Chapter45「コードA」
いつもどおり受付の雪風さんが出迎えてくれる。
軽く挨拶を交わし、エントランスからエレベーターホールへと移動するとボタンを押してエレベーターの到着を待つ。
ほんの少し前は日常的に行っていたことなのに、今ではここへ来るのに懐かしさすら感じてしまいそうになる。
まだそこまで時間は経ってないのにな、と悠奈は僅かに笑みを浮かべると開いたドアからエレベーターへと乗り込んだ。
自分の部屋に着くまでの数分間。前は一人で物思いに耽っていたものだが、今の悠奈には自分を囲む者達がいる。いつもそばに居てくれる仲間であり、もう家族同然の人達が。
ユー達と出会い、いろんなことがあった。もちろんいい思い出だけではないし、むしろ大変な毎日が繰り返されている。
だが、あのまま学生としてずっと過ごすよりはよほど有意義な生活を送れているのだと悠奈は思う。特に目的もなく、ふらふらとしながら毎日やってくる学業をこなすだけの生活。そこで得られたものは少ない。
管理局のやり方、姿形を知ることになったのもユー達と出会ったから。自分は何をするべきなのか、それを考えるようになったのもユー達のおかげだ。
正直なところ、今ならたとえ死んでしまったとしてもそれを素直に受け入れられる自信がある。ユー達を恨みはしない。むしろ感謝する。学校にいた頃より、今のほうが生きているという実感があるのだ。
本来なら早く日常に戻りたいとか、取り乱してユー達を困らせる方が普通の人間としては正常なのだろうが、どうも悠奈は『こちら側』にいるほうが安心する。命の危険があるこの世界に。
「やっぱ私も……どっか壊れてるのかねぇ」
景色が見られるはずのガラスの壁を背に、悠奈は一人呟く。
「悠奈ちゃん?」
そんな独り言にも律儀に反応してくれるユーに微笑み返し、悠奈はドアが開くタイミングに合わせてエレベーターから飛び出る。
と、通路の奥から野太い叫び声が響いてきた。間違えようもないボブの声である。
「ユー!」
悠奈より先にアリスが真っ先に反応して声を上げる。
悠奈の部屋には現在ボブしかいないはずだ。だから何かあったには違いない。
皆で互いにアイコンタクトを取りながら、一斉に走り出しアリスが部屋のドアを蹴り開ける。
ユーとユーリは拳銃を抜き、玄関をくぐってリビングに降りる階段の手前から身を乗り出して下の階に銃口を向けた。
――と、そこで目に入ってきた光景に、全員が目を丸くした。
「……は?」
悠奈は思わず声を漏らし、理解が及ばない思考を止まらせずに動かそうと脳をフル回転させる。
悠奈の視界には、床に転がるボブと、長身の男性。当然だが悠奈の知り合いではない。
それに、どちらかと言えば招かれざる客だろう。だって――彼の手には悠奈の下着が握られているのだから。
「お、おお! 悠奈いいところに! こいつが急に来てお前のパンツを……」
床に転がったボブがゆっくりと立ち上がりながら男を指差す。
すると長身の男はボブを見ながら鼻で笑いつつ、下着の身体で恥ずかしい部分が当たる部位に内側から指をそえて持ち自らの鼻に近づけた。
「おわあああ!? 何してんだ変態!」
すかさず悠奈が突進する勢いで走りだしてリビングに降りると男の方へ行き下着に手を伸ばすが、男は無駄に華麗な動きでそれを回避し下着を鼻に当てたまま深く息を吸い込む。
「すぅぅぅ……はぁー……あぁ、ああっ! とても良い匂いだよ悠奈ちゃん!」
「ぎゃあああああ! 変態変態変態! ユーちゃんこいつ撃ってぇ!」
「んふっ」
気持ち悪い笑い方をしながら、男はユーたちの方を見る。
さすがのユーやユーリも、あまりの光景に呆気にとられ放心していた。だが、おかげで男に隙ができる。
「返せ!」
「おっと、そうはいかないよぉ?」
ひょい、と男が腕を上に上げただけで悠奈の手は空を掴みそのままバランスを崩して床に倒れこむ。
