第8部;九月〜定められている七人の運命〜-5
「ったく、ぐだぐだうるさいなぁ」
作法室から出てきた水鏡を人気のないところまで案内すると、アキラは自分の教室で、フルートパートを率いて練習を始めた。水鏡は勝手に瑞穂の谷に帰れるから、余計な心配は要らない。
ところが練習に戻った教室には、運の悪いことに、天然パーのカズヤがいた。もうその眼差しは興味津々。
「お前な、明日、大会なんやろ。さっさとバレー部行けよ」
「大丈夫だって。オレ、上手いもん。それより、さっきのお姉さん、お前の姉ちゃんか?」
「あー、もう、さっさと消えてくれよ!」
アキラは心の底から頼んだ。
別にアキラは、カズヤが何に興味を持とうと、本当は一向に構わなかった。興味を持つということは、ごく自然の成り行きで、アキラには侵すことのできないカズヤの領域だ。そしてアキラは、自分が静かにフルートを吹けさえすれば良かったのだ。
自分はカズヤの領域に干渉しない分、自分の最低の環境を侵されたくはなかったのだが、実際のところ、今はその最低の環境すら、カズヤは侵している。そして彼はそのことに気付いていない。
「オレには姉貴なんていねえよ」
「じゃあ、誰?」
「あーっ、うっせーんだよ!」
彼女は机を叩いた。
―――この男、マジでウザいんだけど。どこまでオレのこと苛つかせるつもりだ?
事実、カズヤは日々安穏に暮らしてきた一人っ子の坊っちゃんだから、今みたいに他人のことを考えずに、自分の欲求を充たそうと、つい振る舞ってしまうことがあった。アキラが平凡になる為に、自分の本性を抑え込んでまで周りと協調するところとは、まるで正反対だ。
ただし、アキラは面従腹背で何を考えているか解らない反面、カズヤはお人好しで素直。悪く言えばただの単純馬鹿だ。
机を叩いたアキラの態度に、思わずカズヤは警戒した。
アキラが、以前見た、理性の吹っ飛んだ状態になってしまったら、サキですら敵わない相手をどうにかできるわけがない。何しろ自分はサキに敵わないのだ。そんな自分がサキに敵わないアキラを抑えられるわけがない。今この場には頼みのサキがいないのだ。
ただ、未だ、自分が取っている態度が、アキラにどう思われているかは解っていないようだった。
勢いで立ち上がったアキラは、極力感情を押し殺した声で、「サックスパートと練習して来てぇな。オレ、このうすらバカとけりつけなあかんさかいな。コメチにこう言えば解るから」と、可愛い後輩二人に言うと、カズヤをキッと見据えた。
あまりの鋭い眼光に、カズヤは一歩下がった。
教室にはアキラとカズヤだけしかいなかった。
「ったく、そのガキっぽいとこ、いい加減直せよ。あの過保護なサキの所為だよな、それは」
誰もいなくなると、ある程度の状況を知っているカズヤが相手だから、エセ関西弁は消えて、悪いながらも標準語にアキラは戻る。
「サキのやつ、他人の心配するよりも、自分の心臓の心配しろってんだ。
ま、今日のところは我慢して、お前の悪いところを教えてやるよ、このおおぼけナスの、うすらとんかちめが」
アキラの口から、意外な悪態が出てきたのに、思わずカズヤはぷっと噴き出した。
「お前さ、よく笑えるよな。他人がが怒ってんのにさ、感心しちまうよ」
爆発しそうな怒りを堪えて、アキラはぐっと腹に力を入れた。すると……
「あ、ありがと」
アキラは肩の力が抜けていくのを、はっきりと感じた。他人が本当に怒っている空気すら読めないのだ、この男は。今、アキラの目の前にいるのは本当のバカだ。
―――だからサキが放っておかないのか……
アキラはサキに同情した。だが、アキラはサキほど人間が優しくはない。厳しいことをはっきり言うことが、アキラにとっての優しさだ。
「お前さあ、オレがお前の無神経を馬鹿にしたの、気付かないわけ?」
「あ、そうだったのヮ」
ようやくアキラも、カズヤが遠回しにいって解ってくれるような人間ではないことに気付いた。だからと言って、カズヤの人格を受け入れるつもりはない。逆に、手厳しくいくつもりだった。
「あのお方はな、オレの保護者だ。普通なら親が保護者だけどな、オレは違うんだ。いいか、耳の穴かっぽじってよぉく聞きな!」
アキラの言葉通り、カズヤは耳の穴をほじった。そしてアキラは、その耳を引っ張り、耳元で大声を出した。
「オレの両親はな、オレが小学校三年の時に死んでんだよ。二人仲良くなっ!」
「……」
頭がキーンとして何も言えないのもある。しかしそれよりもショックが大きくて何も言えずにいるカズヤに、アキラは更に追い打ちをかけた。
「どうだ、満足したか。これがお前の聞きたがっていたことだよ。黙り込んじゃって、お前のような鈍感な人間でも、どんなことが他人に不快感を与えるか、ちょっとは解る時もあるんだな。意外だな」
自分の触れられたくない過去を語るという、自虐行為を取り、そうすることでカズヤを「鈍感だ」と傷付け、傷付けられて何も言えないカズヤを更に痛め付け、冷たい視線を突き刺し、例の無表情のまま鼻で笑い、アキラは教室を出ていった。
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