Chapter52「より良き世界。それは犠牲の果てに」
「落ち着かんな、大丈夫か?」
最初に沈黙を破ったのは、アセリアのそんな言葉だった。
言葉を投げかけられた者は、見るからに落ち着かない様子で先程から握るハンドルを指でとんとんと叩いていた。
バックミラー越しに視線を送ると、片目を瞑りながらアセリアが唇の前で人差し指を立てる。大声を立てるなということだろう。
運転席に座ったボブはアセリアの顔から下に視線を落とし、すると彼女の膝を枕に寝息をたてているアリスの姿が映った。
アリスは昨日帰らなかったユー達を心配し一睡もせずにいたのだ。慌てて後から出て行ったユーリが拍車をかけ、余計にアリスは昨晩ずっと緊張を解く余裕すらなかったはずだ。
だが、一晩明けて見るやいなやなんともなさ気にユー達は帰ってきて、こうして当初の予定通り悠奈を呼びつけた者に会うため大聖堂へ来ている。
聞けばまた襲撃があったらしいのだ。そんな中で人に会うなど馬鹿げている。しかも現在聖堂の中には悠奈とユーしかいないのだ。これで落ち着いてなどいられるか、とアセリアに視線でなんとかボブは自分の気持を送ってみる。
「あまり見つめるな気持ち悪い。まあ、心配はいらんだろうさ。ユーがそう言うならな。それに襲った奴らは呼び出した連中とは違うらしいじゃないか。なら邪魔立てするにしてもそいつらは聖堂の外からやってくるはずだ。安心しろ、並のクラス3程度なら私一人で十分だ」
「だがよ……」
「不本意だがユーリがいつでも狙撃できる位置についている。っは、奴がライフルを握ることほど安心できるものはないだろう?」
窓の外を眺めてアセリアは言い放つ。どこか棘のある口調なのは、実力を認めつつもユーリをライバル視するアセリアからすれば彼女を褒めるのは気に入らないのだろう。
それだけ言ってアセリアは顔を俯かせ膝の上で寝返りをうつアリスの頭を撫でる。姿こそ似ていないが、その様子はまるで姉と妹のようで微笑ましい。最初の頃のアセリアなら絶対にこんなことを、そしてこんな顔はしなかったはずだ。そうさせたのは悠奈かアリスか。どちらにせよこうして仲間として絆が深まる事は悪いものではない。
そうして得たかけがえのないものを失うのは辛いものだ。一度経験したことがあるからこそ、ボブはこの二人を、そして仲間を守りたい。微力でも、自分にできるやり方で。
アセリアやユーとて強く、良く出来た子とてまだ若い。だからこそ大人であるボブがやらねばならなこともあるはずだ。
あの日、雪風小隊の一員として仲間たちと誓った決意を内に抱き、ボブは今一度エデンに住まう者の命を、仲間たちを護ると決心した。もう失敗はしないと、何度も自分に言い聞かせながら。
しんと静まり返った大聖堂内に、立ちふさがるようにして対峙するカソックを着た二人の少年。しかしそれ以上の事はせず、恨みでもあるかのように悠奈を睨みつけるだけ。
休日だというのに、今日は人がいない。なので今聖堂の中にいるのは悠奈とユー、そしてこの二人の少年だけだ。
おそらくは悠奈に会いたがっている人物がなにかしら計らったのだろう。
「こちらの要件は知っているだろう。ここでこの子に会いたがっている人がいるはずだよ。君らじゃなくね」
「お前は呼ばれてはいない」
ユーの言葉に射抜くような視線を付けてカソックの少年、その片方が口を開いた。
少年が懐に手を入れ、ユーが二の句を紡ぐ前に、教会にいる全ての者はその声に制された。
「およしなさいジール、フランも。この人は大丈夫よ」
全員が声の主に集中する。祭壇の奥から姿を見せたのは、黒髪の女性。その容姿があまりにも悠奈の記憶に焼き付いたある人物と酷似していたので、考えるよりも先に悠奈は足が進んでいた。
「あんた! こんな場所で何――」
「大丈夫だよ悠奈ちゃん、似てるけどこの人はラトリアじゃない」
