Chapter44「ナノハザード:エスケープ」
静まり返っていたはずの施設内部は、騒然としていた。
数十人、数百人単位の足音が絶えず一方向に向け進む音が響く。
「わー!? アセリアさん後ろ!」
「っちぃ!」
アセリアの腕に抱きかかえられたアリスが耳元で叫ぶ。
そんなアリスの鼻先を、化物の爪が掠めた。
「ひぇあ!? こわいこわいこわい!? もっとスピード上げて!」
「だったら自分で走れ!」
現在アリスはアセリアにお姫様抱っこをされながら、僅かな抵抗としてP14拳銃で後ろから迫る化物に応戦していたがそれももう限界。45口径の銃弾を受けても倒れないのはクラス3相当の体を持つという予想から理解はしていたが、たとえ一発で倒れてくれたとしてもこの数ではどうしようもない。
一体ずつの戦闘力も相当なもので、最初はアセリアが戦っていたが徐々に押され始め今に至るというわけだ。
「あーアセリアさん見っけ! ほあああああ!?」
突然前の方で扉が開くと、悠奈が顔を見せた。
だが、悠奈はアセリアの後方を見るやいなや目を丸くして叫び声を上げるとアセリアが通り過ぎるのに合わせて肩を並べるように走りだす。
その後ろでは、ユーも言葉を発しないまま必死に足を動かしていた。
「なんでこんなにいんの!? というかなんで追われてんのさ!」
「知るか! 死にたくなかったら走れ!」
アセリアの怒声にも似た声が通路に響き、それに呼応するかのように後ろの化物が呻き声をあげた。
「ひーん! 助けてユーリ!」
悠奈の叫びに答える者はなく、喧騒にかき消されていった。
エリアFのとある病院跡。に見せかけた研究施設の前で、アンバーは漆黒の髪を風に揺らしながら入り口を見据えていた。
吐いた息が白くなるのを見ると、もう冬なのだということを実感する。
そういえば、今年は例年より寒くなると今朝のニュースで言っていたことをアンバーは思い出した。
羽織った黒いコートのポケットに手を突っ込むと、中から無機質な白いタブレットケースを取り出す。
アンバーはケースを手の平に乗せると、中身をスライドさせ四角く区切られたスペースに置かれた白と黒の錠剤を1つずつ取り出し二つとも口に放り込んだ。
と、腕につけた時計で時間を確認してから空を見上げる。
空は灰色の雲に包まれ、今にも雪か雨が降りそうだ。
アンバーはそんな天候に何を思ったのかくすりと笑うと、ゆっくりと歩を進め躊躇なく施設内部に入り込んだ。
「わ、結構暗いですねここ。……んぅ?」
微かだが前方の方で誰かが叫ぶような声が聞こえた。
耳を澄ますと、それが見知った者の声であることが分かる。
「悠奈さん? ですよね、この声。てっきりもっと奥まで行ってるものかと思いましたが……」
しかし、声からして尋常ではない事態なのは容易に想像がつく。
アンバーは両手にはめた黒いグローブを裏表以上がないか確認し、手の平を何度も開いたり閉じたりして機能に不備がないか念入りに確かめる。
と、アンバーは右手を軽く振って宙を引っ掻くような動作をすると、次いで指先を何度か動かして小さく息を吐いた。
「まあ……こんなところですかね」
あまりやり過ぎるとここを通るもの全てを肉片にしてしまう。ので、こちらに向かってくる悠奈達のために今はたわませておく。
足音が徐々に近づいてくる。聞こえる分の足音から人数を数えると、アンバーはその顔を青ざめさせた。
「え? あれぇ? だ、団体さんですかぁ?」
頬を掻きながら苦笑するアンバーの正面、通路の奥にぞろぞろとうごめく人影。
扉が開けっ放しで外からの光が入り込んできているので、やや距離はあるもののその先頭に立つ者達の顔は判別できた。
どうやらそれは向こうも同じようで、真っ先に悠奈がアンバーを見つけると右手を高らかに上げて左右に激しく振ってくれる。
「ひえー! ああ!? アンバーさんだ! 助けてー!」
