第9部;九月〜初舞台〜-2
あれだけ激しかった雷雨は上がったものの、重苦しい灰色の雲は未だ空に垂れ込めていた。
そんな空模様の下で、アキラは音楽室の横に付いている非常階段の踊り場で、フルート片手に手摺りに凭れ、ぼうっとしていた。その表情は重たかった。
「おーい、危ねーぞーっ」と、下からサキの声がした。しかし、アキラはその声に反応を示さなかった。
暫く何やら声をかけても反応が無い。仕方ない。サキは一階から四階まで駆け昇り、アキラの肩を叩いた。
つい一気に駆け上ってしまった所為で、苦しそうに肩で息をするサキに、それでもアキラは無反応のまま宙を見つめている。
「あぁあ、そっけないのヮ。
まさかアキラ、さっきのこと、よっぽど気に入らなかったのヮ。悪かったよ、ゴメン。オレが言い過ぎたから、機嫌直してくれよ、なあ」
アキラは完全無視を決め込んでいるのか、全く無反応で、顔の筋肉一つ動かさない。いつものようにゴメンの安売りをするなとも言ってくれない。
「うぅう……。オレ、泣いちゃうよヮ」
サキがそう言って、鼻の下を掻いてから、頭を掻き毟った。それが彼の困ったときの無意識の癖だ。ふざけて拗ねてみせた時、アキラはようやくサキの方を向いた。そして開口一発。
「あ、いつ来たんだ?お前」
「へ?」
「あ、いや、考えごとしててな。悪ぃな」
あまりの発言に、サキはここにきた用件を、思わず忘れそうになった。
「で、何?」
本当はへこんでしまっているのだが、ここまで見事に「何?」と言われては、無視を責めることもできない。サキは気分を切り替えた。
「ま、いいや。あのな、男バレー、三位だって。東部中を下して三位」
「ふーん」
息を切らせてここまで来たサキに、その返事はあまりにそっけなかった。
「何だよ、冷たいな。ちっとは喜べよな、カズヤとシキが出てるってのに……」
サキはそこで口を噤んだ。
アキラの眼は本当に何処も見ていなかった。今の空のように濁ったまま、現実をシャットアウトしているようで、声をかけずらい雰囲気だ。
「サキ、お前、どうしていつも穏やかなんだ?どうやって、自分の感情を制御してるんだ?」
サキは細い目を真直ぐアキラに向け、何気なく振り向いたアキラと目を合わせた。今のアキラの心を理解するのに、サキには言葉はいらなかった。
「お前、喧嘩っ早い以外は、オレのことを完璧な人間だと思ってるだろ。お前の方が、よっぽどすごい人間だぜ」
ははっと乾いた笑い声を立てたアキラの心が、寄せては返す波のようにサキの中に流れ込み、そしてすぐ引いていった。多分この共鳴のような心の動きは、アキラの感情だと確信できる。
―――どうして、いつも自己嫌悪してんだよ……
ちょっとだけ、サキはいつも伏し目がちな瞼を、人並みに開いた。
ほんの一瞬だけだったが、アキラには、サキが別人のように見えた。始めて見るその表情はすぐに消えたが、アキラはもとに戻ったサキの顔に、その表情をいつまでも重ねた。
色白のサキは、切れ長で涼やかな目の、とても綺麗な顔を持っている。
「どした?何か付いてるのヮ、オレの顔」
「いや、お前の目って、実はわざと細くしてるのかなって思って」
そう言いながら、アキラは自分の心が多少晴れていくのを感じた。不思議だった。
「ああ、晴れてきた」
サキは手をかざし、雲の切れ間から出てきた太陽を見やった。
「あのな、今日の天気、多分オレの所為だ」
突拍子もない話に、サキは「え?」とアキラの顔を凝視する。
アキラは、階段の手摺りに腰掛け、空を仰いだ。
「まだまだ未熟者だな、オレは。しっかりしなきゃな、もっと」
「充分しっかりしてるさ、お前は。それよか、そこ、危ないよヮ。錆びてるし」
貧乏揺すりをするアキラに、サキは降りろと言うように手を伸ばした。天気の話など、どこかへ飛んでしまっていた。
「平気だって。落ちたって、飛べばいいんだから。……今日、ごめんな……」
珍しく素直に謝ったアキラに、サキは少し戸惑った。「悪かった」とは言うのだが、「ごめん」とは決して口にしたことがなかったアキラだけに、それはサキに深く届いた。当のアキラは、照れ隠しの為にフルートを吹き出した。サキはその音に聴き入った。
「おい、サキ」
アキラに名を呼ばれ、聴き入っていたサキは現実に引き戻された。
「危ないから降りろって」
サキはもう一度腕を差し伸べた。と、アキラはその腕を取った。
白くて細い腕。なよやかな指。
いつもは鷲掴みするくせに、掴まれたその手の感触が、何故かいつもと違くて、サキは慌てて手を引っ込めようとした。すると、白い絹のハンカチのような軽やかな腕なくせに、サキの手を離すまいと強い力で、その手は彼を引き寄せた。
「空、飛ぶか」
アキラはそう言うと、サキの返事を待たずに、手摺りの外に身を投げた。
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