ユーが前に出る悠奈を手で制し、それを見て女性も微笑むとユーと悠奈それぞれ交互に、何かを確認するかのように視線を向けた。
ユーがああいったのだからそうなのだが、目の前の女性はラトリアに、あのエデンの管理者に瓜二つだ。奇しくもそれは自分自身に、そしてユーに似ているということなのだから虫酸が走る。
「こんにちは、悠奈さん。そちらの方は……いえ、詮索はよしましょう。私はアスピナ、あなたの父……東條明さんに関わりのある者、と言っておきましょうか」
「……父さん?」
「ええ、あの方はよく存じております」
そう言ってにっこりと笑みを浮かべるアスピナは、威圧的なだけのラトリアとは比べ物にならないほど心に安らぎのようなものを感じさせる。まさにこの大聖堂にふさわしい優しいシスターといっても過言ではないのだが、あいにくと彼女が着ているのはユー達のそれに類似した制服だ。少年達を従えている以上この聖堂に縁のある人物なのは確かなのだろうが、今それを聞いたところで悠奈にとって有益になる情報とはとても思えず沈黙を守る。
「さあお二人とも、こちらへ」
並んだ長椅子の最前列へアスピナは案内すると、カソックの少年の一人が何も言われずとも自然に悠奈達の前に台を運び、その上に一つのノートパソコンを置いた。
悠奈が首を傾げると、アスピナは懐からメモリーカードを一枚取り出しそれをパソコンに差し込む。どうやらなにか見せようという気らしい。
「明さんは私に言いました」
「父さんが?」
悠奈は僅かに声を上ずらせる。やはり、明は自分が知るよりも深く管理局の何かに関わっていたのだろう。
「はい、もしあなたが……悠奈さんがこちら側に踏み込んでしまった時に、自分の罪をあなたには知ってもらいたいと。あの人はそう私に言いました」
「父さんの……罪」
不思議と、これから聞かされるであろうことに動揺はない。色々考えを巡らせて覚悟が決まったというわけではないが、いざこうして直面するとこうも落ち着いていられるものなのだろうかと悠奈は長椅子に深く背を預けた。
「こちらをご覧ください」
「これは……研究……所?」
アスピナが手際よくパソコンを操作し、モニターには一枚の写真が映しだされた。
それはいかにもな映画にでも出てきそうな怪しい研究所の内部そのもので、大型の機械が並びその奥には数名の研究者と思わしき人物がいた。
その中に、まだ記憶に新しい顔を悠奈は発見する。以前エリアRでシグとともに護衛したニコライ・ロマネンコだ。悠奈が見た時より顔の皺が少なく、体型も僅かばかりだが細いところを見るとここ最近の写真ではない。
「ニコライ……」
「ええ、ニコライ・ロマネンコ。彼もあの研究に携わっていた人物ですね。こちらを」
「――え?」
アスピナによって切り替えられた画像。そこに写っているのはまだ年端もいかぬ少女。アリスより幼いか、同じくらいだろうか。生気のない表情で無機質な白い部屋に一人座っている。しかし、悠奈にはあの黒髪と青い瞳には見覚えがあった。
「この子はラトリア・コルネリウス。私を見た時の反応からすると、どうやらもうご存知のようですね。自分からあなたに顔を見せるなんて、あの人らしい」
ふふ、とアスピナは笑う。彼女からこぼれる笑みは不思議と悠奈の心を落ち着かせる。それはまるで家族と共にいる時のような、表現しがたいが理由もなく安らげるような妙な安心感があった。
「明さん達は、ある研究を行っていました。それは人の道理から外れた行為。ですがそれを理解してもなお、彼らは何人もの子供を使い、そしてついに一人の少女だけが彼らの悲願を叶えることが出来たのです」
「それが……んぅ……あいつ?」
ついラトリアの名を口にしようとするが、また突拍子もない言葉に変換され場の空気を濁すのはまずいと慌てて悠奈は言葉を変えた。なんとか回避したが、もう少し発言には気を配るべきだろう。
