初デート
合宿の後、そのまま帰省して。とりあえず一週間ほど、と両親には言うてあったのでその予定で、ダラダラと過ごす。
どこからか、俺が帰ってきとるって聞きつけたらしい友人らと、飯に行ったり、母校の練習を冷やかしに行ったり。
ただ、数ヶ月ぶりに会うた友人たちとはしゃいどっても、彼らからもたらされる他の奴の噂話を聞いとっても、時々ふっと、心が悦ちゃんの元へと飛んで行く。
そして。実家で居る時間は、といえば。
自分の部屋で畳に転がって天井を眺めながら、合宿の最後の夜に抱きしめた悦ちゃんの事を思い浮かべる。
柔らかかったなぁ。真っ白な肌を裏切るような肌の温かさと。それとは対照的なヒンヤリとした髪の感触と。
あーあ。いっぺんくらいデートしてから、こっち来たら良かった。
決めた。帰ったらすぐにデートしよ。
自分のアパートに戻った翌日、悦ちゃんに電話をかけた。
初めての電話にメッチャ緊張して。電話を取ったお母さんらしき人相手に、『悦ちゃん、居てはりますか?』って言いかけて、標準語に直さな、とあわてて言葉につかえる。
標準語、使い慣れへんからなぁ。ちょっと練習したほうがええのかなぁ?
何とか、彼女に取り次いでもらって、ほっと一息つく。
〔もしもし?〕
小さな悦ちゃんの声に、思わず笑みが浮かぶ。
〔悦ちゃん?〕
〔はい〕
初対面の日に、唯一返してくれてたのと同じ返事が、耳元で聞こえる。
『デートしよ?』っていう俺の言葉に二つ返事で、OKをしてくれて。
初めてのデートは、水族館、ってことになった。
今日も待ち合わせの三十分前に居る俺と、十五分前にくる悦ちゃんと。
「明日も、晴れ?」
まぶしそうに目を細めながら、悦ちゃんが尋ねる。
「当たり前やん。この雲ひとつ無い天気のどこに、雨降るん?」
そう言って青空を指差す。ツクツクボウシが『宿題済んだか?』と、大合唱をしている。
水族館へのバスに揺られながら、互いの兄弟構成なんかを話す。
悦ちゃんは、弟が二人。二歳差と、六歳差らしい。
二歳差……な。
この夏、二人目の子のお産で里帰りしとった上の姉貴一家のことを思い出す。
上の男の子が確か一歳と八ヶ月、やったか。丁度赤ちゃん返りの真っ只中で。
オフクロが言うとった。『アカンボのオシメくらい、ユキに換えさしたらええ。その分、朱美は上の子を抱っこして、相手したり』って。
何で、俺やねん、って思ったけど。俺も、当時八歳やった上の姉貴にオシメ換えてもらっとった時期があったらしい。三歳の下の姉貴が赤ちゃん返りしとったからって。
悦ちゃんも、赤ちゃん返りしたりしたのやろか?
そのとき、ちゃんと抱っこしてもろたか?
