夏休み
”合コン”の翌週。
月曜の朝一で広尾を捕まえた俺は、まず週末の件を謝った。
「あれは、野島は帰って正解」
鷹揚に手を振りながら広尾が苦笑する。
「そうなん?」
ちょっと来い、と無人の学食へと引っ張っていかれて、二人で一時限目を自主休講にした。
購買で買ったコーラを開けながら広尾が言う。
「結局、悦ちゃんは、何で遅れたんだ?」
「変更や言うて、待ち合わせの時間をずらされとった」
「ははぁ。計画的犯行、か」
頷きながら、俺も自分のサイダーに口をつける
「居酒屋行ったらな、女の子が一人来ててさ。『きゃぁ、奇遇ねぇ。私も混ぜて?』って」
「はぁ?」
「そしたら、あの……赤い服の子が」
ああ、”主犯”女な。
「『もう少ししたら、野島君も来るだろうから、四人になって丁度いいよね?』ってさ」
「……何が丁度ええねん」
あの”主犯”め。いっぺん絞めたろか。
「完全に悦ちゃん、ダシにしたな、って感じだろ? だから、お前は来なくって正解」
「……」
「最後までお前が来なかったから、『無事に野島と悦ちゃんは、めぐり会えたのでしょう。めでたし、めでたし』ってことで、お開きにしておいた」
腹立ち紛れにサイダーを、一気に飲んで咽る。
サイダーにも、あの女にも腹が立つ。
悦ちゃん、泣かせんなや。
溶けていってしまいそうな儚さで泣いていた彼女の姿を思い出して、胸が詰まる。
もしも悦ちゃんに”イチャモン”をつけたら、そのときは遠慮なく……と、物騒なことを考えとる俺の顔色を読んだように、その後何度か学内で顔を合わせた”合コン”メンバーの女子は、俺を見るなりそそくさと、逃げる。
おかげで、悦ちゃんも要らん気苦労をせずに済んだみたいやった。
夏休みまでに数回、テニスと飲み会があって。
そのたびに俺は、集合時間の三十分前には着くようにした。
「野島君、こんばんは」
「悦ちゃん」
納涼会の名目で集まる今夜の悦ちゃんは、涼しげな袖なしのワンピース姿。
腕、白いなぁ。
「どうしたの?」
「悦ちゃん、海とか行かへんの?」
「海は泊りがけでないと……」
「あ、そうか。ここ海水浴場から遠かったなぁ」
「野島君の地元は?」
「うん、あるで。泳げる海が。結構水、汚いけどな」
海開きになったら、毎年地元のニュースになる海水浴場が市内にあった。高校生の頃は、何度か部活の無い日に友達と行ったなぁ。
あ、そう言えば。
あの”声”。最近、聞こえてない。
俺の居場所、ココなんかなぁ?
「野島君?」
「あ、ごめん。どないしたん?」
「野島君こそ、どうしたの?」
「俺?」
「はい。遠いところ見ているから……」
「うーん、悦ちゃんとあそこの海行ったら、楽しいかなぁって」
「……」
あ。真っ赤になって、俯いてもた。
その日の飲み会に、木下が一枚のチラシを持ってきていた。
大学近辺の氏神さんで、夏祭りがあるという。
「皆で、行こうよ」
言い出したのは、総合大の恭子ちゃん。
「皆って、サークル全員でかよ?」
「一年生だけで行けば?」
ワイワイと相談が盛り上がって、いつの間にか当日参加できる一年生で集まって行くことになった。
帰省、の予定は未定やったから……悦ちゃんが行くなら、俺も参加にしようかな。
「女子は浴衣!」
広尾が叫ぶ。
お前、酔っとるやろ。”女子”やなしに、”ヨッコちゃん”の浴衣が見たいだけと違うんか。
『持ってない』やの、『着れない』やの。ひとしきり騒いだあと、満更でもなさそうな雰囲気で女子から、浴衣にOKが出た。。
お開きになって、ゾロゾロと駅へと向かう。
さっきの浴衣の件、悦ちゃんは特に口を挟まずに決まってしもたけど。また、断りきれずに流されたのと違うやろか。
「木下たち、あんな事言うてたけど。電車で来るのに、浴衣は大変なんと違う?」
楠姫城の西隣、鵜宮市の実家から通っとる悦ちゃん。
大変やったら、断ったらええねんで?
