Chapter38「M:I:ダブルバレル」
夜だからなのか、ユーがそういうルートをシグに指示しているのか、屋上から侵入してからというものだれとも鉢合わせない。
向こうとしても、ニコライを捕まえたことを関係者以外に知られたくはないのだろう。末端や興味がない部署の者達は今回の件をそもそも知らないか手を出さないはずなのであらかじめここから退去させた可能性もある。
『その通路の先、三つ部屋を越した先にある黒いドアにニコライがいるみたいだ。他にも数名、気をつけて』
ユーはまるで一緒にいるかのように正確に悠奈達の位置を把握し最適なルートを選択してそれを即座に伝えてくれる。
これだけの処理を一人でやっているのだから、判断力といい情報の処理能力といいユーの力には驚かされる。
裏でのサポートを主として、ユーリ程ではないにしろあれでちゃんと戦闘もこなせるのだから、さすが皆の指揮官といったところだろうか。
「よし、ここだな。お前ら、準備を――」
ユーが言ったドアに到着すると、シグが振り返ってフィオナと悠奈に確認を取る。
その時、運が悪いことに悠奈達に向いたままのシグの背後でドアが開いた。
「む? あなた達は……」
「ちぃ!」
姿を表したのは、全身黒色の戦闘服に身を包み、顔全体を覆うガスマスクをつけた人物。
体格からしておそらくは女性だろうが、格好からしていかにもな戦闘を目的とした部隊の所属であることに間違いはなく、事前にユーが警告してくれた情報を思い出して悠奈は一気に青ざめた。
「くそがっ!」
特に驚いた様子もなく女は慣れた手つきで太もものホルスターから拳銃を抜くと、それを躊躇なくシグの頭部に向け発砲。
既のところでシグは女の手首を掴むと上に押し上げなんとか銃口をずらすが、それで隙ができたわけでもなく逆にシグは腹に思い切り蹴りを食らって後方に吹き飛び、間髪入れず再び照準を合わせた女の拳銃が銃弾を吐き出す。
「お、意外とやりますね。なるほど……」
「なるほどじゃねぇっつうの、クソ!」
シグは銃弾をかわしながら移動し、悠奈の手を取ると数メートル来た道を戻る。
と、部屋のドアを開けそこに悠奈を放り込み、自分もドアを開けたままそれを盾にし通路の先にいる女を警戒する。
まだシグは銃すら抜けていないのに、一気に劣勢になってしまった。
「シグさんシグさん」
「あ? なんだよ」
「あの人たぶんけっこー強いです。アレです、アレアレ」
フィオナが何かを伝えようと、人差し指をピンと立てる。
どうも彼女はシグほど焦っているわけでもなく、いつもどおりのペースのままのようだ。
「わかってるよ、あいつたぶんアルカナだな。ずっとガスマスク付けてて素顔見せねぇってのは本当か」
「さて、じゃあ行きますね」
「は? え、あ! おい!」
急にフィオナは立ち上がると、持っていたライフルについていたスリングを肩に回して背負い、懐から拳銃を取り出した。どうやら新調したらしい。
「そういう役回りだったと思いますけど」
「いやいや、この状況だぞ無理すんな」
しれっと言い放つフィオナにシグは呆れるが、当の本人は至って真面目なようで本当に一人で戦う気なようだ。
「とりあえずあそこにいられると面倒なので、ドアより後ろに下がらせます。その隙にシグさん達は中に入ってちゃちゃっと目標を回収しちゃってください。あ、それと私は別ルートで逃げるのでどうぞお二人で仲良くお逃げくださいね」
言って、フィオナは制服のポケットから棒状のものを取り出す。一見するとコンサートなどで使うケミカルライトのようだが、まさかこんなところでそんなものを取り出すわけがないだろう。
それをフィオナはケミカルライトそのままの使用法通りに真ん中から折ると、底部にあるスイッチを押してからアルカナの方へと投げてしまった。
