彼らの関係
なんでその話になったかなんて覚えていない。
とっくに新聞やテレビで見ていて知っていた話題だし、初めて目にした時も別段、引っかかりというか、へぇ、そうなのか。という感じだった。
確か、発端は結構な頻度で飲みに行く既婚済みの同僚が、お前は結婚しねぇの?彼女は居たよな。あれ、別れたんだっけ?そういやぁ、知ってるか?この国でもとうとう同性婚が認められたんだとよ。
「そうか…」
「ま、周りに居ねぇし、俺らには関わりの無い話だよなぁ」
「…ああ」
頷き、また新人がどうしただの経済がどうのと言う話しになった同僚へ適当に相槌を打ち、千鳥足となるほど酔ったそいつをタクシーに乗せ家へと帰し、自分も帰路に着いた。
翌日が休日で無ければ、月に数度会う予定の日で無ければ、家で二人、向かい合って飯を食うので無ければ、この男とこの国がいつの間にか決めた法律で、昨日同僚との話題に上った話しをすることも無かったのに。
「ふーん、周りに居ない…か。じゃあバレて無いんだな」
「バレるも何も、昔の話だろ。今は彼女だっているぜ」
「それこそ、居たけどフラレタから募集中だろ」
「ああ?っなんで喜多山が知ってんだよ!?」
「前に酔っ払って自分で言ってた。残念だったな、町岡。床上手な彼女だったんだろ」
町岡は酔ってお喋りな己に呆れて溜息を溢す。
目の前でトマトを突っつきながら楽しそうに意地悪気に微笑む喜多山と町岡は学生時代、付き合っていた。
男同士だが、冗談や戯れでは無い。その時は本気だったし、互い以外無いと思っていた。
ずっと続くものだとも。きっとその時に同性婚の話が出ていれば後先考えずに真っ先に飛び付いていたかもしれない。
だが、学生という囲いを出て、少しだけ広くなった社会の中、喜多山は一人っ子ということもあり両親へと負い目を感じ、町岡は周囲に浸透する常識から外れて居る関係にストレスを感じ、やがて恋人同士という関係に終止符を打った。
それでも、お互いに嫌いになった訳では無いから、時々友人として会うことにしている。
二人共、彼女が出来たり、仕事が忙しかったりでなかなか予定は合わないが。
別れてから十年の時が過ぎた。
「お前は、前にダブルデートで食事した彼女とはどうなんだ?」
「オレは、あの子とは別れたんだ」
「あん?聞いてねぇぞ」
「言って無いからな。けど、結婚は別の人とするつもりだ」
「はあ?」
「今流行りの同性婚。コレ、招待状な」
流行ってねぇんじゃあとか、それこそ早く言えとか、そんな言葉は脳のどこかに湧いたが、声は出ず町岡は喜多山の招待状を持つ自分より白く細い手首を掴んでいた。
「?…なんだよ」
「お前…両親は?いや、それより相手は?」
「あー、両親には話した。納得はして無いけど説得中。相手は多分町岡の知らない人」
「なんで…」
なんで俺の時は諦めて、その男の時は説得なんてして頑張れるんだとか、男と結婚するなら俺でも良いだろうとか自分勝手な言いたい事は山積みで、そこまで考えて町岡は、どんな彼女とも長続きしない理由を思い知らされる。
別れて十年経つというのに未練タラタラ。
「なんでって、町岡、彼女の相手とは会ったことないだろ?幸せになると良いよな彼女」
「………はああっ??!」
驚愕で頭の芯まで響くほどの大声が出た。
「うるさいな。何にそんなに驚いているんだよ」
「いや、俺はてっきりお前が結婚するんだと」
「そんな訳ないだろ。いくら法律が認めてもオレには両親を説得する勇気も、世間の好奇の目に晒される強さも、一緒に戦い耐え抜いてくれる人も居ない」
手首を握る手に力を込め、
「俺は…俺では駄目か?」
虫の良い話だと思いながらも口に出せば、
「何それ冗談?お前はオレから一度逃げたのに?他人のものになるかもって思ったら惜しくなった?」
そうだ。別れは町岡から切り出したのだ。あの時の「わかった。オレもそう思ってた」と言って泣きそうな表情で笑んだ喜多山を思い出す。
同じ顔だ。
「…悪い」
謝り手首の拘束を解いてご飯茶碗を持つ。
「ん。…それにやっぱ身体を重ねるなら女の子の柔肌だろ。男なんて硬いわ熱いわ痛いわで、もう絶対嫌だ」
「そうか?俺は女達よりもお前のほうが…なんでもねぇ」
危うくフォークで刺されるところだった。
「あと、オレはお前と暮らすなんて絶対嫌だね。洗濯物は裏返しで出すし、牛乳パックはそのまま口つけて飲むし、寝てるのにテレビは付けっ放しだし、ぜってー無理」
「だったらお前の方こそ、休日の早朝に来て洗濯するってシーツや枕カバーを引っぺがして行くわ、お前の家の一室なビッシリと置かれた硝子細工やら、蟻んこ程度でギャーギャー騒ぐところや、俺だって絶対無理だ」
「だろう」
「ああ」
で、何の話しだったか。
「ほら、とりあえず招待状受け取れよ」
受け取って日付けを確認してみれば、ちょうど休みの日だった。
「何着て行くんだ?スーツか?」
「だな。町岡は仕事用以外のスーツが良いんじゃないか?クローゼットの右端に入ってる」
「わかった」
確かに町岡は、喜多山と結婚して一緒に暮らすなんて考えれば考えるほど無理な気がしたが、そもそもこの男と以外、誰かと結婚するつもりも無い。
誤魔化したくて忘れるつもりで恋人ごっこを楽しんだ歴代の彼女達には申し訳ないが、喜多山だけなのだ。
心から愛したのは。それは世間のせいにしたり様々な理由で逃げてしまった自分勝手な恋愛だったかも知れない。
愛と呼ぶには稚拙な。
生涯共に生きたいと願い、だけど喜多山の為なら命を投げ出せるだろう己は、喜多山を愛することで自分や喜多山が傷付くのをバカみたいに恐れている。
だとしても、
「ブーケトスとかやるのかな。オレ、取れたりして」
もう、
「そん時は二度と逃げねぇよ」
勢いだけの恋愛を終わらせ、曖昧な友人関係をやめて、愛を告げて、もしも受け入れられたら、新たな関係を始めるのだ。