意思表示
淡々とバイト先で与えられる仕事をこなして、日が過ぎる。震災に対する自粛ってことで、音楽活動が止まっとるあいだも、季節は流れて春が来る。
あの日、楠姫城に戻ってきた俺は、傍目にかなりヤバイ状態やったらしい。
ふらりとやってきたJINに『話して楽になるなら、聞いてやる』と連れ出された。そのままJINの部屋で酔いつぶれて、気づいたら朝やった。一緒に来てたSAKUも潰れたらしく、横でぐっすりと眠ってた。
朝飯を買いに行くと出て行ったJINを見送って、暇つぶしにテーブルの上に置きっ放しになってたJINの創作ノートを開く。起きてきたSAKUに声を書けられるまで、無心に読んだそのノートには、酔った俺が前の晩に垂れ流したらしき泣き言が英語で綴られてた。
それからも、毎日のようにJINがやってきては勝手に飯を作って一緒に食ってったり、RYOに呼び出されて部屋に行ってみればMASAも居って、いつ出せるのか分からへん”次の曲”の相談やったり。
『酒は、やめとけ』って皆が言うから、『みんなの居る所では飲まんようにしよう』と思ったら、不思議なくらい、一人になることがない状態が続く。
挙句の果てには、ある朝、目を覚ましたら、『ジン君に呼び出された』とか言うて悦ちゃんが、ちょこんと俺の布団の横に座ってたりするし。
俺が自殺を図るかも……と危ぶまれとったと聞いたのは、かなり後になってからの事やった。俺が独りになることが無いようにと、悦ちゃんを含めた皆の予定を摺り合わせて、シフトを組むようにして見守ってくれとったって。JINは特に『YUKIに、飯食わせんと』って、ワザと飯時に来てくれてたらしい。
確かに、いつやったかRYOが言うてたように、”気は優しくて、力持ち”なヤツや。
俺をこの街に呼び寄せた織音籠に、俺は命を救われた。
そして、俺の布団の横に座りこんでた、あの朝。
「ユキちゃん、あの街の子じゃなくなったなら、私たちの街の子になって、ね?」
そう言ってくれた悦ちゃんにも。
そろそろ、皆も大丈夫と思ってくれたらしく、夜は独りになる日が週に二日、三日、と増えてきた頃。 いつまでも皆に泣き言を聞かせてられへんし、と思ったとき。英語で綴られたJINのノートを思い出した。
俺も、なにか……書く事で、吐き出せるやろか?
何度も書き直して、レポート用紙を何枚も無駄にして。
なんとなく、詩のようなものが出来上がった。
「これ、作るか?」
「できるんかな?」
「みんなに見せてみようぜ」
その”詩の様な物”を見たSAKUの言葉で、ひとつの曲が生まれた。
CDには一切収録せず、毎年1月のライブでのみ演奏するレクイエム。
通常の織音籠の曲ではありえない音域を主旋律にした、YUKIが歌う唯一の曲になった。
二度と、故郷が壊れる痛みを感じる人が出ないように祈りながら、毎年歌いつづけたけれど。
残念な事に、それから十数年の時を経た後、未曾有と称される大地震が起きて。
この曲は三月にも演奏するようになる。
「悦ちゃん、携帯買わへん?」
「携帯電話?」
「うん」
仕事がぐっと安定してきたその年の秋の終わり頃、事務所から携帯を持つように言われた。それまで使ってたポケベルをやめて、もうちょっと連絡をしやすく、ってことらしい。端末や通話料が下がってきて、手軽になったってのも一つの理由らしいけど。
「携帯あったら、待ち合わせが楽になるのと違う?」
「そう?」
「俺が遅れそうになっても、連絡とれるやん」
そしたら、悦ちゃん、要らん心配せんでもええやろ?
「ユキちゃんとの待ち合わせは、大丈夫。心配してないよ?」
「うーん。そうかぁ」
これは、喜んでも、ええのやんなぁ?
