Chapter14「軋轢」
ガラスの壁から日の光が差し込む。
それがソファーに横になっていた悠奈の顔に当たり、眩しさに体を起こし立ち上がった。
朝起きたのが六時くらいで、今は十一時。
学校が休みで自由な時間が出来たのはいいもののユーが朝から管理局の方へ行っており、指揮官がいない状態ではボブ達も動けず結果こうして悠奈の家で暇を持て余しているところだ。
「暇過ぎて死にそう……」
「ユーナ……人は暇で死んだりはしないと思うよ。たぶん」
奥のソファーでテレビを見ながら、マグカップに注がれたココアを飲んでいるアリスが呆れたように言うと、悠奈はそれを一瞥してガラス壁の方へゆっくりと歩いていく。
下の景色を見下すと、空中庭園でたくさんの親子連れが楽しそうに遊んでいるのが見えた。
こういう状況だと、彼らが羨ましく思える。
が、
「ん……そっか、でも私が外に出たら……」
自分が今狙われているのだということを思い返す。
学校での事は悠奈だけのせいとは言えなくとも、まったく関係が無いわけでもない。
そして、その結果無関係の人がたくさん巻き込まれたわけだ。
もし悠奈が外に出たら、今度こそ死人が出てしまうかもしれない。悠奈のせいで――
「う……ん……なんだろ、なんだろうなぁ」
自分一人がどうにかなるならそれはそれで仕方がない。
だが他の人、とりわけ知り合いが自分のせいで傷つくのは見ていて辛い。
ユーも、悠奈の為に血を流した。
気にするなと本人は言っていたが、そんなことできるわけがなかった。
「……ユーナ」
ふと、悠奈の服の裾をアリスが引っ張る。
悠奈を見上げる彼女の顔は、どこか悲しそうにも見えた。
それに、悠奈は出来るだけ笑顔を作って返す。
「んー? 何かなアリスちゃん」
「ユーナ、とっても悲しそうな顔してた」
迂闊だった。落ち込むなら自分の部屋にでも籠ってしまえばと、今さら後悔する。
こんな小さな少女にまで気を遣わせてしまった自分に嫌悪感を抱きつつ、悠奈はアリスの頭を撫でる。
「そんなことないよー。ゆーなちゃんはいつも通りだもん。ね?」
「ユーナ……」
しかし、アリスは納得できないのか、ぎゅっと服を掴む力を強めた。
純粋な子供の勘だろうか。いや、気の配れる子だからこそ、こういう些細な変化にも敏感なのだろう。
どうにも、空元気で騙せるほどの相手ではないようだ。
「ごめんね。なんかさ、私のせいでみんなが――」
「……違うよ」
「え?」
アリスが顔を伏せ、肩を震わせる。
と、すぐに彼女は視線を戻し、揺れる青い瞳が悠奈に向けられた。
ユーのように宝石じみた輝きは放っていないが、これはこれでとても綺麗な青色だ。
「ユーナのせいじゃないよ……悪いのはあいつら。あいつらがいるから……」
「あ、アリスちゃん?」
アリスがこれまでにないほど怖い顔をした。
それに若干気圧されるように悠奈が身を引くと、気まずそうにアリスは顔を逸らす。
「と、とにかく! ユーナは気にしないでいいの」
「そんなことないよ、私がいなかったらユー君も傷つかなくて済んだんだから。私なんて、守ってもらわなくても……うん、その方がきっと――」
ぎゅ、とアリスが悠奈の手を握った。
先ほどとは打って変わって真剣な目でアリスは数回首を横に振り悠奈を見つめた。まるで、何かを言い聞かせるかのように。
「違うわユーナ。あなたに何かあれば、奴らはそれだけ本物に近づくことになる。もう犠牲者も出たって話もあるのよ。そうやって、数を減らしていけばいずれあいつらは本物に辿り着く。そうなったら本当にお終いよ。だからユーナ、あなたが犠牲になればそれでエデンの人が傷つかないなんてことは無いの」
「本物……か」
アリスの言葉に反応したのは、予想外の人物。
ちょうど風呂から上がったアセリアが、まだ濡れている髪をタオルで拭きながらソファーの背もたれに寄り掛かった。
いつもと違い髪を下ろしているアセリアは、どこか大人びた雰囲気がある。
太陽の光が彼女の髪を照らすと、銀色の光が煌めいた。
そんな彼女は今下着しか着けておらず、それなりにまずい恰好なのだがどうも本人は気にしてはいないようだ。まあ幸いこの場には女性しかいないので問題は無い。だからこそアセリアもあんな恰好のままでいるのだろう。
