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8/21

恐怖

 俺のライブデビューが近づく。

 悦ちゃんも『見に行く』って、言うてくれてたけど……無理やろ。どう考えても。

「ジンが怖いのやったら、無理に来んでもええから」 

 シュンとした悦ちゃんが、かわいそうで言葉を重ねてみる。

「俺が音楽しててもしてなくっても、悦ちゃんには関係の無いことやん?」

「関係、ない?」

 ああぁ。失敗やん。言葉、間違えたわ。そんな泣きそうな顔で見んとって?

 言葉の綾を、繕う。

「悦ちゃんの彼氏の『ユキちゃん』に変わりないやん?」

「そう、なの?」

「そうやの」

 ハッタリでも強く肯定してみせたら、悦ちゃんの顔が明るくなった。

 細い目が一段と細くなって。

 オタフクさんの顔になった。


 そないして、笑とって?

 ”お多福”さんみたいに。幸せそうに。



 そうして迎えた初ステージは。

 言葉に尽くせないほどの快感やった。

 リョウが、言うてたことがあった。『俺たちは、プロを目指してる。お前はそれについてくる気はあるのか?』って。

 これ、経験したら、行くしかないやん。こんな歌、聴いてもたら離れられへんって。

 俺、こいつらの後ろで、一生、ドラム叩いてたい。



 終わった後の打ち上げも、初めての経験やった。

 今夜、同じライブハウスに集まったほかのバンドの連中も一緒くたで、酒を飲んで、騒いで。

 男ばっかり……二十人ほど居ったやろか。こうして見たら、忘年会で”あんなこと”があっても、サークルの飲み会はお上品なことがよく分かる。ジンたちと飲んでるのも、平和なもんやし。


