Chapter3「少女の日常が変わった日」
「どうぞ、お姫様」
執事のように恭しく頭を下げ、ユーは車の後部ドアを開けた。
テレビの中だけで本物の執事なんて悠奈は見たことが無いのだが、それでもユーはなかなか様になっているように思える。
着ている服も軍服というよりはどこかの学校の学生服に見えないこともないし、ボブやアリスのように衣装が野暮ったくないせいもあるだろう。
そして、ユーとアセリアに関しては管理局の人間、という事で間違いはないはずだ。
本人に確認はしていないが、この組み合わせ的にそうとしか考えられない。
白を基調としたブレザーに、羽ばたく鷹を象った胸章。それを見る限り、二人の服はどう見ても制服のようだが学生という事は無いだろうから、管理局内の何かの部署の一員なのだろう。
ただ、この制服は学校の教科書や書店の資料などでも目にしたことはないし、表に立つような部署ではないのかもしれない。
もしかしたら悠奈が知らないだけかもしれないが、親が管理局内で働いていることもあってこれでもその辺の事情にはそこらの一般人よりは詳しいつもりなので、やはり一般には知られてないような特別な部署なのだろう。
これ以上は、本人に直接聞いた方が早そうだ。答えてくれるかは別として、だが。
なんにせよ、待たせても申し訳ないし、今は成り行きに任せよう。どうせ目的地が自分の家なら、最悪な展開は無いはずだ。
「えと、失礼します」
間近で見る軍用車の巨体に、悠奈は思わず息を呑む。
意外に車高が高く、片足を先に入れその足に思いきり力を込めて飛び込むように悠奈は車に乗った。
予想はしていたが、中は無線機やら計器やら、この車が自らの役目を全うする上で必要な最低限の物しか積まれておらず、華やかさの欠片もない質素な車内だった。
後部座席に悠奈は腰を下ろす。が、これも搭乗者への配慮はあまりされていないようで、やけに固い。正直なところ、乗り心地は最悪だ。
「どうだ、乗り心地は?」
いつの間にか運転席へ乗り込んでいたボブが体をよじって後部座席の悠奈に向き直り、問いかける。
悠奈は直球で思った事を言ってしまいそうになったが、それを飲み込んで、
「うーんと、ちょっとこういうのは慣れてなくて……」
悠奈が困ったような顔を作ると、ボブはだろうな、と車内に響き渡るほどの大声で笑った。
「まあそう言うなよ。こいつは正真正銘、あの補給部隊が使う装甲付き武装型ハンヴィーだぜ。警備部隊じゃこんなもん一生乗れねぇってくらいにゃすげぇもんだぞ? まあ、使うのは俺らってことになってるから、あいつら(補給部隊)が使うM134やMK19みたいのは積めないんだけどな」
「は、はぁ……」
悠奈は理解できなかったが、とにかくこの車は何やらすごいらしい。
ただ頷くだけの悠奈を放置気味に、ボブはさらに理解を超えた単語を連発する。
「そんでよ、このハンヴィーには――」
「ボブうるさい。初対面の、しかも女の子になんつー話してんのよ。馬鹿なの? って、そうね。あんた馬鹿だったわね」
勢いよく乗り込み、悠奈の隣に座ったアリスがボブの話を遮る。
すると、ボブは残念そうに運転席のシートに隠れるくらい肩をすくめて大人しくなり、それと同時にアセリアがアリスとは反対側から乗り込んできてちょうど悠奈を挟むようにして座る。
最後にユーが助手席に座ると、車は空気が震えているのを肌で感じ取れるくらい凄まじい轟音を轟かせながらゆっくりと動き出した。
確か、目的地は悠奈の家だったはずだ。
てっきりこのまま管理局か警備部隊の詰所にでも連行されるのかと思ったがそうではないらしいし、結局のところ彼女達の目的は分からない。
わざわざ自己紹介までするところをみると、悠奈を捕まえに来たというわけでもなさそうだ。状況だけ見ると、襲われているのを察知した彼女達が、悠奈を保護しに来たようにも考えられるが。
「あのー、ちょっといいですか?」
