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決意の彩り

 『何年でも待つ』って言うたのは、確かに俺やった。悦ちゃんの”同期”を含めた、他の男への牽制は怠らんようにして待とうと思って、覚悟はしてた。

 そうやけど。ホンマに一年以上も、返事がないとは思ってなかった。


 その一年の間に、周りでどれだけ変化があったことやら。


 まず、仕事の面では俺たちの曲がCMで使われることになった。

 プロポーズから、一年近くが経とうとしてたから、『これをきっかけに返事がもらえへんかな』って、ちょっと期待はしたのやけど。

 悦ちゃんの覚悟には、残念ながら繋がらへんかった。


 『焦らへんって、言うたやろ』って自分を宥めながら、さらに待つ。



 プライベートでは……。


 JINとMASAが二人して『用事がある』って、さっさと帰ってしもたある秋の夜。

 ライブのあとの打ち上げが、楽屋で軽くビールを飲んだだけやった俺は、楽屋に顔を出してくれた悦ちゃんと、遅い晩飯を取ろうと駅とは逆方向にあるファミレスに向かった。

 プロポーズの返事はくれへん悦ちゃんやけど。

 数年前から、織音籠(オリオンケージ)単独でのライブの後は楽屋に顔を出してくれるようになってて、この日もホンマやったら、皆と打ち上げに行く予定やった。


「ねぇ、ユキちゃん。あれ、ジン君よね?」

 店の入り口。ドアを開けたところで、軽く俺の袖を引いた悦ちゃんが、小声でささやく。


 禁煙席の片隅で、JINが若い女の子と飯を食っとった。

 確かに、”大事な用事”やわ、なぁ。


「かなり、若そうな子やなぁ。あれ、未成年と違うん?」

「どうだろうね」

 今までの彼女とはかなり毛色が違うその子は、若いだけやなしに、いつやったかJINが好みやって言うとった、おとなしそうな外見をしとった。

「悦ちゃん、邪魔せんとこか」

「うん」

 店員に声をかけられる前に、そろっとドアから外に出る。


 後日、SAKUが言うには、JINがつれとった彼女は、”常連のファンの子”らしく。

 それからも何度か、ライブハウスのバックスペースでJINを待つ姿を目にした。



  学生時代、『虫よけ』やなんて、ひどいことを言いながら女の子と付き合ってたRYOは、地震の年に楽器を壊して。その修理にやってきた”幼なじみ”の女性技術者と、嬉しそうにじゃれ合うていた。