「はい、私たちの身体の中にあるナノマシン。今でこそそれがあるのは当たり前ですが、当時はその行為自体がとても危険視されていたのです。まだ、ナノマシンも開発されたばかりで不安定なモデルだったようですしね。ラトリアさんは当時唯一ナノマシンに適合した人間です」
ナノマシンが普及したのはここ二十年か三十年前の話だ。とすればこの写真はそれよりもずっと前になる。
そんな前からエデンのために働いていた明を、悠奈はそこまで誇らしげに思うことは出来なかった。つまりこれは人体実験なのだ。アスピナは言わなかったが、おそらく相当数の犠牲を払った上でナノマシンに適合した人間という存在が誕生したことだろう。
「人の上をゆく存在。そうして彼女は、その存在を神たらしめるために再び新たな研究に使われてしまいました」
再びページが切り替わり、何度見ても幻想的ではあるが今となっては気味が悪くそこの主も相まって悠奈にはあまりいい思い出のない黒色の空間が映しだされた。
「エデンの人々により良き生活を。そのためにエデンの全てを管理するための機械、通称マザーと呼ばれる物が作られたのです。これは、ラトリアさんの力を介してエデン全体のシステムを管理するものであり、エデンの脳とも呼べるべきものです」
再びページが切り替わる。何枚かの写真、その内いくつかは学校の授業でも見たことがある。
これはエデンにおける市民へのナノマシン投与の義務化が施行された当時の写真のはずだ。これにより個人のデータはナノマシンで管理され、より精密で間違いがなく、さらに体内管理までおも機械に任せ、結果人は精神、肉体、財産ありとあらゆるものが機械による恩恵を受けることとなる。それはまさに天の恵みといってもいいほどの。もっとも、与えたのは天ではなく地上にいる偶像でしかない作り物の神ではあるが。
人類の歴史的にも大きく影響を与えたものとして、当時はかなり騒がれたようだ。まあ、それの裏で払った犠牲まで考える者がどれほどいたかは定かではないが。
「ラトリアさんはマザーの開発者とともに新たなナノマシンの開発に着手しました。難航していたはずのそれは、ラトリアさんの協力を得たことで驚くほどすんなりと成功したようですね。そうして完成したものが、エデン市民の皆さんに義務として配られるものです。ここは授業でも習うでしょうから、悠奈さんもそれについてはご存知でしょう」
「そう……ですね」
「ナノマシンの普及に伴い、エデンには平穏が訪れそれとともに発展していきました。それも全て、ラトリアさんと研究者の皆さんのおかげです。それだけは……事実です」
「ええ。そう、それで……この全部に父さんが関わっていた、そういうことなんだね」
アスピナは伏し目がちに首肯する。
結果としてエデンは住みやすいものとなった。それは事実だ。ナノマシンの義務化前は相当ひどかったらしく、無法地帯となったエリアもありその名残があのエリアDでもあるくらいなのだから。
だが、その過程で出た犠牲はとてもではないが擁護できるものではない。それは明自身が罪と称していることからもわかりきったことだ。
「詭弁ですが、これはどうしようもないこと……だとおもいます。発展には犠牲はつきもの。それは、避けられない運命」
何かを逡巡するようにアスピナが目を伏せると、パソコンを閉じようとする。
が、悠奈は気づいていた。まだ明の残したデータには続きがあるはずだ。まだ、偶然とは思えない容姿の酷似した者達との関係を示す何かが。
CODE:Ultimate。ラトリアが、そしてユーがそう言っていた。そのことについてまだ触れていないのだ。
「待って、まだ……まだ父さんが伝えたいものはあるんじゃない?」
「…………」
アスピナは沈黙を守るが、それこそが肯定しているようなものだ。しばしアスピナは眉を寄せ考えこむように目を伏せるが、やがて決心したように口を開く。