「なにあれ?」
「悠奈さん悠奈さん、伏せて伏せて」
しかし説明される間もなく、フィオナに肩を掴まれると無理やり床に押し付けられる。
そうして視界が床の白色に覆い尽くされたところで、突然何かが爆発したような音が響き衝撃波がびりびりと悠奈の肌に伝わってくる。
先ほどのケミカルライト風のものは爆弾か何かだったのだろうか。
「さあ移動です、ごーごー」
肩を叩かれ悠奈は立ち上がる。
もうもうと煙が立ち込め、爆発の悲惨をさ物語っていた。あんな小さな棒状の物体がこれだけの威力の爆発を起こすのだから、今の科学力はすごい。
しかしそれに感心している暇はもうないのだ。アルカナが体制を立て直す前に悠奈たちだけでもニコライがいる部屋に乗り込まなければいけない。
フィオナは一足先に部屋から出ると、片膝をつき背負っていたライフルを構えてそのまま銅像にでもなったかのように微動だにしない。
視線は煙の向こうで揺らめく人影に向けられ、そっとライフルのトリガーに人差し指を添えた。
「今なら行けます。ご武運を」
一枚絵のように全く動かないフィオナは、口だけを動かして悠奈に行けと伝える。
煙が晴れればアルカナも簡単には進ませてくれないだろう。チャンスは今しかない。
悠奈はシグと目を合わせて互いに確認しあうと、フィオナの横を通り目標の部屋へと一気に駆け抜けた。
アルカナは晴れつつある煙の中で揺れ動く二つの影を視界に捉えた。
だが特に何もせずそれを見送り、手に握った大型の拳銃――デザートイーグルの弾倉を交換する。
元々対人用として用意されている代物でもないし、七発という少ない装弾数のこの拳銃で後に控える敵のスナイパーと思わしき者との戦いが待っている中、無駄な弾は使いたくはない。
それにアルカナが追わずとも、あの部屋にはまだ人がいる。ならば厄介な敵を抑えるほうを優先すべきだろう。
「あれはSR-25……なら弾は7.62mm。あれはさすがに防弾衣の上からでも痛いですね」
ガスマスクの越しにくぐもった声で呟きつつ、手慣れた手つきでアルカナはデザートイーグルの弾倉を入れ替える。
まだ弾の残っている弾倉はアルカナの着るベストに設置されたマガジンポーチの中に差し込み、デザートイーグルのスライドを少しだけ引いて弾が薬室に入っていることを確認。
立ち込める煙が晴れる前にアルカナは少し後ろの十字路まで下がると、曲がり角に身を隠して顔だけを通路側に出して様子をうかがう。
煙が晴れると、アルカナの予想通りドアを盾にしながら半身だけだして銃をこちらに向けた黒髪の少女が見えた。
迂闊に出ていたら、ライフル弾を全身に浴びせられていただろう。
しかし、少女が持つSR-25は連射がきくがこんな至近距離での戦いには向かないライフルだ。しかも近距離戦を想定したオプションパーツもつけていないので、接近さえしてしまえば容易に制圧できる。
いや、そもそも50AE弾という人体には強力すぎる破壊力を持った弾丸を放つデザートイーグルなら、あの鋼鉄のドアごと少女を撃ちぬくことだって可能だ。
ただ、あの少女が簡単にそうさせてくれるとは到底思えなかった。
だからアルカナはデザートイーグルを両手で保持すると、少女を警戒しながらも一度顔を引いて息を整える。
「当たる? いえ……そう簡単にはいかないでしょうね」
身のこなしといい装備といい、あの少女はおそらく裏側の部隊。
目的は分からないが、先ほど連れてこられた要人に用があることは行動を見れば分かる。アルカナは先日まで壁の外での任務にあたっていたので、生憎と現在エデンで何が起こっているのかわからずいまいち状況はつかめない。
