第6部;八月〜生まれ故郷〜-4
巫女決めの儀式は夕方からと聞かされていたので、それまでの時間、アキラは勝手気儘に過ごすことにした。生まれて初めての土地だが、本来であれば自分が支配していたはずのこの土地を、じっくり観察してみようと思いたち、ゆっくりと村を歩いた。谷人はそんなアキラに奇異の目を向けるでなく、ただ黙々と、決められている一日の日課を行なっていた。その日課とは何のことはない。ただ食事を作り、片付け、洗濯をし、そして口に入れる日々の食料の手入れや世話だ。
あまりにものんびりとした光景に、アキラは戸惑いを禁じ得ない。
身内に殺されてしまったり、世界に争いを起こしたりする人間たちの集落のはずなのに、この生活の取り巻くゆったりとした時間の流れは一体何なのだろう。目の前にいる人たちは、世間にあきあきしてしまった隠遁者のような、およそ争いごととは関係ないような人々ではないか。
そもそも本当に今日の夕方、少し血の匂いのするかもしれない、巫女決めの儀式が行なわれるのだろうか。それすら疑問に思ってしまうほど、ここの生活はのどかすぎた。
谷の平地は基本的には開墾され、田畑になっていたのだが、幾つかの社の前は広場になっていて、そこで鍛練している少女が一人いた。
谷の人間であれば、この時間に鍛練などしているわけがない。とすれば、彼女は巫女決めの儀式の参加者だ。
巫女決めの儀式そのものに反対のはずのアキラなのだが、この少女を見て、どういうわけか少しほっとしてしまう。ここの空気は清浄すぎて、アキラの心の奥底に沈めた不安が、無意識のうちにざわつくのだ。
―――熱心だこと。オレとは大違いだよな。
アキラは少女の動きを目で追いながら、感心していた。
きっと彼女は、アキラとは反対に、巫女になりたくてしかたがないのだろう。だから、儀式に備えて鍛練しているのだろう。
本当ならば、こういうやる気のある人間が選ばれて然るべきなのに、儀式はその能力の有無を、無意味にわざわざ競わせる。
「私の動きでも研究しているんだったら、何処か行って下さるかしら。こんな所でぼうっとしてるってことは、あなたも巫女決めの儀式に出る人でしょうから」
少女はアキラに気が付いたのか、突然動きを止め、アキラに詰め寄ってきた。
「おっと、そんなんじゃねぇよ。オレにはオレのペースがあるんでね」
両手を胸の前に挙げて軽く降参のポーズを作り、アキラは一歩後ろへ退がったのだが、自分を睨む少女の目に、アキラは見覚えがある気がして止まった。
くるっと記憶を探り、一人の人物に思い至る。
「あ、あんた、紅緒ちゃんじゃない?」
「?」
少女は不審そうな眼差しを遠慮なく向けた。
「やっぱそうだ。オレだよ、アキラ。ガキの頃、よく遊んでくれたじゃないか。ほら、人形のアキラだよ」
「え、あ、ああ!」
紅緒と呼ばれた少女は、驚きの声を上げた。
「あの……、嘘でしょ?」
「そうだよな。だってさ、オレが動けるようになって二、三日もしないうちに、紅緒ちゃんは引っ越しちゃったからな」
アキラは懐かしそうに言った。
「待って。アキラちゃんは目が見えていないって、あなたのお母さまが言ってたけど」
「それは違ってたんだ。オレ、見えていたんだけど、喋れなかったし動けなかったから、意思表示できなかっただけ。オレは何もかも憶えてるぜ。
ところで紅緒ちゃん、あの後は、ずっと谷に?」
「その、紅緒ちゃんっての、やめてよ。私の名前は『こうりゅう』っていうのよ」
『こうりゅう』と名乗った少女は、地面に木の枝で『紅龍』と字を書いた。
「へえ、紅の龍か。格好いいじゃん」
アキラが名乗らなかったことに対して、紅龍は少し眉間を顰めたが、谷の人間は簡単に本名を明かすものではないから、そこで追求はしなかった。そしてアキラも知らん顔だ。
それでもアキラの雰囲気は、至極和やかだった。努めてこうしていないと、他人を突き刺すような眼差しで、他人を無意識のうちに拒否してしまう。それに、自分が何者だかを悟られないようにしなくてはならない。
とにかく、幼馴染みとの対面は、なかなか良い雰囲気だった。
「で、あの後はずっと谷に?」
「ううん。今回は巫女決めの儀式に参加する為で、谷に来るのは三度目かな。アキラちゃんは?」
「オレは谷は初めてかな。今日はオレの後見についてくれている人の命令で、オレも儀式に参加しに来たんだ。オレは嫌だったんだけどね。ははははっ」
もともとぎこちないアキラの笑いは、自然と消えていった。紅龍の眼差しが、アキラも儀式に参加すると聞いた途端、鋭く、憎悪の色に染まったからだ。それは明らかに、アキラを敵と見做した色だ。
―――何なんだよ。うっかりオレが巫女になんか選ばれちまったら、もう死ぬしかないって顔しちゃってさ。
大体、巫女決めの儀式って、一体何するんだよ。他の連中は親から聞いてるからいいよ、オレは何も教わってないんだから、巫女にならない為の対策を練ることすらできないし。
ったく、水鏡さまは何処にいるってんだ。もうちょっと情報をよこすとかしないか、普通。
アキラが心の中でぼやいていても、その声が聞こえる人間は何処にもいない。
ぷいっと背を向けて、再び鍛練を始めた紅龍の後ろ姿を見ながら、アキラは遠慮なくため息をついた。
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