Chapter41「ナノハザード:オリジン」
ちかちかと天井に吊るされたライトが明滅し、悠奈の恐怖感を煽る。
こころなしか汗ばんできた手の平を上着にこすり付け拭うと、裾を掴んだまま離さないユーを見て時折微笑みかけながら慎重に歩くペースを早めていく。
悠奈が音を上げないのは、ユーのためにしっかししていないといけないという気持ちが恐怖より先行しているからだろう。
ユーリはというと、こんな状況でも平気なのか悠奈の数メートル先を歩きたまに悠奈の方を向いては安否を確認している。
不安なのは、いつも余裕のある彼女と違い今回は腰のリボルバーをすでに抜いた状態のままだということだ。
単なる廃棄された施設、というわけではないのだろうか。ユーリの様子からして、ここは不意の攻撃に備えるだけの用意が必要な場所ということになる。
「ねぇユーリ」
「……なんだね?」
「その銃って……」
「ん? ああ、念の為だよ。先ほどのようなトラップがまた作動するかもしれないしね」
罠を回避するのに銃が必要なのだろうか。ふとそんな疑問が悠奈の頭を過ぎったが、それは突然の絶叫にかき消される。
まるで獣の雄叫びのような、耳をつんざく狂声。
「な、何!?」
「悠奈ちゃん後ろ! ――っく!?」
ユーが叫び、悠奈に覆いかぶさるようにして倒れこむ。
「ああああああああ!!」
ユーの背後で、言葉にならない叫び声を上げながら何者かが腕を振っているのだけはかろうじて悠奈も見えた。
しかし次の瞬間には、ユーリの銃が銃声を響かせる。
リボルバーの銃口から弾が出るたびに通路に光が瞬き、その瞬間だけ見える襲撃者の顔に悠奈は絶句した。
「ひ……あ……」
それは紛れも無く人間――のように見える何か。
そう言うしかないほど、常人のそれとは違い猛獣のように顔は歪み、焦点の定まっていない瞳は血のように赤く染まりきっていた。
人だということを理解し難くなるほどに醜い、人の形をしただけの怪物。そう言い表すのが一番適切だろう。
「悠奈君!」
ユーリが声を上げながら6発全てを撃ち切り、人型の怪物が地面に倒れこむとユーリが悠奈の側に駆け寄ってくる。
「大丈夫か!」
「う、うん。ユーちゃんが守ってくれたから……ぁ」
そこで、悠奈は自分の頬になにか温かい液体のようなものが垂れているのに気づく。
指で拭うと、それは真っ赤な血液だった。
視線を自分に覆いかぶさるユーに合わせると、ちょうど肩口のところから出血しているのが見える。
「ユーちゃん!? ユーちゃん傷が!」
「ええ……大丈夫、よ」
「無理するな、見せてみろ。ユー」
手早くユーリはユーを抱き起こすと、壁に背を預けさせながら座らせる。
傷口を確認するためにユーの服をはだけさせ、その際に首筋やら色々ユーの肌色の部分がたくさん拝めるのだが生憎とそれに興奮出来るだけの心の余裕は今の悠奈にはない。
「ユーちゃん! ユーちゃん! 私、私……あうっ!?」
叫ぶ悠奈の額を、ユーが指で弾いた。
額を押さえつけながら悠奈は涙目でユーを見ると、呆れるように半目を作って溜息をつく彼女の姿があった。
「大丈夫だってば。いくら私でもこのくらいは……っていたたた!? ユーリ加減してよ!」
「一歩間違えれば首が飛んでたぞ、気をつけろユー。それに、傷はそこまで深くはないが……」
ユーリはそこで言葉を切って、顎に手を当てながら深刻そうな表情をした。
ユーリがそんな顔をするのが珍しいのもあって、何故かすごく不安がこみ上げてくる。
「ど、どしたの?」
「いや……ユー、身体はなんともないか?」
「え? ええ、大丈夫……だけど」
「そうか……じゃあちょっと立てるかね?」
言われてユーは立ち上がる。少し傷が痛むのか一瞬顔を歪めたが、見る限りでは大丈夫そうだ。
そして、一同の視線は床に倒れる怪物へ。
「ユーリ……こいつは」
「ああ、ユー。だいたい君の考えている通りだと思う。この施設の実験の産物だ。いや、その成れの果て……かな」
ユーリは顔をしかめながら怪物の側に片膝をついてしゃがみ込む。
と、ついさっきまで動いていたのにもかかわらず触り始める。
「ええ!? だ、大丈夫なのユーリ? う、動いたりとかしない?」
突然の行動に、悠奈が恐る恐るユーリの側まで近づいて様子を確認。
この施設の実験ということは、これは紛れもないかつては人だったものということ。
それがあそこまで狂えるなど、とても信じられない。
だがこうして目の前に現実として出会ってしまった以上、その恐ろしさが身にしみて理解できる。
「酷いよ……これが人間のすることなの」
「そうさ、これが人だよ悠奈君。綺麗で平和な楽園の裏では常にこういったことが行われている。エデンだけではない、世界が崩壊する前からそうだった。人は変わらんよ、これまでも、これからも……きっとな」