「正直、迷っていたのです。これを伝えるべきなのかどうか」
「でも、父さんには伝えてくれって言われてるんでしょう?」
「ええ……ですが……いえ、そうですね。知らぬまま生きる、それも……」
閉じかけたパソコンを開いて、アスピナはキーボードを叩く。
「どうか落ち着いて……あなたは、悠奈さんは悠奈さんです。それは、変わりないのですから……」
不安を煽るユーと同じ言葉を受けながら、悠奈は画面を注視する。今度は動画のようだ。先ほどの写真の研究室にも似ているが、そこにあるのは機械ではなく人が余裕で入るそうなほど大型の培養槽。それもかなりの数のだ。
ぱっと画面が切り替わり、白衣を着た明の姿が画面に表示される。
『経過はラトリアのおかげで大分順調。あぁ……本人はやっぱりリーダーの時と同じでちょっと本意ではないのかもしれないけど、今のところは僕の研究だからということで言うことは聞いてくれている』
落ち着かない様子で終始そわそわした明は、今よりも若い。少なくとも明の背後で、幾つかのチューブが腕と機械とで繋がったまま安らかに寝息を立てる黒髪の少女は、もう悠奈が出会った時とさほど変わらぬ容姿へ成長したラトリアだ。
『これが成功すれば、きっと管理局はもっと発展する。それだけの価値がある研究なんだ。ああ、そう、そうだ……リーダーは残念だった。でもだからこそ、代わりに僕がこれを完成させなきゃいけない』
パソコンから流れる明の声には、確かな意志が込められていた。絶対に成し遂げようという、そういう意志だ。使命感に燃えるその様は、今の明にはないそれがあった。
これこそが明なのだ。悠奈の知っている、目的を失いただ毎日を過ごすだけの彼とは違う。
それを今の明たらしめたものは何なのか。ラトリアか、管理局か、あるいは悠奈が――
『人造人間は強化人間とは違う。機械を介して人を創る分、あらかじめ記憶を植え付けられるから一から学習する必要もない。体型だって変えられるから、赤ん坊から育てる必要もない。何よりベースがラトリアなんだ、みんなきっと優秀な子になってくれるだろう』
悠奈は何かを言いかけ、開きかけた口を閉じる。
握る拳には汗が流れ、動悸が激しくなるがそれに対して悠奈の頭の中は波のない海のように穏やかだった。
欠けていた最後のピースが嵌まる瞬間、まさに今がそうなのだ。
『もうラトリアだけに負担をかける必要はないんだ……この子達が完成すれば、もっとラトリア……君を』
あの目だ。悠奈に向けられていたはずのあの優しげな明の目は、ラトリアに向けられていた。
この頃の明は、ラトリアを想い、想っていたがゆえにこんなことをしたのだろう。
では、今はどうなのだ――と、ふと悠奈はそんな疑問を感じてしまった。悠奈が知っている明。あれは虚偽でしかなかったのだろうか。そんなはずはない、いくら悠奈とて人の感情の機微にそれほど疎いわけではないのだ。悠奈とともに過ごす明の中に黒い物が存在している気配はなかった。
ではいつから、明の想いはラトリアから悠奈へと変わってしまったのか。むしろ悠奈には自分よりもそちらの方が気になり始めていた。
それは、この映像を見続ければ知ることができるのか。分からないが、今はただ流れる映像を漏らさず見るべきなのだ。
と、画面が切り替わり、散らばった資料や明の老けこみ具合から幾分か月日が流れたことを伺わせた。
『現在AからHまでのUが完成。今のところはみんな安定――わっと!?』
『えっへへー、パパなにやってんのー?』
『こら、エコー! もう……すいません明さん』
画面に突然現れ、明に抱きつく女の子。と、それをたしなめる少女。二人ともラトリアに似た顔つきだが、体躯や細部は別人のように違う。
