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18/21

卒業、そして新生活

 インディーズレーベルから出た二枚目のCDが足がかりになって、デビューが決まったのが四年の夏やった。


「どないしたん? その顔」

 夏休みのある夕方。スーパーからの帰り道で、頬を腫らしたRYOと会った。メガネも、いつものハーフリムからフルリムに変わっとるし。

「うちのクマ親父に、殴られた」

「はぁ?」

「『就職しねぇ、デビューする』っつったら、ガツンってよ。メガネまで壊しやがった」

 痛そうに顔をしかめながら、頬をなでる。

「聞く耳。持たへん、って?」

「いや。何とか、説得はできた」

「それやったら良かったけど。『顔は、打たんとって。商品やねんから』って言わな」

「俺は”女優”じゃねぇよ」

 ちょっと前の映画の決め台詞のモジリやって、わかったらしい。背中の中ほどまで伸びた金髪を括り直しながら、RYOが声を立てて笑う。


「どつかれた割に、機嫌ええやん」

「それがさ。意外な収穫があってよ。今朝、メガネ屋に行く途中で、ばったりとアイツに逢ってさ。十年ぶりに話ができた」

 姉貴が髪を括る時にやっとったみたいに、二つに分けた毛束をキューっと引っ張ったRYOが笑いを収めてそんなことを言い出した。 

「アイツって……幼なじみの彼女? 謝れたんや」

「いや、ちゃんと謝ってもないけど」

 RYOはそう言いながらも、どこかすっきりとした顔で夕焼け空を仰ぐ。 

「それでも、嫌な顔をせずにデビューの話、聞いてくれてさ。『そのうち、仕事で逢おうな』って約束した」

「仕事?」

「うん。俺が使ってる楽器のメーカーに就職が決まったって」

「そうか。逢えたら、ええな」

「うん」 

 子供っぽいしぐさで頷いたRYOが、じっと自分の掌を眺める。目に見えない、けれども大事な何かがその掌に載っていると思わせる、優しいまなざしで。

「俺の進む道はこれだと思ってきたから。その先で、いつかアイツと道が交われば……」  

 そして、RYOは手をぎゅっと握り締めた。


 鍵盤弾き特有の、指の長いその手で。未来を掴むかのように。



 俺らだけやなしに、大学の仲間たちもそれぞれに進む道が決まってきていた。

「市役所?」

「うん。ここの市に、採用が決まって」

 いつもの年と同じように二人で厄神さんの夏祭りに向かう道で、悦ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。

 俺を軽く見上げる彼女の頭の動きに従って、髪に挿した簪の飾りが揺れる。

「公務員、目指しとるとは知らなんだ」

「自分でも、驚いたけど」

「驚いとったらアカンやん」

 突っ込んだ俺に、目を細めながらクスクスと笑う。

「でもね。どうして、公務員になろうと思ったのか、自分でも本当に分からないの。就職課でなんだか、こう……意識を引かれたと言うか」

「Call、やな」

「『呼ぶ』の?」

「JINがな、いつやったか言うとった。英語では天職に”呼ばれる”らしいわ。悦ちゃん、市役所に呼ばれたんやな」

 鳥居くぐりながら、そんな話をするのは……厄神さんに失礼やろか?

 いや、ええやんな。”この街”に呼ばれたのやから。氏神さんである厄神さんかて、呼ぶのん手伝うたやろし。

「じゃぁ、ユキちゃんは織音籠(オリオンケージ)に呼ばれたのね」

「え?」

 織音籠が、呼んだ?


 『俺の居場所は、ここやない』

 ずっと俺の心に聞こえてたあの”声”は。

 産まれてもいなかった”織音籠の声”、やったのやろか。


 そう考えて、胴震いを感じる。

 あの声を無視せんで良かった。

 俺がここに来て、皆と逢うたのは


 運  命  で  あ  り  

 天  命  で  も  あ  る



 

