Chapter10「初動Ⅲ」
アセリアと別れてからユーは来た道を戻り、悠奈の教室へと向かっていた。
本来ならそろそろホームルームの時間だろうし、真面目な生徒の多いこの学校では遅刻組もおらず辺りに生徒の姿はない。
まあ、あと数十分もすれば教員が来ないという異常に気づいた生徒が騒ぎ始めるだろうが、まだ時間は十分あるはずだ。
静まり返った廊下を一人で歩いていると、余計なことばかり頭に浮かんでくる。
それを止める者もいないため、何かで思考を遮らない限りは考えないようにしてもまたぶり返して結局それの堂々巡りになってしまう。
ユーは軽くため息をつくと、目の前に差し掛かった階段を見上げた。
「君と話していると、どうも彼女の顔がちらついてね。結局、元が同じならいくら弄ろうが変わりはしない……か」
誰に言うでもなくユーがささやいたその言葉は、外から聞こえた音にかき消された。
遠くの方から連続して大きな銃声と、鉄を硬いもので乱暴に叩いたような音。
ユーは聞こえたのが銃声だというのは瞬時に理解できたが、だからこそ不安が込み上げてくる。
この音は、アリスのショットガンやボブのアサルトライフルの物ではない。
しかも銃声が聞こえたのがちょうど駐車場の方からで、それはアリス達に何かあったということを示している。
「機関銃? ……まずいかな」
ユーはジャケットをずらし、腰のホルスターに手を伸ばす。
と、アセリア達が使う支給品よりも少し手を加えられた特別製のP226拳銃のグリップを握った。
「あ……。ん、大丈夫そうだね」
ユーが駐車場に足先を向けた瞬間、アリスのM3の銃声が数回聞こえる。次いで、機関銃か何かの銃声がぴたりと止まった。
そのあと数回他の銃声も響いたが、数分もしない内に音は完全に鳴らなくなる。
終わったのだろうかとユーは腰に付けた無線機のダイヤルを回し、チャンネルをハンヴィーの無線機のものに合わせる。
そして服の襟を少しのばすと、そこに付けてある無線機と繋がったマイクに向け口を開いた。
「あー、アリス。大丈夫かい?」
返答はない。だが、耳に付けたイヤホンからは微かに物が動く音とボブか誰かの叫び声のような音が聞こえた。それで少しほっとしたようにユーは息を吐く。
『ちょ、ボブ邪魔! えーと、ユー?』
その後すぐにアリスの声が聞こえてきた。
どうやらこの様子を見ると、二人とも無事らしい。
「ああ、うん。何かあったのかい?」
『そう! ユー大変なの! なんかPMCみたいなのがいきなり……』
「PMC?」
先ほど教員室を占領していたのはエリアDにいるテロリストかなにかだった筈だ。
ふむ、とユーは顎に手を当てる。
「管理局の表側の連中か、ELFで外にコネがある派閥か……うん、たぶん後者かな」
『ユー?』
アリスが不安げな声を出し、名前を呼ぶ。
「大丈夫だよ。とりあえずハンヴィーを校門に寄せて車が入ってこれないようにしておいて。M2のカバーも取っていいから、ボブは銃座に。でも、発砲は向こうが仕掛けてきてから。いいね?」
『分かった! ボブ聞こえた? ほらさっさとやる!』
「それじゃ、俺も悠奈ちゃんの方に行くから。任せたよ」
『うん! じゃない、了解!』
アリスとの交信を終えると、後ろの方でまた銃声が響いた。
こちらはアセリアだろう。こっちは確認せずとも結果は見えているし、あえてそうする必要はない。むしろ、出来るだけ敵と周りの被害は最小限にしてもらえると助かるのだが、彼女だとそれも望み薄だ。
「さて、と。こんなタイミングで襲ってくる奴ら、それも学校の防犯装置をかいくぐってこれる連中と言えば……はぁ、面倒なことにならなければいいんだけどね」
ユー達と別れ、三階まで階段を上って悠奈は自分の教室へと入る。
ホームルームまでまだ多少時間があるというのに、悠奈のクラスではほとんどの生徒が既に登校していた。
このクラスは大企業の社長令嬢など特殊な境遇の者達がやけに多いからか、真面目な学生が大半を占めているのが主な要因だろうか。
そんな中で、どちらかといえば一般的な学生でしかない悠奈がそれなりの評価を周りから得られているのは今だに不思議でならない。
「みゅ? 騒がしいのぉ。今日テストか何かだっけ?」
自分の席に荷物を置きながら辺りを見回すと、教室の後ろ側、窓際の一角だけ生徒が何かを囲むように集まっていた。
「おーおー、今日がテストならずいぶん余裕ですな。さすが、成績学年二位の言う事は違う」
ふと、黒髪の少女が悠奈の肩に手を置いた。
クラス委員長のクロエ・リンカーだ。彼女は腰を折って目線を悠奈と合わせる。と、肩にかかるくらいの黒髪がさらりと重力に従い下に流れた。