困ったように眉を寄せ明から小学生くらいの女の子を引き剥がす少女は、おそらくだが悠奈も知っている子だ。ちょっと幸薄そうな感じが映像越しにも見て取れる。
『はは、すまないねエコー。ちょっとフィオナとそっちで遊んでてくれるかな?』
『はいはい、邪魔しちゃ駄目です。いきますよエコー』
そう言って、フィオナと呼ばれた少女は明に一礼してから女の子の手を引き画面の外へと消えていった。これがいつごろ取られた映像かは分からないが、少なくとも最近ではないはずだ。なのに、フィオナの容姿はこの前エリアRで出会った時と何ら変わらない。
「この次が、最後の記録になります」
アスピナが告げる。切り替わった画面にいた明は、先程までの笑顔はなくただ淡々と――そう、悠奈のよく知る明がそこにはいた。
『僕は間違っていたんだ……ラトリアは、ラトリアはエデンを、人をより良い未来に導いてはくれない。発展も衰退もなく、ただ維持するだけ。彼女はもう人ではなく、エデンを維持するだけの機械だ。そうしてしまったのは僕達のせいだ……すまない、すまない……けど僕には、もうこうするしかない。わかってほしい。すまないラトリア』
両手で顔を覆い、肩を震わせたまま明は言葉を紡ぐ。
『十月三十日、今日を以ってこの施設は閉鎖。他のUは全員解放した、みな幸せに暮らせるように祈っているよ。僕は、ラトリアの鍵を……いや、僕も今までの全てを捨てて娘と一緒に暮らすことにする。今日……生まれたんだ、僕の全てを、捧げた子が』
顔を上げ、覆い隠していた手が払われた明の顔は僅かにほころんでいた。だが、その笑みは無理やり引き出したように見えなくもない。
まだ明の心の何処かには、ラトリアへの想いがあるのだ。どこかですれ違い、それでもなお僅かにも想う気持ちはある。ただ、再び互いに歩み寄ることは、もう難しいのかもしれない。
『名前、名前は……そう、悠奈だ。悠奈にしよう。……きっと、今も君は僕を見ているんだろうラトリア? だから僕は最後に、この映像を残すよ。ラトリア、こんな仕打ちをした僕が言うことではないのかもしれない。でも、僕は……君と過ごした日々は、絶対に忘れない。研究員としての東條明が存在できたのは、君がいてくれたからだ。ありがとう……そして、さよなら』
明が席を立ち上がり、どこかへ去っていく。それと同時に画面は暗転し、ノイズだけがずっと画面に表示されていた。
「……悠奈さん、これが、これが本当に最後です」
心配そうに悠奈を見つめるアスピナ。どう声をかければわからないのか、悲しげな表情のまま悠奈の様子をうかがっている。
対して悠奈は、大きく後ろに反ると長椅子の背に頭を乗せ天井を見つめた。どうやって描いたのかまるで絵画展のように天使の絵が散りばめられた精緻な意匠とステンドグラスから降り注ぐ七色の光が悠奈の瞳に映り込む。
「んー……そっかぁ……」
色々考えを巡らせた挙句出てきた言葉がそれなのだから、なんとも間抜けだ。と、悠奈は自分でも思ってしまい自嘲するように鼻で笑った。
困惑するユーとアスピナの顔色を窺いつつ、場の空気が凍りつかない内に次の言葉を考える。
「なぁんだかねぇ。つまり父さんはあいつと一緒に人造人間なんて作ってたんだ。あはは、そっか……そんでもって私も、父さんの本当の子供じゃない……ってことだよね?」
「そう……なります、ね。で、ですが……代わりに、あなたにはたくさんの――」
心の奥底から引き出したのかと思うほどに重く、まるで自分自身の事のようにつらそうな顔をしてアスピナが言った。途中で言葉を切ってしまったのは、それが悠奈にとって良いことなのか迷いが生じたゆえにだろう。
なんというか、アスピナはこれまで会った誰よりもラトリアに似ているせいでまるで彼女が発言しているのかと錯覚してしまう。まあ、ラトリアはおそらく悠奈に大してそんな態度をとることはないだろうが。確証があるわけではないが、そんな感じがする。
