罪の夜
今回は、少々”無理やり”の表現があります。
苦手な方は、注意してください。
『送っていけ』はええけど。悦ちゃんの家、市外やし。俺、ちゃんとした場所まで知らんのやけど……。
店を出てから、『どうしたものか』と悩んだ俺は、とりあえず手近な自分のアパートまで酔いつぶれた悦ちゃんをつれて帰った。
布団を敷いて彼女を寝かせる。白いブラウスの上に着ている赤いセーターが寝苦しそうに見えたから、そっと脱がせて。セーターに引っかかって、存在に気づいた髪飾りも、痛そうやからと苦労してはずして。
悦ちゃんは、ホンマにアルコールのせいで眠っているだけ、なのやろか。それだけのことをしても、目を覚まさんかった。
辛そうな顔をしていないのが、唯一の救いやった。
どれほどの時間、彼女の寝顔を眺めてたやろか。彼女が身じろぎをして、まぶたが開いた。ジーっと天井を眺めて、そろりと起き上がった。
顔にかかった黒髪を耳にかける。なにげない彼女の手の動きに、ドキリと心拍がはねる。
ああ、そうか。いつもは耳の辺りから掬い取るようにした髪を、頭の後ろで留めとるから、こんな色っぽい仕草、見たことないんや。
「目ぇ、覚めた?」
「ユキ、ちゃん?」
俺やなかったら、どないするねん。
寝起きで、ぼんやりとした表情の悦ちゃんにも、腹が立ってきた。
這うようにして、彼女に近づいて。掛け布団の上から彼女の足の辺りを跨ぐ。四つん這いで目の高さを合わせて、彼女の表情を見る。顔はまだ赤いけれど。表情も酔いを感じさせるけれど。大丈夫そう、かな?
「ここは?」
「俺の部屋。気分悪いとかは大丈夫やな?」
悦ちゃんは、ひとつ頷いて。俺の顔を見つめてきた。
その目を見返しながら、俺が席を立った後の出来事を彼女に尋ねる。
OBが二人掛りで、悦ちゃんに酒を勧めたらしい。それは、まぁ、大体わかってた。
「そろそろ、お酒はストップにしようと思っていたのだけれど……」
「断れんかったんや?」
「飲みやすいのを覚えておくと、いいからって」
どこが飲みやすいねん。”酔いやすい”の間違いやろが。
「で?」
「半分、くらい飲んだところで、”もう無理”と思ったのだけど……」
「けど?」
「『口つけたグラスは、最後まで飲むのがマナー』と言われて」
ア ホ か !!
信じるなや。そんな、与太話。
悦ちゃんの知らんかった、飲まされた酒の正体や、嘘八百なマナーのことを諄々と説いて。
「知らん人にお菓子、貰ったらアカンって、小学生でも知っとるで?」
「は、い」
「嫌やったら、断れって、何べん言わす気や? ええ加減にせな、俺も怒るで?」
「……」
「あのな。酒で潰されるの、これで二回目やろ?」
「はい」
「何で狙われるか、分かっとる?」
一緒に飲んどるヨッコちゃんや、亜紀ちゃんと何が違うか、分かるか?
「悦ちゃん、チョロそうに見られてるんや」
「チョロそう?」
不思議そうに首をかしげている悦ちゃん。
ホンマに、分かっとらへんのやな?
軽く彼女の肩を小突くと、ダルマさんみたいに転がった。その両の手を、まとめて頭の上で拘束する。細い彼女の両手首なんか、俺の片手で十分掴めた。唇を奪おうとして、互いの歯がぶつかる。頭全体に響いた衝撃にかまわず、舌をねじ込む。
そして。
手探りで、彼女の服のボタンを外した。
「ん、ん-」
もがく悦ちゃんに一度顔を上げる。肩で息をするようにしている彼女の目が潤んでいる。
その目に、凶暴なモノが心の中で頭をもたげた。
一息に、彼女のブラウスをはだける。悲鳴を上げても、許したらへん。
新雪のような彼女の胸元に唇を落とす。
「嫌っ! ユキちゃん、嫌ぁ」
悦ちゃんが泣き声をあげた。
「ここで、やっとか」
俺も行為を止める。
「こんなことをしようと思って、アイツら酒飲ましてるんやで? 『この子やったら、ヤれる。楽勝や』って。ヤられても、多分文句いわへん子やろって。わかるか? 人として、女としてナメラレとるんやで?」
悦ちゃんの目じりから涙が流れ落ちる。
「こないなってから、嫌、って言うて。聞いてもらえると思っとるん?」
泣いたからって、許してもらえるん?
逃げられるって思うなら……
「振りほどいてみ? 俺、跳ね除けてみ?」
挑発するような俺の言葉に、悦ちゃんがもがく。
「今日なんか、二人掛り。いや……もしも、俺や広尾を呼びつけた連中もグルやったら、もっと大勢やな? 嫌や、言うて、逃げられたんか?」
逃げられへん、やろ?
それどころか、男の狩猟本能、めっちゃ刺激しとるで?
そろそろ潮時や、と彼女の手を離して体を起こした俺の下で、悦ちゃんが露になった胸元をかき合わせる。
あ、やばい……。
『アカン、やめとき』という良心と、アルコールに酔った頭の『ええやん、いってまえ』の衝動が綱引きをする。
一瞬走った疚しい衝動を抑えるために、彼女の顔だけを見つめて、穏やかな口付けをする。
「悦ちゃん、ごめん」
彼女だけに聞こえる声でささやく。
ホンマやったら、悦ちゃんが『いいよ』って言うてくれてから、こんな風に丁寧に触れたかってんで?