「ううん、大丈夫」
「そう?」
「母方の祖母が着物道楽で。私も子供の頃から、それなりには着慣れてるから」
「へぇ」
着慣れとる、か。
悦ちゃんの着物姿……めっちゃ、似合いそうやん。七五三の被布姿とか、見たかったなぁ。
って、おい。俺。どこまで妄想が……。
「野島君は、帰省しないの?」
「うーん。合宿が終わったら、そのまま帰ろかな」
俺たちのサークルでは、西隣の県でお盆の頃にテニス合宿をやる予定になっとるから。新幹線に乗るには、そっちから行ったほうが便利やし、電車代もお得。
そんな話をしながら、駅まで悦ちゃんを送って行って、俺は自分のアパートへと今来た道を戻る。
そうして迎えた、八月初旬の夏祭りの日。
いつもどおりの時間に、俺は待ち合わせの駅へと向かった。
サークルで待ち合わせるときの目印になっている大時計の下。藍色の浴衣姿の女性が一人、佇んでいる。
「あー。負けてもた」
今日は、悦ちゃんのほうが早く来とった。
おお。間近でみると、さらに色っぽいというか……。
藍色と彼女の色白の肌のコントラストが、最高。長い黒髪も、アップに纏めてあって、簪がさしてある。
「さすが。様になっとうなぁ」
「そう?」
目を細めて笑う悦ちゃんの頬に、パッと血の色が上る。
「うん。似合う」
無色透明な彼女に添えられた色に、氷柱花のイメージが重なる。
それはそうとして。
「悦ちゃん。いつから待っとった?」
「ええっと。さっき来たところ」
「そっか。うーん。電車の時間、読み間違うた」
もう一本は遅いと思ってたのになぁ。フェイントやわ。
「最近いつも、早めに待ちあわせに来てた?」
そっと、俺の顔を覗き込むようにしながら尋ねてきた悦ちゃんの声に、我に返る。
「いや?」
別に? 悦ちゃんを待たせたくない、なんて。俺の勝手な、自己満足やし。
子供時代に良くやった下駄飛ばしを例に引き出して。
「悦ちゃんより早く来れたら、晴れるねん。今まで、全部当たりやし」
そんなええ加減な事を言うた俺を、半信半疑って顔で見とる彼女にダメ押しで
「俺の楽しみやねんから。わざと早く来たりせんとってな?」
って、言ってみたら。
『もう、しゃぁないなぁ。ユキのお願い、聞いたるわ』って、呆れとった上の姉貴とよく似た笑い方で悦ちゃんが頷いた。
皆でゾロゾロと、神社に向かって歩いて行く。
悦ちゃんの隣をキープしている俺の前を、広尾がヨッコちゃんや同じ経済大の亜紀ちゃんと歩いている。その前や、後ろにも仲間がゾロゾロと。結局、参加が十人、って皆ヒマやな。
「おい、タコ焼きがあるぞ」
「おれ、イカのほうが食いたいなぁ」
「箸巻き、ってなに?」
好き勝手なことを言いながら、端から屋台を覗いていく。お参り、が先と違うのか? って言うのは、ヤボ、か。
やっと手水舎にたどり着いて。
手を洗うだけの仕草やのに、悦ちゃんの一挙手一投足に目が奪われた。
この子のそばに、ずっと居れたらええのになぁ。
心によぎったそんな思いが、そのまま拝殿で神さんへのお願いになった。
チラッとこっちを見た広尾となんとなく、目で会話のようなことをして。参道を戻りながら、じわじわっと他の連中と距離を置く。
「あ、金魚すくいや」
悦ちゃんに声をかける。
「悦ちゃん、金魚すくいって得意?」
「ぜんぜん、だめ。野島君は?」
「俺も、アカンわぁ。金魚くらいやったら、アパートでも飼えそうやねんけど」
「動物、好きなんだ」
「うん。犬も、猫も好きやで」
悦ちゃんのことは、もっと。
なんて、言えたら……ええねんけどな。
「はい? 野島君、何か言った?」
俺の独り言に覗き込んできた悦ちゃんの手をとって。
「悦ちゃん。りんご飴、買おう」
ぐいっと引っ張った俺の力に、一瞬目を見開いた悦ちゃんが、クスリと笑い声を落として目を細めた。
お盆前に行われた、サークルの夏合宿、という名のミニ旅行は、テニスの合間に飲み会をはさんだような二泊三日だった。
いわゆるペンション、ってやつに泊まって、飲んで騒いで、体を動かす。
見事なまでの初心者やった悦ちゃんも、なんとなくテニスらしくなってきて、隅っこのほうで亜紀ちゃんらとラリーのようなことをやっとる。
俺は、ちょっとコツがつかめてきて、大山さんと組んで試合もやった。
やっぱり体を動かすの、気持ちええなぁ。
小さい頃から落ち着きが無い、って言われてた俺やから、目一杯汗をかけるのはめっちゃ気持ちええ。何で、忘れてたのやろ。
大学でも何かまじめに運動、始めよか? サッカーまた始めるか?