「でも、ユキちゃんと連絡しやすくなるなら……持とうかな?」
「かまへん?」
「うん」
やったぁ。これで、家の人に気兼ねなく電話ができるようになる。
「そんなにうれしいの?」
「うれしいわ。悦ちゃんといつでも繋がっとる気がする」
「ユキちゃんの……アホ」
そう言って、悦ちゃんが俺の腕の中で目を細めて笑った。
実際、携帯を持ってみると。
電話するたびに気になってた市外への通話料金って問題がまず消えた。電話会社を一緒にしたし、ローミングも関係ないし。
そして勤務時間さえ注意しておけば、彼女の通勤の合間にも連絡を取り合えるようになった。
〔もしもし。悦ちゃん?〕
その日の夕方、仕事が思いのほか早く片付いた俺は、悦ちゃんを飯に誘おうと電話をかけた。明日の悦ちゃんの誕生日には会えへんし。
〔仕事、終わった?〕
〔うん。今日は早めに終われて〕
〔それやったら、一緒に飯行かへん?〕
〔あー……〕
〔どないしたん?〕
言いにくそうに言葉を濁した悦ちゃんの電話越しに、男の声が聞こえた。
『灰島さん、お待たせ。そろそろ行こうか』って。
〔悦ちゃん?〕
〔ごめんなさい。同期で、忘年会しようって言われてて〕
『同期で、忘年会』な。それは、悦ちゃんでなくっても、断れへんな。
社会人になったらそんな場があるのは頭では分かってたけど、はっきり”男”と、それも俺の知らん相手と飲みに行くと知ってしもたのは、これが初めてやった。
〔場所、どこ?〕
東のターミナル近くの居酒屋の場所と、終わる予定の時間を聞き出して。
〔その頃に、迎えに行くから。飲んだらアカンで?〕
〔迎えに来て、くれるの?〕
〔家に帰るのが、遅くなるやろ? それに、誕生日も会えへんし〕
〔うん。じゃぁ、お店の前で待ってるね〕
〔待ったりせんでええって。『終わった』って、電話しといで〕
『灰島さーん、行っちゃうよー』と、呼ぶ声に返事をした悦ちゃんが、『じゃぁ、切るね』と言葉を残して、通話が切れた。
最後の声が、女性の声やったのがせめてもの救いやけど。
悦ちゃん、誰かに連れて行かれたりせんとってな?
あの街が壊れて以来、俺は異常なほど悦ちゃんを失うことを怖れた。
悦ちゃんの体温を探して、すがりつかんと居れんほど。
今何をしとる、どこに居るって、携帯電話を持たせて、縛り付けたくなるほど。
それは、学生時代の独占欲が、かわいいと思えるほどの深さと暗さで。
悦ちゃんを、俺だけのものにしたかった。
聞き出した忘年会の終了時刻の少し前から、俺は店の前のガードレールに腰を下ろして悦ちゃんを待っとった。
引き戸が開いて、ガヤガヤと同年代の集団が出てくる。
これか、と思って眺めてたら、集団の後ろからそろっと悦ちゃんが抜け出てきた。
「あれ? 灰島さん、知り合い?」
黒縁メガネの男の声に、悦ちゃんが横に立った俺の顔を見る。ニコリ、と笑ってからソイツに向き直ると、あっさり肯定した。
「はい」
って。
「ええぇ? もしかして、彼氏?」
キャーッと上がった嬌声にひるむことなく悦ちゃんが俺の腕に手をかけて、頷く。それも、めったに見れへんような、特上の笑顔つきで。
どないしたんか、知らんけど。
俺も調子に乗って、彼女を指を絡ませる。
「いつも、悦子がお世話になってます」
と、軽く下げた頭を上げた所で、憎たらしそうに俺を睨んどるやつと目が合った。
お前、悦ちゃん狙っとるやろ?
やらへんで? 悦ちゃんが嫌やって言うても、離さへんもん。
『意外!』だの『灰島さんらしくない』だのと、姦しい女の子たちにあっさりと別れの挨拶をした悦ちゃんに促されるようにして、駅へと歩く。
「悦ちゃん、どないしたん?」
「はい?」
あんなにはっきりと、『彼氏です』なんて、言うてくれた事ないやん。今まで。
「ごめんなさい。迷惑、だった?」
「いや、うれしかったけど。でも、なんで?」
「うーん……」
本気で困った顔で首を捻っている。
「なんでだろ?」
おい。酔うとるんか?
「飲んでへんやんな?」
「勧められたけど、いつもみたいに断ったよ?」
勧められた、んか。
きゅっと握り締めた悦ちゃんの柔らかい手が、握り返してきた。
「悦ちゃん」
「はい」
「離れんとってな?」
「はい。ユキちゃんも、ね」
珍しい事を言うた悦ちゃん。
頼まれたって、離したらへん。で?
覚悟しとき?