「え? えええ!?」
半分泣きながら向かってくる悠奈とその仲間達の後ろには、どう見ても仲良くしたいがために近寄ってきているわけではなさそうだ。
準備はしておいたが、さすがに数十人単位を押しとどめられるか不安である。
「あーうー! と、とにかくこっち! こっちに!」
アンバーが手招きして悠奈達を呼ぶ。なんとか背後の連中が接触する前に仕掛けた場所を超えてくれたので、全員が抜けたのを確認した後にアンバーは右手を再度振った。
「アンバーさん危ない!」
悠奈は思わず声を上げたが、アンバーは冷静に悠奈に向け笑ってみせた。
その間も、人型の化物のような何かの腕がアンバーに迫る。
が、鋭く伸びた爪がアンバーの顔を引き裂くより先に化物の動きが突然止まった。
まるで見えない壁にでも阻まれているかのように、化物の身体はアンバーの数センチほど手前から先に進めなくなっている。
そして、何かに切られたかのように化物から伸びた手が血を吹き出した。突然のことに化物も驚いたのか手を引くと、様子をうかがうようにアンバーを訝しげに見つめたまま全員動かなくなった。
見れば、空中に化物の血が線を引いて浮いている。これがアンバーの武器。
ナノマテリアルで作られた糸は極細で肉眼では見えづらく、その強度や柔軟性は従来の繊維のそれを軽く超える。
難点を言えば、銃器や刀剣の類よりも扱いが難しく使用者が限られるということだ。
「残念でした、あなた達はもうこれ以上先へは進めませんよ」
「……うぅ」
化物の一人が小さく呻き声を上げると、他の者達も釣られるようにその場を後にした。
壁の外の連中に似た性質を持つが、奴らよりは頭が回るようだ。と、アンバーは一人で思案しながら頃合いを見計らって糸を回収する。
「やたー! アンバーさん大好き!」
「えへへ、ありがとうございます」
抱きついてきた悠奈を受け止めると、アンバーは笑って差し伸ばされた手を受け入れ彼女に頭を撫でさせてやる。
そして、悠奈に抱きしめられながらアンバーは仲間達の数を確認。ユーにアセリア、それとアリスというのだったか、ユーのお気に入りの子がちゃんと揃っているのを見るとはっと息を吐いた。
「でもよかったです。さ、ここは危ないから外に出ましょう。あとの処理は別の人達が……」
「あ、待ってアンバーさん。まだユーリが中にいると思うから」
「……え?」
アンバーは呆けた顔で悠奈を見る。
「だから、ユーリがまだ中に……」
「ええええ!? 一人でですか!? あんな危なそうなのがたくさんいるのに!?」
「いや、ここにいるが」
『きゃあああああ!?』
いつの間にか現れていたユーリに、アセリアを除くその場の全員が叫び声を上げた。
さすがのアセリアも声は出さずともびくりと肩を震わせていたところを見ると、やはりユーリのスキルは人並み以上だな、とアンバーは驚いた悠奈の腕が首に回り軽く締められながら再認識した。
「禁止! 今度から気配殺して近づくの絶対禁止!」
「む、むう……」
ユーに説教されるユーリを傍らで見つつ、悠奈はアンバーの肩に手を回しふらつく彼女を支えていた。
「心臓か息のどっちかが止まるかと思いました……」
「ご、ごごごめんなさい」
「いえいえ……悪いのはだいたいユーリさんです」
アンバーが施設の外に停めてあったハンヴィーのドアに背を預けると、彼女はコートのポケットに手を入れて中から円筒形の金属製の缶を取り出した。
「それは?」
「危ないガスが詰まってる手榴弾です。これでこの施設も……あ、あれ?」
言いながらアンバーが施設の方へ歩いて行くが、ユーリが立ちはだかるように道を塞いだ。
困惑した表情でアンバーがユーリを見上げるが、身長差のせいで大人が子供を虐めてるようにも見えて悠奈は少し笑ってしまった。
