Chapter42「ナノハザード:ナイトメア」
ユーリに誘われ入った部屋は、比較的綺麗で床に散らばる塵の数も少ない。
元々は休憩室か何かだったのだろうか、マガジンラックや中央の台にはテレビらしきものの残骸が乗っていた。
ひとまず悠奈は、ユーを壁にもたれさせて座らせる。
傷は見る限りそれほどひどくはないが、まだ出血が止まっておらず油断はできない。
「此処から先は私一人で行こう。悠奈君はユーを頼むよ」
「うん、分かった」
「ま、待ったユーリ。あなた一人じゃ……」
後を悠奈に任せ部屋を出ていこうとしたユーリだが、すぐさまユーに呼び止められる。
が、そんなユーの姿を見てユーリは微笑むと、軽くユーの頭を撫でた。
「大丈夫だ、幸い私はこの施設の構造を把握しているしね。気にするな、ついでに包帯でも取ってきてやるからおとなしくしていろよ」
「でも……」
「でもじゃない。大丈夫だ、心配するな」
不安げにユーリを見上げるユーだが、それでもユーリは一人で行こうとドアノブに手をかける。
と、その時だった。
「ひぇ……」
「んぅ? どうしたのユーちゃ――わわわ!?」
「なんか動いたなんか動いたぁ!」
せっかくいい雰囲気だったのに、ユーが叫びながら胸にしまいこんである普段使わない方の銃を取り出し部屋の奥にあったロッカーを銃撃。
金属製のロッカーは銃弾を受け、すさまじい音をたてながらひしゃげて潰れた。弾が当たったところに穴が空き、縦長からくの字のような形に変形したロッカーのドアが外れて中身が見えるが、特に何かあるわけではない。
「落ち着けユー。50口径だぞ、悠奈君に当たったらどうする」
「ででででもなんかいたなんかいた……」
ユーが震える指先をロッカーの方へ向けるが、そこには何もいない。
一応悠奈も部屋中を見渡してみるが、特に変わったところはない。動く者は自分を除けばユーとユーリだけだ。
「んー、大丈夫じゃないかな?」
「はぁ、全く……悠奈君に迷惑かけるなよ。ではな」
言って、ユーリはさっさと部屋を出て行ってしまった。
一人減っただけなのに、それだけで妙にしんとしてしまう。
あまりにも静かすぎて、悠奈が動くたびに衣擦れの音が聞こえてくるくらいだ。
だがこのままユーを放置しておくのも可哀想だし、外に出れない以上やることもないので悠奈もユーの隣に腰を下ろす。
「んしょ……ねえユーちゃん、大丈夫?」
「うん、平気……だと思う」
それだけで悠奈が何のことを言っているのか分かったのか、ユーは自分の肩口の辺りに視線を落としてから呟く。
身体のナノマシンが治癒を早める作用があるはずなので、本来ならもう血は止まっていてもいいはずなのに未だユーの方から血が流れ出ているのが少し気がかりだ。
失血死してしまうほどの量ではないが、このまま止まらなければいずれは問題になるだろう。
「血……止まらないね」
「あの化物……いえ、実験体はナノマシンに特別な処理が施されているのかもしれないわね。でなきゃ何年も前の閉鎖された施設の中で生きていけないし。それが私のナノマシンと干渉して機能を阻害してるのかも」
「あ……それ大丈夫なの?」
「今のところ異常はないからたぶん。でも、これが本来の人間なのよね。深く傷つけば血は止まらないし病気もするし……そう、それが本当の人間……」
ユーは目を伏せて壁に後頭部をつけた。
苦しいからというわけでもなく、感傷に浸っているようなそんな感じだ。
しかし、こんな薄暗い部屋でなおかつ外では化け物じみた者達が闊歩する場所でこれ以上しんみりした空気は気が重くなる。
すると、悠奈はスカートの裾に手をかけ、そのまま大事な部分はちゃんと隠れるように少しだけ引き裂いた。
「ゆ、悠奈ちゃん?」
悠奈は怪訝な顔で見つめるユーの肩口に割いたスカートを当てると、巻きつけて縛る。
「きつくない?」
「え? ああ、そっか……ありがと、ちょうどいいくらいだよ」
圧迫すれば少しくらいはと思いやってはみたが、包帯もガーゼもない状態では気休め程度にしかならないだろう。
出血が止まらないのもあってか、ユーの顔色も良くない。
そこで場を和ませようと、悠奈はユーと肩を並べるようにして寄り添う。
「ゾンビ映画ではさ」
「え?」
「ユーちゃんみたいに最初にゾンビにやられた人って、大丈夫大丈夫とか言いつついきなりゾンビ化して仲間襲っちゃうんだよね」
