第6部;八月〜生まれ故郷〜-6
息を呑んだアキラの目に映ったのは、無数の鏡に揺らめいて浮かび上がる、皺だらけの無数の老婆の顔。
「先程の女長は、実質的な谷の運営を任された、巫女上がりの長です。わたくしは、過ちの双生児の誕生した折から、修正の双生児が産まれるまでの、守護の女長老。長の力の封印と覚醒を司るものです。
鏡の中に齢を閉じ込める術を与えられ、先代、そしてわたくしとの二世代で、約四百年を生きてきました。ここにある鏡は、わたくしが二十五才の時から年に一枚ずつ増やし、齢を閉じ込めてきたものです。精神は変わらずとも肉体の衰えは押し止めることはできません。ここには百五十枚位あるでしょう。わたくしも忘れましたけど」
アキラは水鏡の微笑む瞳に、全神経を集中した。鏡を見てはいけないと、本能がそうさせる。
「わたくしをこの任務から解き放つ者よ、くどいようですが、長の証たる超常の力を、今は使ってはなりませぬ。真実が自ずと明かされる時、初めてその力を谷で使いなさい。よいですね」
「はい、解っております」
言われるまでもない。始めからそのつもりだった。
もう少し平凡でいたいのだ。普通の中学生として、普通に喜怒哀楽を好きなだけ表現し、運命を忘れていたいのだ。
「ところで、妃よ、あなたの瑠璃色の瞳は健在ですか?」
「はい、ご心配なく。黒い色にしてますけど」
「なら、結構。行きなさい、あなたの本能の赴くままに」
水鏡は蝋燭の火を消した。それは、もう行きなさいという合図だ。訊きたいことは山ほどあったが、有無を言わさぬ暗闇に、アキラは女長老だった水鏡の前を辞した。
「あれ、べ……紅龍」
外に出たアキラは、女長老の社の前に一人でいる紅龍を見た。
二人の間に風が流れた。
紅龍の瞳の中には、彼女の名前のような、憎しみの炎の龍が燃えている。
「谷人が、女長老さまが娘の一人を招き入れたって驚いていたから、まさかと思って来てみた」
紅龍は喋りだした。
「女長老さまは、あまりお姿をお見せにならない方らしいから、谷人の中でもそのお顔を知らない人も多いと聞いてるわ。当然、私たち巫女志願者が気付くわけもない。
アキラ、あなたは一体何者なの?どうして女長老さまに目をかけてもらってるの?昔のあなたを知ってるからこそ、私はあなたにだけは負けたくないわ!」
「紅龍……」
アキラに宣戦布告して去って行く、紅い炎の龍の背に、アキラはその名を呟くことしかできなかった。
―――勝つしかないんだな、オレは。勝って、全ての責任を負うしかないんだな。所詮平和なんて、このオレには似合わないんだ。オレが今、平凡でいられるのは、水鏡さまのお陰。他人に頼って自分だけいい思いをするなんて、オレらしくない。今は人間を見極める為に平凡を装っている、そう思え、オレ。今までの一年半の出来事も……
アキラは髪をきつく結い直し、気合いを入れた。
―――それにしても、どうして『瑞穂の谷』なんて名前にしたんだ。人間滅亡を画策してるような谷を……
瑞穂とは、瑞々しい稲穂が実る様、ひいては日本の美称だ。谷は日本の中枢であり、美しい所であるという意味合いを含めている。そのことは解っているのだが、どうも違う気がしてならない。
―――センスのなさに、ご先祖さまを笑っちまうよ。それでもここは、オレのもの。オレの全て。そうだから、悪いけどオレは、サキやコメチがいくら善い人間だと解っていても、人間を殺してしまうんだろうな。
ま、オレの知ったこっちゃない。人間を滅ぼすものは人間。オレ自身、自分だけ生き残っていたいなんて浅ましい生存欲は持っていない。一緒に滅びるつもりなんだから、誰にも文句は言わせない。いいじゃないか……
アキラはがらりと雰囲気を変え、儀式に臨むべく、女長の社の前の広場に向かった。
早すぎたのか、そこには紅龍しかいなかった。
「あ、ああ、アキラ。あなた、いつ来たの?全然存在感ないよ。そんなので、あなた、巫女どころか生き延びることもできないわよ」
―――そりゃ、あんた、いくら自分が殺気立ててるからって、みんなが殺気立ててくるとは限らないだろうに。それこそ死ぬよ。
アキラは言いたいことを呑み込んで、「うん、自分でも危ないとは思ってるよ。でも、手を抜いてるわけじゃないんだけどなぁ」と、作り笑いをしてみせた。
「そりゃ、手を抜いたら本当に死ぬよ。どうせ偽物の戸籍しかないんだから」
そう言って笑う紅龍の声を、アキラは遠くで聞いていた。
周囲を取り巻く空気が醜く濁り、いきり立てば立つ程、アキラの心は閉ざされ、小波一つない湖の水面のようになっていった。何故かは解らないが、アキラは、彼女らしくなく、穏やかだった。それは自分の進む道を、覚悟したからかもしれない。
覚悟は決めた。もう、迷わない。
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