「うん? なんだい?」
これ以上は自分だけで考えてもらちが明かないと、悠奈は申し訳なさそうに手をあげた。
それにユーが答える。
「ユーさん達は、どうして私を助けてくれたんですか?」
すると、何やら逡巡するようにユーは顎にて当てて考え込むがそれも数秒ほどで、彼女はすぐに悠奈の方へ顔を向ける。
「家についてからまとめて説明しようと思ったけど、何もわからないままだとやっぱり不安かな?」
悠奈が数回こくこくと頷くと、ユーは薄く笑みを作った。
「悠奈ちゃんは、管理局がどうやってエデンの住人達の情報を管理しているか、知っているかい?」
「それって、私達の体の中にあるナノマシンが、リアルタイムで管理局に情報を送ってるからですよね? それくらい知ってますよー」
エデンの住民は、例外なく生まれた直後に体内にナノマシンを注入する。
このナノマシンは、リアルタイムで体内環境の管理や制御、個人データの記録、更新などを行ってくれるものだ。
これがあるおかげで現在では難病にかかる確率は激減し、そもそも病気にかかること自体稀という域にまで達している。
普及し始めたのはここ十年あたりからの新しいものらしいが、それでも十分役に立っている。というよりも、ナノマシンが無ければ今の平和なエデンは成り立っていないだろう。
こんなものは、小学生でも勉強することだ。馬鹿にされているような気がして、悠奈は片方の頬を膨らませながら顔をしかめた。
「はは、ごめんごめん。でもね、エデンの中だけと言っても莫大な数の人間がいる。それら全てを同じ人間が管理するのは到底無理な話だ。だからさ……」
「コンピューター……ですか?」
「そう、管理局の頭脳。通称マザーと呼ばれる、エデン内の全てをまとめて管理するコンピューターを使ってる」
悠奈を助けた理由を聞いたはずなのに、随分変な方向に話が流れていっているような気がする。
とはいえ無駄にこんな話をするはずもないし、どこかで関係があるのだろうと悠奈はそのままユーの話を聞くことにした。
「マザーは誰もが操作できるように作られてない。ちゃんとプロテクトがかかってるからね。本来なら管理局内でも極僅かな人しか直接のアクセスはできないんだけど……」
「だけど?」
悠奈は、何故か嫌な予感しかしなかった。
その時、ふと悠奈の父親がエデンの何かのコンピューターの開発に関わったという事を、本人から聞かされたことを思い出した。何の気なしに、というわけでなく今それを思い出したのはきっと、この件に無関係ではないからだろう。
いきなり話が自分に近づいてきたのを感じて、悠奈は息を呑んだ。
「マザーを作った人達が、そのプロテクトを抜けてマザーにアクセスできる鍵……コードを持っててさ。実は、その情報とマザーの開発者のリストが外部に漏れちゃったらしいんだ」
「……え?」
ユーが凄くおどけた調子で言うものだから、つい面喰って悠奈は一瞬呆けてしまった。
彼女はあっさりと言ったが、相当まずいことなのではないだろうか。
エデン内の全てを管理するコンピューターにアクセスできるコード。そしてそれを持っているという者達のリストが漏れたとするならば、よからぬことを目論む者にその情報が伝われば大変なことになる。
エデンは確かに平和だが、ふとしたきっかけで争いが生まれる可能性がある例外が存在する。エリアDの住人達だ。
普段はそうでもないが、少しでも綻びがあればそこに付け込んで楽園を荒らそうとする者達もあの場所にはいる。数年前も、その者達はエデンが大変な被害を被った事件を引き起こした。だが、もしまた同じようなことになってしまったら今回の被害は前の比ではないだろう。
「幸い、本当にコードを持っているのは一人だけらしいんだけどね。まあ、そのせいで探す側もしらみつぶしにするしかないわけで、手当たり次第に襲っちゃおうってことに、ね。まあここまで言えばわかると思うけど、悠奈ちゃんのお父さんもしっかりとそのリストに載ってる」