それからさらに二年ほどかかって、俺たちは完全に音楽だけの収入で生活ができるようになってきた。
三十歳の誕生日も間近に近づいてきていた俺は、あるチャンスを伺ってた。
「そろそろ悦ちゃんと結婚しようかな、って」
MASAと部屋で飲みながら、そんな話をしたのは、自分に一つの弾みをつけるためやった。
チャンスを待っとるだけやなしに、自分から攻めに行くつもりで。
「悦子さんは、OKくれたのか?」
「いや、まだ。プロポーズもできてへんけど」
「結婚、かぁ」
ツマミにあけたサキイカを弄びながら、MASAが首を傾げる。
「MASAは、どないするん?」
「うーん」
「まったく考えてへんの?」
「いや、全くってわけじゃないけど。もうちょっと、こう……踏み切るための、きっかけが欲しいっていうか」
そうか、MASAでも”きっかけ”がいるんや。
「きっかけなぁ」
「YUKIは、何がきっかけだった?」
「震災」
が、多分一番大きい。
ぎょっとした顔で俺を見たMASAに言葉を続ける。
「俺、毎年言うてるやん? 明日が来る保障は無いでって」
毎年、って今年で二回目、やけど。
震災の翌年から、一月のライブで一曲だけ俺が歌うあの曲。
最初のステージで歌った後で、”つい”入れてしもた、『明日の朝が来る保証は、誰にも、どこにもないから。もし、先延ばしにしていることがあるなら、ためらわずに行動してほしい。後悔だけはしないように』って内容のMC。
初めての時にそう言うた後で、泣きそうになってた俺を励ました客席からの声は、多分、悦ちゃんやった。
本人に、確かめたわけや無いけど。
あの声に励まされた俺は、今年も同じ内容で客席に言葉を送った。
「悦ちゃんと、このままズルズルと関係を続けとって。明日、”何か”が有ったら、俺、絶対後悔する」
「後悔、か」
「うん。だから一日でも早く、ちゃんと意思表示しとかんと。受けてくれるかは、自信ないけど」
「YUKIは、生活の不安とか無いのか?」
MASAがビールを飲むのを見ながら、俺もサキイカに手を伸ばす。
「有るよ。当たり前やん。こんな稼業やし」
デビュー前に付き合いを続けるか、アレだけ悩ませたのやから。結婚の覚悟を持ってもらえるまで今度はどれだけ悦ちゃんを悩ませる事になるか。
「でも、それを含めてOKしてくれるか、って話やろ?」
「そんなものかなぁ?」
納得したような、してないような複雑な顔で、MASAがビールの缶を弄んでいる。
「MASA。ゆりさん、やで? それくらいバーンと受け入れる人と違うか? デビューのときも悩まんと、付き合いを続けてくれたやろ?」
「うーん」
「違うん?」
「俺が何やっても、『まっくんだから、仕方ない』って、許してくれるから。その器の大きさが、逆に怖い」
「何が怖いん?」
「大きい分、溢れたり決壊したりすると、大惨事になりそう。ある日、突然、ザバーってきたら怖いなって」
「そこを決壊せんように守るのが、男と違うん?」
「俺は、お前みたいに”全力で”守ってきてないし。むしろ俺が守ってもらってるかもしれない」
そう言って、情けない顔で笑ったMASAはビールを飲み干した。
そうか。守護神でも怖いんや。
口癖のように『守る、守る』って言うとるだけの俺は、
ホンマに、悦ちゃんの一生を守っていけるのやろうか。
きっかけを貰うつもりやったのに、MASAの言葉で、逆に足元を確認させられる。
考えても仕方ないのやから、とにかく意思表示せんと、始まらへん。”明日”、後悔するの嫌やん?
そんな決意が再び固まる頃には、新しい年が開けとった。
「あんな。悦ちゃん」
「はい?」
学生時代から馴染みの定食屋で、料理を待つ間に意を決して。
「俺と結婚、してくれへん?」
「はい」
よっしゃ。
一瞬、小躍りしかけたけど。
悦ちゃんらしいことに、反射で出た返事やったみたいで。そのすぐ後に、慌てたような声が続いた。
「って。えぇ?」
テーブルの下にガッツポーズの握りこぶしを隠して、彼女を見ると、真っ赤な顔でメチャメチャ動揺しとった。
アカンって。反射で何でも『はい』言うてたら。
ホンマに、直らへんなぁ。
「『なんとか食べていけるようになったくらいで、何言うとるん』やろから、返事は何年後でもかまへん」
咳払いをして、居住まいをただして。改めて、言葉をつなげる。
「はぁ」
「ただ、『嫌や』とは言わんとって。悦ちゃんと一緒に、この街の子になりたいねん。この街で、一緒に戸籍をつくらして?」
テーブルの上で組んだ両手をぎゅっと握り合わせて、悦ちゃんが俯いとる。その姿を見ながら、走る鼓動を抑えようと、指先で軽くテーブルに拍子をとる。
一分間、七十拍。
安静時の心拍数。
悦ちゃんの返事を待つ間に、料理がきてしもたから、そのまま飯にして返事は急かさんかった。
『返事は何年後でも』って言うたのは、俺やから。
そやけど、悦ちゃん。
いつもみたいに、『嫌やったら、ちゃんと言い』とは言わへんからな。『嫌や』って、なんぼ言うても、何遍でも『結婚して』って、繰り返すからな。
『ええよ』って言うてもらえるように、俺自身が、がんばって、何年でも待つから。
これ以上、俺の居場所
無くさんといて?




