Chapter36「M:I:ダックハント」
「ちょっと――まてぇぇぇぇ!」
「ひぃぃぃ!?」
人混みをかき分けながら、悠奈とニコライは人の波に逆らうように進み続けた。
VIPルームを抜け、長い廊下を通って最初にいた大広間へとやってきたが、ここでも逃げ遅れた人が右往左往しているのでなかなか距離を詰められない。
近くで銃声も聞こえるし、警棒しか持っていない悠奈ではELFが来ればまともに反撃も出来ない。なんとかELFと接触する前にニコライを確保したいが、あの肥え太った図体の割に逃げ足がすばやくなかなか追いつけずにいた。
「ちょっと……どいて、どいてってば!」
半ば突き飛ばすように正面からぶつかってくる客達を押しのけ少しずつニコライとの距離を縮めてはいるが、ニコライは体格のせいでただ進むだけで周りの人間を跳ね飛ばし、転んだ客が悠奈の行く手を阻む。
それを飛び越えながら悠奈はなんとか人の海を突破するが、一足先にそれを抜けていたニコライは階段を登り二階の方へと去ってしまった。
「ああもう馬鹿、そっちに逃げてどーすんの」
悪態をつきながら歩きにくいヒールを脱ぎ捨て放り投げると、裸足で階段を登りニコライを見失うまいと走る速度を早める。
ニコライは二階の一室に逃げ込んだようだが、幸い悠奈はその背中を見逃しはしなかったのですぐにドアの側まで行きドアノブを回した。
が、当然のように鍵が閉められていてドアノブはぴくりとも動かない。
すると、悠奈は――
さすがは豪邸の一室といったところか、外の喧騒はまるでこの部屋には響いてこない。
本来ここにいるべき者は既に死んだかまだ会場内にいるのか、どちらにせよ今この部屋には自分しかいない。
ニコライは恐怖していた。
突然攻め入ってきた、おそらくはELFの者に。そして、どこの所属かは分からないが執拗に追ってくるあの少女に。
今もあの少女はあのドアの向こうにいるのだろう、先程からずっとドアを蹴られている。
そんな中で、ニコライは部屋の片隅、ベッドの影に隠れるように身を縮こまらせていた。
「ひぃ!? や、やめろくるな!」
無駄だと分かっていても叫び懇願するようにニコライは声を上げる。だが、返ってきた返事に慈悲はない。
「ふざけんな! さっさとここ開けなさいよ! この! この!」
最初に話しかけてきた時は親の七光りがあるだけの頭の緩そうな子だとばかり思っていたためについ饒舌になってしまったが、それをこんな短時間で後悔する羽目になるとは思わなかった。
あの年頃の小綺麗な少年少女を使うのはELFのようなテロリストではなく管理局だ。
追われる身になるような何かをしてしまったかとニコライはしばらく使ってなかった部分まで総動員して考えを巡らせるが、思いつかない。
ELFから保護してくれるというならこんな手荒な真似はしないはずだ。
と、そこでニコライはふとあることを思い出した。
「む? そういやあの娘、ラトリアに……まさか」
数十年前、後に管理局の頭脳とまで呼ばれるマザーの開発に携わっていた頃だ。
あれが完成した後も当時の開発チームは新世代のナノマシン、現在のエデン市民達に使用される第二世代型の開発をある者とともに行っていた。
それが、エデンの神と称されるラトリア・コルネリウス。人類で唯一、第一世代のナノマシンに適合した人間。
ナノマシンの力で人の領域を超越した彼女の力を使い何かできないかと考えぬいた末に、ニコライがいた開発チームのリーダーは膨大な情報を彼女を介して処理する機械、マザーを考案した。だから、ラトリア無くしてマザーは機能しない。いや、そもそもあれ自体もマザーの一部と言っていい、もはやあれは人ではなく機械も同然だ。
そして開発チームは新型ナノマシンだけでなく、更なる欲を出しついにはラトリアを複製するという愚かしい計画を立てた。その案を出したのも、開発チームのリーダー。
結果的にそれはラトリアの力を以ってしてもさすがに現実的なレベルまでもっていくことができず、また当のラトリアも乗り気でなかったのも合わせて計画は難航。さらにリーダーが突然事故死を遂げ、結局計画はペーパープランに留まりそれを皮切りに開発チームは解散。