 酒が回るに連れて、野郎トークも出てくる。

「マサとユキは、あいつらの話には寄らないのか?」

 ジンがウーロン茶片手に話しかけてきた。

 ジンの言う”あいつらの話”は、俺には痛すぎる話題やったから、部屋の隅で一人、野武士みたいに缶ビールを傾けとるマサのところに逃げこんどった。

「ジンこそ、寄らへんの?」

「んー。寄りようがないだろ? 『酒で、女の子を持ち帰る方法』なんて、飲まない俺はお呼びじゃないって」

 そう言って、目を細めるように笑った。

 そう。只今、野郎な会話のお題は、そんな話。

「マサは、寄らへんの?」

「俺、彼女いるし。そもそも、アイツを酔わせたら、手に負えない」

 俺の質問に、マサは肩をすくめながらビールに口をつける。

「マサの彼女、酒癖悪いん?」

 どんな彼女やねん。

「居酒屋の入り口で……」

 って言いかけたジンが、クククク、と肩を揺らすように笑う。

 日頃から声を立てずに笑うジンやから、大笑いしとるようには見えへんけど。言葉が続かんようになったのは、きっと笑いすぎ。

 そんなジンを軽く蹴って、マサが続きを言う。

「『思い知ったかぁ、私は正しいー!』って、叫ぶような、な」

「マサが、飲むのを止めようとするたびに『まっくんのばーか』だし」

 ホンマに、どんな彼女や。 

「ユキも、彼女いるんだろ?」 

 マサの言葉に、ジンがチラリと俺の顔を見ながらグラスに口をつける。

「居るよ。居るけどさ。酒でどうこうして、なにが楽しいん」

 記憶によみがえる。絆創膏のゴムの香り。

「だよなぁ。本気だからこそ、相手の気持ち、大切にしてやりたいよな」

 アイタぁ。

 刺さるわ、マサのその言葉。



 めでたく初ステージを終えた俺にも容赦なく、後期試験は訪れた。

 授業のすべてもプロになるための礎と言ってるような奴らとバンドを組んでるからには。俺かて、単位を落としたり、留年したりするような格好わるい事、出来るわけないから。

 必死で勉強して、クリアを果たす。



 そして、二月の下旬。サークルでは四年生の追い出しコンパが行われた。

 この日は、俺達が顔を見たこともないメンバーも顔を出して大所帯になるから、と、いつもとは違う大きめの店やった。


 四年生の代表やった人の発声で乾杯をして。あっという間に座は無礼講。

 入れ替わり立ち代わり隣に座るメンバーが変わる。時々、『野島、この前のライブ言ったぞ』とか言ってもらって、お礼を言って。

 そんな中で、いつもみたいに横をキープしとる悦ちゃんに料理を取ってやったり取ってもらったり。いつもどおり、の飲み会やった。


 途中で横に来た佐々木さんが、こそっと俺の耳元で囁く。

「野島、今日は一年生にお酌、はさせないから」

「はぁ。ありがとうございます」

「その代わり、ちゃんと見ておけよ」

 視線で悦ちゃんを示す。

「はい。今日は最初から、酒飲んでませんし」

 乾杯で入れられたビールも俺が飲んだ。

 立ち上がった佐々木さんは、軽く俺の頭をポンと叩くと、隣のテーブルへと移動していった。


「おまえら、ホンマに仲いいなぁ」

 なんか、ビミョーな関西弁で俺らを冷やかしながら、二年生の高見さんが悦ちゃんの正面に座った。

 イントネーションが違う、っていうねん。

 そんな高見さんと悦ちゃんが、この前あったスキーの話をしだしたのを、片耳に入れつつ、俺は逆から声をかけてきた三年生の話し相手になっていた。


 シャツの袖が引かれる感じがして、視線を落とす。

 シルバーリングが中指に嵌った悦ちゃんの手が、俺の左袖を力いっぱい握りしめていた。


「悦ちゃん?」

 呼びかけたのと同時に、悦ちゃんの頭が俺の肩にもたれかかってきた。

「悦ちゃん? どないしたん?」

「気持、ちわ……い」

 切れ切れに声が聞こえて。

 いつかのように、ヒューヒューと息を吸う音がする。

 顔を正面に向けると、さっきまで悦ちゃんと話していたはずの高見さんは、ビール瓶を片手に固まっていた。

「ちょ。高見さん? 何しました?」 

「何って……『ビール、入れようか』って言っただけだぞ?」

 俺にも何が起きたか、さっぱり。と、高見さんが首を捻る。

「ユ、ちゃ……」

「悦ちゃん?」

「こ…だ、……て」

 何度も聞き返して、辛うじてわかったのは『出して』?

「外、出たいん?」

 肩で息をしながら、悦ちゃんが頷いた。

 幸い、悦ちゃんの様子がおかしいことに気づいとるのは俺の周囲の数人だけやった。

 上座で盛り上がっている上級生の空気を壊すのもわるいし、と考えて。

 抱え上げるように悦ちゃんの腋に手を回して立ち上がらせると、俺達は廊下へとでた。


 廊下の壁にもたれて、悦ちゃんを胸に抱く。

 悦ちゃんは、俺の肩口に額を押し当てるようにしながら、何度も深呼吸をしている。

「吐きそうやったら、トイレ、行く?」

「吐きそう、ない」

 片言のように返事が返ってくる。

 その背中を、ゆっくりとさすりながら考える。


 これ、この前のジンと遭った時と同じ症状、やんなぁ。ついさっきまでは、楽しそうに話しとったのに。急に、やで?

 今日は、何が何でも聞き出さな。普通の状態と違うやろ、これは。



「で、なにがあったん?」

 なんとか息が整ったらしい悦ちゃんに、事の次第を尋ねる。

「高見さんに、ビールを注がれそうになって……」

「うん?」

 らしいな。そこまでは聞いた。

「断ろうとしたら、音とかがおかしくなってきて……」

 何かを思い出したように悦ちゃんの呼吸が乱れる。

 宥めるように、背中を叩く。

 通常の呼吸のペース。一分間二十拍で。

 悦ちゃんの呼吸が、そのリズムに同調するのを待って。

「なぁ、悦ちゃん」

「はい」

「ジンが怖かったのと、関係ありそう?」

「……」

 返事はなかったけれど。俺のシャツを握ったままやった悦ちゃんの手にギューっと力がこもった。

「関係、あるのやな?」

 押し付けるように確認すると、わずかに頭がコクっと動いた。

 悦ちゃんの両肩を掴んで、顔を覗き込む。目と目を合わせて。

「悦ちゃん。今日は、ちゃんと聞かして?」

 俺の必殺”お願い、お姉ちゃん”攻撃に、悦ちゃんが目を逸らした。


 そのまま、目を合わせようとしない悦ちゃんに、

「あんなぁ。俺、末っ子やから、昔から『幼い』って言われとるけどな。それでも幼いなりに、好きになった子くらい守りたいねん。困ってたら助けたいねん。わかるか?」

 って言うたら、

「ユキちゃんが幼かったら、私はもっと幼い」

 なんて自嘲気味の言葉がぼそっと落ちる。

「そんなことない。悦ちゃん、お姉ちゃんやもん。イロイロ我慢しとるところ、あるやろ?」

 ほら。我慢せんと、言ってみ?