だがユーリの顔は真剣そのものなので、声はかけずに悠奈は側から見守ることにする。
「ユーリさん?」
「すまないなアンバー。だがここは……ここはそのままにしておいてくれないだろうか」
「ええっと……それを決めるのは私じゃないので」
助けを求めるようにアンバーがユーに目配せする。
それを察してかユーも会話に混ざると、懐から端末を出してユーリとともに施設の入口へ向かった。
「まあ君がそうしたいなら。でもこのままじゃ危ないし、この扉は開かないようにさせてもらうよ」
「ああ、それで構わんよ。いいんだ……それで」
ユーが端末と電子ロックをケーブルで繋いで何やら操作する最中、ずっとユーリはずっと目を伏せながら入り内のドアに片手をついていた。何かに祈っていたのか、それとも――ともかく、この施設を機能停止に追い込んだメンバーにはユーリが含まれているらしいので、いろいろと思うところがあるのだろう。
ユーが作業を終えると、ユーリは戸惑いも見せずその場を後にした。
並んでユーとユーリが悠奈のそばまで来ると、ユーリが肩を叩く。
「さあ、帰ろうか」
「あ、うん。そだね、ボブが可哀想だし」
雪がぱらぱらと空から降り始め、道行く子供達が騒ぎ出すのを見ながら悠奈は皆とテーブルを囲んでコーヒーを飲んでいた。
テーブルに置かれた幾つもの熱いコーヒーで作られた円の一点だけ、白い液体で満たされたコップが混ざり場違い感を醸し出す。
「家に帰るんじゃなかったのか?」
アセリアが腕を組みながら口を開くと、ホットミルクを両手で持って熱いのか少しずつ口をつけるユーが答えた。
「アンバーを本局まで送らないといけないからね」
「えへへ、すみませんみなさん」
頭を下げるアンバー。前に管理局で会った時もそうだが、彼女の笑顔は裏表のない眩しいくらい純粋な笑顔なので本当に可愛らしい。
「アンバーさんMVPだしね。許す!」
「ありがとうです、悠奈さん」
黒く長い髪に同じ色のコートを着て大人びた雰囲気があるのに、それとは間逆に低身長と屈託のない笑みが子供っぽいようなギャップを生み出している。きっと部署内ではモテているはずだ。
「そういえば、お前は飲まないのか?」
「ん? 何を?」
そこで、珍しくアセリアがユーに絡む。
視線がホットミルクに注がれている辺り、一人だけそれを飲んでいるのが気になったのだろう。
「コーヒーだ」
「え? 嫌だよ、だって苦いじゃない」
「は?」
一瞬、場の空気が凍りついた気がした。
首を傾げるユーに、皆沈黙を守る。
(やっぱ甘いの好きな分そういうの苦手なんだ……あ、アリスちゃん肩震わせてるしこれ限界っぽい)
悠奈は全員の顔を見渡した後、半目で話題を切り出したアセリアを睨んでから今にも口に含んだコーヒーを吹き出しそうなアリスの様子を確認しつつ咳払い。
「あ、あーそのなんだろ、なんだか冷えるねぇ今日は」
「そ、そうだな。早くアンバー送って帰るとするか。ボブ君も暇だろうしな」
「そ、そーですそーです。お仲間さんも待っていることですし、早く帰ってあげてください。私はここで大丈夫ですからー」
ユーリとアンバーがフォローしつつ、なんとか乗り切ったところでもう一度悠奈はアセリアをじっと見つめる。と、彼女も悪いと思ったのか若干目を逸らしつつ気まずそうにコーヒーに口をつけた。
これでひとまず、エリアFでの要件は済んだことになる。
結局ここでも命の危険にさらされることとなってしまったが、悠奈のこれからの行動に迷いが生まれることはない。
どこへ行こうと命を狙われるのに変わりはない。そんな状況が続いたせいで自分でも感覚が麻痺し始めているのだろうか。
あるいは、最初から――
悠奈は、最初に誘拐されかけた時も、銃口を向けられた時でさえそこまで恐怖を感じることはなかった。それは――
「私は……父さん」
悠奈が空を見上げると、頬に雪が一粒落ちて消えた。




