Chapter5「静かに物語は動き出す」
徐々に下へ下へと下がっていく外の景色を眺めながら、悠奈はふう、と息を吐いた。
エリアJ屈指の高さを誇るタワー。その最上階にそう遠くない階層が目的地なので、さすがのエレベーターでも数分かかってしまう。
そういうこともあってか、退屈しのぎに外の風景を見れるよう壁面はガラス張りになっているが、さすがに同じ景色を毎日見ると飽きてくる。
なので最近は携帯の画面を覗く機会が多くなっているが、悠奈は同年代の者と比べて比較的携帯を触る方ではないので、これといって特にすることが無くせいぜいニュースサイトを見るくらいだ。
せっかくだしユー達と会話でもしてみようかと思ったが、ボブとアリスは先ほどから二人で話し合っているし、アセリアは話しかけるだけで嫌われそうな雰囲気を出しているので今一会話の糸口が掴めずにいた。
ユーはユーでなにを考えているのかよくわからないし、一番話の話題に悩む人でもあるので話しかけ辛い。
仕方ないので、久しぶりに悠奈は壁の向こう側を見てみることにした。すると、
「外が気になるの?」
意外にもユーの方から話しかけてきてくれた。
急なことに驚いたのもあるが、丁度隣にいたので振り向きざまに彼女の顔が悠奈の近くにきて、女性的でありながらもどこか凛々しさを感じさせる綺麗な容貌についどきりとしてしまう。
「え、あ……うん。なんかね、ここにずっといるとどうしても思っちゃうんだ。外に出てみたいなって。あはは、まあ外に出るなんて到底無理な話だけどさ。でも、思うだけならいいでしょ?」
「なら、出てみればいいんじゃないかな」
「……え?」
ユーが言った言葉に、つい素っ頓狂な声を上げてしまう。
冗談なのだろうが、真面目な顔で言われると一瞬でも本気だと思ってしまう。
そんな悠奈の反応に、ユーは薄く笑みを作りながら、
「無理だなんて、誰かがそう言ったわけでもないだろう? 案外、みんなが協力し合えば出来るかもしれないよ」
「いやぁ、さすがに無理でしょ。だってさ……」
――エデンの園。
それは、人類が作り上げた最後の楽園。そして、現在の世界において唯一国と呼べるものだ。
エデンの園は、元々壁の外に徘徊する者達――生ける屍だの、ゾンビだのとその姿から言われているが、その者達から人類を守る為に作られた避難所だ。
姿を現してから何十年と経つ今でも、彼らはエデンを囲む壁の外側を我が物顔で闊歩している。
彼らが現れたのは、何の前触れもなく、いきなりの事だ。
人間が生き返り、人間を襲う。そして、襲われ死んだ人間は生き返り、彼らも生きた人間を襲うようになる。まるで映画のような世界。確かに、ゾンビという呼び方も案外的を射ているのかもしれない。
同時に世界各国で発生したそれは当時、バイオテロだの新種のウィルスの出現だのといろいろ騒がれたらしい。が、結局事態の解決も碌にできず、犠牲者だけが増えていく毎日が続いた。
そうして世界が人口の約半分の犠牲を出したところで、やっと事態の大きさを理解した世界の国々は一つの土地に集まり砦を築くことを決めた。
仮の壁を何層にも構築し、生ける屍を足止めしている間に高さ二十メートルの壁で囲んだ空間を作った。
もちろん、それが完成する間にも人類の数は減少し、結局エデンに入れたのは人類全体の一割にも満たない程の数だった。
そうしていつの日からかかそこがエデンの園と呼ばれるようになり、地上最後の楽園は生まれた。これが、まだこの場所がワシントンDCと呼ばれていた時の話だ。
「外は怖い人達で一杯だし、ちゃんとした人が残ってた時代からもう何十年も経ってるんだよ? きっともう全部壊れちゃってるし、人が住めるような場所は――」
「壊れたならまた作ればいい。それに必要な人材も資源もエデンには十分ある。まあ外の連中の問題は残るから、安全にとはいかないだろうけどね。あとは、出ようという気持ちがみんなにあるかどうかだよ」