 デビューが決まった時の”約束”が果たせたんやな、って見とったら、”田村さん”って名前のその人は、年に数回、メンテナンスにやってくるようになった。

 特にこの年は、新しいCDを出すのに合わせて楽器の設定をいじったらしく、そのフォローの為にいつもよりも頻繁に、彼女に来てもらっとった。

「田村さん、”落とす”気なん?」

 って尋ねた俺に、

「俺、自分から告白ってした事ねぇんだよな」

 って、自慢か自嘲か分からん事を言うたRYOは、『山岸!』って呼び捨てる田村さんの声に、優しい顔で返事をしとった。



 そして、いつ頃からか決まった彼女を作らなくなったSAKUは置いておいて。

 誰よりも変化の大きかったのが、MASAやった。

 悦ちゃんにプロポーズした翌年の二月。久しぶりにゆりさんがライブに来た。悦ちゃんも居るから、『皆でそのまま、打ち上げに』って行ったいつもの居酒屋での乾杯の後。

「今度、結婚することにした」

 MASAはしれっと爆弾発言を投げ込んでくれた。

 その言葉に、悦ちゃんを含めた皆が、騒然となった。あ、JINはあの若い彼女ー美紗ちゃんーと、デートらしくて欠席やったけど。


「何が、『きっかけがつかめないー』やねん」

「うん。YUKIが言うように、バーンと受け止めてもらった」

 ゆりさん、やもんなぁ。

「やろ? ちなみに、プロポーズの言葉は?」

「ストレートに、『結婚しようか?』って」

 で、それに対する返事が『まっくんの、ばーか』って。

 相変わらず、すごいわ。ゆりさん。


 そんな話をしとる俺らとは別に、悦ちゃんとゆりさんが頭をくっつけるようにして、なにやらヒソヒソとナイショ話をしてた。

 ゆりさん、悦ちゃんの背中、押したって。

 俺が、バーンと、受け止めたるから、って。



 そんな ゆりさんとMASAの結婚式が六月に行われて、俺たち二人も招待された。

 ゆりさんのドレス姿がきれいやった、って話しながらの帰り道。

「悦ちゃんもドレス、着たいと思わへん?」

「ええっと」

「あー、悦ちゃんやったらドレスよりも、打ち掛けの方がええかなぁ?」

「……」

 ちょっとだけ、押してみたら困った顔で俯いてしもた。

 まだ、覚悟、できへんねんな。

 やっぱり、俺の仕事柄、やろか。CMの仕事以来、ギャラも上がって、順調やねんけど。不安定なのは、多分一生変わらない。

 去年、『ヨッコちゃんと結婚した』って連絡をくれた広尾は、全国展開しとる大手企業で、がんばっとるらしいし。MASAも、『生活が心配』みたいなこと、いつやったか言うてたしなぁ。


 急かしても仕方ない、か。

 伊達に学生時代から十年以上も、『悦ちゃんを待たせたない』っていつも早くに待ち合わせに行ってたわけと違うし。

 俺、待つのは、慣れとるのやから。

 納得いくまで悩んで、決めたらええわ。

 な? 悦ちゃん。



 そんなことを思って、俺はもう一年でも待つつもりやった。


 その年のお盆も過ぎて、そろそろセミの鳴き声も寂しくなってきた頃。JINがライブの後の楽屋に、初めて美紗ちゃんを連れてきた。部屋の隅のパイプ椅子に座らされた彼女の様子が、どこか尋常やない感じやった。

 例えて言うなら……学生時代の、具合の悪くなったときの悦ちゃんみたいな。

「悦ちゃん」

 この日も、楽屋に顔を来てた悦ちゃんを小声で呼び寄せる。

「あの子、ちょっと具合悪そうやと思わへん?」

「うん」 

 心配そうに美紗ちゃんを眺めた悦ちゃんが、お茶の入った紙コップを手に、そっと近づく。二言、三言、言葉を交わしてコップを手渡すと、ソロリと戻ってきた。

「お茶は飲めそう、って」

「そっか」


 俺の視線の先で、JINが、”Thank you”と口を動かしたのが見えた。  


 その些細なやり取りが自分たちに関係してくるとは、俺も悦ちゃんも、まるっきり思ってもみなかった。



 それから数週間が経って、秋の気配が漂いだした頃。

 その日のステージが終わって、美紗ちゃんは楽屋に来たっていうのに、悦ちゃんは、なかなか姿を見せへんかった。

 誰かに連れて行かれてへんか、って心配になって。チラリチラリとドアを見やりながら、着替えをしてた俺は、聞こえてきたノックの音に、『やっと来た』って、ホッとした。

 けど。その次の瞬間、ドアから姿を表した悦ちゃんの表情に一気に頭に血が上った。


 そのまま、引きずるように廊下に連れ出して。彼女の姿が誰からも見えへんように、壁と俺の体でぎゅっと隠すように抱きしめる。

 悦ちゃんは……久しぶりに見る、血の気の引いた顔をしてた。いつ、あのヒューヒュー言う苦しそうな息遣いをしてもおかしくないほどの、俺にとっては緊急を要する危険な顔色やった。

「なんか、あったやろ? 顔色わるいで?」

「スタッフの人に……」

 飯に誘われて、手を捕まれたやと?

 どこのボケや、そんなことしたやつ。

「ここの責任者の人が、通りかかって助けてくれたの」

 話しながら、だんだんと涙声になってきた。俺のシャツの胸元も濡れるのが分かった。

「怖かったな。もう大丈夫やから」

 そう言うた俺の腕の中で、悦ちゃんはひとつ、頷いた。

 そして、イヤイヤをするように頭を振る。

「どないしたん?」

「ユキちゃん。ユキちゃんじゃないと嫌」

「うん?」

 脈絡、ないなぁ。話がめちゃくちゃになるほど。そんなに怖かったのやな。

 責任者の岡田さんのところ行って、いっぺん話しつけんとアカンな。


「ユキちゃん」

「うん。ここ居るで」

「私と一緒に、この街の子になって?」

 えぇ? ここで、プロポーズの返事、くる?

「悦ちゃん。ホンマ? ヤケクソ起こしてへん?」

「はい」

 本気やねんな? 信じるで? 