「え? いやさすがに……え、ええと……ないとおもう、よ?」
最後にちょっと自信なさそうに声のトーンが落ちるのが可愛らしい。
さすがにそれは非現実的だし、ユーも見たところ怪我で多少苦しんでいるだけでそれ以外に妙な兆候のようなものはない。
「あはは、さすがにそれはないと思うよ。でも、無理しないでね」
「あ、うん……ありがと」
そのまましばらく沈黙。
相変わらず、物音一つしない空間。たまにユーが不安げに周囲を見渡す時にだけ、僅かに悠奈と肩が触れ合い身体が擦れる音が聞こえる。
それくらい静かな場所で、二人きり並んで座るだけ。
ユーリが出て行ってから何分経っただろうか。また十分くらいのようにも思えるし、三十分くらい経ったような気もする。
ユーリのことだし万が一なんて事もないのだろうが、ただ待っているだけは逆にこちらが不安になる。
あの化物がまた襲ってくるかもしれないという可能性があるだけで、悠奈の恐怖心を煽るのには十分だ。
気を紛らわそうと何か考えてみるが、こういう時に限ってちょうどいい話題が思いつかない。
「ねぇ、悠奈ちゃん」
不意に、ユーの方から声をかけてくれた。
彼女もそろそろこの沈黙に耐えられなくなったのだろうか。あるいは、悠奈がそうであると見ぬいた上で気を使ってくれたのか。どちらにせよ、会話の糸口を掴めただけでも僥倖だ。
「なに?」
「悠奈ちゃんは、さ……こんなことをする管理局をその……どう思う?」
どうやら先程のユーリとの会話はしっかりとユーも聞いていたらしい。
正直なところ、悠奈でもその問いに答えることは難しい。管理局と言っても、ここの研究員達のように人の道を外れたことをやる者達もいれば、ユー達のような者もいる。
これまで触れ合ってきた人達。秋奈やフィオナ、シグにラトリア。それぞれが異なる目的と意思を持ち、行動している。
悠奈も同調できる者は、少なからず存在するのだ。だから、管理局という括りで善悪を判断することはできない。
「難しいよねぇ……ユーちゃん達はいい人だけど、でもここの人達はきっとそうじゃなくて……」
体育座りで足の間に顔を埋める悠奈の横で、ユーも逡巡するように目を伏せる。
再び彼女が目を開くと、天井か、あるいは虚空を見上げながら呟き始めた。
「きっと、ユーリの言うとおりだよ。結局どこまで行っても人は変わらない。誰かが……普通の人ができないことをやってのけるような、そういう誰かが変えようとしないかぎり」
「人にはできない……例えば、英雄……とか?」
映画や本でもそうだ。たった一人の英雄が人々を正しき方向へと導く。ありふれた展開だが、悠奈は嫌いじゃない。
「え?」
予想外の答えだったのか、悠奈の言葉にユーはせっかく真面目な顔をしていたのに虚を衝かれたように目を丸くすると、次の瞬間には笑い出してしまった。
「あはは、確かに英雄もそうだね。人の上に立つ者としては申し分ないよ」
「むー……」
馬鹿にされたような気がして、悠奈は体育座りのまま頬を膨らませる。
でも、ユーが笑顔をみせてくれたので良しとしよう。緊張も少しは和らいだはずだ。
「ふふ……でもそうね、ぽっと何処かから英雄さんが出てきて、みんなを引っ張っていってくれたら全部丸く収まるのにね」
「まーそんなの望んだって来てくれるもんでもないしー……誰かがなってくれるなら早いんだけどねぇ」
「じゃあ、なってみる?」
冗談めいた口調で、ユーが言う。
すると悠奈は顔を上げ、ユーと同じように天井を見つめながら口を開いた。
「みんながそれを望むなら。みんながその存在を求めるなら。私は英雄にだってなってやるさ」
「へ?」
嘘偽りのない、真剣な眼差しのままそう答える。
冗談を本気で返されたせいか、ユーは素っ頓狂な声を上げたまま困惑した表情で悠奈を見つめた。
「なんて……言っただけでなれたらねぇ。覚悟はあっても、私にゃそれをするだけの器も実力もないってのがまた……あはは。一般人は辛いですなぁ」
大げさに両手をぶんぶんと振りながら悠奈は笑う。
実際英雄一人いればなんとかなるようなものなら、悠奈は喜んでなってやるつもりだ。
問題は、悠奈自身にそれに見合うだけの資格が無いのと、現実は非情で英雄一人で簡単に世界が変わるわけではない。
「……君に、それに足る力があるとしたら?」
深刻そうな顔になるユーに、悠奈は自分で言ったことがあまりにも突飛な内容で恥ずかしくなり彼女の顔の前に手の平を出して左右に振る。
