01-06>異界の神
丸一昼夜走り通して麓に辿り着く。
あと20m――この森を抜けると、冒険者が狩りや薬草採取で立ち入る低危険区域だ。ここからは先は衆目の注意を引かぬように、装備をアイドリング・モードに戻さないといけない。
倍力装置が段階的に解除されるに連れて、羽根のように軽かった身体に重さが戻ってくる。歩を進めるごとに戻ってくる重さが疲労感を錯覚させる。
網膜投影型情報端末の表示を流し読みするが、放熱温度が数度上がっている程度であとは全て問題なし。しかし……これほど長時間装備を実戦運用したのも初めてだが、出力を抑え気味にしたとは言えまだまだ余裕があるとは頼もしい限りだ。
むしろ注意すべきは手甲に仕込んだ糸の残量か。残り20%……思い切って交換した方がいいだろう。
林の際で立ち止まると、片膝をついて屈み込み軽く地面に手を触れ、探査装置による二段階の広域探査を行う。
〔命令:ダブルレンジ/エリアサーチ〕
丸一昼夜に及ぶ逃走劇で流石に撒いた――とは思うが、嫌な予感がするので念には念を入れる。
「周囲100メートルに赤外線反応・音響反応・振動感知なし。範囲を500メートルに拡大……………………ふう、どうやら――」
「なんじゃ、もう追いかけっこは終わりか?」
緊張を解いた瞬間に喰らった鈴を転がすような声。
背筋を悪寒が走り抜け、全身が一瞬で粟立つ。
転がるように前へ逃げた俺は、背後に立つ声の主を目にして驚愕に目を見開いた。
【神の座】で遭遇し、本能的恐怖から置き去りにした少女――いや【異界の神】と称す少女の姿をした何かがしたり顔でそこに居た。
脳が認識したことが引金になったか、威圧感が圧し掛かり、俺を押し潰す。
すぐに動けるようにと浮かせかけていた腰が、威圧感に耐え兼ねてへたり込む。
――弱者が無慈悲な絶対的強者に感じる絶望。
――理解が及ばない存在に感じる本能的な恐怖。
第六感が脳内で五月蠅い位に警報を鳴らし、背筋を冷たい汗が滴り落ちる。
(化け物か…!?)
心の声を聞き咎めた――とでも言うのか、少女の眼光が剣呑な色を帯びる。
胸の前で腕を組み、クンッと胸をそらして俺をねめつけ――
「貴様っ! 我を化け物呼ばわりするとは、不敬にもほどがあろう!!」
声が怒気をはらみ、これまでの威圧感が児戯に過ぎなかったと言わんばかりの重圧に、精神どころか肉体的にも潰される。
地面にへたり込み、前のめりに崩れる上体を支える両腕が、負荷に耐え兼ねてガクガク震える。
全身を圧迫する圧力は肺や横隔膜にも作用していて、口を開けても空気を吸い込めない。
――わずか数秒威圧感を強められただけで、「死」を覚悟する寸前まで俺は追い詰められた。
そんな惨状にどのような感情を抱いたか――「フンッ」と少女が鼻を鳴らすと同時に威圧感が一気に弱まる。
いまだ激高する前と同程度の威圧感に晒されていると言うのに、事前事後の落差が大きかった為か精神的・肉体的重圧が雲散霧消したような錯覚さえ覚える。
ゼエゼエ喘ぎながら夢中で肺に空気を送り込み、俺はどうにか呼吸を整える。
「す、すみません。心の声にダメ出しするのは御勘弁いただけないでしょうか?」
何とか絞り出した声は、ひどくしゃがれていた。
「たわけが。声に出そうと心の中で思おうと我にとっては関係ないわっ!!」
上目遣いに恐る恐る見上げる自称神様は「私、怒ってます」的なオーラを漂わせていたが、威圧感が強まらないということは本気で怒っていない――のだろうか?
頭髪や衣服が汗でぐっしょりと濡れて肌に張り付く感触が不快だが、今は――誠意をもって真摯に対応し、最善を尽くすしかない。
俺は居住まいを正し、首を垂れた。
◆◆◆
――心を読まれることへの忌避感はとても強い。
俺達は、この世界の住人に明かすことの出来ない事情を抱えている。
個人的にも、心の奥深くに沈めた「悔やんでも悔やみきれない悔恨の記憶」にだけは触れられたくはない――が、目の前の自称神様(?)に嘘や誤魔化しは一切通用しない。
美辞麗句を並べたり、建前と本音を使い分けたりしたら、今度こそ本気に潰される。
「失礼致しました。非才ゆえ貴方様が神様か、力あるが故に神を詐称している紛い物か見分ける術を持ち合わせておりません。御寛恕いただければ幸いに存じます」
ムゥッとばかりに不満げに口元を歪めた自称神様(?)は――
「全く不便なものじゃな。たとえ我が【異界の神】だとしても、神かどうかぐらい一目で判断でき…」
不意に少女の視線が別の誰かを探すように宙を彷徨う。
ぶつぶつと小声で誰かと言い争っているようだが、断片過ぎて内容が理解できない。
――「どこかから電波を受信している」状況を前に途方に暮れる。
そんな俺の表情に気付いたか、「コホン」と小さく咳払いをすると――
「あ~、小五月蠅い神が言うにはな――貴様が我の【神威】を理解出来ぬのは、階梯が低いからじゃそうな。もっとも、お主が『お主の世界の神』の【神威】に触れれば、階梯なぞ関係なく神と認識できると言うておる。うむ、精進するがよいぞ」
ハッハッハッハッ…と、笑って誤魔化された感が残るが、その点に触れれば潰される――と、第六感が告げている。
話の中に気になる単語が幾つかあったが…
「話を戻すが……もう逃げんのか?」
唐突な話題転換に頭がついていかない。
取り敢えず浮かんだ疑問は片っ端から補助記憶装置に放り込んで、強引に頭を切り替える。