 思わず抱きしめた腕に力が篭る。

「ユキちゃん、と一緒、私、も、この街の子になる」

 力が強すぎたのか、途切れ途切れの悦ちゃんの言葉。

 悦ちゃんの覚悟が決まった過程は、まるっきり見えへんけど。その返事だけで、俺には十分やった。


 うん。悦ちゃん。

 一生、一緒に。この街の子になろな。



 この前の美紗ちゃんみたいに、悦ちゃんを楽屋の片隅に座らせといて。

「ちょっと、悦ちゃんがトラブったから、事務室、行ってくるわ」

「ん」

 手近におったJINに言い置いて向かった事務室では、デスクに座った岡田さんの前でうなだれとる若いバイトが居った。

 コイツ、か。確かにあまりええ噂、聞かへんな。

 客の女の子、ナンパばっかりして、働かへんとか。


「”ウチの”が、”世話”になったそうで」

 軽く、一発。

 俺の声に反応して、バイトがビクリと体を揺らす。ソイツに険しい顔を向けとった岡田さんがため息を落として、俺の顔を見た。その顔に疲れたような苦笑が浮かぶ。

「ああ。悪かったな。彼女、大丈夫か?」

「大丈夫、なわけ、ないと思いません?」

「だとよ。客は客でも、稼ぎ頭のバンドの身内、だぞ。おまえが手を出そうとしたのは」

「……」

 岡田さんの言葉に、いじけた様な目で俺を見るバイトを睨み返すと、慌てたように視線が床に落ちた。

「次から次へと、まったく。”織音籠のYUKI”だから、穏便に話してくれてるって、分かってるか?」

 そう言って、岡田さんが例えに出したのは、この近辺では一、二を争う喧嘩っ早いバンドのギターの名前やった。

「あそこの彼女にも、お前ちょっかい出して殴られたそうじゃないか」

「……はい」

 そのバンドとは、俺も助っ人に呼ばれて一緒にやったことが数回あるけど。本人も、彼女も相当気が強かった覚えがある。

 なるほど。それで学習して、おとなしそうな悦ちゃんにちょっかい出したか。


 まあ、ここは。岡田さんの顔を立てて……”穏便に”話をしとこか。



「あんな、ニィちゃん。おとなしそうな女の子の周りに居るのが、おとなしいヤツばかりとは限らへんねんで? わかるか? 女の子が、『嫌や』って言うたら、引くこと覚えるのも大事やと思うで?」

 肩を抱くようにして、男にしては低めのその耳元に、そっと声を落とす。

「女の子泣かしてばっかりおったら……自分、そのうち、泣くこともできん体にされんで?」

 肩をつかんだ手にぐっと、力を入れる。

「高い授業料、払わされる前に、学習しぃや?」

 カクカクと頷く背中を軽く叩いてやりながら、トドメに。

「明日の朝が来るって保証、してくれるんは誰やろな?」


 バイトが立ち去ったあと、岡田さんに軽く尋ねたところによると。

 あのバイトは、数週間前にも、美紗ちゃんにもちょっかいをかけたらしい。偶然、JINと一緒に居った岡田さんが注意をして、『次やったらクビ』って言い渡してあったとか。

「俺が、現行犯で押さえたのが今日で三度目だからな。仏の顔も三度まで」

 さっき聞いたギターのやつと、JINと、今回で三回やけど。多分ソレは、氷山の一角。良くない噂が俺にまで聞こえてきとるくらいやから、実際には、もっとあったはずやな。

「他のスタッフから報告が上がってきてたのが幾つかあったし。少ないとはいえ、客からのクレームもあったからな」 


 俺が言うまでも無く。

 明日の命の保証の前に、仕事の保証、無かったやん。



 悦ちゃんからの返事を受けて、それから一ヶ月の間で休みを合わせながら、互いの両親に挨拶に行った。


 悦ちゃんは俺の両親に会う緊張と、復興できた部分とできていない部分がモザイクのように混ざる”あの街”の光景に、帰りの新幹線に乗るころにはぐったりしとった。

 俺は、悦ちゃんのオヤジさんに『悦子を一度も外泊させんかったから、それに免じて許したる』と言われて、冷や汗をかいた。    


 そうして迎えた、翌年二月の式の当日。控え室で、俺たちは互いの兄弟とも初めて顔を会わせた。


「姉ちゃん、マジでYUKIと結婚するんだ」

 そう言うて、悦ちゃんとよく似た細い眼を見開いたのが、悦ちゃんの下の弟やった。

「っつうか。義兄さん……でっけぇ」

 上の弟は、俺の身長を目で測りながら、そんなことを言うとった。『義兄さん』って、呼ばれるのが、末っ子としては、恥ずかしいような、嬉しいような。

「その身長でサッカーしてたなら、空中戦、楽勝だったでしょ?」

「へぇ。浩介くん、サッカーするん?」 

「ええまあ。ボランティアで、少年サッカーのコーチを」

「ホンマ? 最近は、やっぱりJリーグの影響で、人気あるのと違う?」

「子供がへってきているから。少年野球と、取り合いですね」

 クスクス笑う上の弟は、笑い顔が悦ちゃんとそっくりやった。

 