したと思われたが、同僚の一人――東條明が卓上の空論だったあの計画を引き継ぎ、ラトリアの協力も得て自分の手を加えた全く新しいものとして実現させた。
計画の名は、元々のものをそのまま使っていたはずだ。確か――CODE:Ultimate。
「だ、だがなぜ私を……」
明は開発チームの中でも他の者とは決定的に違うものがあった。それは、ラトリアに好かれていたことだ。
あの当時はまだラトリアも普通の人間より優れているだけの12歳の少女。そんな彼女の世話をしていたのが、あの明だった。
まだ年端もいかない少女だったラトリアはそんな明によく懐き、慕っていた。それはきっと、今も変わらないだろう。
だから、明はエデンを支配するラトリアに命令でき、またラトリアもそれに従うはずだ。
明だけが、このエデンの中で唯一神の支配の外側にいられる人間。
「リストを流したのはお前なのか明……お前が」
初期から開発チームに関わっていた者達は、ラトリアに第一世代のナノマシンを入れる実験をやっていた。
それをニコライ達を含め新たに増員してマザーの開発に当てたわけだから、あのリストに載っている者たちさえ死ねばもうエデンでラトリアやマザーの正体について知る者はいないはず。
なぜ今更なのか、或いは今そうする必要があるのか。
とにかく明ならラトリアに殺されずにすむし、もしかすればそもそも抹殺自体を明がラトリアに頼んだ可能性だってある。
そもそも開発チームのリストは管理局でも相当上の連中しか知り得ないものなのだ。だがそれを知るラトリア達が関わっているならその点でも説明がつく。
流出したと言って管理局やELFに情報を流せば、ELFは間違いなく食いつくだろうし管理局も特に表側の連中が反応することに間違いはない。
現にこうしてELFはエデンを騒ぎたて、もう開発チームの内何人かは死亡が確認されている。
わざわざこんな回りくどい手を使う理由までは分からないが、ラトリアはそうそうマザーのそばを離れられないし明に暗殺の技術がない以上こうした手を取ることにも頷けはする。
ニコライもなるべくELFらには警戒はしていたが、逆にそれが仇となり明の私兵として使われているのか彼の計画によって生み出された者と思わしき少女を送り込まれる始末だ。
「お前は……っく、今も見ているのかラトリア! 私を嘲笑っているのか! くそ! 明の人形に成り下がった出来損ないが!」
今もあの漆黒の空間から、カメラを介してラトリアはニコライを見ているのだろうか。もしかしたら、ナノマシンからニコライの感情さえも。
「ふざけるな! お前を神にしてやったのは明だけのおかげじゃない! バケモノが――うぉ!?」
そこで部屋に、衝撃に耐えられなくなり破壊されたドアの音が響いた。
「こぉんの……ぶつくさ言ってないで、開けろぉぉぉ!」
急に大人しくなって何かをつぶやき始めたと思ったら今度は叫びだし奇行に走るニコライに嫌気が差し、悠奈は思い切り力を込めて警棒をドアに振りかざす。
木製のドアは悠奈の一撃で亀裂が入る。それを見ると、悠奈は警棒で同じ場所を何度も叩いた。
一部分だけぼろぼろになったドアにはとうとう小さな穴が開き部屋の中が僅かに見えるようになると、悠奈はその部分を殴りつけ穴を広げる。
腕が入る辺りまで広がったところで今度は穴周辺の薄くなった木を引き剥がすと、そこから顔を突っ込ませて部屋の中を見渡す。
「ニコライぃぃ!」
「ひぃぃぃ!?」
ベッドの隅で怯えるニコライを確認すると、穴から腕を回してロックを解除しドアを開ける。
そして悠奈が一歩を踏み出した――その時だった。
「んぇ?」
「ひっ……ひ?」
窓ガラスが割れると、外から金属質の硬い何かが投げ込まれごとんと数個床に落ちる。
スプレー缶のような円筒形の黒い物体は床を転がり、悠奈の目の前でそれは音を立てて炸裂した。
シグはユーの指示に従い、階段を登る。
もうほとんどの人間は会場を抜けているのか、辺りに人は見られない。ELFの連中すらいないのが気になるが、今は悠奈の方が心配だ。
「ほんとうにこっちで良いんだな?」
『そう、二階に上がって左三番目のドア』
ユーに確認を取ると、シグは一気に階段を駆け上り二階へ上がる。
と、ユーに聞かなくても視界に明らかに不自然なほど壊れたドアが一つあったので、探すほどの手間もなかった。
