Chapter50「囚われの姫」
大小明滅する人工の光。それを受けて照らされるのはエデン自慢のコンクリートジャングル。
ここはJとは別の場所なのに、懐かしさすら覚えるほどにあの場所と同じ灰色の世界が広がっている。
悠奈はエリアUが一望できるタワーの展望台の柵に身を預け、エデンを見下ろした。
繁栄を続ける街。しかし視線を少し先に移してみれば、そこには何者も通さぬと立ちふさがる強固な壁。壁の向こうとこちら側で、世界はまるで違う。
壁の外に生者はおらず、ただこのエデンという壁によって隔離されたこの場所だけが世界で唯一の国。いや、この場所そのものが一つの世界か。
そして今日もまた、人は楽園の中で眠り続ける。いつまでも。
「…………」
風が悠奈の髪を揺らす。
悠奈は目にかかった前髪を手で直すと、後ろにいる『彼女』へと向き直った。
風に吹かれて揺れる青い瞳は、何を思っているのか悠奈を捉えて離さない。
ただ、悲しげに細められた瞳から、何を考えているかはだいたい察しがついた。
「あともうちょっとで、日が変わっちゃうね」
「……うん」
僅かに掠れたような声で返ってきた返事。
悠奈は彼女から一度目を逸らすと、顔を上に向け天井に広がる夜空を見上げた。
空には境界はない。どこまでも続く、世界を覆う天井。
いつでもどんな場所も自由に見下ろせる空が羨ましい。そんな馬鹿な考えが浮かび、自分を嘲笑するように笑ってから悠奈は視線を下に戻した。
「さぁて、じゃあお休みはそろそろ終わりだね」
「うん……」
やや視線を下にしながら、ちらちらとユーは悠奈の様子をうかがうように視線を合わせてくる。
ここに来るまでにだいぶ覚悟は決めてきたが、まだ迷いがあるのか悠奈もうまく切り出せず沈黙してしまう。
そうして、数秒の間互いに目を合わせたりそらしたりしながらとうとう、
「あの……」
「あのさ、ユーちゃん」
両者同時に切り出してしまい、途中で言葉を切って苦笑しあう。
「あっと、ユーちゃんからどーぞ」
「あ、うん……その、悠奈ちゃんはやっぱり、自分のこと……知りたい?」
予想していた通り、ユーの話の内容はわざわざ二人きりになり今の今まで引き延ばしてきたことについてだ。
悠奈の様子を伺うように時折目を合わせながらユーは顔を伏せる。
果たしてここで聞いてしまっていいのだろうか。問題はそこだ。
いくら覚悟しているとは言っても、事実を語られるのは怖い。特に、悠奈は普通ではないらしいのできっと予想以上のことを告げられるのだろう。
そして明日は呼び出しにも応じなければならない。迷いが出た状態で果たして正常な思考が保てるかどうかが不安だ。
だけど――
「うん……何も知らないままでいることは、もうできないと思うから」
「そっか……その、落ち着いて聞いて。悠奈ちゃん、あなたは……」
そこまで言って、ユーが言葉を紡ぐのをやめる。
見れば、悠奈以上にユーの顔が複雑な色を出し迷いが伺える。それほどまでに言いづらいことなのかと気落ちするのと同時に、ユーを困らせている自分に腹が立った。
「大丈夫だよ、私は……大丈夫だから」
少しだけ無理矢理で、それでもユーのために。悠奈は笑顔で答える。
ユーもそれで決心がついたのか、大きく息を吸い込み――
「で? おねーちゃんが何?」
「なっ!?」
突然幼い子供の声が聞こえたかと思うと、ユーが悠奈を庇うように前に出た。
いつの間にか傍らに、小学生くらいの小さな男の子の姿があった。それだけなら大して気にしないのだが、なぜだか悠奈にも感じられるほど嫌な気配をこの男の子から感じる。
「気をつけて、ただの子供じゃない。……何が目的?」
悠奈にだけ聞こえるように警告したあと、ユーは男の子に向かって言い放つ。その声はもういつもの調子に戻っており、先ほどの迷いは消えている。
「あはは、怖い顔しないでよ。ちょっとおねーちゃん達と遊びたいなーって」
けたけたと無邪気に笑う男の子。だが不思議とその純粋無垢な容姿とは裏腹に、言葉や雰囲気にどす黒く淀んだ何かを孕んだような気味の悪い感覚を覚えた。