普段肌の露出が控えめなのもあって確認できなかったが、やはりプロなのだろうと理解させられるほど、悠奈が一目見ただけでもそれなりに筋肉がついてるのが分かった。
「そもそもどうなんだ? お前かお前の父親が鍵とやらを持ってるんじゃないのか? わざわざユーが出るほどだ、そうでもなければ説明がつかん」
アセリアは首にタオルを掛けると、鋭い視線を悠奈に送る。
「え? あ、そんな……でも私、そんなの父さんからは何も聞いてなくて」
「ユーナのお父さんがあなた達に護衛を頼んだんでしょ。別に鍵を持っているかどうかは関係ないじゃない」
アリスが悠奈を庇うように前に出ると、むっと表情を硬くして強めの口調で言う。
と、アセリアは滑稽だとでもいうように鼻で笑った。
「ユーの奴がそんな理由で動くわけないだろう。Dの悲劇ですら動かなかった情報室が動いた。つまりそれ相応の理由があるのさ。どうやら何も知らされていないようだな」
「アンタはどうなのよ!」
「私はただ敵を斬れればそれでいい。戦う理由など知る必要もないし、興味もない。しかし、奴のお気に入りとは聞いていたが、信用はされていても信頼はされていないらしいな」
それだけ言って、アセリアは自分の部屋へと戻っていく。
アリスは終始イラつきを見せていたが、手は出さないあたり良くできている子だ。
「なによ、あいつ……自分だって。……ユーナは気にしなくていいからね。大丈夫、きっとユーが何とかしてくれるわ」
アリスは悠奈の手を取ると、笑顔を作る。
励ましてくれているのだろうか、こんな小さな子にまで気を遣わせていることに気まずくなり、つい悠奈は話題を逸らす。
「あー、えっと……そ、そうだ! そろそろボブ起こしに行こうか。もう昼前だしね」
「あっ! そだ、あいつまだ寝て……うー、ごめんね役立たずで」
言って、アリスは張り切ってボブの部屋に向かっていった。
アリスの様子から察するに、きっとまともな起こされ方はしないだろう。
アリスが消えてから数分後に、ボブが巨体をよろよろと左右に揺らしつつリビングに入ってきた。
それとほぼ同時に、玄関のドアが開きユーが姿を見せる。
「お! ユー君おかえりー、早いね」
「うん、そんなに長くなる程の用じゃなかったからね」
相変わらず学校の制服と見間違えそうな白のブレザーに身を包んだユーは、ゆっくりと玄関からリビングにつながる階段を降りてくる。
この前の事件であの上着の下を見たが、予想以上にたくさんの物が仕込まれてて少し驚いた。
無線機らしき物や数本のナイフ、それに腰と腋とで銃のホルスターが二つ。
どれもポーチなどに入れられコンパクトに収まっているので、上着を着ると隠れて見えない。
ボブ達のようにこれ見よがしに武装していると分かる服装をしないところを見ても、ユー達の所属しているところが警備部隊とは全く違った目的を持っているのがはっきり分かる。
ユーがリビングまで下りてくると、待ち構えていたアリスが嬉しそうな顔をしてボブ用にと用意していたココアを渡す。
それをユーはそっと左手で受け取る。右手には、いつも持っているスマートフォンのような端末が握られていた。そういえば、いつもユーはあれを手にしている気がする。
「ユー君ってばまたスマホ? 目悪くなるよー」
「ん? ああ、これはそういうのじゃなくて……」
「人の個人情報を盗み見たり簡単に機械をハッキング出来る物だ。そいつみたいなやつには一番持たせたくない代物だな」
いつの間にか着替えていたアセリアが部屋から出てきて、ユーに懐疑的な視線を向ける。
というか、アセリアの言う通りならユーの持っている物はとんでもない機能があることになるが。そういうものは、どうしても興味本位で触りたくなってしまう。
だから、
「ほんとに!? 何それ凄い、とう!」
「あ!? 悠奈ちゃ――っとと、待ってそれは駄目だって!」
一瞬の隙をついて悠奈はユーの手から端末を奪うと、すぐさまバスルームに走る。
追いかけようとしたユーは手に持っていたココアをこぼしかけて一瞬足が止まったので、逃げる悠奈を即座に捕まえる事は出来なかった。
バスルームに逃げ込んだ悠奈は、端末の電源ボタンを押す。