だが、管理局の表と裏で争うほどの大事が起きていることは他の部隊の者から伝え聞いていた。それに関連する事柄なのだろうか。
「あなた方が何を望むかはわかりません。ですが、私も一介の兵士。ここを任されているわけではありませんが、あなた方が『侵入者』である以上は相応の対応を取らせていただきます」
「まーしょうがないですね。お互い難儀な身なようで」
やる気の感じられない返事に、アルカナはくすりと笑うとデザートイーグルのトリガーに人差し指を添えた。
それに応じるように、少女がSR-25を発砲。
銃口から放たれた7.62mm弾はアルカナの顔のすぐ横の壁を砕き、なおも勢いは止まらずに進むと反対側の壁に小さな穴を開け突き刺さる。
あれはわざと外したものだ。裏側の組織の者ならその実力は並以上。下手に出ればいくらアルカナとて無事ではすまないだろう。
幸い、向こうも本気でやりあう気はないようだが下手に攻めれば手痛い反撃にあうのは目に見えている。
アルカナは撃ち返すこと無く腰のポーチ入っているスモークグレネードを手に取ると、ピンを外して少女の方へと放り投げる。
空中でレバーが吹き飛び、金属の筒が床にごとんと落ちると小さな破裂音を出してグレネードは白色の煙を吐き出しながら転がっていく。
それに合わせ、アルカナデザートイーグルを握り煙の中に突っ込んだ。
だが、敵の反応にアルカナは舌打ちする。
「っく!」
「それは通じません」
煙の壁を突き破り、油断した少女の目の前まで接近してから大口径弾を使用するデザートイーグルで必殺の一撃を叩きこむ作戦。だったのだが予想よりも遥かに少女の感覚が鋭く、アルカナが煙の中を進んでいる間に向こうは照準をつけていた。
それに気づいたアルカナは片手をデザートイーグルのグリップから離し左腕を顔の前に回して頭部を防御しながらも、デザートイーグルのトリガーを引く。
サプレッサーを介したSR-25の控えめな発砲音とは裏腹に、激しいマズルフラッシュと砲撃のような鼓膜を揺さぶる轟音を轟かせデザートイーグルは何度もスライドを前後させながら猛獣すら打ち倒す50AE弾を吐き出す。
すれ違う一瞬の間に、少女は弾倉の半分、アルカナは装填された全ての弾薬を使い果たした。
デザートイーグルの50AE弾は少女の顔を掠めてドアと床を砕き、SR-25の7.62mm弾はアルカナの脇を通り戦闘服の一部を破りながら窓を割って外へと飛び出した。
「さすが、外の連中とは勝手が違いますね。頭が回るだけでこれほど厄介とは」
スライドが後退し弾切れになったデザートイーグルを素早くホルスターにしまうと、アルカナは体を捻って回し蹴りを放つ。
「……あ」
黒髪の少女も対応しようとして拳銃を抜いていたが、流石にこれはアルカナの方が早かった。
少女の手首に当たった蹴りは彼女の手の平から拳銃を吹き飛ばし、銃は先ほどの爆弾によって空いた壁の穴から外に落ちていく。
「あ……あぁ……買い換えてまだ一週間も経ってないのに」
突然体を震わせ涙目になる少女にアルカナは困惑する。
対して少女はアルカナを他所に四つん這いになって、拳銃が落ちた穴の方へずるずると這って行く。
「え、ええとその……ごめんな、さい?」
「……っく! そうです、そうですか。そんなに……」
しかし急に少女は立ち上がると、SR-25を構え直しアルカナの方へと向き直る。
理由は分からないが怒らせてしまったようだ。
アルカナと少女との距離は数メートルほど。だというのに少女は遠距離向けのスコープがついたライフルを構える。
自棄になったわけでもないだろうが、この距離なら下手に銃を使うよりも素手の方が強いし早い。強化人間ならなおさらだ。