小さく吐息をついた悦ちゃんの、涙の跡が残る頬に引き寄せられるように頬ずりをする。
ああ、しもた。ホンマにやばい。
アルコールに燃える頬の温もりに、耳元で聞こえた『ユキ、ちゃん』と呼ぶ掠れた声に……。
箍 が は ず れ た
「偉そうなこと、言うたけど……ごめん。俺が、止められへん。このまま悦ちゃんを貰ても……ええ?」
自分で言いながら、『どれだけ、勝手なこと言うとるねん』と思う。
けれども、劣情という名のケダモノが目を覚ました俺は。
胸元を押さえていた悦ちゃんの手が、パタリとシーツに落ちたのを、OKのサインと見なした。
コトを終えて、事後処理をして。
頭の冷えた俺は、自分のしたことに愕然とした。
俺、なんてことしてしもたんや。
アイツらと、なんも変わらへん。
醜悪な”自分”を、これ以上、悦ちゃんの目に晒さんようにと、下着を身に着ける。
無垢な彼女の肌を、これ以上、俺の視線で汚さんようにと、掛け布団で包み込む。
「悦ちゃん。ホンマにごめん」
彼女の枕元で、頭を下げる。
涙でまつげをぬらした彼女がじっと俺を見つめる。
「怖かった、の」
「うん。ごめん」
「気持ち悪くって」
気持ち悪かったんや。
嫌われた、やんなぁ。
「嫌、だった」
「ご……め」
俺が泣くことや無いけど。
嫌われるのが、こんなに痛い。
「……す……んで……なの」
「ホンマにごめん。許してなんて、言うたらアカンけど」
そう言って、目をこすったところで。数拍遅れで脳に届いた、悦ちゃんの言葉。
え?
『あんなことをする相手、ユキちゃんでないと、嫌なの』?
今、悦ちゃん、そない言うたやんな?
掛け布団から、悦ちゃんの右手が伸びてきて。俺の左手にそっと触れた。
「”嫌だ”って思ったの。ユキちゃん以外の人に、あんなことされるのは、絶対に嫌だって」
「悦ちゃん」
「本当の意味で、何が”危ない”のか理解したと思うから……。心配をかけて、ごめんなさい」
伸ばされた彼女の手を、押し頂いて額づく。
「悦ちゃん、悦ちゃん、悦ちゃん」
あんなことした俺、許してくれるんか?
聖女に忠誠を誓うような気持ちで、彼女の指先にキスをして。
目の前にある血の色に、ドキリとした。
やってもた……。
「ごめん。怪我させてしもた」
「はい?」
「つめ、はがしてもた」
中指の爪の間に滲んだ血の色。
こんな色で、彼女を汚したくない、って。初めてのデートで思ったのに。
俺の手からスルリと手を取り返した彼女は、平然と傷を見て。なんでもないことのように、絆創膏を欲しがった。
布団に横になったまま、慣れた風に傷を舐めて手当てをする彼女の姿に、何度こんな怪我をしてきたのかと自分の爪が痛くなってくる。
「悦ちゃん。痛ぁない?」
「はい。こうしてれば、くっつくから」
「やけど……」
「ユキちゃんこそ。ココ、どうしたの?」
手当てを終えた指で指すほうを視線でたどって……。俺の肩?
「あー。さっき、ぎゅって、えっちゃんが」
掴んだんやけど……。多分、”オンナ”になった衝撃に耐えたとき。
一気に悦ちゃんが真っ赤に茹った。掛け布団に、顔の半分を隠す。
あー、思い出したんやな。どの瞬間やったか。
照れくさい思いをしながら、悦ちゃんを見てたら。
「あ」
布団から、顔が出てきた。
「どないしたん?」
「あの時に、爪が撓んだんだ」
「撓んだ?」
爪が撓む??
「ちょぉ、見せて?」
もう一度彼女の手を取る。あっちこっちと角度を変えながら眺めて。
「なるほど。薄いだけやなしに、反ってるんや。で、剥がれるんやな」
缶ジュース開けたら、割れるだけやなしに剥がれそうや。
奇しくも、彼女の傷ついた指に嵌ったシルバーリング。厄除けのリングと、指先の絆創膏に約束を。
「約束する。悦ちゃんを傷つけるのは、これで最後。二度と、無茶せえへんから」
絆創膏の上に、誓いのキスをする。
ほのかなゴムの香りを心に刻む。
忘れるな。
この香りが、俺の罪。
相当酔ってた彼女に風呂を使わせるかどうか迷いながら、ふと見あげた壁掛け時計は、日付が変わったことを示していた。
やべ。
「悦ちゃん、終電……」
どないしょう。
「家の人、心配しとるやんな?」
「あー。今日は、家に誰も居ないから……」
「ほな、泊まる?」
「いい?」
「こんな夜中に追い出してどないするん」
そうでなくても、酔っぱらいやのに。
俺の洗い替えのパジャマを着た悦ちゃんは、袖も裾も何度も折り返して。
その姿に、彼女との体格差を思い知る。
無茶、してしもた。と、再び後悔の念に捕らわれながら、一組しかない布団に二人で包まる。
「今日は誰も居らへん、って。どないしたん?」
「朝から、祖父母のところへ行っていて」
「あー、着物好きのお祖母ちゃん?」
「ううん。それは、母方で。今日は父方の方に。もうすぐお正月だから」
いつもより、ふわぁっとした悦ちゃんの声。
「お正月まで、皆そっちに居てはるん?」
「はい」
「悦ちゃんは、お祖父ちゃんのところ行かへんの?」
「はい。三ヶ日にアルバイトを入れたから」
「お正月に? そんな仕事、あるん?」
「巫女さん? あの、夏祭りに行った神社で」
「なるほど。悦ちゃん、着物似合うもんなぁ」
あー。俺も、眠なってきた。
互いの温もりで、暖を取りながら。
このまま
オヤスミ。