どうやら外見は普及しているスマートフォンと変わらず、ボタン配置など操作性も同一のようだ。
これも一般人に悟られないようにするカモフラージュの為なのだろうか。
真っ黒な画面にデータのダウンロード時に出てくるようなバーが表示され、一瞬でそれが画面の端から端までたどり着くと、ぱっと画面が明るくなり通常のスマートフォンと変わらぬホーム画面が映し出される。
が、悠奈が画面に指を滑らせページを切り替えていくと、徐々に怪しい項目がいくつかちらほらと見え始めた。
「周辺のナノマシン情報検索……」
気になったものの一つを開いてみると、画面いっぱいにたくさんの人物の名前が表示された。
中には見慣れた顔もいる辺り、名前の通り周辺にいる人物の情報を閲覧できるものなのだろうか。
悠奈はその中から、いつも登校する時に挨拶してくれる隣の部屋の人の名前を押した。
「え……なに、これ。年齢、年収、職業、家族構成、趣味……全部見れちゃうんだ。え? う……ん? ろりーたこん……あ、山田さんロリコンなんだ、いいおとーさんっぽい人なのに」
人の心の闇を見たような気がしたので、悠奈はそこで端末の電源を切る。
しかし、予想していたよりもずっとこの端末に秘められている力はとんでもないもののようだ。
すべてが筒抜け。こんな物の存在を知ってしまったせいで、自分まで誰かに監視されているんじゃないかという不安が込み上げてくる。
管理局はエデンの全てを統治する管理者。管理局は、エデンにとって神にも等しいものだ。そう、その存在に畏怖の念すら抱いてしまう程に。
「もう……めっ、だよ悠奈ちゃん」
「あ!」
悠奈が呆けているところを、背後からユーが手を伸ばし端末を奪い返される。
怒られるかと思ったが、それよりも先にユーは難しい顔をして端末を一通り触り、深く息を吐いた。
「もう……あんまりこういうことはしないの。いろいろと問題がさ」
「あはは、十分理解したです……ごめんね」
血相を変えてユーがバスルームの方へ走り去ったのを見てアセリアは呆れたように肩を落とすと、そのままソファーの背もたれに寄りかかる。
「奴は何を慌てているんだ」
「だって、あれってすごく重要な物なんでしょ? 一般人の悠奈が触るのはまずいんじゃないの」
アセリアの独り言のようなものに、アリスが反応する。
返事をするのも面倒だとでもいうようにアセリアが気だるそうにしながら前髪をかきあげると、一度溜息をついてから口を開いた。
「あれを起動するには、登録された所有者のナノマシンに記録されている生体データを読み込ませなければならん。紛失した時の事を考えれば当然だな。だから他人が触れようと問題は無い。まあ、全く同じ人間が存在しているなら話は別だが」
「それならユーナに使えるわけないか……ずいぶんと進んだ技術を持ってるのね、あなた達は。結局何者なの? あなたも、ユーも」
問うアリスに、アセリアは嘲るように笑い声を立てた。
「それも奴から聞いていないか。まあ、元より私達とお前達とでは住む世界が違いすぎる。相容れることなどできんのさ、所詮はな」
「クラス3だからっていい気にならないで。私達は同じ人間でしょ、そこに差なんてないわ」
「同じ? 違うな。お前達に出来ない事でも、私達ならできる。それも差、だろうさ」
さすがに今回はアリスも黙ってはいられなかったのか、周りに剣呑な空気があふれ出す。
一触即発、どちらかがあと一歩でも踏み込めばかなりまずい状況にもなりかねない。
と、
「おい二人ともやめろ! アセリアも言い過ぎだ。いい歳して子供虐めてんじゃねぇよ」
間に入ったボブが二人を制すと、アセリアは気にくわないのだろう、なにを言うでもなく背を向けてボブ達と少し距離を置く。
納得がいかないのか、アセリアの背中をしばらく睨みつけた後まるで独り言のようにアリスが呟いた。
「私は……私は弱くなんてないわ」
「分かってる。あそこで殴りかからねぇんだ、アリスは強いぜ」
「……っふん」
ボブはアリスの肩に手を置くが、そっぽを向かれてしまった。
だが手を払いのけられていないところからすると、嫌がられているわけではないらしい。
「まったく……どうするんだユーよ。大変だぜこいつぁ」