そんな醜態を楽しむかのように見つめながら、男は自然に悠奈の下着を上着のポケットにしまうと手を差し出してくる。
「怪我はないかい?」
「いいから返せ!」
立ち上がりざまに悠奈がポケットに手を伸ばすが、くるりと身体を一回転させながら男はそれを回避し、あろうことかしゃがむとそのまま悠奈が今履いている方の下着の両サイドに手をかけ、一気に下に引き下ろした。
下着が足首で引っ掛かりバランスを崩すと悠奈は再び前のめりに倒れ、足が一瞬浮き上がった隙に男は悠奈の足から下着を取り去る。
「あぁ……やはり洗ったものとは違う、悠奈ちゃんの温もりを感じるよ」
「か、かえ――っせぇ!」
悠奈はすぐさま身体を反転させて床に座り込むと、これ以上は、とスカートの前後を押さえ込んだ。
泣きそうになりながら懇願するが、さすがの悠奈でもこればかりはさすがに恥ずかしさもあり言葉がうまく発せない。
「まぁまぁ待ちたまえ、僕は何も意地悪しに来たわけではないよ? すぅー……」
「すすす、吸うなぁ!」
ソファーの肘掛けに腰を下ろしながら、男が優雅さを漂わせながら下着の匂いを嗅ぐ。その手に握っているものはほんの数秒前まで悠奈が履いていたものだ。
取り返そうにも今度は何をされるかわからない以上、立ち上がることさえままならない今の状態の悠奈は涙目で赤面しながら男を睨みつけるのが精一杯の抵抗だ。
「だったら今すぐ悠奈ちゃんにそれ返し――あ」
いつの間にか我に返っていたユーが男の背後を取って下着に手を伸ばすが、気づかれていたのか上体を少しずらして回避しつつユーの足をかけて転ばせる。
しかも、その先にテーブルがありユーは額を思い切りテーブルの角に打ち付けてしまった。
「――つぅ……こ、の……」
「やっぱり君は色々惜しいなぁ……」
顎に手を当て品定めするかのようにユーを見下ろす男。
そんな彼にとうとう鉄槌が下る。
「いい加減にしろ、やり過ぎだ」
「おお? ――っとぉ!?」
ユーとは比べ物にならないほど鋭い速さで繰り出された蹴りが男の後頭部に突き刺さり、高所か落下したかのような勢いで男が顔面を床に打ちつける。その際に手に握られた下着もユーリは取り返してくれた。
さすがだと心の中でガッツポーズを取りながら、そっとユーリが手渡してくれた下着を受け取ると悠奈は走ってキッチンの方に隠れ取り返した下着を履いて再びリビングへ。
「あ、あんた……絶対許さないから!」
「あっはは、さすがにユーリさんは格が違うかぁ。いやごめんごめん、でも本当に用があってきたんだ。だから……ね?」
額にユーリのリボルバーがつきつけられ、胸ぐらをつかまれた男が悠奈に助けを乞う視線を送ってくる。いつになくユーリが怒ってるように見えて、少し怖い。
「ふざけた奴だ、なら言いたいことを言ってから死ね」
「わーっと!? 悠奈ちゃん悠奈ちゃん!」
ユーリがトリガーに指をかける。このままだと本当に男の脳漿をここにぶち撒けん勢いだ。
ここで人を殺されるのも嫌だし、要件も気になるので悠奈もいろいろと言いたいことはあるがとりあえず飲み込んでユーリを制する。
「わっとと、ユーリちょっとタンマちょっとタンマ。一応話し聞いてあげよ?」
「あぁ……やっぱり悠奈ちゃんは天使だよ」
「その後で殺して」
「うむ」
気持ち悪い猫なで声を出す男に悠奈も苛つき、跪く男を冷ややかな目で見据えながら悠奈は距離を取りつつ口を開く。
「それで、なんの用があるってのよ」
「ああ、そうそう。今日の僕は単なるメッセンジャーさ。……エリアUで君に会いたがっている人がいる」
「私に? 誰が」
「Aのコードを持つ者……『彼女』はそう言っていたよ。明後日の午後四時に大聖堂で会いましょう、だってさ。そこで君が知るべきことを教えてくれるそうだよ」
「なっ!? 痛っ!?」
男の言葉に悠奈ではなくユーが真っ先に反応し、頭を上げたところでテーブルに後頭部を打ち付けてしまった。
「お、今のは可愛いねぇ。でも、なんで悠奈ちゃんじゃなくて君が反応するのかな?」