距離をとられると厄介なので、アルカナは踏み込んで拳を繰り出すが少女は身を引くと背中から床に倒れこむようにしてライフルを撃つ。
やはり弾はアルカナの横を通り過ぎ直撃弾が一切ない。それを利用してアルカナは足を上げて追撃に移るが、少女はすぐに立ち上がると数発牽制するように銃を撃ち先の通路まで走って行ってしまった。
「ッ!?」
しかもその発砲はアルカナの気を逸らせるためで、少女は先ほどの爆弾を置き土産に床に残していた。
再び響き渡る轟音。このままでは三十階建ての建物が二十九階建てになってしまう。それは避けたい。
アルカナは所々破損した戦闘服についた埃を払い、少女の後を追う。
が、そう遠くない位置で待ち構えていてくれたので、探すほどの手間はかからなかった。
長い直線の通路、その最奥に少女は陣取っている。
アルカナの武器は、弾切れのデザートイーグルに自分の体。それに対して少女はライフルだ。
通路の途中には銃弾を回避するための遮蔽物も部屋のドアもない。だが少女の横には確か食堂へと通じるドアがあったはずだ。これはさすがにこちらの分が悪い。
「時間稼ぎもいいですが、あまりあの爆弾は使わないでくれると助かるのですが……私達は無事でも建物が持ちませんから」
「それはこっちの知ったことではないので」
しれっと言い放つ少女。
アルカナは肩を落としながら側の壁を殴りつけ粉砕すると、粉々になった壁の破片を掴み取る。と、それを思い切り少女に向け投げつけた。
普通の人間なら少し危ない程度だろうが、クラス3の力で投げつけられたコンクリートの破片はそれ自体が弾丸のような勢いで真っ直ぐ鋭い弾道を描きながら少女へと迫る。
しかし、突然の攻撃にも動じず少女は冷静に破片を撃ちぬき、次弾は撃たせまいと連射してアルカナの動きを封じた。
本気の戦いならばクラス3の耐久力に物を言わせ突っ込むのも選択肢としてはあるのだが、そうでもないこの状況で余計な怪我は避けたい。この後にも任務があるアルカナならばなおさらだ。
膠着状態が続くと思われたが、アルカナが攻めてこないと見ると少女はあっさりとこの優位な状況を捨て食堂へと入っていってしまった。
「誘っている? さて、どうしましょうか……」
とはいえ放置するわけにも行かないので、アルカナはここで引くわけにはいかない。
装備の補充前に出会ってしまったことも含め今日はなかなかついていないらしい。元々アルカナは運がいい方ではないが、ここまでなのは久しぶりだ。
トラップがないか確かめながら歩を進め、アルカナはそっと食堂へのドアを開ける。
流石にこの短時間でワイヤートラップを仕掛ける事はできないだろうが、ドアノブにグレネードでも仕込まれていたら怪我をしてしまうので慎重に行きたい。
強化人間は多少人より頑丈なせいで戦闘で突っ込みがちな者が多いが、弾を喰らえば怪我をするし爆弾をまともに食らえば大怪我か最悪死ぬ。
性能を活かした大胆さも必要だが、それゆえに慎重さも兼ね備えなければ強化人間とて戦場で生き残ることはできない。
それが対強化人間戦ではなおのことだ。向こうも自分と同じ性能なら、ただ闇雲に突っ込んで力任せに解決することはよほど運が無い限り成功しない。
しかも裏の連中は、ELFや強化人間といった対人戦を専門とする者達。アルカナの最強という肩書も所詮は表側での話だ。この最強が裏にどこまで通用するか分かったものではない。
「あの子は……」
嫌な音はせず、管理局製のドアは軋む音一つ立てずにゆっくりと開くと、静まり返った食堂が視界に飛び込んでくる。
少し暗めの照明に、綺麗に白いクロスが引かれたテーブルが立ち並ぶ広い空間。
一見レストランにも見える内装だが、これも管理局の施設ならではといったところだろうか。戦闘服等の汚れた服では本来で入り禁止になっているので、アルカナは付き合い以外でここを利用したことはあまりない。
