第5部;七月〜Junior high school life〜-4
「アキラ、いる?」
「あーっ!」
突然開いたドアに、アキラは悲鳴にも似た声を上げた。
入ってきたのは、険しい表情をした葵だった。
「えっ?」
「何すんねん。せっかく巧くいってたのに」
「あら、ごめんなさい。でも、何?」
録音していることなど知らない葵は、勢い良くドアを開け、大きな声でアキラの名前を呼んでしまったのだ。フルートパートの三人が、大きな叫びを上げたのは言うまでもない。特に後輩二人は、アキラの表情に縮み上がっている。
「録音してたのに、もう……。で、何?」
アキラは、露骨に不愉快そうな表情を見せた。
なのに葵のセリフは負けていない。
「アキラ、これ以上、制服を崩さないでちょうだい。何なのよ、そのサスペンダー」
アキラのスカート丈は、既に諦めている。上靴だって、言っても無駄なのだ。判ってはいるのだが、新たに違反を見付けると、一応注意せずにはおれない、悲しい教師の性だ。本当は、こんなことを言うつもりではなかったのだが。
「何や、そんなことか。だって、痩せちゃったんだもん、しゃあないやんか」
アキラも全然気にしていない。もうこれで、この件を注意することはないだろう。どうせ言っても無駄なのだ。
「それよか、ちょっと聴いてえな。さっき録音したやつなんやけど、ピッチのずれがひどいし、楽譜通りに吹いても納得できへん。どうしたらええやろか?」
アキラはテープのスイッチをいれた。
「アキラ、ちょっと吹いてみて」
聴き終わった葵は、次にアキラ自身が吹いた演奏を聴いてみた。
プロ顔負けの演奏だ。音楽教師というよりは、プロの演奏家を目指していたことがあった者でさえ、一体この演奏のどこが気に入らないのかが解らなかった。
人間だからこそ、微妙なピッチのずれは当然なのに、アキラはまるでロボットか何かのように、それを許さない。正しくは違う。彼女はピッチのずれすら表現の一つの手段として、自分の思い通りにしようとしているようだ。
挫折して教職に就いた者に、その姿は美しすぎるくらいだった。
楽器がアキラの身体の一部になっていて、曲を身体全体で表現しようとしている。彼女自身が未だ迷っているから、曲にその気持ちが顕れている。
天才だと、葵は思った。教えることは未だあるかもしれない。アキラは教えたら、それ以上のものを、その頭に、その身体に貪るように何もかも取り込む、貪欲な器のようだ。
天才と、誰からも呼ばれるだけの能力を持って生まれながら、どうして平凡であることを望むのだろう。平凡な葵から見たら、その理由は永遠に解らない。テストではわざと二、三問空白にして出したり、そういう手の抜き方まで、卒がないのだ。
非凡なアキラが平凡になろうとしたところで、内から滲み出るものまでは隠せないということが、聡明な彼女に解らないはずがないのだが、彼女は本当に解っていないのだろうか。
葵は暫く聴き惚れていた。
「な、どやろ?」
アキラに訊かれ、葵は我に帰った。
「どやろって、悪いところはないわ。ただ、表現方法に迷ってるでしょ。それが伝わるわ。自分なりの解釈を考えたら、もっと良くなると思うわ」
「うーん、解った。ところで、何かオレに用があったんじゃないんか」
「あ、そうそう、忘れるところだったわ。そのソロコンテストのこと。あなた、野球よりハンドの応援は絶対行くって言ってたけど、それができなくなっちゃったのよ」
「えぇっ!?、中学生の部、ハンドの試合の前日だったやんか。何で一般の部の演奏まで聴かなあかんの。うっとおしい。オレ、全ッ然興味ないし」
アキラは全身の力を込めて拒否した。
ハンド部の市大会は、ソロコンテストの市大会の翌日の予定。サキとカズヤが出るというのに、応援しに行かないだなど、アキラとしてはあり得ない話だ。
それは担任である葵も同じ気持ちだろうに、葵は非情にも言い渡す。
「あなたはここ、神森中の代表としてではなく、一般人の桂小路 晃として出場しなくちゃならなくなったのよ。その代わり、中学生の部には出ないでね」
「そんな、いけずやわ。オレは中学生なんやから、中学生の部に出て、それから気分良くハンドの応援行きたかったんや。
だってオレ、ポンも、ナミも、何とか応援行ったんや、バレーは遠くて無理やけど、近くでやるのは行きたかったのに、勝手なことを言いよって。それ、葵ちゃんが決めたことじゃないやろ」
「そうだけど」
ぷうと頬を膨らませた顔が普段のアキラからは想像つかない仕草で可愛くて、思わずアキラの言うことを全部叶えてやりたくなってしまうのだが、そういうわけにはいかない。葵はその反則的な可愛い仕草に惑わされないよう、慌てて顔を背けた。
「だって今の演奏だって、聴いたやろ、葵ちゃん。とても一般の部で通用するようなもんやないやん。ったく一体、何処のどいつが、そんなふざけとこと言いよったんだか」
アキラはめちゃくちゃ怒っていた。
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