悪い予感が当たらなければいいが、少なくとも男の子がポケットから取り出したのがお菓子ではなく鋭いナイフなところを見る限り、どうもいい状況ではなさそうだ。
背後は行き止まり。悠奈が背にした柵の向こう側は、携帯を開いてユーリ達に助けを呼ぶ時間すらあるほどに高い。
「ゼクトにはまだ手を出すなって言われてるけど、おねーちゃん可愛いから僕我慢できないや」
褒められているのだろうか。だが、普段アリスやボブに可愛いと言われるそれとはまた違った意味にも聞こえた。言葉だけで嬲られるような感覚に、悠奈は寒気がした。
「ちょ、ちょっとまった。悠奈ちゃんには触らせないよ」
さすがに子供、それも武装もナイフだけとあってはユーも銃を抜きづらいのか手を前に出すだけで武器を抜こうとはしない。
が、男の子はそこにつけ込むようにユーへと迫る。男の子が一歩近づく度にユーが後退するが、悠奈がこれ以上下がれないのですぐに行き場を失ってしまった。
「どーしたの? 遊ぼうよ、おねー……ん?」
ユーの足元まで男の子が来ると、ナイフを下げて突然目を伏せ周囲の匂いをかぎはじめる。
数秒間それを行うと、なにか納得したように頷いてから男の子は舌なめずりする。
「あはっ、かっこいいおねーちゃんは他の人よりずっといい匂いがするね。すごい雌の匂い……僕、興奮してきちゃったよ」
「な!?」
少しだけわかるな、と悠奈は心の中で同意するがそう言ってられるほど悠長にはしていられない。
これは間違いなくまずいパターンだ。軽く舌打ちしながら悠奈は逃げ道を探す。が、ここから屋内に入るための出入り口は一つ。しかしそこは男の子の背後。どうにかしてあの子をなんとかしなければ逃げることはできない。
「へぇー、ゆーなちゃん……だっけ? もしかして結構頭いい? 今逃げる場所探したでしょ? じゃあ、抵抗される前にやっちゃおうかな?」
「何を!? そんなことさせな――きゃ!?」
ユーが男の子の手を伸ばした瞬間、彼は一瞬でナイフを振りぬきユーと悠奈の太股を軽く引き裂いた。
ナイフの刃に赤い液体が走り、素足を晒している悠奈の白い肌からは薄っすらと赤い線が滲みそこから僅かに血が流れ出す。
「いった!?」
「この……」
「あはは! 今夜は二人もゲットだ! 楽しいな!」
「何を……ぁ」
男の子の言葉の意図を探るよりも先に、悠奈の目の前でユーが膝から崩れ落ちる。
悠奈よりも深いようだが重症には見えない。もしや――と、悠奈は男の子が持つナイフの刃を凝視する。
「あんた……それ」
「だいじょーぶ、毒じゃないよ? って、効くの早いねかっこいいおねーちゃん。さあ、次は悠奈ちゃんの番だよ? はやくはやく!」
にやにやと歳に不釣り合いな気持ち悪い笑みを浮かべる男の子。その声に苛つきながらも悠奈はユーの傍に腰を下ろし容体を確認。何度か呼びかけるが意識が朦朧としているようで反応が薄い。
肩を揺さぶると、とうとうユーは床に倒れて動かなくなる。
どうする。どうすればこの状況を突破できる。
そんなことが頭の中で巡り、悠奈は一つの答えを出す。
「ユーちゃん! ユー……ぁ……ゆ……ちゃ」
ごとん、と音をたて悠奈もまたその場に倒れこんだ。
闇に包まれた視界。目を開けている感覚がある以上、顔に何か被せられているのだろう。
息苦しく、周りの状況もわからないままユーはせめて、と体を動かして自分の様子を確認する。
どうやら手を拘束されているらしく、紐のようなものでポールか何かに結ばれているようだ。
すると、突然視界が光りに包まれユーは目を細めながら状況を確認する。
「やあ、気分はどうかなおねーちゃん達」
目の前には、あどけなさが残る幼い一人の男の子の顔。
容姿こそ子供のそれだが、その中に抱えているものは大人の男よりももっと深く暗いものだろう。
ユーは無言で男の子を睨む。それにたじろぐことはなく、男の子はユーを滑稽だとでも言わんばかりに意味深な笑みを浮かべながらユーの身体を撫で回すように視線を這わせた。
「楽しみだなぁ……じゃあ、準備してくるからまっててね」