「あぅ、やめやめちょっと自分で恥ずかしいこと言っちゃったなって思ったので今の無し今の無しです。別の話題別の話題……そうそう、ユーちゃんなら知って――っ!?」
悠奈は途中で言葉を切ると、先ほどユーの銃撃を受け壊れたロッカーの方へ顔を向けた。
しかし、そこには変わらず破壊されたロッカーと散らばった資料や機材が放置されたいるだけ。
が、異常にはユーも気づいたようで悠奈と同じ方向を見ながら、いつのまにか拳銃まで抜いていた。
「ちょっと……」
「な、なによ」
「抜くの早すぎ。落ち着いて、50口径だよ危ないよ……いや、どんなのかわかんないけど」
「落ち着いてるよ、あとこっちは40口径」
なんて問答をやっていると、がたんと金属のひしゃげる音を立てロッカーの上にあるエアダクトから人型の化物が降ってきた。
「わわわ!? ユーちゃんユーちゃん!?」
「きゃあああああ!?」
突然の登場もあってか、急に取り乱したユーは持っていた拳銃を乱射。
ユーの言うとおりロッカーを壊した銃ほどではないが、40口径らしい銃も相当の威力で化物から外れた弾がありとあらゆるものを粉砕した。
「だあああ! ホローポイントじゃん! 危ないからとっととしまって逃げるよ!」
弾切れになってスライドが後退したタイミングを狙って、拳銃をユーの手ごと握って腰のホルスターにしまわせると悠奈はそのままユーの手を引いて部屋をぬけ出す。
命中率もそこまで良くはないし、万が一ユーリや悠奈に当たったらただでは済まないのでたぶんこの選択に間違いはない。
勢い良くドアを開け、目的地も定めず悠奈はユーの手を引いたままとにかく走る。
途中何度か落ちている機材に足を取られ転びそうになるが、追われているのだと自分を奮い立たせ床を踏み抜く勢いで踏ん張りバランスを取ってなんとか耐える。
その甲斐あってか、いつのまにか化物は背後から姿を消していた。
悠奈は途中で止まると、壁にもたれながら周囲を警戒する。
ユーはというと、半分涙目になりながら悠奈の手を絶対に離すまいと力強く握ってくれていた。可愛らしいが、状況を考えるとこのままそれを眺めているわけにいかない。
「ありゃ? そういやホローポイントってなんじゃろ」
ふと、先ほど自分が言った言葉に疑問を浮かべる。つい口走ってしまったが、もやがかかったようにそこだけ曖昧で考えれば考えるほど思考が働かなくなってくる。
先ほどの弾丸のことを悠奈は知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。なぜだか悠奈にはそこがわからなかった。
が、今考えることは別にある。現在悠奈達がいるのは逃げ場のないどこかの通路。地図もないし、装備も無いに等しい状況ではこれから先の行動をよく考えねば大変なことになる。
「ねぇユーちゃん、アセリアさん達がいる部屋までの道……分かる?」
あまり期待してはいなかったが、予想通りユーは左右に首を振る。
下手に動けばまた化物と遭遇してしまうが、閉所で化物と出会ってしまった時に対処しきれないので無闇に部屋に入ることもできない。
だが近くで化物の呻き声が聞こえるので、このままじっとしていることもよくはないだろう。
「んっと、とりあえず明かり……これでいいか」
天井の照明は足元を軽く照らす程度で、場所によっては破損して真っ暗になっている場所もあるので移動するには明かりが必要だ。ユーがライトを持っているが、これ一つでは心許ないので悠奈はスカートのポケットから携帯を取り出すとライトを付けて上着の胸ポケットに放り込む。
これで手を塞がずに正面を照らすことができる。ただ、明かりをすぐに消すことができなくなるので化物に明かりを見られると少しまずいかもしれない。早めにどこかの部屋に入ったほうが良さそうだ。
「ユーちゃん怪我平気?」
「ん……平気」
小さい声で背後から返答が返ってくるのを確認すると、悠奈は振り返らずに歩を進める。
ユーのライトが足元を照らし、悠奈の携帯が正面を照らしだす。が、所詮は携帯のライトなので光量が乏しく、数メートル先をぼんやりと照らしだすだけなので絶妙な具合にホラー感を醸し出している。
選んだ道が悪かったのか、悠奈が進もうとした先の通路は天井の照明が全て割れて破損しているので、頼りになるのは悠奈達が持つライトのみ。