久しぶりに入るからと懐かしさに浸っているわけにもいかず、アルカナはそっと後手でドアを閉めると中に入って室内を軽く見回した。
テーブルに引かれたクロスが影になり、ちょうど人が隠れられるようになっているので割りと探しづらい。
奥には厨房もあり、そっちに逃げた可能性もあるがもし当てが外れればせまい厨房内で背後を取られることになるので安易にあちらに行くのは自殺行為だ。
フローリングの床にこつこつとブーツの音だけが響き、まるで自分以外誰も居ないような錯覚を覚える。
そうした油断が一瞬で自分の命を散らす要因となるので、気を張り巡らせて隙を見せないように徹する。
すると、がしゃんと背後で音がした。
「後ろ――いえ、そっちですか!」
「っく、反応はや……」
あれだけしたたかな少女がここで音を立てるようなミスをするとは思えない。
その予想通り音のした方には放り投げられたSR-25の弾倉だけがあり、少し離れた位置でライフルをテーブルに乗せこちらを狙う少女の姿があった。
反応はアルカナのほうが早かったので、少女が照準を付ける前に傍にあった花瓶を彼女に投げつける。
「この!」
少女はそれを手で振り払おうとするが、力が入りすぎたのか花瓶が割れて中の水を思い切り被ってしまう。
一瞬だが、これ以上にない隙ができたのをアルカナは見逃さない。
床を蹴って一気に接近し――そこで突然アルカナは進行方向を変え横に飛んだ。
何か、嫌な予感がしたのだ。
「あ……」
アルカナは多くの経験を積む内に、なんとなくだから戦場で突然振りかかる危機を察知できる勘が研ぎ澄まされていた。
今回も、どうやらそれが自分を救ってくれたらしい。
今までアルカナが走っていた道に沿うように弾丸が走りぬけ、壁に穴を穿つ。あのまま進んでいたら、あの弾丸はアルカナの胴を確実に撃ちぬいていただろう。
「スナイパー!? もう一人……」
振り返って弾丸がどこから飛んできたかを確認する。
弾丸はこのビルからかなり離れた、おそらくは別のビルから放たれた。外側の壁は一面ガラス張りになっていて展望スペースも兼ねるこの食堂の構造が仇になったようだ。
当然だが、スナイパーの姿は見えない。夜ということもあり、ここから見つけるのは至難の業だ。しかも、向こうからは明かりが点ったこの部屋にいるアルカナはよく見えているだろう。圧倒的に不利な状況。
「……」
「ん、ナイスサポート……です。やや不満ではありますが」
二つの銃口から狙われている以上、下手に動くことはできない。
それに万一拘束できたとしても、ELFのように捕まえたままで済ませられる者達ではないのだ。
ここでこれ以上のリスクを払ったところで、それに見合った対価を得られはしない。それに、ここまでやればこの支部への義理も果たせたことだろう。
「ふう、さすがというべきですか……分かりました、降参です。……それで、あなたはこれからどうするつもりですか?」
アルカナの問いに、少女は首を傾げながら何やら考え事を始める。
しかし考えあぐねたのかとうとう少女は誰かに通信を入れ、数度会話を交わすと突然窓の方へと歩き出した。
少女は途中で立ち止まりアルカナの方を見ると、軽く片腕を上げる。挨拶のつもりなのだろうか。
「お役目ご苦労様です。こちらも目的は果たせましたので。それでは」
拳銃弾でも割れないガラスなのだが、それを少女は簡単に蹴り割る。開いた穴から風が吹き込み、少女の黒い髪を揺らした。
「あの……できればこれ以上壊さないでいただけると嬉しいのですが」
「善処します。ではまた……いえ、もう会わないことを祈っています」
