忘年会
バンドを始める、と言った時。悦ちゃんがまず心配したのは、俺も金髪にするのか、ってことやった。
まぁ、してもええかな、位には思ってるのやけど。
実際には、それ以前に錆付いた腕をどうにかせなアカンし、活動資金をひねり出すためにバイトも増やさなアカンし。
することが山盛りで、なかなか悦ちゃんとの時間が取られへん。
毎日の講義で顔を合わせられるから、まだええとして。空き時間にカフェテリアでとか、昼休みに学食で……って感じのデートとも言えん状態になってきてた。
その日も一緒に学食で昼飯を食ってて。
「ユキちゃん」
「どないしたん?」
「あのね。ご飯食べている時は、テーブル叩くの止めて?」
俺がドラムをやる、と話したときに悦ちゃんに指摘されたように、俺は時々無意識でテーブルを叩いているらしい。
まぁ、今はドラムの練習の話をしとったから、わざと、やけど。
「ああ。ごめん」
「うん」
ちょっとしたことやけど。『嫌や』が言えたな、ってこっそりと喜びながら、箸を手に取る。
それに、いつも『はい』やのに。何の加減か、『うん』やった。
ご飯の入ったグラタンみたいなやつを、フーフーと冷ましとる悦ちゃんに、ひとつ、確認することがあったのを思い出した。
「あー。それで、悦ちゃん?」
「はい?」
「サークルのスキー、どうするん?」
二月の半ばから、信州のほうに三泊くらい、と連絡がこの前あって。暮れの忘年会までに出欠の返事を坂口さんに伝えなアカンのやけど。
「ユキちゃんは?」
「どうしよっかなぁ」
「迷ってるんだ」
そう言いながら悦ちゃんがスプーンを口に運んだ。
「スキー行って腕折った、とか、悲しすぎるやん? 年明けのライブくらいから俺もステージ立てそうやし。あと。情けない話やけど。経済的に厳しい」
リョウたち四人は、高校時代からの知り合いで、バンドを目的に大学に入ったようなものらしくって、勉強以外の時間の全てをバンドにつぎ込んでいる。遊ぶ間もなく、練習してバイトして。
そのうえ。勉強までバンド活動に生かそうとしとるんやから……ホンマ、化けモンや。
そんな話をしながら味噌汁を飲んだ俺に、悦ちゃんが首をかしげる。
「他の子達は、前からの知り合い同士なの?」
「四人のうち、三人が同じ高校らしいな。あとの一人も中学校の同級生って」
サクとジンが中学の同級生。で、ジンと他の二人が高校の同級生。
初対面で、サクが『生け贄』って言うたように、織音籠はジンの声に惹かれた同級生が集まって出来上がったバンドやった。
「あれ?」
サラダにフォークを入れていた悦ちゃんがしばらく考えていたと思うと、妙な声を上げた。
「どないしたん?」
「ユキちゃん、転入生みたいに途中から入るの苦手って……」
合コンのときの話やん。半年前やで?