「まあ、とっ捕まえたところで素直にコード渡してくれるはずないでしょうから、家族でも誘拐して身代金要求する要領でって感じね。今回ユーナが襲われたのもそんなのが理由だと思うよ」
最後にアリスが人差し指をぴんと立てて、漫画の先生のようなジェスチャーを交えて補足してくれた。
どうやら、悠奈自体に直接関係があるわけではなさそうだ。とはいえ、狙われているのは自分の父親なのだから無関係ではないし、聞く限りでは悠奈が襲われるのも今回限りというわけではないはずだ。
「あ、ああ。なるほど……」
悠奈は理解した。そう、つまりそこで彼女達なのだ。
もしそんな事件が起きているのならば、管理局が放置しておくはずがない。
狙われている者達を避難させるか、あるいは護衛でもつけるに決まっている。
そんな悠奈の予想を裏付けるように、ユーが付け足すように口を開く。
「リストに載っている人達には、必ず最低でも警備部隊数人の護衛が付く手筈になっているんだ。悠奈ちゃんの場合は君のお父さんの要請で本局(中央管理局)の俺とアセリアもつくことになってるからさ、他の人よりも安全だと思うよ」
「じゃあ、もしかしてしばらく一緒ってこと?」
「そうなるね。改めてよろしく、悠奈ちゃん」
今まで変に警戒していた自分が馬鹿らしくなってきた。
どうせ一緒にいることになるなら、変に気を使う事もないだろう。
だから――
「もー! そういうの先に言ってよぉ! びっくりしたじゃん! はいはいよろしくねユーちゃん、みんなも」
「へ? あ、ああ……よろしく」
急に態度を変えた悠奈に驚愕し、ユーは目を丸くしている。他の皆も、同様の反応だ。
そもそも悠奈は、さん付けで人を呼ぶのはあまり好きではない。堅苦しい空気の場に長く居る事が出来ないわけではないが、そういうのはあまり好きではない。
学校の友人達と同じように振る舞えるならそれに越したことはないし、どうせ一緒にいるなら仲良くなりたい。ならかしこまるよりはこちらの方が向こうも接しやすいはずだ。
「キャラ変わってるし……それが素なの?」
「へっへーん、どうでしょうねぇ?」
隣でアリスが半目で懐疑の視線を送ってくる。
そんな姿も愛くるしくて、つい悠奈はアリスの頭に手を伸ばし――綺麗なブロンドの髪を軽く撫でる。指先に少し触れるだけで、すっと流れていく髪はすごくさらさらしていた。
「ひゃあっ!?」
しかし、驚いたのかアリスは可愛らしい変な声を上げながらすぐに身を引いてしまう。
だが車内は逃げ場もなく、背後の窓ガラスに思いきり後頭部をぶつけ、バットか何かで硬いものでも叩いたかのように低く鈍い音が響いた。
一瞬アリスは頭を抱え悶えるように顔を伏せるが、すぐに視線を上に上げ、
「つぅ……ななな、なにするのユーナ!」
「いやぁ、可愛くてつい」
「つい、じゃないでしょーが! もうっ!」
「あはは、ごめんごめん」
さすがに調子に乗り過ぎてしまっただろうか、アリスは頬を思い切り膨らませてそっぽを向いてしまう。
それを一瞥して、悠奈はアリスの反対側に座るアセリアに視線を向けた。
「アセリアさんも。よろしく、ね」
「……あぁ、よろしく」
適当に返された上に、握手として差し出した手を握ってはもらえなかった。
車に乗るまでの道中で大体彼女の性格には察しがついていたが、どうもその通りの人格の人のようだ。
と、悠奈は車内を見渡しながら座席に深く背中を沈めた。
なんというか、皆軍人なのにらしくないといった印象を覚える。どちらかと言えば、悠奈の通う学校のクラスメイトと似たような感覚だ。歳が近いからと言うのもあるだろう。
巻き込まれた事件はとても大変なものだ。しかし、そのおかげで彼女達と出会えた。
今だけはそれに感謝したい。悠奈はひっそりとその想いを心の内にしまいこむ。
今日というこの日から、悠奈の日常は大きく変化を遂げた。