上機嫌な様子で男の子は重そうなドアを開け部屋をあとにする。
どうやらここは狭い小部屋のようだ。周りは全てコンクリートの壁で固められ、乱雑する様々な物品を見る限りではどこかの物置のようにも思える。
そして横には――ユーと同じく縛られた悠奈がいた。
気絶しているのか目を伏せている。と、そこでユーが口を開きかけた瞬間――
「ん、ユーちゃん起きた? 大丈夫……かな?」
「わわっ!? 起きてたの?」
薄っすらと片目を開け、いつもより冷静な声で淡々と告げるように悠奈が言った。
声の調子や態度からして、寝起きという感じではない。随分と前にユーより先に起きていたのかもしれない。
「悠奈ちゃんこそ、だいじょう……」
「私はなんともないわ。それより聞いてユーちゃん」
まるでユーリのように酷く冷静な声音で悠奈が話す。いつもと違う雰囲気についユーも呆気にとられ言葉を紡ぐのを忘れてしまった。
「え、あ……ええ。なに、かしら?」
「袋被せられてよくわかんなかったけど、あの子の他に私らを担いだのが二人。それと車の運転手を合わせて少なくともここに四人はいる。そんで、ここはあそこから十分くらいで付ける距離の場所。あの場所からだとするとたぶんまだUの中だね。ちなみに、ユーちゃんの便利デバイスはあの子が取ってったから現在外部との連絡手段は無し」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。それくらい、悠奈の口から出るはずのない言葉ばかりが次々と繰り出されユーは目を見開いたまま隣りにいるのが本当にあの悠奈なのかとすら抱いてしまう。
「えっと……」
「私ができるのはこれくらい。後は専門家の出番だよ。ユーちゃんしっかり」
不安にさせないためか、それともここから抜けださせてくれるとユーを信頼しているのか、悠奈はいつもの様ににっこりと笑いかけてくれる。
なら、今度はその期待に答えなければならない。Fの時に引き続き醜態ばかり晒して黙っていられるほど、ユーもプライドが無いわけではないのだ。
「まあとりあえずどっかから出られるか確認してみよっか。んしょ」
「え!?」
拘束されているユーの横で、悠奈が平然と立ち上がる。
ポールに結び付けられているはずの紐は、よく見れば引きちぎられ無残な姿を晒していた。
「ありゃ? どしたの? これくらい強化人間……だっけ? のユーちゃんなら千切れるでしょ? 私でも出来たんだし」
「えっと……ん、あ、これって……」
言われて、ユーも力を込めてみるがびくともしない。
紐が手首に食い込みこれ以上は手を痛めてしまうと判断すると、ユーは力を緩める。間違いなくこれはクラス3に対応した拘束用ロープだ。リミッターを解除したクラス3ならまだしもユーが壊せるはずもない。
「……え? もしかして……ちぎれない?」
気まずそうに頬を掻きながら悠奈が見つめてくる。
そんな彼女から目を逸らしつつユーは頷くと、悠奈がそっと傍に屈んでまるで紙でも裂くかのような手軽さでロープを無理やり千切ってしまう。
「あ、あはは……私、別に馬鹿力とかじゃないよね?」
「いいえ、これは私が……その、私が駄目なだけだから」
そっとユーは立ち上がり、スカートに付いた埃を払うと周囲を見渡す。
部屋はそんなに広くはない。ほぼ密閉空間で、出入り口は正面のドア一つ。ダクトのようなものもあるが、生憎と悠奈やユーが通れる大きさではない。
となれば、あとはこのドアから出るしかないわけだが。
「ここがどこだかわからない以上、迂闊に外には出れない」
「うん、飛び出した途端敵のど真ん中でしたー、はやばいからね」
ユーは顎に手を当て思案する。こうしてる間にもまたあの男の子が戻ってくるかもしれないとなると、そう迷っている時間はない。
「あんま悩んでる時間は……っと、言ってる傍から時間切れ。誰か来るよ、捕まってるふり捕まってるふり」
