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01-01>逃走中 (捕まったら最後……のようです。)

 ザッ、ジャッ…


 鬱蒼と生い茂り、昼なお薄暗い針葉樹林を鈍い足音を響かせ影が疾走する。

 影は――暗灰色の外套の下からのぞく均整の取れた体付きからみて、おそらく人族の男性。

 身長180センチ前後。

 口元を布で覆い、フードで頭部を覆っているために顔立ちは不明だが、強い意志を感じさせる瞳と前髪は漆黒だ。

 腰の後ろに突き出す鞘は細身だが、寸法から見て片手剣の(たぐい)だろう。

 草木染めのチュニックとズボン・こげ茶色の革ブーツを身に着け、いぶし銀仕上げの板金胸甲・手甲・臑当てで要所を防護する姿は、身軽さを重視する冒険者によく見られる格好だ。

 とは言え、山肌を厚く覆う腐葉土を蹴散らし、乱雑に生え競う木立の間を縫うように駆け下りていく男の足は人族とは思えぬほど速い。


 ――もしこの場に居合わせるものがいれば、バランスを崩すことも足を取られることもなく、飛ぶように斜面を駆け下りていく姿にわが目を疑うことだろう。


 ゴァファゥ、コココカカカァ、ウォフォッウォフォッ、キュキュキャキャキャ・・・・


 縄張りを犯された獣達が威嚇の咆哮を上げ、警戒心の強い獣が算を乱して逃げ惑う。

 そんな森の喧騒を背に、ひたすら先を急ぐ男の行く手にふいに眩い光が溢れる。

 原生林が途切れ――行く手に高低差200メートル以上はある断崖絶壁が口を開ける。

 誰もが命の危機を感じて足を停めるなり、進路を変える状況にも拘らず、男は足を緩めるどころか、むしろ勢いをつけてその身を躍らせた。


 ――自ら飛び降り、手足を大きく広げて空中でバランスをとる。


 風圧でフードが脱げ、大きくはためく外套と共にバタバタ耳障りな音を立てる。

 素早く周囲を一瞥した男は、断崖から突き出した頑丈そうな岩に狙いを定めると、右腕の手甲の前縁部――丁度手首の上にあたる場所――に開いた針孔から糸状の物質を射出する。瞬時に20メートル先の岩に着弾した糸は、命中の衝撃で先端が潰れて畳一畳ほどに広がると共に、強粘着性の成分が衝撃硬化して岩に張り付く。

 絹糸の如き細さとは裏腹に、自由落下の運動エネルギーを余裕で受け止めた糸に引かれて、男の体は宙で大きく弧を描いた。

 そのままでは岩肌に激突するだけだが、体を捻って向きを変えた男は左腕の手甲からも糸を射出して別の場所に張り付け、躊躇なく右腕の糸を切り離して振子の軌道を変更する。たとえ糸を撃ち込んだ場所が剥落しようと、即座に次を撃ち出してカバーしていく。

 そうやって左右の糸を矢継ぎ早に切り替えていくことで、落下速度と軌道を制御(コントロール)し、宙を舞うように断崖を下りていく。


 谷底まであと僅か――最後の糸を切り離す頃には、速度はブランコを漕ぐ程度にまで落とされていた。軽く膝を曲げて着地の衝撃を吸収した男は、何事もなかったように岩だらけの河原を猛然と走り出す。

 時折、渓谷に張り出す木の枝に糸を打ち込んでは対岸に飛び移り、障害物や段差を飛び越えていく。その姿はさながらしのびましらか――


 暫く渓流沿いを移動していたが、河原から続く斜面を見つけると進路を変えて再び原生林に分け入る。標高が下って傾斜が幾分緩やかになっても、道なき道を行く男の足取りは一定のリズムと速度を維持し続けていた。

 一体どれほど体力があるというのか?

 かなりの時間走り続けている筈なのに、その脚力は一向に衰えを見せない。


 ……と、不意に頭上より影が男に襲い掛かる。"雪豹"と呼ばれるネコ科の大型肉食獣の襲撃(トップ・アタック)だ。

 "雪豹"は、"灰色大熊"と共にこの森の頂点捕食者の座に君臨するランクBの危険生物(カテゴリー・イエロー)で、見た目は【ユキヒョウ柄の剣歯虎(サーベルタイガー)】だ。体長は優に男の二回り以上は大きい。

 男の胴ほどもある太い前足。一撃で喉笛を食い千切るであろう鋭い牙。だが、そのいずれもが小さく身を沈め、瞬時にギアを上げて前に出た男の体に触れることなく虚しく空を切る。

「グルァッ!!」

 信じられない――と言わんばかりに大きく目を見開く。

 小癪にも必殺の一撃を躱した愚鈍な獲物に腹を立てた"雪豹"は、追撃しようと身を捩って向きを変え――威嚇の声を上げかけたその横面を強かに蹴り飛ばされて背中から木の幹に激突する。


 一撃の重さからすると、ブーツのつま先に鉄板でも仕込んであるのだろう。

 映像を巻き戻すように戻ってきた男が最短軌道で振りぬく神速の一撃は、ゴシャという鈍く嫌な音と共に頭蓋内で脳を激しく揺さぶり、"雪豹"の意識を一瞬で刈り取った。


 ――足に伝わる感触からすると顎関節か下顎骨を蹴り砕いたか?