言って、少女は柱にロープを括りつけると躊躇なく穴から身を投げだした。
アルカナが最後に見たのは、夜闇にはためく漆黒の髪と煌めく蒼海の瞳。
こうして、不思議な少女との出会いは幕を閉じた。残ったのは、風通しの良くなったこの建物くらいなもの。
そして誰もいなくなった食堂で、アルカナは夜風が吹き込む席に座り夜のエデンを眺める。
はるか遠くに見えるのは、中央管理局本局のタワー。
異様な存在感を放つそれは、何度ここへ帰ってきても変わらずに妖しく光り続ける。
しかしアルカナには、あれがエデンにとっての希望の光などとは到底思えなかった。
フィオナのサポートを受け、転がり込むようにシグと悠奈はニコライのいる部屋に入る。
念のためシグはドアに鍵をかけると、太もものホルスターからマカロフ拳銃を抜いて周囲を警戒する。
部屋には物が乱雑に置かれ、物置として使われていることが見て取れる。後ろにもスペースが有るようなので、ニコライはそちらの方だろうか。
「悠奈、大丈夫か?」
「わっとと、ちょ、ちょっと向こう向いてて」
シグが顔を横に向けると、ちょうどドレスの肩紐のあたりを掴んで着崩れを直していた悠奈が手をぶんぶんと振ふって見るなと訴える。
そういえばきつめのサイズでドレスを渡していた。あれでは動きにくいだろうし、無理に動こうとすればしまっているものがはみ出るかもしれない。
シグは体を反転させ悠奈に背を向けると、気まずそうに視線を泳がせながら頬を掻く。
「あー……なんかすまんな。ここまでしなくてもお前の容姿ならニコライの注意を惹けるとは思ってたんだが……」
「念のため、でしょ。いいよ、大丈夫」
整え終わったのか悠奈がシグの肩を数度叩く。
一応シグは視線だけ後ろに向けて悠奈の状態を確かめてから振り返ると、互いにアイコンタクトを取って前へと進んだ。
空のダンボールやよくわからない書類の山を抜けると、一角だけ物が退けられ広げられたスペースに出る。
そこに、椅子に縛られ口にテープを何枚もはられたニコライがいた。
「おーおー、ご愁傷様」
「んー!?」
声が出せずに体を捩りながら必死に何かを訴えるが、シグはそれを気にもとめずいきなりニコライの頭を叩く。
「うっせぇよ、半分くらい自業自得だろお前は。いいからじっとしてろ、縄解けねぇだろうが」
屈んでニコライの手に食い込んだ紐と格闘するシグ。
その横で悠奈は何か気になるのかきょろきょろと首を動かしていた。
「んだよ? どうした」
「ここ、他に誰かいない?」
「あ?」
「なんか足音……」
ここに来るまでにこの部屋内部に誰も居ないことはシグが確認済みだ。鍵もかけたし、誰かが入ってきたということもないだろう。
そうやって思い込みをしてしまうから、聞こえないものまで聞こえてくるようになるのだ。
「気のせいだって。心配すんな、俺が見落とすなんざ――」
「シグ君!」
その時、悠奈は突然走りだすとシグを突き飛ばした。
「ってぇ、なにする――」
床に背中から叩きつけられ咳き込むシグの視界に、吹き飛ぶ悠奈の姿が映った。
誰も居ないのに、何かに殴られたかのように倒れる悠奈。シグは一瞬呆けるが、すぐに手に握ったマカロフを先ほどまで悠奈が立っていた空間に向け連射する。
「っく!?」
何発かの手応えの後、女の声がして空間がゆらぎ画面のドットが欠けたように黒い点が浮き出す。
「これはもう駄目か……っち」
ぱっと何もない空間に少女の顔が浮かんだと思うと、その子は舌打ちして着ていたコート状のものを脱ぎ捨てる。
すると、完全に少女の体が露わになった。きっとあのコートはシグの銃撃で機能が破損したのだろう。
あれは布の表面に隙間なく配置されたナノマシンが周囲の景色を映像化し投影することで他者から全く見えなくなるという光学迷彩布だ。