「おおう、凛華ちゃんおはよ」
「誰が凛華じゃ誰が」
こつん、とクロエの拳が悠奈の額を叩く。
もう恒例となったこのやり取りにも、彼女は嫌味一つ言わず付き合ってくれる。出会って一年も経っていないが、クロエはもう悠奈にとって親友のような存在だ。
「黒江ちゃんの方がいい? でも、黒江凛華、だから名字で呼ぶことになっちゃうよ? よそよそしくない?」
「黒江でも凛華でもないっての。つかアンタだってもう分かってるでしょうに」
「まぁね、へへー」
笑ったところを、悠奈はクロエにもう一度小突かれる。
黒江凛華とは、初めて悠奈が彼女に会った時に間違えて覚えてしまった事で出来たあだ名だ。
いくら三年生になってから知り合った仲とはいえ、さすがにもう二学期の後半、しかも本人が何度も指摘してくれているので悠奈とていまだに誤解しているわけではない。ただ、呼びやすいからこっちの方で呼んでいるだけだ。
ちなみに、クロエという名の通り彼女は純粋なエリアJの生まれではないが、この学校は各エリアから入学を希望する声が届くほどの名門ということになっているらしく、ここに限った話で言えばクロエのような人物はそう珍しいものでもない。
「あっと。んでさ、あの人だかりなんだけど……あー、見た方が早いね。ほれ、こっち来た来た」
「わわっ!? な、なになに?」
クロエに手を引っ張られ、悠奈はそのまま人垣の中に突っ込む。
中の人をかき分けその中心を見ると、一人の少女がそこにはいた。
四方から質問攻めを受け少し困った様子で、それでも丁寧に一人ずつ対応している。なかなか几帳面な子だ。
悠奈と同じくらいの腰まで伸びた黒髪に、細目の華奢な体つきで着崩すことなく制服を着ている辺りがいかにもな優等生らしい。
だが、彼女が着ている紺のジャケットに灰色のスカートの制服は悠奈の学校のものではない。
他校の生徒だろうか。とはいえ平日のこんな時間にくることはそうないはずだ。
それに、彼女の着ている制服には見覚えがある。
細部こそ違うが、どことなくユーとアセリアが着ている制服に似ているのだ。
だが、今はとにかく彼女を助けるのが先だろう。
このままにしておくのは、なんというか可哀想だ。
「どうどうみんな、この人困ってるよ」
悠奈は急いで少女の前に飛び出すと、皆を落ち着くように手で制する。
意外にもあっさりと静まり返ってくれたおかげで、つい悠奈も安堵の息を漏らしてしまった。
そんな群衆の中に紛れ、さり気なくクロエがよくやったと親指を立てていた。これを狙って悠奈をここに放り込んだのだろうか。クロエはあれで計算高いし、あながち間違ってもいなさそうだ。
確かに、クラスの中ではいい意味で皆に好かれている悠奈がこういった場を収めるのは一番適しているだろうが、いいように使われている感が否めない。
「おつかれ悠奈。やっぱアンタさすがねー、クラスの男子の人気ランキング第一位は伊達じゃないってね」
「ランキングって何それ……」
「あはは、いーのいーの気にすんな。学業という苦行の中で男子が見い出した光明、息抜きの一つさね。粗品みたいな棒片手に頭の中で妄想にふけるだけよ。私達に実害ない内は大丈夫」
言って、クロエが背中をばんばんと叩いてくる。
ついでに彼女が大声で言ったのに合わせて男子の何人かがびくりと肩を震わせたが、きっと気のせいではないだろう。
棒が粗品だろうがお中元だろうが関係ないが、勝手に自分が使われるのはなんとなくだが嫌だ。悠奈はきっとクロエ程寛容ではないのだろう。
しかしいつのまにそんなものを作っていたのか。この年頃の男子の思考は理解し難い。
クロエは悠奈を一瞥すると、生徒に囲まれていた少女の方へと歩み寄る。
すると、
「はは、初日から大変だねぇ村雨さん」
「ひ、他人事じゃないですよぉ……もう!」
クロエが言った言葉に、少女は頬を膨らませながら抗議した。
村雨と呼ばれたこの少女は、見たところどうやらクロエと何かしら関係がありそうだ。
「うにゃ、この子って凛華ちゃんの知り合いさん?」
「んぅ? まあ、そんなところ。と言っても、知り合ってまだ一日も経ってないけどね」
それを聞いてなんとなくだが、悠奈がこの少女の着ている制服がユーと似ていると思ったのはあながち外れでもない。そんな気がした。
少女は一度咳払いをすると、悠奈の方を向く。
「えっと、中央管理局本局保安・警備支援大隊所属、村雨秋奈です。よろしくお願いしますね」
秋奈というらしい少女は、可愛らしい笑顔を浮かべながら手を差し出してきた。
悠奈の勘は外れていなかったようで、やはり管理局の人らしい。
秋奈もユーと同様、美しい顔立ちで差し出された手にも傷一つついておらず、とても綺麗だ。