あ、でも。体育会に入ったりしたら、悦ちゃんと居れる時間、減ってまうな。
久しぶりに気持ちのええ汗をかいて、試合の緊張感も味わって。楽しい夏休みや、と思いながら、二日目を迎えた。
その日は毎年恒例らしく、四年生が差し入れをもってきた。
レジ袋一杯に、ジュースや、お酒を詰め込んで。
「うぉー。ありがとうございます」
受け取った佐々木さんが、相好を崩す。
「こんなにいっぱい。大変だったんじゃぁ……」
横から覗いた三年の根岸さんが、心配そうな声を出す。そりゃ、そうか。めっちゃ量ありそうやし。
「本間が車出してくれたから、楽勝」
「本間さんが?」
「うん、実家こっちだから。父の車をね」
小柄な女性がキーを見せて笑う。
人は見かけによらない、っていうけど。『運転なんて、できないー』って言いそうな人やのに。なんか、意外や。
上級生から、順にジュースを取り合って。俺たちにも番が回ってきた。
結構、汗かいたし。スポーツ飲料、やな。
特徴のある青い缶をもらって、口をつける。うーん。これがうまいのは、汗がかなり出た証拠、やな。普段飲んだら、俺には甘すぎる気がする。
飲みながらふと視線を落とすと、悦ちゃんが缶をあけようとしてエライ苦労しとるのが目に入った。
「なんや。開けられへんの?」
声をかけると、困ったような顔で俺を見る。
「これ持って」
俺の分の缶を渡して、彼女の手からオレンジジュースの缶を取り上げる。
スチール缶、なぁ。時々プルタブが固いやつあるもんな。
軽く力をこめて開いた缶を彼女に返して、自分の分に口をつける。
『ありがとう』と言う悦ちゃんに、冗談めかしてお礼をねだってみる。
「悦ちゃん。そのジュース、一口ちょうだい」
「オレンジジュースが飲みたかったなら、全部あげようか?」
「一口で、ええって。味見したいだけやし」
なんの衒いも無く差し出された缶を交換して、オレンジジュースに口をつける。
さすが果汁百パーセント。甘酸っぱい香りが咽喉を滑り落ちていく。
俺が缶を返すのを待っていたように、悦ちゃんがジュースに口をつけた。
分かって、ないやろな……と思いながら
「悦ちゃんと、間接キスー」
と、言ってみる。
「えぇっ!?」
慌てたそぶりで、缶を持っていない左手で口元を押さえて。ジュースを睨んだと思ったら、困ったような顔で俺を見る。
意識、した? 俺のこと。
男、やねんで?
その夜は四年生も泊り込んでの宴会だった。
ペンションのほうも毎年のこと、と織り込んでくれているらしい。
ダイニングを借り切って、って。ペンション自体が貸しきりやな。
飲んだ後で帰らんでもええのが、これほど箍を外すとは知らなんだ。
普段、おとなしく飲んでるイメージのある先輩までが、大トラになっとるし。
そんな先輩らの乱痴気騒ぎに、おびえたように隅っこで息を殺しとる悦ちゃんの横で、俺もおとなしくビールを飲んどった。
俺の正面には木下。その向こうに広尾。
「一年せーい。飲んでるー?」
妙なテンションの四年生が酒を片手に悦ちゃんの正面に座った。
まずったなぁ。あそこの席、埋めとくべきやった。
『十分に飲んでまーす』って、木下が流そうとしたのをかいくぐるように、グラスの空いとる悦ちゃんが目をつけられた。
強引に彼女のグラスを取り上げて、手に持ってきたピーチフィズらしき瓶から、ええ加減に酒を注ぐ。
悦ちゃーん。
『桃はすきか?』『あ、はい』と違うって。分かっとる? それ、酒やで?