なんとなく、やけど。
悦ちゃんが断れずに、嫌なことも我慢してしまう原因がその辺にありそうな。
そんな気がした。
一方の悦ちゃんは。
俺が『四人兄弟の末っ子や』って言うたら、驚いたような、納得したような微妙な表情をしてた。
納得、されるんや。やっぱり俺、昔から言われるように、”年の割りにガキ”なんやろか。
水族館には、最近あっちこっちで流行らしいタッチプールが、作ってあった。
磯辺を模した浅い水槽の底に、ヒトデやナマコがゴロゴロと居った。
悦ちゃんは、毒々しい色をしたヒトデを手に乗せてみたり、ひっくり返したり。そんな彼女にナマコを差し出してみると……。戸惑いの声を上げて、背中に手を隠した。
幼稚園児、みたいやな。
そんな彼女の姿に笑いながら、ナマコを水槽に戻す。
態度は、『嫌や』言うてるのやけどなぁ。言葉、にならへんねんなぁ。
屋上に設置してあるタッチプールでしばらく遊んでたら、のどが渇いてきた。
壁の時計を確認したら、結構長いこと遊んどったことに気づく。
「悦ちゃん、ジュース買いに行こ?」
「あ、はい」
手を洗ってから、自販機を探して。
小銭を入れてから、悦ちゃんに選ばせる。
おお。困っとる。
自販機と俺の顔を見比べてモジモジしとるから、わざと手の中の小銭の音を立てて、急かす。
『エイッ』と、小さな声をかけて、ボタンを押して。出てきたのがカフェオレ。
彼女が手に取るのを確認して、次の小銭を入れながら、言ってやる。
「嫌やったら、言うたらええねんでって」
要らんなら、『要らん』。自分で買うなら、『自分で買う』って、言うたらええねん。
そう言いながら、自分の分のボタンを押して。
出てきたコーラを取ろうと身をかがめた俺の耳に聞こえた、『ありがとう』の言葉に、カッと顔に血が上ったのが分かった。
反則やわぁ。
俺、引っ掛け問題みたいなことしたのに。
『ありがとう』って、めっちゃうれしそうな声で言われてもたら。
もっと、言って欲しいって。
思ってしまうやん。
照れ隠しに、さっさと缶を開けて口をつける俺の横で、カッツンカッツンと音がする。
「悦ちゃん?」
「はい」
「また、開けられへんの?」
「……」
「もしかして、缶ジュース、苦手?」
両手で缶を握り締めるようにして、俯いた彼女。
だから。缶ジュース苦手なら、言えって。
まぁ、ええわ。もういっぺん、『ありがとう』言うてもらおか。
俺のを押し付けるようにして、彼女の缶と交換する。
そうや。『ありがとう』より、ええモンもらお。
「今日も、一口貰ってもええ?」
と聞きながら、すでに口をつけて。どない言うかな、と彼女の反応を伺う。
「また、間接キス、とか言うの?」
ブーッ。
思わぬ反撃に、噴いてしもた。
「えっぢゃ……。それ、反則ちゃう?」
あーあ。手ぇ、濡れてもた。
カフェオレやから、後でベタベタになるな、と思いながら、『言ってやった』って顔をした悦ちゃんに文句を言ってみる
「ホンマに。もう。イエローカードやわ」
クスクスと笑いながら差し出された、真っ白なハンカチ。
これ、コーヒーの染みつけるの嫌やな。
悦ちゃんにつく”色”は、俺の”色”でないと。コーヒーなんかに負けた無いわ。
「後で手を洗ってくるから、ええわ」
彼女がハンカチを仕舞う間、二つの缶を持って待つ。
あ、そうや。
「なぁ。悦ちゃん。”間接”やないの、する?」
「……ユキちゃんも、反則」
真っ赤になった悦ちゃんに、
「イエローカード一枚ずつやな」
と言いながら、カフェオレを返す。
赤みの残る頬の彼女が、口をつけた缶を見ながら、彼女には聞こえないように呟く。
そのうち、しよな。間接やないの。
その日の昼飯に入ったファストフードの店で、改めて悦ちゃんの爪を見せてもらった。
大学やバイト先で凶器になりそうな爪の子を見かけるたびに、『缶ジュース、どないして開けるのやろ?』『字は、どうやって書くのやろ?』と不思議やったけど。特に伸ばしている風でもない悦ちゃんは、何で缶が開けられへんのか興味があった。
オレンジジュースを飲みながら差し出された、彼女の左手を観察する。
「あー。これは、アカンわ」
「はい?」
「赤ちゃんの爪やん。缶なんか開けられへんはずやわ」
生まれたて、とまでは言わへんけど。赤ちゃん返りしとった甥っ子の爪やわ。
薄い爪やなぁ。セルロイドの下敷きのほうが丈夫なんと違うか?