管理局の人とは、皆こうして軍人らしからぬ風貌をしているのだろうか。いや、そもそも管理局は軍人だけで構成されているわけではないのだし、彼女達が特別なだけかもしれない。
「私は悠奈。東條悠奈だよ! よろしくね、村雨さん」
「秋奈、で構いませんよ。こちらこそよろしくお願いします、東條さん」
悠奈は秋奈の手を取ると、そっと握り握手を交わした。
と、二人の間に割って入ってきたクロエが、
「こいつなんて呼び捨てでいいよー村雨さん。胸は大きい、頭はいい、表向きは性格もよくて男子に超人気とかふざけた奴だし。ええいチートめ」
「ち、チート……別にそんなんじゃないよ! あと表向きって何さ」
恨み言を言うような口調でクロエは呆れるように悠奈を見据えた。
それを見て秋奈も苦笑する。なんだか、こうしていると同じ学生にしか思えない。歳が近いからそう思えるのだろうか。
だが、彼女は決してただの学生としてここにいるわけではないはずだ。管理局という肩書きがある以上、何らかの理由があってここにいるはずなのだから。
「ねぇねぇ、秋奈さんはどーして凛華ちゃんと一緒なの?」
「アンタ直球で聞くわね。こういうのは詮索しないのが礼儀じゃない?」
「いや、だって気になるし。それにこれは隠したりできる事でもないと思うよぉ? 秋奈さんがいる時点で何かあるって言ってるようなものだもん」
「ま、まあそれもそうよね……はぁ」
観念したように、クロエが肩を下げた。
が、そもそもこのタイミングで管理局の人間が傍にいるような事態というならば、悠奈はある程度もう見当はついている。
「リストの情報が漏れてどーたらってやつ?」
悠奈が言った一言に、クロエよりも先に秋奈が反応した。
「え? えええ!? な、なんで知ってるんです? これ限られた人にしか知らされてないのに……」
「あー、そっか。アンタのお父さんも管理局に勤めてるんだっけ。そこから聞いたか……んにゃ、もしかして当事者かな?」
クロエにはもう、悠奈の父、明の事については話している。そこからすぐに推測出来る辺り、彼女の学年成績一位の称号は伊達ではないという事だろう。
「そうそう、当たりー。じゃあ秋奈さんは凛華ちゃんの護衛かぁ。あ、でも凛華ちゃんのところは秋奈さん一人なの? 少なくない?」
悠奈が言うと、何を言っているんだとでもいうようなクロエと秋奈の視線を二人から浴びてしまう。そんなに変なことを言っただろうか。
「そもそも狙われているのはクロエさんのお父様の方ですし、こちらにばかり戦力を集中させても仕方ありませんからね。そちらの方はちゃんと任務を受けた警備部隊の方が。私はクロエさんのお父様の依頼で、管理局側からも派遣をとのことで来ているだけですから。一人ですよ」
「そそ、私の父さんはそれなりに顔利くらしいからね。管理局の人の護衛は警備部隊よりもよっぽど安心できるからってんじゃない? どーよ? すごい?」
自慢げにクロエは言うが、悠奈も同じような感じなので、素直に驚けない。
そもそもリストに載っている人は、誰でもそれなりに管理局に顔が利くのではないだろうか。管理局のコンピューターを作ったというのなら、それくらいできても不思議ではないだろうし。
「ほえー、なんだ。凛華ちゃんもそうなんだ」
「は?」
クロエは素っ頓狂な声を出すと、目を丸くする。
「いやー、私のとーさんも管理局の人にお願いしてさ、護衛増やしてもらっちゃってるっぽいんだよねー」
頭を掻きながら申し訳なさそうに悠奈が言うと、クロエが目に見えて落胆したのが分かるくらい前のめりに上半身を倒す。
「マジかいな……アンタのとこもか。自慢した私が恥ずかしいじゃないの。って、そういや護衛の人は?」
「んん? いるよー。今先生のところに行ってる」
「護衛対象を放置って……結構いい加減な人たちなんですね」
秋奈がやや強めの口調で言いながら、むっとした顔をした。優等生風なのは外見だけでなく、中身もそうらしい。
とはいえユー達は別に無能だとか怠慢がどうとかなど、そういった理由で役割を疎かにすることは無いように思える。
ボブやアリスとは違い、ユーとアセリアはあの二人とは違った空気を感じる。現にこうして離れている今ですら、何故か守られているという安心感を感じてしまう程だから。
もちろん根拠などないが、それでも信じられるくらいユーからは何かそういった特別な力を感じた。だからこそ、悠奈もいつも通りに振る舞えるのだ。
「いやー、いい加減ってわけじゃあないと思うよぉ? なんていうかな、ユー君は――」
そこまで悠奈が言いかけたところで、それは始まった。
悠奈の日常が反転する、その号砲が。