「あぁ!? なんでそれが表の部隊に……クソが、最強さんは特別待遇ってことかよ!」
シグは立ち上がろうとするが、少女が先に投げナイフを投げつけてきたので横に転げながら回避。
体勢を立て直してもう一度立とうとするが、片膝を立てたところで少女が戦闘用のファイティングナイフを抜いて接近してくる。
「うお!? くそ!」
マカロフでナイフの刃を受け止めるが、見事にフレームの端から端まで貫通し少女の一撃でシグの銃は鉄塊と化した。
しかし好機だと、シグはナイフが繋がったままのマカロフを強引に引っ張ると少女の手からナイフの柄がするりと抜ける。
が、それを見越していたのか少女は腰に手を回して二挺の拳銃を引き抜くと、ろくに狙いをつけずに連射。
正確にシグの方へ飛んでくる弾丸を床を蹴ってかわしながら、壊れたマカロフを少女に投げつける。
「くっそ、強いなあれ。悠奈、大丈夫か?」
「ん……平気」
「悪いな、助かった」
シグの足元に転がる悠奈は、頭をさすりながらゆっくりと立ち上がる。見る限りでは異常はなさそうだ。
それを見て、敵の少女が目を見開いて驚いていた。
「嘘……本気で蹴ったのに」
先ほど構えずにあれだけ正確な射撃をしてきたところといい、年齢的に見ても彼女はおそらくクラス3。
個人差はあるが本気で蹴ったなら装甲車だってひっくり返せるだけの衝撃があったはずだが、とシグは悠奈の頑丈さに思わず笑ってしまう。
「どしたの?」
「いやなんでもない。はは、面白いやつだなお前」
「え?」
突然なんだと呆れ顔でシグを見てくる悠奈の頬をつねる。指先にほんのり温かい餅のような感触が伝わってきた。ついずっと弄りたくなるほど柔らかい。
「……痛いよ」
「ははっ」
半目で見据える悠奈を笑いつつ、シグは視線を少女に戻す。
黒い戦闘服を身にまとった銀髪の少女。腕にはアルカナ達、第13補給支援中隊第5小隊の部隊章。
見る限りでは、武装は今手に持っている二挺の45口径拳銃のみ。悠奈の耐久力に警戒しているのか、首に巻き顔の下半分まで覆い隠した白いアフガンストールを直しながら少女はじっとコチラの様子をうかがっている。
だがシグは銃を失い、あとは数個潜入用のツールがあるだけ。
これで肉体的にこちらが優位なら助かったのだが、強化人間への適性は基本的に女性の方が高いため小柄な女性とて油断はできない。同じクラスなら基本的に女が強いと思ったほうがいいと教官が教えるくらいなのだ。
「あーくそ、トチったな。会長ここまで呼んどけばよかったか……」
逃走時の保険としてシグも知り合いを一人呼んでいたのだが、『彼女』にはあらかじめ逃走ルートの途中で待機していてくれと頼んでおいてあるので、ここにはこない。少しの間だけ連絡を入れるために目の前の少女が待っていてくれれば助かるのだが、さすがにそれはないだろう。
倒す必要はないが、ニコライが少女の方にあって対峙するようなこの状況ではどうにかしてあの少女を何とかするしか方法がない。
悔しいがシグだけでどうにかするには苦しい相手だ。悠奈にも力になってもらうしかない。
と、シグが悠奈の方へ視線を向ける。すると、
「てぇりゃああああ!」
「え?」
「な!?」
悠奈が近くにあったダンボール箱を思い切り少女に投げつけていた。
シグですら予想しなかった行動に少女は驚き、一旦銃を構えていた腕を解き横に飛んで箱を回避する。
中身を撒き散らしながら、箱は少女の横を通りすぎ窓ガラスを叩き割るとそのまま外に落ちていく。
中に入っていたのは、どうやら加工前のナノマテリアルのようだ。あれでも100キロ以上はあるはずのものを軽々と放り投げられる悠奈には驚かされる。本人がそのことに気づいているかどうかは別として。
