Chapter49「忍び寄る影」
「ユアン、いるか?」
防音性の高い設計がなされた扉を開け、黒髪の女性がこの部屋の主の名を呼んだ。
海を思わせる深く青い瞳を左右に動かし、薄暗い地下の一室、奥のほうでもぞもぞとうごめく二つの影を発見すると女性は無言で部屋の中に入る。
部屋の中には、無造作に置かれた得体も知れない器具が散乱していた。中には拷問器具に似たようなものもあったが、使用感はあるが血が付いている物は一つもない。
奥に行けば行くほど生臭い異臭がつんと鼻を刺激し、女性は顔を歪めながら嫌悪した表情とともに手で顔の下半分を覆う。
その間も、うごめく影からは幼い笑い声と若い女性のくぐもった呻き声が聞こえていた。
「ユアン」
「ん?」
側まで寄ってからもう一度声をかけると、丸く可愛らしい大きな目を女性に向け小学生くらいの少年が無邪気な笑顔を見せる。
その少年の両手には、何に使うのか男の拳ほどの大きさもある球体がいくつも繋がった道具と、中に透明な液体の入った大型のシリンジが握られていた。
「……またか」
「あはっ、これが僕の趣味だもん。それにしても、やっぱJの子はいいよね。綺麗な子多いし、反応が可愛いんだ」
女性は少年の下敷きになっている少女に一瞬視線を下ろした後、すぐに戻す。
助けを乞うような視線を向けられたが、それを無視して女性はポケットに手を入れ携帯を取り出すとそれを手近なテーブルの上に置いた。
「手伝ってほしいことがある。詳細はこの中だ」
「おーけいおーけい」
少年は手をひらひらさせて肯定を示すと、作業を続けるつもりなのか視線を落とした。
と、そこで何かを思いついたのか、少年は女性に向き直って言う。
「ゼクトも混ざる?」
ゼクトと呼ばれた女性は嘆息しながら片手で頭を抱えると、首を横に振った。
「生憎と私はその手の趣味はない。勝手にやっていればいい」
「なぁんだ、残念。でももししたくなったら声かけてよ。やっぱりこの子やゼクトくらいの歳の子が身体も反応も良くてさぁ」
言いながら行為の続きをし始める少年を一瞥すると、女性は踵を返す。
「前にも言ったが、私は身体こそ18のそれだが歳はお前よりも下だ」
「性格も身体もそれなら実年齢なんて問題ないって。ゼクトは堅いなぁ」
それ以上は返さずに、女性は叫び声を上げる女の声を背にその部屋を後にした。
中央管理局エリアU支部の一室で、黒髪の女性――ゼクトは一枚の写真を手に取り眺めながら机に頬杖をついていた。
写真に写っているのは、一人の幸薄そうな男性と一人の少女。容姿はゼクトに似ているが、少女の方が快活そうで実際会わずともその性格が見て取れるようだ。
「番外に何を吹き込む気だ、アスピナ……」
窓から吹き込んだ風がゼクトの長い髪を揺らす。
前髪の隙間から覗く蒼穹の瞳が鋭い刃のように細まると、ゼクトは写真を握りつぶしてゴミ箱に放り投げる。
「……まぁいい、どちらにせよ好都合だ。ここで奴を殺す。そうすれば……ははっ」
ゼクトこそが至高。唯一無二、Uの完成形。そうであり、そうでなければならない。だから――
「邪魔なんだよ、お前は。番外が……のうのうと何も知らぬまま奴と暮らしているなど虫酸が走る」
東條明はUを捨てた。それも最悪な形で。だからゼクトは東條明を、そして彼が最高傑作と称したアレを憎む。
「私が、私だけがUであればいい。他の誰でもない。私が――」
突然吹いた突風が机の上に置かれた資料を巻き上げ、数枚が床にひらひらと落ちていくのにも気に留めずゼクトは窓の外を見据えていた。
まるで誰かを睨むような視線を窓の向こうに見える景色に投げつけ、ゼクトは舌打ちした。
「この感覚……ミネルバがここに来ているのか。ということはおそらくヤツも、か」
U同士は僅かにだがお互いを感じ取れる。戦闘用に調整されたものであればあるほどその精度が高く、個体の特定すらも可能となる。
エリアUには他にも数名のUが存在していたが、今ゼクトが感じ取った者は本来ここには居ないはずの者だ。さらに、ミネルバには必ず相方がついていた。そっちの能力は他のUに探知されないというもので、ゼクトでもその能力を破ることはできない。が、おそらくは今回も例外ではないはずだ。必ずいる。
「っち、面倒な。何が目的だ」
あの二人組は厄介だ。下手に放置しては大事に至る可能性もある。
「……まあいい、邪魔をするなら奴らも消すだけだ。所詮奴らでは私には勝てない」
そのためにユアンにも手伝ってもらう。
全ては、ゼクトこそが最高のUだと証明するために――
「消えろ……イレギュラーが」
机の上に散らばった資料と格闘する者、そして煮詰まりタバコを吸い始める者。
皆一様にスーツを着こみ、エデンで起こる犯罪についての捜査をまとめている。