 って言うたら、やっと。泣きそうな顔が俺を見た。


 その顔に、思いっきりわがまま言わせたりたいなぁって、思って。

 悦ちゃん、甘えさせたりたいなって、思って。

 おこがましい一言を囁く。


「俺の前でくらい、子供の悦ちゃんになり」



 『外の空気を吸ってくる』と、座敷に言い置いて、二人で店の外に出た。

「で? 悦ちゃん?」

「また潰そうとされているんじゃないか、とか、捕まったら逃げられないとか、思ってしまって」

「捕まるって?」

 捕まったりしたっけ?

「ユキちゃん、びくともしなかったから……」

「俺?」

「ユキちゃんより、大きいジン君だったら、もっと……って」

「あぁぁ……」

 そう来るかぁ。

「怖い、って思ったら、息が詰まって」

 また怖くなってきたのか、胸元を摩りながら悦ちゃんが深呼吸を繰り返す。


 しもた。悦ちゃんって、ビビリ、やねんや。

 『自分も騙されてたら……』って、待ち合わせが怖くなるような子やねんから。あんだけ明確に、”被害”のイメージを持たせてしもたら……耐えられへんわ、な?



「うーん。ごめんなぁ。ちょっとやり過ぎたよなぁ」

 そう言った俺の言葉に、いつもよりも一段と白く見える顔が、慌てたように横に振られた。

「ユキちゃんは、悪くないから」

「いや、めっちゃ悪いやん」

 挨拶しただけの相手や、酒注がれるのが怖いって、明らかに脅しすぎた。

 悦ちゃんこのままやったら、まともに社会生活送れんようになるやん。


 そんな事を考えた俺の心の奥底に、ちらりと黒い感情が通り過ぎた。

 あの夜、『ユキちゃんでなきゃ、嫌』って言うてくれたよな? それやったら……悦ちゃん、誰とも関わらんと、俺とだけ生きたらええやん。って。

 それやったら……嫌な事を『嫌や』って言えんままでも、待ち合わせが怖いままでも。俺がどないかしたるって。


 アカンって、俺。それは絶対やったら、アカン。

 どこまで俺、自分勝手で幼稚な事考えとるんや。

 悦ちゃん、社会と切り離してもたら、アカン。



 邪まな思いを押し込めて。

「とりあえず、俺より小柄で、酒が絡んでなかったら大丈夫なんやな?」

「はい」 

 現状でOKな状態を確認。男でも俺より小柄、はまぁ、少なくは無いやろけど……。

「酒の方は、飲み会を欠席したら済む話しやけど……。体格、かぁ」

「ユキちゃんくらい大きい子は、そんなに居ないから大丈夫だと思う」

「いや、それがなぁ。ウチのバンド、デカイやつだらけやねん」

「はい?」

「この前のジンが一番デカイねんけどな。ほかも、俺と似たり寄ったり」

「はぁ」

 悦ちゃんの目が俺の身長を測るように頭のてっぺんを見て……眉間にしわがよった。

「ちょっと、怖い、かも」

「そうやんなぁ」

 ”生け贄”を身長で選んだジンの声! 恨むで?


 アルコールの入った頭では、すんなり解決策も思い浮かばへんから、それはとりあえず置いておいて。

「悦ちゃん。爪、見せて?」

 ちょっと気になってたことを確認さして?