だがこれはチャンスだ。少女はニコライから離れている。今なんとかして少女の隙を作れば、ニコライを手中に収めることができるだろう。そうすれば後はどうにでもなる。逃げるだけならシグの方に分があるはずだ。
「ちょっと、あなた――ひゃ!?」
「こぉんのおおお!」
間髪入れず、悠奈は少女の腰めがけてタックルを食らわせる。
床から足が離れた少女は、そのまま倒れこむ。
「ちょ、離し――力強……ちょっと……この」
「シグ君! 今だよ! っていたた!?」
二人揉み合う中、悠奈が叫ぶ。
悠奈の行動の速さに呆気にとられているのはここで終わり。シグも負けじと立ち上がりニコライへと詰め寄る。
「むー!?」
「うっせぇ黙ってろ!」
暴れだすニコライに平手を食らわせ、後手に縛られていた手首に絡まった紐を見る。
「っち、手で外せんなこれは」
かなり抵抗されているようだし、悠奈もそうは持たない。シグは太ももから折りたたみ式の小型ナイフを取り出すと、刃を展開しニコライを縛る紐を断ち切る。が、口に貼られたテープは剥がすとうるさそうなのでそのままにしておいた。
「よしおっさん、今から落とすが骨の一本二本折れても文句言うなよ」
「むー! むー!?」
ニコライは口に貼られたテープ越しにくぐもった声で何かを訴えるが、シグはそれを無視して彼を無理やり立たせると悠奈が割った窓の穴の方へと向かせ――背中を蹴って外へと突き落とした。
ニコライのくぐもった断末魔のような叫び声が聞こえたが、まあ大丈夫だろう。
後はシグと悠奈が離脱すればそれで終わりだ。
「悠奈!」
「あいよ!」
知り合ったのはつい最近のはずなのに、まるで長年の友のように呼吸を合わせてくれる彼女に笑みを浮かべつつシグは彼女へと手を差し伸ばす。
それを悠奈がそっと受け取ると、窓を背にシグは彼女を抱き寄せた。
「ひゃ!?」
「っはは!」
驚く悠奈の顔を見て笑うと、シグは指で銃の形を作りそれを床に倒れる少女へと向ける。
顔だけ起き上がらせて少女がこちらを見るが、もう遅い。
闇夜をバックに、ドレスをはためかせる二人の美女は互いに見つめ合い、最後に笑って――
「悪いが、俺達の勝ちだ。あばよ!」
とん、とシグが床を蹴る。
悠奈を抱えたままシグの体は後ろから外へと投げ出され、こうして二人のエージェントの任務は達せられた。
パソコンと制御を奪ったドローンを使い、ビルの中での一部始終を監視していたものはそっと息を吐くと通信用に耳につけていたインカムを外す。
「はぁ……お疲れさま。って、まだ終わったわけじゃないけどね」
ニコライはまだ安全地帯に逃げたわけではない。彼を連れているのは、シグと悠奈の二人。
その気になれば信号やゲートを操作して援護もできるが、事前に悠奈から重大な事故に繋がるような助けはするなと言われているため、ユーはもうあの二人に後のことを委ねるほかない。
シグはシグで秘策があるらししい、問題はそう無いだろう。最悪ニコライが死んでも、悠奈さえ生きていてくれればこちらはどうでもいいのだ。
「ユーリと……フィオナだったっけな。それにシグと悠奈ちゃんも……」
モニター越しでしか無いが、どちらもなかなか初めてにしては良い連携を取れていたと思う。
似た性質を持つ物同士だからこそなのだろうか、それとも経験がなせる技なのか。どちらにせよ皆はどこへ行ってもやっていけそうで羨ましい。
「なんて……ね」
周囲に誰もいない自分を嘲笑するように、ユーは息を吐いた。
その瞳は、いつも以上にどこか悲しげに揺れている。
「私の、居場所……」
ユーの呟きは、支部からで轟音を張り上げ出てきたストライカー装甲車の駆動音にかき消された。




