Chapter22「こうして苦悩の日々は始まった」
「……ふむ」
強化されたハンヴィーにご満悦な様子で、隣のボブは鼻歌交じりに運転をしている。
それを一瞥しながら、ユーはバックミラー越しに悠奈を見た。
一見すると普段通り。だが、いつものように自然とふざけた態度をとることができないのか、少し振る舞いにぎこちなさを感じさせている。
それをユー以外に気づいているのはユーリくらいだろうか。悠奈自身も皆にそれを感づかれるのが嫌なのか、口数が少ない。
問いただしてもいいが、それは家に帰ってからだ。ここは、少し人が多い。
ある程度の事情は先ほどユーリから聞いた。
だが、明が悠奈を呼び出すことは今は絶対にありえないので、当然他の者が彼の名を騙って彼女をどこかに誘ったことになる。
まあそんなことができる者など、情報室を除けば一人くらいしかいないが。
だとすれば、悠奈からは何があったか聞いておいた方がいいだろう。
『あの女』のことだ、何を悠奈に吹き込むか分かったものではない。
一体どれだけの情報を悠奈に与えたかは分からないが、彼女の様子からしてもしかしたら鍵の事を聞かされてしまったのかもしれない。
悠奈は自分のせいで周りが巻き込まれるのを恐れる節があった。自分が鍵なのだと知ってしまったら、きっと彼女はさらに悩むことになるだろう。
ハンヴィーのドアに肘を乗せ、ユーは頬杖をつく。
その瞳はどこか、遠くを見つめているようで――
「ラトリア、君は……」
皆が夕食を済ませ、今は夜の十一時。
先ほど、明日からは学校が始まるとクロエから電話が来た。
あれほどのことがあったのに一週間も経たない内に復旧できるとは、さすがエデンの施設とでもいうところだろうか。
「ん……」
悠奈はそれまで見ていたテレビを消すと、座っていたソファーに上半身だけを倒し横になる。
また、学校に行かなければならない。
もしこの間と同じような事が学校で起きたら。いや、そもそもこの鍵をめぐる戦いで出る犠牲者は全て、悠奈という存在のせいでその命を散らすのだ。
「せっかく前にアリスちゃんが励ましてくれたのに……ね」
悠奈は身体をくねらせてうつ伏せになると、じたばたと足を上下させる。
と思いきや、急に力なく足を下ろすとソファーの上で寝てしまったかのように動かなくなる。
「ユー君なら……ユー君なら力になってくれるかな」
根拠はない。だが、頭の中にふと彼の顔が浮かんだ。
もしかしたらあの人なら。不思議とそんな気持ちにさせてくれるのが、ユーの魅力の一つだろう。
どこか頼りがいのある、どちらかといえばお姉さんのような存在。まあ、それを本人の目の前で言ったら怒られてしまうだろうが。
「ユー君……ユー君……ううぁ」
「な、なに呻いてるの悠奈ちゃん」
は、と悠奈が顔をあげる。
誰もいないと油断していた。ユーリとユーは気配を常時殺しているため、こうして話しかけられないと存在に気づかないことが多い。
悠奈の視線の先には、呆れ顔のユー。
急いで悠奈はソファーから跳ねるように立ち上がると、顔の前でぶんぶんと両手を振る。
「ななな何でもないの! いや! 何でもあるのユー君!」
「え? ああ……えぇ?」
困惑するユーの肩を掴み、前後に揺さぶる。
と、
「ま、待った。落ち着こう悠奈ちゃん」
ちょっと体温の低い、それでいて柔らかくほっそりと白い綺麗な指。
ユーのそれが手首に触れ、悠奈を静止させる。
「あぅ……ごめん」
「いや、いいよ。どうしたの? その……今日はなんだか」
やや視線を逸らしながら気まずそうにユーがいう。
やはりユーには気付かれていたらしい。どれだけ隠そうが素人の悠奈では誤魔化せる範囲にも限りがあるということだろうか。
ここは、ユーに相談してみるのがいいだろう。きっと彼なら、力になってくれる。
「あの……ね? 聞いて欲しいことがあるんだ」
「うん」
ユーは短く返す。だがその顔は至って真面目で、悠奈の言葉を一言一句聞き漏らさずに聞く準備はできている。
ラトリアには口外するなと言われたが、鍵のことをせめてユーだけには――
「実は……私女なんだ」
「……へ? いや、それは知ってるけど」
「え? あ、あれ? ちが、そうじゃなくて!」
自分でも何を言ったのか理解できなかった。
今は鍵の話をしようとしていたはずだ。茶化すつもりなんてこれっぽっちもなかったし、そもそもそんな話をしようとは微塵も思いすらしなかった。
「きょ、今日はいい天気だね」
「今、夜だけど……」
「あれ? あれ? わた……どうし――」
「ん……悠奈ちゃん、そのまま」
「むぐ……」
悠奈の態度に怒るようなそぶりも無く、むしろユーの顔が深刻そうなものに変わる。
すると、ユーの綺麗な指が悠奈の唇に触れ、開こうとする口を塞いだ。