それらを一瞥して、姫路 京子は奥にある隔離されたスペースへと足を運んだ。
この部署にいる者達をまとめるリーダーの居城である。
「し、しつれいしまぁーす」
「お、なんだ遅かったじゃないか」
「まぁ~たどっかで道に迷ってたのかぁ新人?」
部屋の中には二人。長机に座るややお腹周りが心配な大柄な者と、無精髭を生やしにやにやと壁に寄りかかりながら京子を見下した目で見る男。
京子は壁に寄りかかる男を無視して、大柄な男の目の前に手に持った袋を差し出した。
「はい、モーガンさん。頼まれてたベーグルですぅ」
「おうすまないな、急な案件が入ってどうしてもここを外せなかったんだ」
大柄な男、モーガン・パーソンズ捜査官が笑顔でベーグルの入った紙袋を受け取る。すると、傍らにおいてある空のコップに何本も刺さったチュロスの内一本を取って京子へと差し出した。
「食べるかね?」
「あー……いえ私は、甘いのはあんまり……」
「そうか、残念」
目を逸らしながら京子が言うと、モーガンは一旦京子に差し出したチュロスを自分の口へと運び一齧り。
うん美味い、などと言いつつ壁に寄りかかった捜査官にも勧めるが、彼もまた手をひらひらさせて断るジェスチャーをする。
「で? 俺のは?」
無精髭の捜査官、リチャード・カインズは京子に手を差し出す。まるで何かを求めるような仕草だ。
京子が何のことだと首を傾げると、カインズは呆れたように肩を落として頭を抱えた。
「俺のコーヒーだバカ新人」
「えーっと……あっ!?」
京子は手の平にぽんと拳を乗せる。それを見るやいなや、カインズは京子を指差しながらモーガンに訴える。
「なぁモーガンさん、やっぱこいつここにゃ向いてねぇって。こんな抜けたアホ面がやっていけるとは思えねぇ」
本人の前だろうとお構いなしにカインズがまくし立てると、それを軽く聞き流しながらモーガンは頷く。
「だがこの間の事件の証人を見つけたのは京子だ。確かに未熟だが、無能じゃない。分かるだろうカインズ捜査官?」
モーガンが強めに言うと、カインズが勝手にしろとでも言うようにわざと音を立てるように勢いよくドアを閉めて部屋から出て行った。
「あいつの態度にも理由があるんだ。許してやってくれ。急にやってきた新人に数ヶ月抱えてた案件をさらっと解決させられちまったんだ、気にならんわけがないだろう?」
「すいません、なんだか出すぎた真似をしちゃったみたいで……」
「いやいや、君のおかげで問題が減ったんだ。感謝してる。だがカインズはそうもいかんらしいってだけだ」
透明なガラスの壁越しにカインズの方を見ると、彼と目が合い中指を立てられる。京子はすぐさま視線をモーガンに戻すと、彼は苦笑いしながらベーグルを食べ始めていた。
「まあなんにせよ、これからもよろしく頼む」
「はぁい、それではー」
京子はそれだけ言って部屋から出ると、なるべくカインズの方に視線を向けないようにしながら自分の机へと向かった。
京子が去ったあとで、モーガン捜査官は机の引き出しから彼女に関しての資料を取り出した。
ここに来る以前のデータ、特に仕事に関してのものはほぼ全てが空白。どうやら前は管理局務めだったらしいが、一体何をしてこちらに回されたのだろうか。
警備隊も保安隊も管理局関連の事柄に触れることはできない。だからデータが無いことには違和感を感じることはない。性格や行動も特に怪しい点のない至って真面目そうな子に見える。
が、だからこそモーガンは引っかかるものを感じた。こんな真面目な子が管理局から左遷されるものなのだろうか。そもそも殆どの部署が秘密主義を鉄則とするあの場所が情報を漏らしてはいけない者を、捜査を専門とするここに入れることに疑問を感じる。
「やれやれ……どうかな? 猫の着ぐるみを着た虎か? それとも本当に猫か?」
モーガンは壁越しに転んで書類の束を派手に撒き散らす彼女を視界に捉えながら、顎を擦った。
再びベーグルに手を付け、呟く。
「美味いな……美味すぎる」
京子に買い出しを頼んだのは三十分以上前のことだ。
なのに、このベーグルは出来立ての程よい暖かさを保っている。
買うまでに道に迷い、買った帰りはすぐに帰ってこれたからか。否、それはまずありえない。なんせ現在の時間といえば――
「この時間はバスもモノレールも混んでなぁ……あの店のベーグルをこの状態で持って返ってくるのは不可能なのさ、お嬢ちゃん」
ただし、自分専用の移動手段を持っているなら話は別だ。例えば、車などの。
「本当に迷ってたか? それとも――何かしてたか?」
モーガンはベーグルの最後の一口を口に放り込むと、目を閉じて呟く。
「ああ……美味い」