「よう覚えてるなぁ。悦ちゃんの、愛を感じるわ」
そう言ってみると、ぽっと頬に血を上らせる。
こんな表情、誰にも見せたないなぁ。悦ちゃんの隣で、ずっと居りたいなぁ。
そやけど、それと同じくらいの力で惹きつけられた織音籠。
やから、
「苦手を克服してでも、って。がんばってん」
なんてな。
人見知りの悦ちゃんとは違って、俺、人の中に入るの、平気やねん。
平気、な俺にしてもちょっと他では経験の無いくらい、織音籠のメンバーにすんなりと溶け込むことができた。精神年齢が似とるのか、特にサクとは馬が合うて、二人で馬鹿話をしては、マサに『いい加減にしとけ』と、叱られる。
やっぱり、ここ、俺の居場所や。
悦ちゃんの隣、と同じくらい大事な。
気分良くドラム叩いて、そのためにバイトをして。学校行ったら、悦ちゃんが居って。
毎日が、楽しくって仕方ない。
さぁ、今日も楽しい練習の時間や、って鼻歌交じりにスタジオの防音ドアを押し開ける。
なんやの? この光景。
「なにしとん? サクがジンを撫でてるって、気色悪いやん」
情けない顔をしたジンの頭を、軽く腕を伸ばすようにしてサクが、”ええ子、ええ子”って撫でとるし、その奥では、肩をすくめたマサが、コードを持って突っ立ってた。
俺のほうを向き直ったサクが、涙を押さえるようなしぐさをしてみせる。
「ジンが、かわいそうでさ。クリスマス前だってのに彼女ににふられたってよ」
「何したん? 彼女が嫌がるようなこと、したんと違うん?」
俺、絶対そんなこと、せぇへんもーん。って、内心で思いながら、荷物を降ろす。
「喜ぶこと、してくれねぇからだとよ」
サクが、面白がっている顔で事情を話してくれたけど。
誕生日プレゼント、なぁ。欲しいモンくれんかったからって、別れるか?
ああ、そうや。悦ちゃんの誕生日も近いな。俺も、何か考えなアカンなぁ。
足元で、低い声がした。
「俺、もうヤダ」
ジンがしゃがみこんで、床に”の”の字を書いている。
結構、キテんなぁ。そんなに好きやったんか。
「心配せんでも、そのうち、ジンにも春が来るって。泣かんとき」
「Thank you,ユキ。慰めてくれたのは、お前だけだ」
「惚れたらアカンで。俺、彼女居るねんから」
「誰が、惚れるか」
低く言いながら、ジンがクスリと笑う。
丁度そのとき、リョウが部屋へと入ってきて、今日の練習が始まる。
ジンの失恋のおかげで悦ちゃんの誕生日プレゼントに思い至った俺は、『十九の誕生日にシルバーリング』って世間の風潮に乗って、指輪をプレゼントした。
『厄除けのお守りやから、ちゃんとつけとき』なんて言ったわりに、サイズが合うてなくって、悦ちゃんの薬指からは、スルリと抜け落ちる。
「交換してもらおか?」
サイズが分からん、って言うたら交換できるから、って言われたし。
そやけど悦ちゃんは、他の指に順番にはめてみて右手の中指に収まりをつける。
そして。
「ううん。これがいい。ユキちゃん、ありがとう。大事にするね」
と、目を細めて微笑んだ。
羽二重餅を思わせる彼女の手に光るシルバーリングに、一つ、ひそかな決心を。
指輪なんかに”お守り”、任せる気ぃないから。
厄なんか、俺が除けたる。
指輪をしばらく撫でながら眺めていた悦ちゃんが、思い出したように尋ねてきた。
「クリスマスプレゼントを考えているんだけど、思いつかなくって。ユキちゃん、何がほしい?」
と。
”何?”ってなぁ。
一番欲しかった悦ちゃんも、居場所も手に入れたしなぁ。
指輪を気にするようにクルクルと回している悦ちゃんを見下ろしていて……。
「ファーストキス」
「はい?」
「くれたら、嬉しいねんけどなぁ」
そろそろ、アカンかなぁ?
ダメもと、で言ってみた俺に、悦ちゃんは、『ええっと、ええっと』と真っ赤な顔で困っとる。
「困るんやったら、ちゃんと『嫌や』って言い」
まだ、無理か。急ぎすぎた、と笑ってごまかす。
クリスマスプレゼント、には我慢するけど。
『嫌や』って言わんかったら、そのうちホンマに貰うで?