やけに食いついてくるな、と悠奈が首を傾げる。するとユーは片目を閉じ、なんてね、と悠奈の肩に手を置いた。
「ここの方が居心地良いだろうし、わざわざ危険を冒してまで外に出る必要はないよね。そんな馬鹿げたことを考えるのは、せいぜいエリアDの連中くらいなものさ」
「うー、ユーちゃんってば真面目さんだから冗談か本気なのかかわっかんないよー」
「まあその内分かるようになるさ。そういうもんだ。ちなみに俺もユーの考えてることは分からん」
最後にボブが間に入ってきて、暑苦しい笑顔を向けながらエレベーター中に響くくらいに大声で笑った。結構うるさい。
やれやれと肩をすくめるユーの後ろで明らかに怒っているアリスにボブが制裁をくらっている間に、エレベーターは目的の階に着いた事を知らせる小さな電子音を鳴らしながら重々しい音を立てドアを開けた。
瞬間、目の前に真っ白の空間が広がる。
汚れ一つ無い白色の壁に、それと同じ色をした大理石の床は天井のシャンデリアの灯りに照らされ、白く光り輝いている。
通路の真ん中には赤い絨毯も敷かれ、まるで高級ホテルを彷彿とさせる内装だ。
まっすぐ視線を外に向ければ、景色が一望できる。
このタワーは全面がガラスのカーテンウォールでできており、いつでも外の景色が眺められるようになっているのでここまで高い階層にくるとそこらの展望台よりずっと眺めのいい場所になる。
だが、こんなに内装に拘っているのはここの上層部だけで、他はどこにでもあるような普通のマンションのような造りになっている。
上層エリアへ住むための条件は、管理局職員の中でも重要な部署に所属している者であることだ。
悠奈の父、東條明も、ユー達の話に出てきたマザーとかいうコンピューターの開発者であるからこそここに住むことができているのだろう。
今はそんなに重要ではない部署にいるのに、なぜここに住めるのか疑問に思っていたが今更ながらにその答えを知れた。
悠奈は一足先にエレベーターから降りると、ユー達を先導するように軽い足取りで廊下の奥まで進む。
そうして数分、まっすぐ廊下を進んだ突き当りに悠奈の部屋がある。
そこまでたどり着くと、悠奈はドアの横に付けられたパネルに手を添える。
これも駐車場にあった物と同じで、許可された者以外は開けられないようになっている鍵のようなものだ。
微かにドアから金属音が聞こえ、鍵のロックが外れたことを知らせる。と同時に、悠奈はドアを開け放ち中に飛び込んだ。
「たっだいまー!」
外まで響くほど、悠奈は高らかに声を上げた。
それから数秒の後、部屋の奥から耳を澄まさなければ気づかないほど小さく掠れた声が返ってくる。
「ああ……おかえり悠奈」
悠奈は一度背後を見てユー達がついてきているのを確認すると、部屋の中に足を運ばせる。
玄関から真っ直ぐ進み、突き当りの階段を降りてリビングへ。
途中、悠奈は階段の手すりから身を乗り出してリビングの方へ視線を這わせた。
そこで難しそうな顔をしながらソファーに座っている父、明を発見する。
「お、いたいたー。とーさん、お客さんが来てるよー」
「知っているよ。呼んだのは僕だしね」
娘の帰宅を喜ぶように、明は僅かにだが頬を緩ませながら悠奈を見た。
そして、手招きして悠奈を傍に呼ぶ。
そこでユー達も追いつき、
「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたね」
ユーが軽く一礼しながら、挨拶する。
すると、明が一瞬目を丸くして何かに驚いたような顔をしたが、すぐに平静を取り戻して彼女達にソファーへ座ることを促した。
礼儀正しく一度断ってから対面のソファーに座るユーの隣に、無言で頭だけ下げながら腰を下ろすアリス。身長のせいか床に足がついておらず、ぶらぶらと宙で遊ばせているところが可愛らしい。
アセリアはどうやら立ったままでいるつもりのようで、明に鋭い眼光を向けながらその場で待機。
