第7部;八月〜瑠璃色の瞳〜-4
紅龍は、アキラの姿が見えなくなると、近くにあった木の幹を蹴った。
「ちくしょう……」
紅龍が悔しげな表情を見せたのは、この瞬間までだった。振り向いた時には、その表情はゴールを目指すことだけを考えた者の顔だった。
―――危ないところだったわ。始祖杜若妃の愛したものに拘ってみたけれど、アキラが夜の森の主を使役したとはね。ならば、私は夜の動物の王を使役してみせるわ。
それにしてもアキラ、もう何を持っていくかを決めているって言ってたけど、何を持ってくつもりなのかしら。ま、いいわ。狼は私が使役しちゃうから、アキラは困るはずよ」
紅龍は狼を使役した。なかなか高度な術で、瑠璃色の瞳を持たない者には大変なものだった。
紅龍は合図の音を鳴らし、使役した狼とともに山を下りた。
と、どうだろう。山の中腹で、アキラは追い付いてきたのだ。しかも彼女は七つ目のものを手にしていない。
紅龍は、心の中で万歳三唱をした。アキラは紅龍に先を越され、手に入れなくてはいけないものを、手に入れられなかったのだ。心のどこかで不自然さを感じながらも、勝利を目前にした紅龍には、都合がいい解釈しかできなくなっていた。
余裕のありそうなアキラは、紅龍を追い抜くでもなく、余裕ない紅龍が能力以上の速さで走れるように並走しているようだった。
山を抜け、平地に出た。罠も黒子も、もう姿を見せないところを見ると、やはり最後は実力勝負させるのかと思いきや、突然大地と同化していた黒子が、二人に襲いかかってきた。
アキラは当然黒子の存在を知っていたのだが、驚いた紅龍は、咄嗟に懐の短剣を黒子に投げた。
「紅龍、殺すな!相手はロボットじゃない、人間なんだぞ!」
あの乱暴なアキラらしからぬ台詞であることなど、紅龍が知るわけがない。
喧嘩を売られて逆上している彼女なら、猛々しい紅龍と同様に振る舞いをしそうなものなのだが、今のアキラは黒子の鳩尾に拳を入れて気絶させて、その場を切り抜ける。
―――普通になりたいから殺さないんじゃない。この馬鹿げた儀式を止めさせるなら、オレは態度で示さないといけない。
もしこのオレがこの地球上の人間を滅ぼすか否かを見極める者なら、始めから否定して殺してはいけない。始めは敢えて肯定しなくちゃならないんだ。少なくとも、オレは初めて、今の友達を大事にしたいと思っている。だから、人間を滅ぼしてはいけない。だから殺さない。
アキラは自分に言い聞かせた。
ゴールが見えるところまで来て、二人は全力疾走する。僅かだが、紅龍が先を行く。
紅龍の頭の中には、勝利の喜びしかなかった。何故ここまでアキラに拘るのか解っていないまま、アキラに勝った喜びを感じていた。
と、紅龍は、宙に浮いたような感覚を覚え、次に引力に従って地中深くに吸い込まれるような、不快な感覚に襲われた。ふと見た足元には地面がなく、観音開きの大きな扉が、地獄の入り口のように口を開けていた。上を見れば、アキラも落ちてきている。
―――死の扉……。一度落ちたら戻れない……
その扉を隠していた土や草や木も傾れ落ち、紅龍が手にしていたものも、彼女の腕から零れ落ち、使役していた獣や鳥は難を逃れ、紅龍から離れていた。彼女には何も残されていなかった。
それは侵入者の群れを飲み込む為の大掛かりな罠。その深さは計り知れず、仮に落ちて生命があっても、穴の中から扉を開くことはできない。
紅龍は落ちながら、子供の頃に聞かされた、死の扉の話を思い出し、自分を呑み込もうとする闇の口を見下ろした。
―――!流れ星?
炎の流星が、開き切っていない扉にぶつかり、彼女を目がけて反射してきた。音速を超えた流星は紅龍に体当たりし、そのままの勢いで重力に逆らい、足元確かな地面に紅龍を降ろすと、自身は扉の反対側の地面に降り立ち、ゴールを目指して走りだした。
全ては一瞬のうちに起こった。
アキラは超常の力を使いはしなかったものの、生まれついての能力の違いを見せつけた。
右手にしなやかな若木、左手には一握りの土と、花を付けた山野草。口には松明を咥え、腰には鉄の剣を帯び、その頭上を梟が追っている。
さっきの流星は、アキラが口に咥えた松明が尾を引いたから、そのように見えたのだ。
紅龍も全力疾走した。負けは決まっている。
アキラに対する敵対心は失せ、それでも全力疾走するのは、アキラと、儀式に対する礼儀だ。もう自分は持つべきもの何一つとして、持ってはいない。
それにしても、自分とアキラとの、歴然とした能力の差は、一体何なのだろう。普通の修業では、とてもあの速さは出せるものではない。一つの疑問が、紅龍には浮かんだ。
―――まさか、この人……?でも、あの方は死産であったと聞かされている。でも、あの速さは説明がつかないわ。呪いを跳ね返して産まれた姫でもない限り、あり得ないはず。
そうだったら……もしもそうだったら、どうして無益な儀式を受けるのかしら?名乗り出れば済むことじゃない……
紅龍の思うところの「無益」とは、儀式が無益なのではなく、アキラにとっては無益だということで、アキラの思う「無益」とは、全く反対の意味合いだ。
アキラがゴールしたことで、谷は新しい巫女の誕生を喜ぶ、華やかな雰囲気に変わった。
しかしどうだろう、紅龍は気付いていたのだが、アキラはその手に六つしか、持つべきものを持っていないのだ。これでは一つ足りない。
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