「あー、やっぱり」

「どうしたの?」

「爪が、また」

 俺のシャツの袖を握り締めてた悦ちゃんの右手。袖にクッキリと皺がよるほどの力が篭められとった指先は、案の定、中指と人差し指の二本の爪に血が滲んでた。

「さっき、力いっぱい袖を握ったやろ。その時に、やってしもたな。今日は絆創膏、持っとる?」

「多分」

 首をかしげて、しばし考えた悦ちゃんの答えに、ちょっとだけ安心して。

「ほな、部屋戻って、手当てしよ?」

 今日はもう、酒は断ろな? 俺も飲まんし。


 座敷に戻った悦ちゃんは、『風邪気味』という事でさっきの不調を説明して。さらに、それを理由に酒を断った。



 悦ちゃんの『怖い』って気持ちを落ち着かせる方法も思いつかず。いや、”黒い感情”に邪魔されて、真面目に考えて無かったかも知れへんけど。

 一応、気にはしている状態で春休みに入った俺は、相変わらずバイトと練習と。時間があればデートをして過ごしていた。



 世間では、お雛さんの頃やったか。

 練習帰りの俺は、路地と路地の交差点を歩いとる悦ちゃんを見かけた。俺の横には、丁度ええ具合に織音籠のフルメンバーが揃っとった。

 俺の呼び声に、こっちを見た悦ちゃんが一瞬、笑顔になって。すぐに、ちょっと怯えた顔になった。


「ごめん。ちょっと、そこで待っとってな」

 ジンたちに声をかけてから、早歩きで悦ちゃんの所へ。

「ユキちゃん」

「あれがうちのバンドの連中やねんけど……」

「あ、はい」 

「悦ちゃん。ここからやったらアイツら怖ない?」

「はい」

「もう少し、近づける?」

「……たぶん」

 ものすごく力の入った彼女の肩をなだめる様に抱いて、一歩ずつ注意深く近づく。

「アカンところで、ギブするんやで」

 こればっかりは、我慢したらアカンで?


 ジンがスルリとリョウの後ろに回って、そんなジンに物問いたげにリョウが頭を仰向ける。

 この前みたいなことにならんように、って、ジンが気を使った? って、そんなわけ無いやんな。悦ちゃんが怖がっとるって知らんはずやし。

 それでも、なんとなく。ジンがこの前の出会いに、ええ感情を持ってない気はした。

 ごめんなぁ。ジン。


 ソロリ、ソロリと進んでいた悦ちゃんの足が完全に止まった。距離は……互いの手が届くかどうか、ってくらい、か。

「ここまで?」

「はい」

 うん。ちゃんとギブアップできたな。えらいやん。

「この前ジンは逢うたけどな。この子、”照れ屋さん”やから。ちょっと離れとったってな」

 そう言った俺の言葉に、リョウの目がすっと細くなった。ちょっと怖いんやけど……。何で、俺が睨まれるん?

 まぁ、ええわ。

 悦ちゃんが小さい声でやったけど、一応自己紹介もできたし。呼吸がおかしくなることも無かったから、第一段階クリア、ってことで。


 バイト帰りで『このまま家に帰る』って言う悦ちゃんと駅まで一緒して。電車の方向が逆になる彼女と別れた俺たちは、飯を食ってからそれぞれの部屋へと帰る。


「なぁ、ユキ?」

「なに? リョウ」

 帰る方向が最後まで一緒になるリョウと夜道を歩いていて、剣呑な目つきで声をかけられた。

「さっきの悦子さん。ジンと何かあったか?」

「何って、何なん?」

「ジンが、俺の後ろに隠れただろ?」

「そうやった?」

 すっとぼけて見せると、明らかに睨まれた

「ごまかしてんじゃねぇよ」

「……ちょっと、この前逢うた時に、悦ちゃんの調子が悪くって。心配かけた、かも」

 うそ、は言うてへんで?

「それだけ、か?」

「それ以上の何があるん?」

 逆に問い返すと、リョウがちょっと言いよどんだ。

「ジンがな……」

 中学生の頃、イジメっぽい目に逢ったことがあるなんて、俺知らん、って。

「それ、悦ちゃん関係ないやん?」 

 住んどった所、めっちゃ離れとるやん。大学のある楠姫城(くすきのじょう)市を挟んで、西と東やろ?

「関係あるんじゃねぇか、って思っちまっただけだよ」

 そう言って、リョウがまなざしを和らげる。

「悪かったな、疑って。ジンがまた、しゃべらなくなったら、洒落になんねぇからよ。アイツ、結構ナイーブだから」

「ナイーブ、なぁ」

「そ、気は優しくて力持ち、を地で行くやつだし」

「まぁ、分からんでもない、わな?」

 そう相槌を打った俺に軽く右手を上げて、リョウが曲がり角で別れていった。


 中学時代のイジメ、かぁ。

 大学生になってまで、ジンも悦ちゃんも。傷、残っとるのやな。  

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