と、そこまではいいのだが、ボブだけはまるで自分の部屋のように礼儀の欠片もなく勢いよく腰をソファーに落とした。
あれだけの巨体だ、案の定ソファーからそれなりの反発が返ってきて体重の軽いアリスが宙に投げ出される。
もちろん、そんなことをすればアリスの機嫌が悪くなるのは明白で。
彼女は肩を震わせながら、
「……っく!」
「わ、わりぃ」
思い切りボブを睨みつけると、深いため息をついてから綺麗に座りなおした。
苦笑しつつ悠奈もアリスの隣に腰を下ろし、そのタイミングを見計らったように明が口を開いた。
「時間もないし、話を始めていいかな? 悠奈はどこまで彼らから話を聞いたのかな?」
「一通りのことは彼女に伝えてあります。問題ありませんよ」
先にユーが答えると、それはよかった、と明は悠奈の顔を見ながら安堵したように息を吐いた。
話を聞かされて、悠奈がパニックにならないかとでも思っていたのだろう。結果として悠奈は自分でも思った以上に落ち着いてるので、恐らくこれ以上おかしなことを聞かされない限りは平静を保ったままでいられるはずだ。
「じゃあ今回の事件の概要は省こう。つまり、今エデンで大変な事が起こっている。そこで僕は、今回の事件で個人的に調べたいことがあるんだ。だから、しばらく家を留守にする」
「ふーん……え? ええ? 今なんて? とーさんどっか行っちゃうの!?」
明はゆっくりと頷くと、ユーに視線を合わせた。
「だから、僕がいない間君達が悠奈を守ってほしい。その為に、上の連中と掛け合って本局の部署からも護衛を連れてくるように頼んだんだしね」
つまり、自分は護衛無しでどこかに行く、という事だろうか。
一番狙われるのは明の方のはずだ、なのにそんな自殺行為を娘として見逃せるはずはない。
「ちょっと待った、とーさんは護衛の人いなくていいの? 狙われてるのは私じゃなくて……」
「いや、大丈夫だよ。行くのは本局だから、エリアDの連中ならまず手出しはできないさ。僕が安全だからこそ、悠奈をしっかりと守ってもらいたいんだ」
どう反論しても、意見を曲げる事は無理そうだ。これは説得しても時間の無駄だろう。
明なりにやらねばならない理由もあるのだろうし、無理に止めるようなことはしたくない。
悠奈は不満げに顔をしかめながらも、明の言う事に従う事にした。
「なぁ東條さん」
何やらボブも思うところがあるようで、頃合いを見計りながら彼は口を開く。
「本当にそれでいいのか? 一人でも護衛をだな……」
「いえ、お気持ちは嬉しいですが、大丈夫です。その代り、悠奈を……娘をよろしくお願いします」
「まあ依頼主がこう言ってるのならそれでいいじゃないか。俺達が意見するのは無粋だよ」
明に頭を深々と下げられ、ユーにも言われるとボブはそれ以上何も言わずにしぶしぶと引き下がる。
こうして、ユー達四人は全員で悠奈を護衛することとなり、明はすぐにでも家を出るという事になってしまった。
急な話でまだついていけない面もあるが、そこはユーが何とかしてくれるだろう。
悠奈は、軽めにではあるが父にしばしの別れの挨拶をし、最後に全員で見送ることになった。
と、玄関まで来ると、
「ええと、ユーさん……でしたか。二人きりで少しだけ、いいでしょうか?」
「……はい、構いませんよ」
唐突に名指しで呼ばれたことに驚いたような顔をして、ユーは明の後をついていく。
その時、明は悠奈の方に振り返り、
「気を付けてな。何かあったら、すぐに彼らを頼るんだ。……それじゃあ、悠奈」
「うん、父さんも気を付けて」
その言葉を最後に、明はユーと共に廊下へと消えていった。
部屋を抜けただけで、辺りには静寂が広まる。
聞こえるのは明とユー、二人分の靴底が床を叩く音だけ。
悠奈達がいないだけでこうも静かなのか、とユーは前を歩く明に聞こえぬよう笑みをこぼした。
「ああ、この辺で大丈夫だよ。ちょっと、個人的に話してみたいと思ったんだ。すまないね」