 弟らとはそんな感じで、和やかに初対面の会話を楽しんだけど。対照的に、うちの姉貴や兄貴ときたら……。

「悦子さん、ユキのわがまま、真面目に相手にしとったらアカンで?」

 上の姉貴が悦ちゃんに言うた言葉をうけて、

「こんな甘えた、いつ愛想つかされても、うちの兄妹は『しゃぁないな』って思っとるし」

 兄貴は追い討ちをかけてくれる。その尻馬に乗った下の姉貴に至っちゃ

「ストーカーにならんように私らでギッチリ締めとくから。『相手しとられへん、もう、無理』って思ったら我慢したらアカンで?」

 って、なんやねん。

 『別れる』って言われたりしたら、絶対ストーカーになってしまうやろうなって自覚はあるで? でも、ヒドイんと違う? 何で、結婚式の当日に、そんな話されなアカンねん。

「兄ちゃんも姉ちゃんも、無茶苦茶、言うなや。悦ちゃんがびびっとるやん」

「ユキちゃん、大丈夫だから」

「ホンマ? 悦ちゃん、無理してへん?」

 色打ち掛けを着た悦ちゃんが、目を細めるようにして笑う。”着物好きのお祖母ちゃん”が見立てた打ち掛けは、さすがによく似合っとる。


「お義兄さんもお義姉さんも、本当に、ユキちゃんがかわいいのね」

「そうやろか?」

「うん」

 『実は、小さい頃お姉さんが欲しかったの』って、囁いた悦ちゃんは、彼女のオフクロさんに言わせると、『弟が生まれたと同時に、理想のお姉ちゃんになった』らしい。

 赤ちゃん返りをせんかったって言うても、心の中では甘えたかったのやろな、って思ったら、俺が甘えてばっかり居ったらアカンなって。

 一生、一緒に居ってくれる悦ちゃんを、俺が甘やかせてやりたい、な。


「悦子さんも、”かわいい”妹や」

 フォローのつもりか、下の姉貴が悦ちゃん手を握りながらそんなことを言う。

「かわいいからこそ、ユキとホンマに幸せになってほしいねんで?」

「好美姉ちゃん……」

 ええことも言うやん。

「そやから、ユキ。いつまでも子供みたいなことしとらんと。しゃんとしぃや?」

「わかった」

 言われんでも、がんばるって。いつまでも末っ子やないで? 俺かって、”世帯主”になったんやから。

 年末に届けを出した、俺らの戸籍。悦ちゃんが、年が明けてから取ってきてくれた謄本の、筆頭者欄に記載されとった俺の名前に、両肩にかかった責任を実感した。

 悦ちゃんと、それからいずれ生まれてくる我が子を、俺が守らんとアカンのやって。

 改めて、そんな決意を内心で固めてたら、式場のスタッフが声をかけてきた。 

「ご新郎様、ご新婦様。そろそろ……」

 

 さぁ、悦ちゃん。

 神さんに、約束しに行こ?

 一生、一緒にいます、って。




 それから、四年がたった。

 俺たちは二人の娘、瑠璃と璃瑛に恵まれた。

 悦ちゃんの二度目の育休があけて、璃瑛も保育所に慣れた頃。


 JINの声が出んようになった。


 RYOのところに、『咽喉の手術受けるから、病院には来るな』みたいな内容のメールを寄越したJINに、俺たちは何もできんかった。

 地震の後、あれほど世話になったっていうのに。見舞いひとつ、拒絶しとるようなJINに、どうやれば、あのときの恩が返せるのか。考えても考えても、見当もつかへんかった。

 あれから十年近くが経って、ちょっとは大人になったつもりやのに。

 アカン、なぁ俺。


 悶々と考えとっても、日は過ぎる。

 JINの入院から、一ヶ月ほどが経ったある晩。

 『JINの声が出るようになった』と、RYOが電話をかけてきた。

〔ホンマ? 大丈夫やねんや〕

 良かった、と胸をなでおろしたけど。

〔ただな。声が嗄れちまっててさ〕

〔はぁ?〕

〔本人は歌う、っつってるけどよ。厳しい、と思う〕

 この四年の間に、美紗ちゃんのおかげか、JINの声に色気がついた。それを生かす方向をMASAが見つけたおかげで、俺たちは”癒し系”と呼ばれるようになって、仕事も増えてきとった。JINの声には”癒しの低音”って、キャッチコピーがつくほど。

〔”癒しの低音”、アカンの?〕

〔わからん。歌えるようになるまで、どれくらいかかるか。そもそも、歌えるかどうか……〕

〔それでも、MASAが居るやん〕

 鉄壁の守護神、どないかできるやんな?