今までは、身の回りの道具を使って開けてたと言う悦ちゃんに、必殺おねだり。
「これからは、俺に開けさせて?」
そいで、さっきみたいに『ありがとう』って言うてほしいなぁ。
悦ちゃんは、ウロウロとテーブルの上を見渡した後。
「い、や」
消えそうな声で言った。
おお。がんばったなぁ。えらいやん。
でもな。
「アカン。こんなすぐに割れそうな爪を見てしもたら、悦ちゃんに開けさすのは、俺が嫌や」
「がんばって言ったのに」
悦ちゃんの目が、情けなく細められる。ああ、泣かんといて、な?
「うん。がんばったやんな。けど、これは俺のわがまま、聞いて?」
がんばったのは十分、分かっとるねんで?
ホンマ、俺のわがままやねん。
悦ちゃん、怪我させたくないねん。
血の”色”で汚れてほしないねん。
コーヒーだけやない。悦ちゃん自身の血にも負けたない。
悦ちゃんに色をつける、全てのものに俺は嫉妬するねん。
夏休みが終わって、前期試験も済んで。
後期は悦ちゃんと履修を合わせたりして、一緒に居る時間を増やす。当然、休みの日はデートやし。
昼飯も帰り道も一緒に居るから、俺たちが付き合っとるのが広尾たちにバレるのは時間の問題やった。
「野島たち、付き合いだした?」
広尾の言葉に困ったような顔をした悦ちゃんが、お弁当を食べる手を止めて、隣に座ってる俺の顔を見る。
「合宿からでしょ?」
悦ちゃんを助けるように、ヨッコちゃんが、『何をいまさら』って顔で広尾を見る。
「ええっと、あの……ヨッコちゃん、どうして?」
「だって。亜紀ちゃんが合宿のときに二人がダイニングから抜けたの見てたんだもの」
そう言いながらスパゲティーをフォークに巻き取るヨッコちゃんに、広尾が負けじと
「新歓から、野島ってあからさまに”えっちゃん狙い”だったし」
古いことを言い出す。
お前かて、ヨッコちゃん狙いやろうが。自分は、どないなっとるんや?
「なのに、誰かさんは気づかずに合コン押し付けられてるし」
木下も、笑いながら悦ちゃんを睨んでいるし。
って、お前、バイトで居なかったやん。
「まぁまぁ。過ぎたことは、言わんといて。結果OKやし」
これ以上、悦ちゃん困らせたら、怒んで?
そうこうするうちに学園祭の季節がやってきた。
大学が数校集まっていて、通称”学園町”と呼ばれるこの地域では、ここ一ヶ月ほどの間は毎週のようにどこかで学園祭が行われる。
今年のトップを切るのが、看護大、やったかな。
まぁ、知り合いもおらへん大学の学園祭に行くのもアレやから。
その翌週に行われる総合大へと悦ちゃんと遊びに行った。
模擬店を眺めているところで、サークルの二年生の女子に声をかけられて。大山さんが出るというステージの催し物を見に行くことにした。
立ち見オンリーの野外ステージでは、ライブが行われていた。
「大山さん、なかなか出てこないね」
「そうやな。何番目か、プログラムがあったらええのにな」
そんなことを悦ちゃんと言い合っている頃。
ステージの上では次のバンドが準備を始めていた。
おー。すっげぇ。
なかなか。アレは見かけんわ。
「えらい気合入っとるっていうか……キテル連中やなぁ」
金髪の四人組、で、一人は、緑のグラデーションってなぁ。こいつら、普段どないして学校に来とるんやろ。
っていうか。そもそも。外見だけやったら、格好悪いパターンやな。
最近、叩いてないとはいえ、俺も伊達にドラム習ってきてないねんで?