「いえ、大丈夫です」
エレベーターホールまでたどり着いたところで明がユーの方へ向き、やっと口を開く。
それに合わせて、ユーもまるで機械のように正確なタイミングで同時に足を止めた。
「確かに本局の人をよこしてくれとは言ったが、まさか君らが来てくれるとは思わなくてね。少し驚いてしまったよ」
「そんなにおかしなことですか?」
「ああ、そのエンブレム……管理局本局、中央情報室。君らは三年前の事件でも動こうとしなかった。それなのに今回はなぜだい? 決して表に立つことのない管理局の裏側、その中でも群を抜いて君らは特別だ。そんな君らが今更こんな事件で……」
「ふむ……ただの事件、あなたは本当にそう思いますか?」
中央情報室。そこはユーとアセリアの所属する部署であり、管理局の中にいながらその管理下から独立している組織だ。
本来なら明のような地位の人間がこの組織の存在を知っているはずはないのだが、マザーの関係者ともなるとそうもいかないらしい。
「どういう意味だい?」
「そうは思わなかったからこそ、あなたは『彼女』に聞きに行くのでしょう? 違いますか?」
ユーが彼女といった瞬間、明の顔が強張った。
図星だったという事と、何よりもユーが彼女の存在を知っていたことに驚いているのだろう。
どちらかといえば明が知っている方がユーとしては驚きなのだが。
「驚いた……まさか彼女を知っているとはね。いや、中央情報室……エデンの情報を管理する君らならあり得ない話じゃないのか」
すると、明は納得したように数度頷く。
「やっぱり、君らが動くならそれほど心配はしなくてもよさそうだ。ああ、でも――」
明は少し目を伏せ、何かを逡巡するような間を作ると、
「介入するならわざわざ護衛という形ではなくてもよかったんじゃないのかな。なぜ僕のところに? もしかして……悠奈がいるからかい?」
「……悠奈ちゃんに何か?」
ユーがそう返すと、明は何かに安堵したようにそっと胸に手を当てた。
「いや、いいんだ。すまないね、どうでもいいことに時間を使わせてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」
言いながら明はユーの顔を見つめる。
なんだ、とユーが首をかしげると、明は笑いながら手を振った。
「ああ、いやすまない。君は昔の……僕の知り合いに似ていてね」
「他人の空似ってやつですか」
「ああ、そうだね……そうだ。うん、すまなかったね。それじゃあ、僕はもう行くよ」
「お気をつけて」
言って、明はユーをどこか懐かしむように見つめながらそのままエレベーターに乗り込むと、悠奈を頼んだと言い残して下の階へと向かっていった。
ユーは誰もいない廊下で独り言ちる。
「そう、あなたのせいだ……東條明。あなたが妙な小細工をするから、こんなことが起こる」
まるで恨み言でも言うかのような口調で話しながら顔をしかめると、ユーは背後の壁に背を預けた。
「家族ごっこの夢物語はもう終わり。自分の犯した罪から目を逸らし、一人で幸せになるなんてことはできはしない」
ユーの言葉を聞く者は誰もいない。いや、いないからこそユーはここ(エリアJ)に来て初めて感情を乗せた言葉を吐き出し続ける。
「私が知り合いに似ている……か」
先ほど明はそう言った。
それを思い出すと、ユーは顔を強張らせた。
僅かに舌打ちしながら、ユーは視線の先にある空を睨みつける。
まるでそれは、ここにいない誰かの代わりに憎しみをぶつけるようで。
「あなたが勝手に作った紛い物のくせに……」
言って、ユーは天井を見上げると目を伏せた。
「彼女達(U)も、そしてあなたが娘と呼ぶあの子もみんな……」
再び目を開くと、ユーの青い双眸が揺れ動く。そして、
「消えちゃえばいいのに」
吐き捨てるように言い切ると、ユーはそのまま踵を返し再び悠奈の部屋へと足を向けた。