 白目を剥き、口から力無く舌を出して全身をひくひく痙攣させる針葉樹林の王者の姿は哀れの一言に尽きた。

「ちっ…」

 顔をしかめて小さく舌打ちをした男は、表情を引き締め直すと踵を返して走り出す。

 "雪豹"の方が運動能力が高く、逃げ回るだけでも面倒だ――そう判断しての攻撃だったが、男にしてみれば襲撃を受けたこと事態が己の迂闊さを突きつけられた気分なのだろう。

 肉は固くて食用には適さないが、牙や毛皮などは滅多に手に入らない貴重品として珍重される――そんなお宝を放置してでも先を急ぐ理由があると言うのか、幾度か進路を変更しながら男は麓へと駆け下りていった。


 ◆◆◆


「くふふふ…。"雪豹"を一撃で仕留めるとは、人にしてはなかなかやるのう」

 倒れ伏した"雪豹"の傍らに微かな歪みが生じ、少女が忽然と出現する。


 年齢は――10歳位か?

 身長は150センチ前後で体型はやや痩せ気味だが、健康なのか血色は悪くない。

 西欧風の整った顔立ちに腰高の金髪は、いずれ人目を引き付ける美人になる片鱗を見せている。

 右が金色で左が黒色の虹彩異色症(ヘテロクロミア)の瞳は、冷ややかさを装いつつも新しい玩具を見つけた子供のような期待と好奇の輝きを宿していた。

 敢えてマイナス要因を上げれば、髪型が手櫛で整えたように少々雑だったり、アルバーシュの民族衣装に似た服装が些か古めかしくて魅力を損ねている位か。

 膝上はポンチョに似た綺麗な柄の外套に覆い隠されているが、肉感に乏しいほっそりとした素足に防具はなく、履いているのも戦闘に不向きな編み上げのサンダルだ。

 危険地帯には不釣り合いな格好だが、出現の仕方と言い、何らかの魔法持ち(スペル・ハンドラー)だろうか。


 すっと腰を下ろすと"雪豹"の身体を毛並みに沿ってツツツゥーッと撫でる。数度撫でおろす内にその指先に光が生じ、あっという間に淡い極彩色の光が"雪豹"を包み込む。次の瞬間にはスゥーっと体に浸透するように消えた。

 光には癒しの効果があるのか、消える頃には男の攻撃で負った傷がすっかり癒えていた。

 背筋を撫でる指の感触から逃れる様に身じろぎした"雪豹"は、眼を(しばたた)かせて意識を取り戻す。事体が把握できずにキョトキョト辺りを見回すその視界に、飽きもせず自分を撫でている少女を捉えた瞬間――驚愕に大きく目を見開き、全身が恐怖でギシッと硬直する。


 野生の本能が告げるのだろう――少女こそ絶対強者だと。


 一秒が何倍・何十倍にも感じられる極度の緊張状態の中、少女の顔が自分の方を向く気配にハッと我に返った"雪豹"は、少女と視線を合わせぬように慌てて顔を背けた。

 少女の一撫でごとに拍動が切迫し、恐怖に強張る筋肉がブルブルと小刻みに震える。"雪豹"の全身を嫌な汗がじっとりと濡らしていく……

 傍から見れば、一撃で少女を殺せる"雪豹"が少女に恐怖し、これ以上の関心が自分に向かないように必死でふるまう光景は非常にシュールだ。


 そんな"雪豹"の毛並みを楽しみつつも、少女の頭に浮かぶのは先程の男のことだけだった。

「あの男にこんな立派な毛皮でもあれば、気の済むまで撫で繰り回してやれるのにのぅ。さて、どうやって我が(神の)前から逃げた罰を与えようか……」

 少女の言葉を理解したか、"雪豹"の背筋がビクッビクッと小刻みに痙攣(けいれん)する。

 その目は「お願いです。私は逃げませんから、存分に撫で繰り回して頂いて結構ですから、せめて命だけはお助けを……」とでも言わんばかりの涙目だった。


 ひとしきり夏毛の感触を楽しみ、満足した少女は撫でる手を止める。

「おいき」

 許しを貰った瞬間、脱兎の如き勢いで森の奥へと姿を消す"雪豹"。()けつ(まろ)びつ逃げ去る様は、とても針葉樹林の王者とは思えない無様さだ。


 恐怖に駆られ、遥か遠くに逃げ去ったと思われた"雪豹"だが、少し離れた木の上から向けられている視線を少女は感じていた。

 バクバクと恐怖に波打つ心臓。ゼーゼーと荒い呼吸。見開かれた瞳は少女に釘づけとなり、一挙手一投足をも見逃すまいとの必死さを感じさせる。

 縄張りを守りたい一心で辛うじて踏み止まっているのだろうが、恐らく半歩でも少女が近付こうものなら、更に森の奥深く――他人の縄張りだろうとお構いなしに一目散に逃げていくのだろう。


 そんな"雪豹"の心情に嗜虐心が擽られるのか、少女は笑みを深くする。

 少女の関心をそれ以上喚起しなかったことは"雪豹"にとって幸運――と言えるか否か?