ユーには聞こえないが、悠奈はドアに近づく足音を察知できたようだ。人並み外れた聴力と筋力。そして銃弾を弾くほどの身体。強化人間としても、通常のそれを大きく上回る性能はやはり――であるからなのか。
どちらにせよ今それを考えているだけの余裕はユーには残されていない。踵を返して元の位置に戻り座り込むと、切れたロープを見えないように背に隠し拘束されたままのふりをして客人の到着を待つ。おそらくは、『彼』だろう。
「やーやー、ごめんね待たせちゃって」
気味の悪い笑みを浮かべながら、大きなバッグを背負った男の子がドアを開け放ちやってくる。
悪魔のようなほほ笑みを隠しもせずユーの傍に片膝を立てて腰を下ろすと、バッグを弄り透明な液体の入った小瓶を取り出した。
「さっきは痛かったよね? ごめんね、こんな綺麗で真っ白な肌に傷つけちゃって。浅くするつもりだったけど力が入っちゃったのかな? これじゃあ痕残っちゃうかもしれないからこれ使うね?」
言って、男の子はユーの顔の前で小瓶を振る。左右に揺れる度に小瓶の中の液体が揺れる。かなり粘土の高い液体のようで、ユーは嫌な予感しかしなかった。
「さあ……ぬりぬりー」
「い、や……やめて、やめなさい! ――ッ!?」
太股に氷を押し付けられたかのように冷たい感覚が襲い、ユーはびくりと肩を震わせる。
鳥肌が立ちそうなほどぬるぬるとした嫌な感触が肌に直接触れ、男の子の楽しげな笑いとともにユーの表情は強張っていく。
「痛っ……」
「んー? 痛い? ごめんねぇ」
傷口に擦りこむようにいやらしい手つきで男の子は指を肌に這わせていく。それだけで身体を嬲られているような感覚を覚え、薄っすらと目に涙を浮かべながらユーは男の子を睨みつけた。
「あはは、可愛いなぁ」
「ちょっと! 何してんのさ! やるんなら私をやりなさいよ!」
隣で悠奈が叫ぶが、その手には乗らないとでも言うように男の子が人差し指を立て左右に振りながらちっちっち、と口を鳴らした。
そうしている内に男の子の手は傷口を離れ、徐々にスカートの方へと伸びてくる。そっと人差し指の先端がスカートの中に入りこんだところで、ユーは反射的に足を閉じてそれ以上の侵入を拒む。が、それは男の子の性的興奮を助長する行為にしかならなかったようだ。またにやりと男の子は笑みを浮かべると、空いていた手にも液体を付け閉じた足を力を入れて掴みこじ開けようとする。
「やめ……て」
「抵抗しないでよ。どうせこれが効いてくれば……って、ええ? 顔赤いよ? え? もう効いてる? 嘘!?」
ユーは頭では否定したいが事実体が火照っていくのを感じた。場の雰囲気に乗せられているわけではない。そもそもノワールとだってそういうことはまだしてないのだし、こんな見ず知らずの、しかも小学生くらいの男の子になんてありえない。
それでも頬が紅潮しているのは分かったし、だからこそユーは自分が情けなくて余計に涙をこぼしそうになる。
「待って待って、これ十分くらいかけて徐々に落としてく媚薬だよ? 早いって。そういやさっきも君だけ反応が……」
だが、ユーの反応に興奮するかと思えば男の子は驚いたように目を見開き傍らに置いた液体とユーを交互に見つめて首を傾げる。
「き、君身体にちゃんとナノマシン入ってるよね!? これナノマシンのブロック機能考慮して強めに作られてるから普通の身体じゃ劇薬に……」
困惑から焦りへと男の子の反応が変わり、これが隙となる。
悠奈はその隙を見逃してはいなかった。僅かにだが完全に男の子が悠奈を視界から外すと、その一瞬で彼女は身体を捻ると同時に勢いをつけ――次の瞬間、鋭い蹴りが男の子の側頭部を襲った。
「ぎ――」
なにか言いかけたのか呻き声なのか男の子は口から音を漏らすとユーの後方にある壁に顔面から激突しそのままぴくりとも動かなくなる。どうやら死んではいないようだが気絶はしたようだ。
これこそ好機だ。今なら逃げ出せるかもしれない。ただ――
「ユーちゃん! 今だよ! 逃げ……ユーちゃん? ユーちゃん!」
悠奈が必死に叫ぶその声すら、今のユーにはもうそれが誰が発したものなのかわからなくなっていた。