「悠奈ちゃん、君は……」
「ちょい待ちユーちゃん。大丈夫大丈夫。なんてことない……って言ったら嘘だけど、そこまで堪えてないから安心して。むしろ今の私に足りないものが補完できてよかったなー、なんて」
昨日まではあれほど聞くのを恐れていた。だが、こうして実際に見聞きしてみればどうだろう、内に溜まりこんだわだかまりがすっと溶けて消えていくような、むしろ心地よさすら感じられてしまうのだ。きっと、どんな理由にしろ明の笑顔が見れたのもある。
何も知らずに生きていくこともまた幸せなのだったのだろう。悪いのは、一部を知り一部を知らぬ状態だ。昨日までの悠奈がそうであったように。その状態から抜け出せただけでも十分に収穫はあった。
「まぁなんとなく予想はしてたしねぇ。これだけ色んな要素が集まりゃさすがの悠奈ちゃんでも考察くらいできらぁ、みたいな?」
知ってしまったがゆえにもう昨日までの悠奈に戻ることは出来ない。しかし、だからこそできることもまたあるのだ。
これもまた、自分を正しく認識できたがゆえの力なのだろうか。そう、だから――
「きっと、嘆いてる余裕なんてないんだよ私には。それは後でもできるけど、敵はそれを待っちゃあくれない」
立ち上がりざまに台に乗ったノートパソコンを手に取ると、悠奈はそれを祭壇横の蝋燭台目掛け投げつけた。
それは壁に当たり砕け散るはずが、まるで何かに弾き返されたかのように直角に角度を変え床を滑っていった。
「聞いた感じ私が末っ子か……んじゃあ、あれだ。アスピナさんみたいないいお姉ちゃんもいれば、悪いお姉ちゃんもいる……ってことね」
目では何も見えない。だがそこには確かに何かが存在しているのだと証明するように、女の笑い声が聞こえてくる。
背筋に寒気すら感じさせる、威圧感の塊のような――それこそラトリアのような空気。それを確かに感じ、悠奈は虚空を見据える。
「ずっと見てたろアンタ……趣味悪すぎ。父さんからそういうのはいけないって教えてもらわなかった?」
気づいたのこそ映像を見終わってのことだが、おそらく悠奈にしか見えないソレはずっとこの大聖堂で終始やり取りを見物していたはずだ。こいつはそういうやつだ、と。誰かがそう教えてくれるかのように、確信出来るだけの何かが今の悠奈にはあった。
「っは、急にらしい顔つきになって……まあいいさ、そっちの方が殺しがいがある」
周囲に溶けこむナノマテリアルでできた光学迷彩の布。それを脱ぎ捨て現れたのもまた、ラトリアと似た顔つきをした一人の少女。
つまり悠奈の隣で驚愕したように目を剥いているアスピナとも似ているということでもあるのだが、彼女のように優しげな目ではなく、その双眸は憎しみのこもった淀んだ蒼色で鈍く輝き、睨むように悠奈を見つめていた。悠奈と対峙するこの少女こそ、ラトリアの模造品にふさわしい形をしている。
「やーやー、昨日は楽しかったねぇお姉ちゃんたち」
ラトリア似の少女に誘われるように、どこからともなく昨日の男の子までもどこからか入り込んできていた。
一触即発。幸いなのはアスピナがこちらの味方をしてくれるようなのと、そのお陰で数はこちらが上回っているということくらいだろうか。
「どうするねユーちゃん。多分外もまずいよこれ」
「え、外って……」
「あら? ユーリは部外者を二人も簡単に通しちゃうような人だったかしら?」
「あ……」
悠奈の言葉に、ユーの手が腰のP226にかかる。その表情に若干の焦りがあるのは、仲間を気遣ってのことだろう。だが、むしろ問題なのはこちらのほうだ。ユーリは一人でも十分な戦闘力を持っているが、悠奈達はその限りではない。
「あっちは大丈夫サ……こいつに集中しよう、ユーちゃん」
どちらにせよ、もう戦闘を避けることは出来ない。
また、意味もない戦いが始まる。悠奈のせいで――