それこそ、十年やったサッカー以上の時間、かけてきてん。
ここは、一つ。
お手並み、拝見。
少々意地の悪い見方をしていたのは、ヴォーカルが最初の数小節を歌うまで、やった。
オリジナルらしい、初めて聞く曲やのに。体が音に呼ばれるようにリズムを取る。
手も足も。全身を使ってリズムに乗りたくなる。
途中で悦ちゃんが何か言うてたのは、気づいたけれど。
意識を音楽から剥がせんようになった。
この音の中に、俺も混ざりたい。
音の中から、声がする。ヴォーカルの低い声とは別の声が俺を呼ぶ。
『お前の居場所、こっちと違うか?』と。
〈 みんな聴いてくれてありがとう。来週、ライブやります。良かったら、見に来てください。オリオンケージでした 〉
ヴォーカルが告げたバンドの名前を、忘れないように口の中で繰り返す。
来週、もう一度ライブ。見に行こう。
その日、”打ち上げ”の名目で行われた飲み会で、米山を捕まえて『オリオンケージ』の事を尋ねた。
キーボードが法学部の山岸、文学部でベースの原口と、ギターの中尾。で、ヴォーカルは学外生らしい。
話をするなら……緑色の髪をしてた、キーボードか。一番目立つ奴やから。探しやすいやろ。
それから、来週のライブの情報も得て。
サークルに参加して初めて、悦ちゃんとは別行動で飲み会を過ごした事に気づいたのは、駅まで彼女を送っていってからだった。
簡単に見つかる、と思ってた人探しが、意外と難しいのは、総合大のせいやろか。
薬学と、法学と、文学と、教育と……他にも学部があったっけ? とにかく広いし、人は多いし。
「法学の山岸? ああ、あそこ歩いてる」
偶然、通りがかった相手に尋ねた俺が彼の指差すほうに緑色の頭を見つけたのは、何回総合大に通ってからやったやろ。
「山岸?」
「あ? そうだけど?」
中性的な面立ちの山岸は、声をかけた俺のことを、目を細めるように見返してきた。
「この前の、学園祭のステージ見てんけど」
「ああ。ありがとう」
ふっと口元がほころんだ。
表情の一つ一つが、人をひきつける要素を持つような奴やな。
「で?」
「俺も、混ぜてくれへん?」
そう言った俺をじっと見た山岸は、腕時計で時間を確認すると、
「これから少し、時間あるか?」
と、尋ねてきた。
山岸に連れて行かれたのは、カフェテリア、らしい。うちの大学のと比べて、えらい洒落とるな。さすがは、人数の多い総合大。
「楽器、何かしてるのか?」
「ドラム、を」
ドラム、おらへんやろ?
うーん、と腕組みをして考えていた山岸がちらりと俺の背後を見た。
「サク、ちょっと」
立ち上がった山岸が呼ぶ声に、グラスを手にした男子が一人近づいてきた。ベースの奴、だよな。
「更なる、バージョンアップの申し出があってな」
立ったままの二人に見下ろされるのが居心地悪くって、俺も立ち上がる。
へぇ。
俺と目の高さが変わらんとはな。こいつら、結構でかいよな。
って。見るからに、でかそうやったヴォーカルって、何センチやねん。
「なあ、ジンの声って身長で生け贄を選んでるのか?」
『サク』と呼ばれたベースが、グラスに口をつけながら山岸にそんなことを言う。
『いけにえ』って、なんやねん。
それに、身長関係ないやん。
「こら、サク」
とがめるような山岸の声に”サク”が首をすくめる。
「うちの大学?」
意外と落ち着いた声で尋ねてきたサクに、経済大の学生と答えると、『なんで?』『楽器は?』って。
なんで、おんなじ話をもういっぺんせなアカンねん。
ちょっとイラっときたところで
「一度、一緒に練習してみるか」
それまで黙っていた山岸が口を開いた。
「ええのか?」
「聞いてもいないのに、拒絶したら惜しいだろ?」
よし、とりあえず第一関門突破。
ほっとした俺に、山岸が軽く笑いながら名前を尋ねる。
「野島 和幸」
「俺は、山岸 亮。こっちは」
「原口 朔矢」
ああ、なるほど。だからサク、なんや。
この場にいない二人とは、また後日、ということで。
結果として俺は、彼らのバンド、織音籠に迎え入れられた。
ヴォーカルで外大生のジン ー 今田 仁 ー 、ギターのマサ ー 中尾 正志 ー、それから、リョウ ー 山岸 ーと、サク、の四人の新しい仲間ができた。