時折かさかさと聞こえる何かの音と、おそらく化物のものであろう呻き声が聞こえその度に冷や汗が悠奈の背を伝う。
武器も碌にない、戦える者もいない今は化物と出くわしただけで終わり。ユーリ達がいるだけでどれほど安心できるのかを今更ながらに再認識し、同時に自分の無力さに気落ちする。
「っと、ユーちゃんライト消して!」
「ん……」
少し先の方で、ゆらゆらと宙で揺れる二つの赤い光点を確認し悠奈は開いている方の手で携帯のライトを塞ぎユーに指示を出す。
そのまましゃがんで、なるべく音を立てないように傍の横倒しになった長椅子の影に隠れた。
あの人の形をした――化物だ。
発見はされていないようだが、依然として悠奈達の進む方向に陣取りふらふらと歩き続けている。ちょっとでも音を立てればこちらに気づいて襲ってくるだろう。
静かにしないといけないのに、悠奈の鼓動は段々と早くなる。知らず呼吸が荒くなり、頬から伝った汗が床に落ちた。
視線を外せない。見失えばそれだけで危険が増す。
人の形をした黒いシルエット。その頭に当たる部分に二つ光る真っ赤な血のように赤い瞳。
まるで獲物でも探すように二つの赤色は揺れ動き、獣のように荒い息遣いで同じ場所を行ったり来たり。
と、そこで誰かがなにか硬いものでも殴ったかのように何度も何度も鈍い音が通路に響いた。
それは悠奈達の先にいる化物にも聞こえたようで――最悪なことに悠奈の方へと向かってきた。
ゆっくり、裸足なのかひたひたと床を歩く音が近づいてくる。
今立ち上がれば気づかれる。だが、他に逃げ場はない。
あとに残されたのは、この横幅5メートルほどの通路に隠れてやり過ごすくらいなものだ。
考えている時間はない。もう後数秒であの化物は悠奈の所までやって来る。
真っ暗でユーの顔もよく見えないが、悠奈は彼女の手を優しく握り返し心配するなと伝える。
光が絶対に漏れないよう、携帯を握る方の手に力を込め悠奈は壁に背を付けてなるべく端に寄る。長椅子もちょうどいい大きさで悠奈達の身体を隠してくれているので、化物が長椅子を超えた後でこちらに視線を向けないかぎり向こうからは見えないはずだ。
(気づかないで……気づかないで!)
心の中でそう念じるが、今にも心臓が飛び出そうなほど鼓動は早くなる。あまりにも静かすぎて、この音すらも化物に聞こえてしまうんじゃないかと疑心暗鬼になり悠奈はシャワーでも浴びたかのように背中がびっしょりと濡れていた。
そんな悠奈を追い詰めるように、化物の足音は近づいてくる。ユーの手を握る腕が震え、ゆっくりと焦らすように足音を立てる化物の息遣いが聞こえる度に悠奈は叫び声を上げて逃げたくなる。その衝動を抑えこみ、必死に息を殺しながら化物が通りすぎるのを待った。
かつて人だったことを思わせる形をした化物は、獲物の気配を感じそこへと向かう。悠奈達の存在には気づいていない。
だが、もう目と鼻の先。少しでも音を立てれば気づかれる距離だ。恐怖のせいか自然と出てきた涙が零れないように耐えながら、悠奈は心の中で祈るように何度もこのまま通り過ぎろと念じ続ける。
――そうして、何分経っただろうか。
数十年分の神経をすり減らしてまで耐えぬいた結果、なんとか気づかれずにやり過ごすことに成功した。
安堵したせいかダムが決壊したように流れ落ちる涙を拭うこともせずに、悠奈は両手でユーの手を握りしめる。
ぱっと携帯のライトが再び辺りを照らしだし、ユーの顔がはっきりと見えた。彼女は悠奈のように泣いてはおらず、むしろ悠奈が無事なことに安堵したような表情をした。こういうものが苦手なユーにとっては、悠奈以上に怖い最悪の数分間だっただろうにもかかわらずだ。
悠奈は何も言わずに、涙を流したままユーを抱きしめる。
「ユーちゃん! ユーちゃあん!」
「悠奈……ちゃん」
そっと背に回されたユーの手は、優しく悠奈の身体を包んだ。
きっと、一人きりだったら今頃音を上げてあの化物の餌食になっていたことだろう。
悠奈に触れるこの温もりがあったからこそ、悠奈は頑張ることができた。
そして、まだこの悪夢は終わっていない。
「うん……もう大丈夫。ユーちゃん、まだ……まだこれからだよ」
「そう、ね。きっとあの音……アセリア達。行こう、ここで死ぬわけにはいかないもの。私も……あなたも」
決意を新たにして、二人は再び歩き始めた。




