を逸らし「我も崇め奉れ」とのたまう【セルミ】様に俺と【イシュクシュナ】様が「『何故に?』」と返し、ぶんむくれた【セルミ】様が癇癪を起こして暴れたのは言うまでもない――な。
セルミスファフト様がどんどん壊れていきます……。
セ「貴様が書いとるんじゃろうが!!」
筆「プ、威圧感で潰されるのは、ご褒美ですか~?」
…冗談です。
イシュクシュナ様に誓って私は「ノーマル」です。
しかし、この世界の神が【セルミスファフト】様だったら……リアル「浦島太郎」だったかもしれませんね、主人公は。