そういうユーリの顔は、とても悲しそうだった。
人を悲しませるのは人。でも、笑わせられるのも人だ。悠奈は、ずっと後者でいたいと思っていた。だから――
「嫌だな……そういうの」
「む?」
「ねぇユーリ……もし、もし誰かが人を変えようとしたら、人は変わることができるのかな?」
ユーリは背中を向けたまま沈黙する。
愚かな子供の考えだと呆れているのか、或いは気に障ってしまったか。
「誰かがそうしようと思うなら、きっと可能性は0ではないのだろうな。だが、それを成すには並大抵の努力では……いや、それ以上をしたとしても届くとは限らない」
「そう……だよね。でも私は……あ」
ユーリは立ち上がると、そっと悠奈の頭をなでてからすぐ側のドアを指差した。
「とりあえずあの部屋に。な?」
「あ……う、うん」
エデンの情報がリアルタイムで映しだされる大型のモニターを背後に、中央情報室室長――フィナンシェは椅子にもたれて天井を見上げた。
「おや? どうしたんだい? ユーがいなくなったせいで仕事が増えたからお疲れかな?」
少し小馬鹿にするように、隣に立つ青年が言った。
視線をそちらに向けると、いつもどおり何を考えているかわからないニヤけ顔のままノワールがフィナンシェを見下ろしていた。
「君は相変わらず一言多いなぁ……まあそのとーりなんだが。これはあれだ、アンバー呼んであいつにやらそう」
「彼女だとここにあるデータ全部クラッシュさせそうだね」
「そんなこと……あるか。まったく、私の周りにはなんで戦闘馬鹿しか集まらんのだ。もっと頭鍛えろ頭ー」
言いながらフィナンシェは机に倒れこみ、手で積んであった資料を奥の方へと押しやる。
「はは、馬鹿は酷いなぁ。……で、そんな風にしている本当の理由は何かな? 僕でよければ話を聞くけど?」
妙なところで鋭い従者を睨みつけると、フィナンシェは机に突っ伏しそのまま口を開く。
「まーあれだよ。今回ユー達が行ってるあそこ……思い出と言うには少しアレな場所だが色々とな。それに気になることもあるし」
「ああ、まあそうだね。あの時までは僕らもまだまだまともだったんだけどねぇ……」
ひどく無機質な白い通路を、ノワールは歩く。
身にまとった黒色の戦闘服には、自分のものではない血がいくつもこびりつき装備を汚していた。
そんなノワールの手には、ここに至るまでに道を阻む者全てを淘汰してきたナイフと拳銃が握られている。
「まったく、エデンの中でよくこれだけのことをやってのけたものだ。今回はほんとにひどいぞ」
ノワールの背後で、スーツを着た黒髪の女性が吐き捨てるようにつぶやく。
彼女はなんの武装もしていない。それもそうだ、彼女は指揮官。そして、兵隊はノワール。
ノワールが戦場に立つ時点で、フィナンシェが武装をする理由はない。
たとえ世界の誰であろうと、ノワールのそばにいる限り触れることは絶対にできはしないのだから。
「ここの人達は結構気合入ってるね。まあ、ほとんど失敗のようだけど」
「性能的には一般的なクラス3の約1.5倍。表の成果としては十分すぎるほどだよ。まあ、コントロールも碌にできん怪物になってる時点で失敗だが」
だからこそ、こうしてノワールと自分がわざわざ足を運んだのだ。と、フィナンシェはぶつくさ文句を言いながらノワールの後をついてくる。
「最深部まで後どれくらい?」
「ん、もう少しだな。ああ、そうだノワ」
「ん?」
「この任務が終わったら――」
「彼氏にはならないからね?」
「告白なんてするか馬鹿!」
大声でまくし立てるフィナンシェを鼻で笑うと、彼女が怒って半分に破り捨てたこの施設の内部構造が描かれた資料が宙を舞った。
「違うそうじゃない。私達で新しい部署を作らんかと言いたかっただけだ」
「新しい部署?」
ノワールが興味を示したように聞き返すと、フィナンシェが目を輝かせながら肩を並べる。様子から察するに、彼女にしては珍しくかなり乗り気らしい。
「ああ、ちょうど存在する価値もない塵みたいな部署を一つ見つけてな。もちろん裏側のだ。そこを乗っ取る」
「乗っ取るって……まあその手の部署なら潰したって文句は言われなさそうだし僕は止めないけど。ちなみに、部署の名前は?」
「中央情報室」
「へぇ、名前だけならまともそうだけど」
「名前だけな。そこのトップは……なんだったか。ああ、そうそう。エリアR支部から成り上がった汚いおっさんだ。名前はなんと言ったかな……そうそうユーリだ、ユーリ・アーヴェン。前から私を変な目で見るから嫌いだった奴だ。あいつを潰して奴の部署を我々が貰い受ける」
フィナンシェはやると言ったら必ずやってのける。ノワールもいる以上結果は約束されたようなものだ。
そうまでしてフィナンシェが望むのは、彼女自身の目的と関係があるからだろう。