だが、そのドアへ近づいた瞬間火薬が破裂したような音と一瞬の閃光がドアの隙間から漏れた。
「スタングレネード? ユー、そんなの悠奈に持たせたのか?」
『いやいや、そんな危ないの持たせるわけないでしょ』
そこで互いに一瞬の沈黙。そして、
『シグ急いで!』
「わかってる!」
鍵がかかっているものと思いシグは力一杯ドアを蹴るが、意外にもロックがかかっていなかったドアはシグの渾身の一撃に耐え切れず、もともと半壊していたので簡単に外れそのまま部屋の奥の方へ吹き飛んでいった。
「おっと、あぶねぇなぁおい。誰だよ」
そこにいたのは、シグも何度か見たことのある制服や戦闘服をまとった数人の男女。
管理局の人間だ。ただ、どれも表側の者達だが。
シグは睨みつけるようにし、マカロフ拳銃を握ったまま手近な男のところへと歩き出す。
「おい、どういうことだこれは」
床には、小学生くらいの少女に介抱される悠奈とニコライ。
どちらも怪我はなさそうだ。
「どうもこうも、通報があったから俺らが駆けつけたってだけの話だ」
「警備部隊じゃなくて表のお前らがかよ」
「あぁ? お前なんでそれ……っと、何?」
シグの胸ぐらを掴もうとした男の横で、パートナーなのか小さな少女が袖を引っ張り男に何か耳打ちする。
「あーあー、そういうことかよ。悪いがこいつはちょいわけありでな。まあ裏のあんたらには関係ないんですわ、お騒がせしてどうもすいませんねぇ」
やはり狙いはニコライのようだ。タイラスを放ちELFの仕業に見せかけるような手荒なやり方は表の連中しかやらない。
ニコライを取り返すにも、正式な手続きもないこの状況だと強引に奪い取るしかないが、悠奈がいる上に敵はおそらくクラス3レベルの強化人間が複数というこの状況で武装も最低限しかしていないシグには辛い。
シグはそっと舌打ちすると、未だ介抱されながら目を回している悠奈を指差す。
「あいつは俺のところのだ、もらってくぞ」
「あいよ、勝手にしな」
それだけ言って男はニコライを担ぐと、さっさと部屋を出て行ってしまった。
それを皮切りにぞろぞろと表の連中が部屋を出て行くと、最後に悠奈を介抱していた少女が一回り分くらい体格差のある悠奈を軽々と抱き上げてシグの方へと歩いてくる。
「おっと、すまん」
「あ、頭……打ってるかもしれ……ないです。気を……つけて」
それだけ言ってシグに悠奈を渡すと、ちょこちょこと少女も小走りに部屋を去っていく。
そこでシグは視線を悠奈の方へと落とすと、宝石のように青い瞳と目が合った。
「なんだ、起きてたのか」
「だってあの状況で起きてたらまずいかなって。とりあえず降ろしてよ」
首と膝裏に手を回し、いわゆるお姫様抱っこの形で悠奈を抱きかかえていたシグは片膝をつくと、悠奈はぴょんとそこから飛び退いた。
「大丈夫か?」
「別になんともないけど。でも、ニコライ取られちゃったね」
「ああ、まあそれはいいんだけどよ……」
銃で撃たれてもスタングレネードを食らっても平気なこの娘は一体何だ。
シグは悠奈に気取られないように思案しながら彼女の体の上から下まで視線を這わせた。
特に変わったところもないただの少女。だがこの身体能力は上位のクラス3相当だ。しかし彼女は一般人。確かにリストに載っている研究者に関係する人物ではあるが、それだけのはずだ。
とはいえ、中央情報室が本来なら最も優先すべき護衛対象である研究者の方ではなくその娘の方を守っている辺り、やはり悠奈は何かしらわけありなのかもしれない。
もっとも、それをユー達に追求したところではぐらかされるだけだろうし、エデンで中央情報室を敵に回すことは出来る限りしたくないのでこれについてシグは考えることをやめた。
「まぁいいや、とりあえずユー達と合流だ」
「了解。まだELFが残ってるかもしれないから、気をつけていこう」
「お、おう……そうだな」
つい最近まで普通に学生をしていたはずなのに、妙に順応性の高い少女を前にシグは不意に笑みを零していた。
「やれやれ、とんだお嬢さんだ」
「ほら、行こうよ。どうかした?」
「なんでもないさ」
頬を掻きながら、シグは先導する悠奈の背を追いつつ部屋を後にした。