結局、クリスマスプレゼントには、悦ちゃんの誕生石の入ったイヤリングをプレゼントして。お返し、はどうなるかな? と思ったら、『嫌や』でもなく『ええよ』でもなく。ファーストキスはスルーされたまま、年末を迎えた。
十二月の最終土曜日にサークルでは、忘年会が行われた。
夏合宿同様、毎年恒例らしく、普段顔を見たことの無い四年生やOBまでが混じっての大宴会だった。
上座のほうで、歓声が上がる。
「何? どないしたん?」
隣のテーブルにいた総合大の女子、恭子ちゃんに尋ねると、彼女から伝言ゲームのように上座へ向かって質問が送られて行った。
返ってきた答えによると。
「なんか、四年生の人が、婚約したって」
へぇ。どんな人やろ。
周りよりデカイ身長を生かして、伸び上がってみる。
頬に右手を当てるようにして、左手の指輪を見せている小柄な女性。
あれは、確か……。
「悦ちゃん、夏合宿のときにお酒止めてくれた人、覚えとる?」
罰ゲームドリンクのグラスを片付けてくれた人、やと思う。
「ええっと……はい。多分」
首をかしげながら、悦ちゃんが応える。
そんな会話をしている俺たちの後ろにひざをついた根岸さんが、話に寄ってきた。
根岸さん情報によると、婚約したと話題になっている本間さんの彼氏が、このサークルのOBで。今日はその彼氏の同級生たちがスポンサーになっているとか。
『思いっきり飲んで、食べて。遠慮してたら負けよ』と、俺たちに妙な喝を入れて、根岸さんは座敷から出て行った。
しばらく飲んで食べて、ってしとるうちに座がばらけ出す。そのうちに大山さんから促されて、悦ちゃんたち女子が”スポンサー”にお酌に立った。
「何で、お酌がいるねん」
ぼやく俺に広尾がビールを注ぐ。
「そりゃ、一歳でも若い子についで欲しいんだろ?」
「若い言うても、彼氏持ちや!」
「それは、OBたちは知らんことだろうが」
オモロナイ、と思いながらビールをあおる。
「広尾は、かまへんの?」
「まだ、彼氏とは違うから、なんとも……」
複雑そうな顔で、奴もビールに口をつける。
「よー、野島。バンド始めたって?」
「ええ、まあ。って、高見さん。そこ、悦ちゃんの席やから、空けといてください」
「お、悪ぃ」
グラス片手に現れた二年生が、さっきまで悦ちゃんが座っていたところに座ろうとするから、阻止する。高見さんは、へらっと笑って、俺の逆サイドに座る。
「相変わらず、仲いいよな」
「おかげさんで」
移動してもろたお礼です、と言いながらビールを注ぐ。
しばらく世間話をしていた高見さんが席をたって。
向かいに座っとる広尾と、注いだり注がれたりしとるうちに、悦ちゃんたちが戻ってきた。ヨッコちゃんたちが座っていた席は、いつの間にか三年生に座られていて、彼女たちが文句を言いながら席を移る。
それを舌打ちしそうな顔で見送る広尾を横目に、悦ちゃんを隣に座らせる。
やっと悦ちゃんが戻ってきた、と思ったのに。
「おーい、野島と広尾。ちょっと来ーい」
野太い声が俺たちを呼ぶ。
「何で、入れ替わりで呼ばれるん? ゆっくり二人で飲まして欲しいわ」
「さっさと話し切り上げて、戻って来ようぜ」
広尾の言葉に、それもそうか、と腰を上げて。
新しいビール瓶を手に上座へと向かった。
上座では、OBやら四年生やらが座っていた。話題の本間さんを含めた四年生の女性は、他のテーブルに行ったらしく、男だらけのテーブルで彼らにビールを注ぎながら、教授がどうとか、会社がどうとか取り留めの無い会話を交わす。
途中で、席を立つやつがいたり、戻ってくる奴がいたりしながら、延々と引き止められた気がした。
「野島っ」
誰かの声に呼ばれて、後ろを振り向いた。