「…………ええ、これ以上は無意味です」
「無意味!? 余力は残しておる癖に諦めるというのか?」
眉間を寄せ、不思議なものを見る目付きで問い返される。
「はい。死に物狂いで逃げたところで、貴方様から逃げ切ることは出来ないと観念しました」
――全面降伏に一抹の口惜しさは残るが、事実ゆえ認めるしかない。
「また、余力を残して――と仰いますが、余力を残さず事にあたれば突発的事態に対応出来なくなります。有効な手立ても無しに『全力で当たればなんとかなる』的な精神論を振りかざすのは、プロの探索者として失格だと師匠に叩き込まれましたから…」
「それは、手を抜け――という話か?」
「余力をどう考えるのか――によって違うのですが、『いいか、80%の力で100%の成果を出せるように常に鍛錬しろ。余裕や遊びのない機構はすぐぶっ壊れる。人間の体もだ。俺達の仕事に突発的事態は日常茶飯事、二手先、三手先を読めない奴、余裕を使い切った奴から死んで行く。そこんとこを分かってねえ馬鹿は他人を平気で道連れにしやがる。自殺してぇんなら他所行きやがれってんだ。』――ってのが師匠の口癖で、俺の行動規範なんです」
微妙な顔をされたが、構わず説明を続ける。
こればかりは、探索者の仕事現場を知らなければ理解して貰えないだろう。
「次に――ここから先は低危険区域を挟んで居住地域へと続きます。冒険者や一般人の耳目から我々の技術を秘匿するため装備の使用は最低限に抑えますから、これまでのような人間離れした機動力は発揮出来ません」
「それは――つまらんのう…」
心底つまらなそうに呟く自称神様(?)に、「お家に帰りたくない。もっと遊んでいたい」とアトラクションの前で駄々をこねる子供の姿が重なり、背筋を悪寒が走る。
自称神様(?)が満足なさるまで、山頂からの逃避行をやりなおし――だけは、勘弁願いたい。
「さ、最後ですが――山頂からここまでの行動記録があれば依頼主の説得は可能かと…」
「依頼主?」
「ええ、俺達はとある複合企業と契約して、この世界の情報収集に動いています。俺の行動や周辺状況・装備の稼働記録は常時記録装置が保存していますから、報告書に『遺跡からここまでの記録』を添付すれば、逃走不可能と言う結論が妥当だと――理解して貰える筈です」
狐につままれたような顔をしている自称神様(?)に気付き、慌てて説明の方向を変える。
「えーと、俺の仕事の依頼主が複合企業で、その複合企業が何かと言うと、色んな商品を扱ってる商人が集まった――ここで言うと商業ギルドを更に大きくしたような組織です」
――不意に、ある問題に思い当る。
「あの……神様?」
「なんじゃ、自称神様(?)とは呼ばんのか?」
(ギクッ!!)
「え…あ……それは…その……」
ジト目で見下され、止まっていた冷汗が再び吹き出す。猫に睨まれた鼠の気分だ。
土下座でもなんでもしてひたすら謝罪するしか手立てが思いつかないが、それは最悪の事態が少しマシになるだけな気がする。
「…………まあ、よい。貴様の我に対する敬意がイマイチ足りないのは、ひとえに我が貴様に神としての実力を見せておらぬが原因よな」
不味い。何か変な方向に話が向かい始めている。
「では一つ、我の本気を披露して――」
『いい加減にせんか!!』
聞き覚えのない怒声が五感を揺さぶり、意識が暗転する。
第三者の介入により、主人公は気絶しました。
さて、彼の運命は如何に?
では補足説明を少々……
・倍力装置:
昔懐かしいパワードスーツです。
全身、もしくは体の一部を「力場」で覆う形式なので、全身金属鎧のような強化外骨格に比べ、防御性能や力の増幅率、エネルギー消費で劣ります。
全身金属鎧は高価な上に重く、メンテナンスが大変なので、使用しているのは騎士団や領軍の重騎兵・重歩兵部隊くらいです。
・補助記憶装置:
いわゆる脳の外部記憶装置で、多くの人はメモ帳代わりに使っています。
脳に蓄えるように情報を保存出来る上に、サーバーと接続して情報のアップロード/ダウンロードが可能です。
勿論、視覚や聴覚などの五感の情報をビデオのように記録・再生することも可能ですが、リアルタイムでは圧縮できない(圧縮が追い付かないほど情報量が多い)ので記憶容量が幾らあってもすぐに足りなくなります。
(味覚や嗅覚は個人差が大きく、いまだに完全な情報共有は出来ていません。)
・記録装置:
補助記憶装置と違い、装備の動作状況や装着者の身体情報(心電図・脳波計・体温計など)を行動記録として常時記録しています。
生データは修正出来ませんが、報告書に添付する際に「プライバシー保護の観点から」部分的にマスキングを施すことが可能です。
・低危険区域:
中級以上の危険生物が生息する危険区域の辺縁部のを指す言葉です。
中級以上の危険生物の縄張りの外側に50~100m前後のマージンを取って指定してありますが、危険生物との遭遇率が多少落ちると言うだけで、決して安全地帯と言う訳ではありません。
この世界の多くの国々が、国土の4~6割を占める山地や森林地帯を中級以上の危険生物が生息する危険区域に指定しています。
その周りを取り巻く残りの部分が低危険区域。
人族の居住区域は低危険区域と言う海の中に点在する島、街と街を繋ぐ街道が島と島を結ぶ橋――と例えることが出来ます。
騎士団や領軍が人族の生活圏を広げるため、定期的に危険生物を討伐していますが、いまだその占有率は国土の2割程度です。