〔俺だって、JINには歌わせてやりたいよ〕

 RYOは、『とりあえず、今夜は報告だけな』って言って、電話を切った。



 曲も詩も書かへん俺には、どうすることもできんところに織音籠の運命がかかっとった。

 RYOやMASAみたいに曲が書けたら。SAKUみたいに詩が書けたら。JINの声に合わせて、何とかすることもできるかも知れんのに。

 ホンマに、俺。JINのために何もできへん。役立たず、や。


「ユキちゃん? どうしたの?」

 子供たちを寝かしつけとった悦ちゃんが、いつの間にか部屋に戻って来とった。

「泣いてるの?」

「いや、別に……」

 電話の前に座りこんでた俺と目を合わせるように、悦ちゃんが正面に座る。

「ね? 無理しないで。どうしたのか、聞かせて?」

 『ほら、ユキ。兄ちゃんに言うてみ?』って、俺を覗きこんどった高校生の兄貴みたいな表情で悦ちゃんが言う。

 うまいなぁ。さすがに二歳で”理想のお姉ちゃん”になった子や。

 悦ちゃんには隠してたJINが声が出なくなった話から、さっきのRYOの電話までを掻い摘んで話す。黙って話を聞き終えた悦ちゃんは、少し考えるとパソコンを立ち上げた。

 何、しとるんやろ? って覗き込んだモニタには、表計算ソフトらしきセルが並んでた。


 プリントアウトした用紙を俺に差し出す。

「ユキちゃん。見方、わかる、よね?」 

 渡された表は……バランスシートか? 貯金残高やら、一年分の収支やらが一覧になっとる表やった。

「うん、多分。これ、いつの何?」

「今年、四月現在の、我が家」

「いつの間に、こんなん作っとったん?」

「瑠璃が生まれた次の年から、かな。毎年四月の年度初めに」

 そんな話をしながら、表を確認する。

 そういえば、悦ちゃん。会計学関係の成績良かったもんなぁ。


「結構、貯まっとるもんやなぁ」

「ほら、私パラサイトシングルだったから。結婚まで、長いことユキちゃんに待ってもらっている間に、ね」

 育休の間は、俺の収入だけで賄ってこれたらしく、取り崩しも無かったとか。 

「丁度、って言ったら変だけどね。育休があけて、今年の私の給与等級もはっきりしたから、収入は読めるでしょう?」

 悦ちゃんの白い指先が表を指差しながら、”今”の話題に持ってくる。

「ジン君が歌えるようになるまで、どのくらいかかるのか、私には分からないけど。とりあえず、家族四人、食べていけるだけのモノはあるから。ユキちゃん、ジン君を待ってあげて?」  

「悦ちゃん……」

「あの時、ユキちゃんを見守り続けてくれたジン君に、今、返せる最大のものは、”時間”じゃない?」

 その言葉に、ハッとして。悦ちゃんの顔を見返す。

 JINが歌えるようになるまで、待ったることなら。俺にだって、できるやん。

「ごめん、悦ちゃん。甘えさせてもらっても、ええ?」

「いいよ。それくらい。甘えてくれても、大丈夫」

 にっこり笑った悦ちゃんの表情に、俺は見惚れた。


 悦ちゃん。いつの間にか、強くなったなぁ。


「それはそうよ。私の居場所は、ユキちゃんの隣にしかないのだから。織音籠がどこまで飛んで行っても、何かがあっても。離れずにいられるように、強くなろうって、結婚するときに決心したのだもの」

 面相筆で一息に描いたような悦ちゃんの目が、強い意志の力を湛えて、俺を射抜いた。

 

 彼女の雰囲気が、プラチナを思わせる煌きを帯びる。何にも冒されることの無い、互いの誓いをこめた指輪の色。



 初対面のあの日

 無色透明で儚げやった悦ちゃんは

 俺と過ごした二十年の間に、

 眩しいほどの決意の色を纏って、

 互いの居場所を守る強さを身につけた。


 END.

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