ニヤついてユーを眺める男の顔を、急に彼女は思い切り睨みつけた。さすがの男もこれはまずいと思ったのか、まだなにか言おうとしていた口を閉ざす。
するとユーはこんどこそ立ち上がり、腰のP226を抜いてその銃口を男の頭部に向けた。
ユーのただならぬ雰囲気に飲まれ、その場にいる全員が息を呑んで何も言えずにただユーを見守ることしかできなかった。
「何を……知っている」
「い、いやいや、だから僕はメッセンジャーで……伝言以外のことは知らないって」
命の危険を察知したのか、男の口調もおふざけがなくなっている。だからといって、ユーが銃を下げるわけでもなかったようだが。
ユーの男を見据える瞳が更に鋭くなった。ラトリアとはまた違うが、ユーの青い瞳も彼女同様、稀に普通の人とは違う不思議な色を帯びて煌めく時がある。まるで心の内を見透かされているような、人を飲み込むような深い青色だ。
「……信じてくれたかい?」
恐る恐る口を開く男に、ユーは態度を変えぬまま言う。
「そう思うなら、今すぐポケットの中で握っているものを放せ。こっちはそれを使うより先にこの銃の弾をアンタの頭に叩き込むことだってできるんだ」
「やれやれ……わからないと思ったんだけどな。ユー君は人の心でも読めるのかい?」
男は降参したように両手を上にあげ、握っていた円筒状の金属の物体を床に転がした。
エリアRで悠奈も見たことがある。というか身を持ってその威力を味わった。おそらくスタングレネードか何かだろう。
「……用が済んだのならさっさと消えることを勧めよう。こういう時のユーの機嫌を損ねると厄介だからね」
まだ少しだけ怒気を孕んだような口調で腕を組んだユーリが男に向かって言うと、男も納得したのかユーの様子をうかがいながらゆっくりと立ち上がる。
「ふー、命がいくつあっても足りないねぇ。でも僕はこれくらいスリルがある方が興奮するけどね」
言って、男は悠奈の方へと近づいてくる。
びくりと肩を震わせて悠奈は後ずさり一歩距離を置いて警戒しスカートを押さえると、それを見て男は笑う。
「はは、この状況であんな悪戯はもうしないよ。僕はクリス・アンブローズだ。また会えるといいね」
「もう二度と顔見せなくていいから」
悠奈が見据えながら言い放った一言にも動じず、クリスと名乗った男はリビングの階段を登り玄関へと進む。
と、階段の途中で何かを思い出したかのように立ち止まってユーの方を見た。
「ねぇユー君」
「……何さ」
機嫌が悪そうな声でユーが答えるも、それに動じずにクリスは手すりに肘をおきながら笑っている。
「君は色々惜しいって言った理由、聞きたい?」
「そんなの! ……なんでさ」
一瞬怒ったかとおもいきや、ちょっと気になるらしいのか目を逸らしつつユーが聞く。
「君は完璧すぎるんだ。例えるならばそう、高価な宝石と一緒だよ。その輝きこそ綺麗だが、それ以上の面白味がない。花は綺麗なだけでなく育てる楽しみやそれぞれの顔や個性、色が出る」
「……悠奈ちゃんはその花だ……ってこと?」
ちょっと不満そうに拗ねた言い方をするユー。まあこの場にいる一部は知らないがユーも女の子なのだ、そういう反応をするのも何ら不自然な点はない。
悠奈としてはユーに勝る点など何一つ無いと思っていたので、むしろ男の反応がおかしく思えるほどだ。
「んふっ、でも今日の君を見る限りじゃ、ユー君も宝石じゃなくて綺麗すぎるだけの花なのかもしれないねぇ……なーんて、それじゃあね」
また気色悪い声を出しながら、クリスはさっさと玄関に走り消えていく。
「あ!? ああああああ!」
静けさを取り戻した部屋の中で、悠奈が大声を上げた。
「うわ何だ!?」
「ど、どーしたのユーナ!?」
驚くアセリアと心配し駆け寄るアリスを他所に、悠奈は頭を抱える。
最初にクリスが握っていた悠奈の下着。あれはおそらくまだクリスのポケットの中だ。
「パンツ……取られた」