す、とユーの顔が息がかかりそうなほど近くまで寄ってくる。
「口で話そうとしないで。出来るだけ頭で考えず直感で。難しいだろうけど。今日君は『誰か』に会った、そうだね?」
ゆっくりと、悠奈は僅かに頷く。
ああ、でも――
もう何を話そうかなんてどうでもよくなってしまった。
ラトリアとは違う、ユーの澄んだ青い瞳。それが悠奈のすぐ近くで揺れ動く。それだけで――
「君は……鍵の事を知った。知ったんだね」
そこまでは悠奈も聞き取れた。だから、頷く。
でも、それから先のことはよく覚えていない。
ただ、ユーの瞳がとても綺麗で、彼の艶やかな唇を見ていると自然と悠奈の動悸が早くなり――まるで何かに誘われるように、悠奈は無意識に顔をユーに近づける。
気づいた時には、悠奈はユーと唇を重ねていた。
男の人の唇はガサガサだとかクラスの女子が言ってたが、あんなのは嘘だ。
だって、ユーのはあんなにもしっとりしてて、とにかくもう悠奈の頭では表現できないくらい甘々なのだから。
「――――――――ッ!? あ、あの! これは――ご、ごめん!」
「あ!? 悠奈ちゃん!」
手で触らなくても分かるくらい、胸の鼓動がどんどん早くなる。
顔を見なくても、今自分の顔が真っ赤になっているのが容易に理解できた。その証拠に、全身が熱を出した時のように熱い。この数秒で汗まで全身にかいている。
言葉もまともに紡げずとにかく今はユーの傍から離れなければならないと、悠奈の頭はそれだけで一杯だった。
「悠奈ちゃん……まいったな」
ユーは頬を掻きながら、慌てて悠奈が去って行った方向を見ながら呆然と立ち尽くしていた。
質問にはある程度こたえてくれたが、どうにも体自体に細工された可能性がある。
恐らくは特定のキーワードを話そうとすると別の単語に置き換わるようにナノマシンに細工したのだろうが、これで悠奈とまともに話すことが出来なくなってしまったかもしれない。
問題はどこまで規制がかかったのかだが、これを確認するとなるとそれなりに骨が折れそうだ。
「本当にな、どうするね」
「わっと、いたのユーリ」
背後から急に声をかけられびくりと肩を震わせながら、ユーは声の方向に向き直る。
「シャワーを浴びて出てきたら君らが話してるのが見えたのでな。とはいえ内容が内容だけに今まで出るタイミングが無くてずっと後ろにいた。それで、さっきのは……」
「うん、多分特定のキーワードをブロックするものだと思うけど、しっかりかけられちゃってるねあれは」
「いや違う違う、そこではないよ」
否定するユーリに、ユーは首を傾げる。
すると、ユーリはうなだれるように顔を伏せて深く息を吐いた。
「君は……まったく。今、悠奈君とキスしたろ?」
「うん」
素っ気なく返すと、さらに呆れた眼差しをユーリは向けてくる。
「どうだった?」
「どうって……別に、なんとも。あ、でも悠奈ちゃんはもしかしたら私に対して何か変な感情でも抱くようにナノマシンが書き換えられたとか……」
「はぁ……それは無かろう。まったく君は……んや、それはそれでいいことなのだろうが」
困ったようにユーリが宙に視線を向け、何かを思案するように目を瞑る。
「まぁ、良しとしようか。いい傾向だ。とはいえこれは……悠奈君が不憫だな」
「ユーリ?」
「いやいい。まあ君がそういうのに疎いのは私も知っている。ほら、とにかく今日は寝て明日に備えたまえ。明日は学校だろう?」
「そうだけど……っとと」
有無を言わさず、ユーリに背を押されユーは自分の部屋に押し込まれる。
結局ユーリは何を悩んでいたのかわからずじまいだ。
とりあえず彼女は彼女で何らかの対策を講じてくれるというのなら、ユーから何か言う必要もないだろう。
とにかく今は次誰がどう出るか、それを想定して動かなくてはならない。
「さて……次はどう出るか」
ユーを無理やり部屋に押し込んで、ユーリは下着姿のまま一息つく。
部屋にはもう、誰もいない。見ていたのが自分で良かったと、今一度ユーリは胸を撫でおろした。
「しかし、明日が大変だぞこれは」
ユーはともかく、確実に悠奈の方は意識しているはずだ。
これがまともな相手なら純粋な女子高生らしい恋愛の一つとしてユーリも傍らで見守っていたいところだが、そうもいかないのが問題だ。
「むう、やはり……しかないかね。まあ変に隠し立てするよりは、全部曝け出した方がお互いの為か」
このままずるずると引きずっても、最終的に悠奈が色々な意味で損をするだけなのだから。
それはさすがに目も当てられない。ユーもその手の人の感情には疎いし、ユーリが何とかするしかないのだ。
「とはいえ、別に何とも、か。ちょっと前の君なら嫌がるくらいはしただろうに……分かるかいユー? 彼女が君に影響されているように、君もまた彼女によって変わっていることが」