立ち上がった四年生が、部屋の片隅から昼間の残り物のジュースを取ってきた。
それ、ホンマにシャレにならんって。昼間に俺が飲んどったのと同じスポーツ飲料やん。
四年生のあからさまな”潰す意図”に、やきもきしている俺の横で、悦ちゃんが慄いた顔をした。
『飲みたないやろ? 断れ!!』って、いくら俺が思っても。断るのが苦手な悦ちゃんに、断れるわけが無いやろうけど。
案の定、誰も何も言えないまま、怪しげな飲み物が出来上がってしもた。後は、悦ちゃんが手に取るだけ、って状況。
アカン、なぁ。このままやったら、ズルズル行ってまうやんなぁ。
「うわぁ。まっずそう。それ、罰ゲームちゃいますのん?」
「なにぃ」
ギロり、と酒に充血した目が俺を睨む。
よし、成功。四年生の意識を俺に向けさせることができた。
「スポーツ飲料と他の飲みモン混ぜたら、飲めたもんやないですって。高校のときに、コーラと混ぜたら……人間の飲みモンや無かった」
そんなモン、俺も飲んだこと無いけどな。
「おまえ、馬鹿か」
「『馬鹿』、言わんとって。俺、関西出身やから、傷つく」
ナイスアシスト。木下の言葉に便乗して、話をそらす。このまま、いわゆる”アホ・バカ談義”に持ち込めたら……。
「お前らぁ」
あ、マズ。
逆に、怒らしてもたかも。酔っ払いが、アルコールだけやない顔の赤さになっとる。
「あの……」
空気を察したように悦ちゃんが声を上げえる。一番まずいパターンと違うか? これ。
しゃぁないな。最後の手段や。
「罰ゲームやったら……」
グラスのふちまでビールを満たして、立ち上がる。
「野島、イッキやりまーす」
座の盛り上がりを味方につけて、上級生の怒りを納めることはできたらしい。上級生が席を立ち、悦ちゃんへの”罰ゲームドリンク”も、イッキ飲みの直後に現れたあの本間さんによって、回収された。
新しいグラスを渡してもらった悦ちゃんが、本間さんを見送っている姿に、一つ安堵の息をつく。
「あー。やばかった」
俺の独り言に、きょとん、とした顔でペットボトルのお茶を手に取る悦ちゃん。
分かってへんのや。
呆れにも似たイライラが募る。
「悦ちゃん。あれは断らな」
「はぁ」
「酒とスポーツ飲料って、潰すときの定番やん」
うーん? と違うって。
「ホンマに、もう。分かっとう? 危なかってんで?」
しっかりせな。目ぇ、覚ましや?
彼女の両肩に手を置いて、グラグラと揺さぶる。
「野島君、ストップ」
俺の胸に片手をついて。ふたの開いたお茶のペットボトルをもう片手で胸元に抱え込んで困った顔をしている悦ちゃん。
「あ、ごめん」
うーん。どないしたら、ええのかなぁ
気を取り直したようにお茶を注いでいる彼女の姿を眺める。
もう、俺の彼女になってしまい?
そしたら、堂々と守ったれるから。『俺の彼女に、手ぇ出すなや』って。
うん。それは、名案や。
OKしてくれるかどうかが、一か八か、やけど。
「悦ちゃん、ちょっと」
お茶をテーブルに置くのを待って。彼女を廊下へと連れ出した。
意を決した、つもりやけど。
いざ、となると言葉に困る。
なんて、言おうか……と考えている俺の前で、悦ちゃんは居心地悪そうに薄暗い廊下で俯いている。
「悦ちゃん、今、好きなやつとか……おる?」
あ、やっぱり突然すぎるか。
細い目を一杯まで見開いて、悦ちゃんが俺の顔を見る。
酔ってへんで?
「居らんかったら、俺と付き合うて?」
「……はい」
「って。嫌やったら、ちゃんと言いよ?」
「嫌、じゃない。と思う」
あまりにあっさりと返ってきたOKに、却って不安になる。
流されてへんか? ホンマに?
まあ、ええわ。役得、としよ。
「ほな、悦ちゃん」
「はい」
「大学卒業するまでには、俺を振れるようになりな?」
それでも、万が一。彼女が流されていたときのために、保険を残してやる。
「振られんように、俺も努力するけど。嫌になったら、ちゃんと言えるようになり」
俺が傍に居れる間に、強くなり。社会人になったら、自己責任やで?
戸惑うように俺の名前を呼ぶ悦ちゃんに、一つ”彼氏”としてのおねだりをする。
「ユキって、呼んでぇな」
「ユキ、ちゃん?」
俺の顔を伺うような上目遣いの悦ちゃんに呼ばれた、自分の名前。
こんな簡単なことで、有頂天になれる自分が信じられへんけど。
久しぶりに心の内側の、声を聞いた。
『”この名前”を呼ばれるところが、俺の居場所だ』と。
感極まって、目の前の彼女を抱きしめる。
前言撤回。
「悦ちゃん。四年間なんかで、逃がさへんで。覚悟して、『嫌や』言う練習しときや」