「さて、あやつは何処まで逃げよったかのぅ…」

 そう呟く少女の声は、実に楽しげであった。



 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 はじめまして、御子柴 吼です。


 本来、この話は第1章第5話と第6話の間に位置する話ですが、『掴みが大事!』と愚考し、冒頭部分へと持ってきました。

 そのためストーリー上、第5話に重複した箇所があります。

 ――全く、精進が足りません。


 物語の冒頭部分で主人公が状況説明を独り語りすると言う行為に違和感があり、本作品では極力「独り語り」を排してみようと考えています。

 自己紹介も状況説明もなしじゃ「よく判らん」と言われそうですが、独り言でブツブツ喋ってる人って、ちょっと近寄り難いんですよ……


 さて、本作品は第一章「遭遇」と第二章「神域」に加え、現在執筆中の第三章「帰還」で物語の冒頭部分が「やっと」終わる……予定です。

 第三章で本拠地に主人公が帰還することにより、あらすじに書いた残り二人のヒロイン(?)を含めたメインキャストが勢揃いし、異世界転移の発端となった「転移事件」の前後の事情も明らかにする予定です。

 長いですか? 済みません。(石を投げないでぇ~!!)


 実は、初稿時は15,000字程度だったんですけど、展開をスピーディーにしようと改稿していたはずが、あれも足したい、これも説明したい……と、あっという間に膨れ上がってスピーディーさの欠片もなくなってしまいました。

 ――文才の無さを日々噛みしめております。


 こんな作品ですが、宜しければお付き合いください。




『吾輩は主人公である……名前はまだ無い』


 いえ、勿論主人公にも名前はあります。

 と言っても、彼が正しい名前で呼ばれるのは『02-03>救済手段』から……オイオイ

 彼はアラサーで、バツイチ(死別)です。

 彼の事情については追々明らかにしていきますが、ここでは彼の生きた時代背景について補足説明を少々……


 彼の生きた時代、人類は木星圏の資源採掘に着手し、火星はその前線基地として開発が進んでいます。地球の軌道上には軌道エレベータを環状に繋ぐオービタルリングが建設され、コロニーや中継ステーションなど宇宙で働く人もかなりの人数になっています。


 主人公もそうした一人で、師匠から独立した後は、個人所有の探査母船「ヤエザクラ」で小惑星帯の未探査宙域で資源探査を行っていました。

(宇宙船と言っても、この時代ではよく見られるトラス構造のメインフレームに、エンジン・コックピット・各種モジュールを接続しただけの作業船(トラス構造が骨のように見えるのでボーン・シップと呼ばれる)で、ほぼ全てのモジュールが大手メーカーの放出した中古品です。)


探索者シーカー」はフリーランスの資源探査業者の通称で、発見した資源小惑星の情報(座標や試掘結果)を直接採掘業者に売却したり、公設取引所に持ち込んで競売に掛けることで収入を得ている――実にハイリスク・ハイリターンな3K職場です。

 一攫千金を狙って「探索者シーカー」を志望する人も少なくないのですが、独立して稼げるようになるのは「運」や「勘」に恵まれた一握りの人だけというキビシイ世界です。

(勿論、最低限の技能がないと話になりません。)


 周囲からは「若手の有望株」と評価されている彼ですが、船検(宇宙船の車検みたいなもの)のために最寄りの宇宙港の指定整備業者に探査母船を預け、暇潰しにと受けた仕事で事故に巻き込まれ、異世界に飛ばされます――が、神様に召喚されたわけでもないので、特別なスキルに目覚めたり、ステータスが見えるようにはなりません。


 彼のチートは、宇宙開発を下支えしている高度に発達した科学技術です。


 ちょっとだけネタばらししますと、第一話で崖から飛び降りる時に使った糸も、実は軌道エレベーターの構造材に使われている液状コンポジット・ナノチューブが原料なので、固まると非常に強靭です。

(この辺りの説明は、第三章「帰還」で行う予定です……)


 あと、ルビまで読んで頂ければ判るように、後半に出てきたヒロイン(?)は「神様」です。

 残念ながら、彼女は物語が進むに連れてどんどん馬脚を……いえ、読んでからのお楽しみです。


 尚、彼女の目を虹彩異色症ヘテロクロミアと表記しましたが、色々調べていくと「オッドアイ」と言うのは犬猫など動物に使う表現……という記述があり、真偽はともかく本作では「ヘテロクロミア」を採用しています。

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