部屋の出入り口近くのテーブルで、女子が一人、横倒しで畳に倒れこんでいた。
あのスカート。座っている場所。
「悦ちゃんっ」
急いで、彼女へと歩みよる。
俺がたどり着く前に、彼女の隣に座っていた男が彼女の体に手を伸ばす。
「触んなっ」
俺の声に、ビクッと手を止めた男が俺の顔を見た。
下卑た笑いを貼り付けた顔が、癇に障る。
「悦ちゃん??」
抱き起こした彼女は、見たことの無いほど真っ赤な顔で。
「ユキ……ん、た……けて」
小さく俺の名前をつぶやいて意識を失った悦ちゃんに、心の奥底で、何かが壊れた音を聞いた。気がした
「この子に、何してん?」
「え、いや……」
「あぁ? 聞こえへん。はっきり言えや」
「……さ、いや……ああ、そうだ。ジュースを、飲んでいて……いきなり倒れた、から、俺たちも……」
テーブルの向こうに座ってた奴がしどろもどろに言い訳をする。
「ジュースやと?」
悦ちゃんの前においてあるのは、確かにグレープフルーツジュースに見えるけど。
片手に悦ちゃんを抱いたまま、グラスに手をのばす。
「あ、それは……」
「なんやねん。飲んだら、アカンのかいや?」
「いや、その……」
横目で、隣の男を睨みながら、グラスに口をつける。
「これのどこが、ジュースやねんっ」
思いっきり酒、入っとるやないか。
カクテルの何飲ませたんや? そう思ってテーブルのうえのメニューを探す俺の視界のなか。床の上に無造作に置かれたスーツのジャケットから、はみ出るように見えた青いボトル。
「ちょぉ、待てや。そのボトル、見せてみぃ」
「へ!? ボトルぅ?? そんなのもの、あれ?」
俺の指差した先、慌てて男が隠そうとしたブツを、木下が先に手に取った。
それは。
高校時代散々お世話になった、見慣れた五百ミリのペットボトル。
「ス・ポー・ツ・飲・料、持ち込んで」
「……」
「何、しようとしたんじゃ、ワレェ!!」
俺の大声に、店員がすっ飛んできた。
「あの、お客様……」
「あー、すんません。これ、何飲んだか分かります?」
俺の手から、グラスを取り上げた佐々木さんが店員に尋ねているのが聞こえる。
「野島。悦ちゃん、まだ未成年だよな?」
「今月、十九になったところです」
ひざに抱いた彼女の黒髪が乱れているのを、ゆっくりと梳きながら、問われた内容に機械的に答える。
「先輩、ことと場合によれば……罪に問われますよ。これは」
佐々木さんが言う。
おお、上等やん。罪に問うたれ、罰したれ。
ボソボソと話し声がしたと思うと、根岸さんの声がした。
「佐々木君、ブルドックらしいわ。それもアルコールが倍入ってる、って」
聴こえた言葉に、つい力が入って。悦ちゃんの髪がプツンと切れた手ごたえがする。
指にまといつく三本の長い黒髪を握り締める。
「未成年にそんなモン飲まして、その上、混ぜモンしたんかい」
「それは、その……」
「ジュース、って騙したんじゃねぇの。メニューはソルティドッグになってる」
誰かのボソッと漏らした言葉に、血が上る。
ソルティドッグなら、塩がついとるからカクテルやって、一目瞭然。それから、塩とったブルドッグに変えたってことは、どう考えても、騙そうとしたんやんな?
「騙したんか?」
「……」
「黙っとらんと、答えろや!」
テーブルを叩く音に、腕の中で悦ちゃんが、体を縮めた気がした。
「野島。落ち着け。お前は、悦ちゃん送って行け」
「そやけど……」
腹の虫がおさまらへん。
「お前も頭、冷やしたほうがいいし。悦ちゃんも、しんどいだろ?」
「……分かりました」
こいつらに、これ以上悦ちゃんの姿さらすのも嫌やし。
俺はおとなしく、佐々木さんの言葉に従って、悦ちゃんを抱えあげて店を出た。
アルコールなどで、体の自由を奪って乱暴をすることは、”犯罪”です。