「そうして、私は腐った奴らを根絶やしにしてやる。エデンが肥え太った豚の遊び場になる前に、それを狩り取って管理する」
「はは、大きく出たね。まあ……マザーも最低限の処理はしてくれるけど後は手付かずだしね。そういう人達がいてもいいよね」
「ああ、そのための私とお前だ。まあ、部署なんだし他の人材も集めんといかんが……とにかく私はやるぞ、やるったらやる」
これが済んでも休む暇はなさそうだな、とノワールは肩を落としながらフィナンシェよりも歩く速度を早める。
目の前のドアこそ、この施設の最深部であり研究の全てが詰まった場所。
フィナンシェが勝手に合わせてくれるのもいつものことなので、確認を取らずにノワールは先にドアをくぐる。
と、映画に出てきそうな培養槽に幾つものコンピューターがノワールを出迎えた。
「くそ……貴様何者だ。たかが一人のクラス3にこうも……っち、だがまだデータはある。お、おい奴らを食い止めろ! そのために貴様は存在しているのだからな!」
「…………」
培養槽の影に隠れるように、白衣を着た研究員らしき男がノワールの視線の先に立つ少女に命令する。
こちらの出方をうかがっている辺り、道中出くわした者達とは質が違うようだ。
「あー、フィナンシェ。どうやら成功してたっぽいね、一応」
遅れてやってきたフィナンシェに向かって言うと、彼女は目を細めて少女を見つめた。
「のようだな。だが……」
フィナンシェは顎に手を当て何か逡巡するような仕草をし、僅かに笑うとノワールの横を通り前に出る。
「ちょっと、フィナンシェ……」
「いいさ、大丈夫だ。なあ、君……その小汚い男が命令した時、一瞬やな顔したろ? 私らと戦うのは嫌かい?」
「……」
少女は答えない。
だが、フィナンシェは言葉を続ける。
「まあそうだろうな、こいつはクラス2だがこの通り君らの数万倍は強い。君がどれほどのものかは分からんが、結果は見えている。諦めてはどうかね?」
「フィナンシェ?」
ノワールと同様に、少女が眉を動かし僅かに反応する。
こちらの声はちゃんと届いているようだ。
だが、いつもならこんな問答をするより先に敵を排除してしまう彼女だからこそ、何をしようとしているかわからない。
「わた……しは……」
やっと、少女が重い口を開いた。
その容姿に合っている、凛として綺麗な声音だ。
「ここで……命令に従うことだけが、私の存在する理由だ。それすらも無くなれば、生きていようと死んでいるのと変わらない」
少女の意思を聞けたのがそんなに嬉しいのか、フィナンシェは嬉しそうにくすくすと笑い声を立てる。
もしやと思い、ノワールはナイフを鞘にしまい拳銃をホルスターに収めた。
「はは、なるほどな。だがそんな心身ともに小汚い男の命令に従うのは辛くないかね? もし――その役目が私でもいいというなら、どうするね?」
「な……に?」
フィナンシェの意図を図りかねる少女の顔に困惑の色が見える。
それを見てさらにフィナンシェは機嫌が良くなったのか、ノワールに手を伸ばした。
「ノワ」
「はいはい」
先ほどしまった拳銃をホルスターから抜きフィナンシェに手渡すと、彼女は手慣れた手つきでスライドを引き銃弾を装填する。
「今からそこの男を殺す。君が今のままでありたいなら止めればいい。もしそれ以外を選ぶなら……そこで見ていてくれればいい」
「…………」
少女は答えない。
だがすでに心は決まっているようにも見えた。
「ひぃ!? こんな女の言葉に耳を貸すな! 殺せ! 早く殺せ!」
「いいから黙ってろよ、外道」
ゆっくりと、フィナンシェは歩を進める。
それに、少女は――
「ああぁーなつかしいなー」
「過去のことを思い出して感傷に浸るのは、年食った証拠だねフィナンシェ」
「なにおう!? 私まだ17だぞ!」
机をばんばんと両手で叩きながらフィナンシェは抗議する。
それを見て笑うノワールが憎たらしくなり手元の資料を二、三個投げつけるが、簡単にかわされた上に丁寧に拾い上げられまた机に積まれた。
「まあまあ。そういや、気になることって何かな?」
「あーそれな。あれだあれ、私らが殺したのって結局全体の六割くらいだろう?」
「僕と彼女が、ね。君はほとんどなにもしてないだろう。いやいや、でももう五年だよ? さすがに生きてはいないんじゃないかな?」
フィナンシェは机の表面を指先で叩きながら、真剣な顔を作るとノワールに視線を合わせた。
「分からんぞ、私達だって飲まず食わずでもそこそこ持つんだ。あの妙な細工がされたナノマシンの補助があれば最低限活動できるくらいにはまだ……」
「まさか……どうする? そうなるとあのメンバーで対応できるのはユーリくらいだけど」
「……ノワ、アンバーに連絡を」
「了解。考えすぎなら……いいんだけどね」