 みっちりと講義を詰め込んできたお陰で単位は十分に足りとるから、あとはちゃんと卒論さえ出せば卒業は問題ないって状況で、俺達はデビューに向かって準備を進める。


 事務所と相談して、東京には出んと、まずは楠姫城を本拠に活動を開始しようか、とか。

 デビューの予定は、来年の五月頃、とか。


 そんな中、総合大が卒業記念のライブに講堂を貸してくれることになった。



 〈 織音籠は、この町で生まれて、育ててもらいました。俺自身はここの学生じゃないけど、この大学はおれたちにとって、ふるさとです〉

 卒業記念ライブのステージで、JINは客席にそう語りかけた。

 俺なんか、生まれもこことは違うけど。この大学のステージで、俺は運命と出会ったんや。

 学園祭のステージでJINの声を聞いたあの日。”YUKI”の萌芽とも言えるものが俺の中に芽吹いた。

 JINの言葉が続く。

〈 ふるさとを共にする、すべての人に 〉

 俺達がアマチュアでする、最後のステージを贈る。


 次に、ココでする時には。

 学園祭のゲストで

 来てやる。



 そして五月のデビューを目の前にして、悦ちゃんと卒業後初めてのデートをしたのが、ゴールデンウィークの直前やった。

 一年の夏休み。初めてのデートをしたあの水族館へ行く予定で、西のターミナルで待ち合わせをした。


 いつものように三十分早く待っとる俺に、軽く手を振るように改札を通って悦ちゃんが姿を見せたのが約束の十分前やった。

「悦ちゃん、痩せたのと違う?」

「ええっと。そう?」

「うん。なんか、この辺が……」

 頬のラインがなんとなく……と、掌で頬に触れる。

 手触りはいつもみたいに柔らかくって、『気のせいやろか』と思いながら首筋まで指を滑らせる。

「ほら、手ぇに骨が当たるやん」

「鎖骨に触れなかったら、太りすぎじゃないかな?」

 悦ちゃんが首をかしげながら突っ込んできた。

「そやけど、ほっぺた、ちょっと痩せた感じやで? 仕事、きついん?」

「きつい、というか……まだ、慣れなくって」

「ああ、そうやなぁ。俺らと違って、周り知らんヤツだらけやもんなぁ」 

 JINたちに言うとった”照れ屋”は返上しても、悦ちゃん、元々が人見知りっぽいし。


 その手をとって、バスターミナルへと足を向ける。久しぶりに触れた悦ちゃんの指先、学生時代には無かった荒れた感触に、学生のバイトとは違う、働くことの重み、のようなものを感じる。

 学生時代の延長のような自分と違って、一歩先に悦ちゃんが大人になってしもたような錯覚を覚えた。



 久しぶりに行った水族館は、前にはなかったアシカのショーがあった。ちょうど時間帯もええし、と、観客席に腰をおろして。途中で買った缶コーヒーを開ける。当然、悦ちゃんの分のオレンジジュースも俺が開けて。

「ユキちゃん、一口、いる?」

「ええの?」

「うん」

 眼を細めるように笑った悦ちゃんの顔はいつも通りやったけど。 

「ありがと。間接キスのおまけ付きで、返すな」

 耳元でそう囁いた俺に、いつかみたいに『ユキちゃんの、アホ』って言い返して、缶に口をつけたけど。

 飲み物を口にした時の吐息にしては重いため息が、悦ちゃんの口から漏れる。

 やっぱり疲れとるのやろか。


 ショーを見ている最中は、歓声を上げて拍手をしてって、楽しんどったみたいな悦ちゃんやけど。

 その後で行ったラッコの水槽でも、クラゲの水槽でも。無意識のように溢れるため息は、俺が数えただけでも十五回を超えとった。

 疲れ、だけやない気がする。

 そう思ってしもたら、水槽を眺める視線もどこか心ここにあらず、って感じに見えてくる。


 この前来た時と同じようにタッチプールで遊んだけど、やっぱりどこか元気がないし、ため息もついとるし。

 今日は早めに帰した方がええかな、ってちょっと早いけど昼飯にすることにした。


「昼飯、ファストフードでもかまへん?」

 学生ではない男としては、ちょっと格好わるいけど。

 現在の俺の身分は、いわゆるフリーターって状態で、卒業後の生活費はバイトで賄ってた。

「私、初任給でたから。私が出しても……」

「彼女におごってもらうって、恥ずかしいやん」 

 そう答えた俺から顔を逸らすようにして、この日、三十二回目のため息。


 向かいの席でチーズバーガーをかじる悦ちゃんを眺めながら、俺もハンバーガーを口にする。

 目を逸らすような悦ちゃんの、さっきのため息が、心でくすぶる。”初任給”って、就職したら出てくるのは当たり前の言葉もチクチクと俺を刺す。

 JINとSAKUはデビューが決まった途端に彼女から、『別れて』って言われたって言ってた。そんな夢食っとうようなヤツと付き合っとれるかって。

 あ、また。ため息が……。

「悦ちゃん?」

 意を決して、ハンバーガーをトレイに一度置いた俺が呼んだ声に、ゆっくりと悦ちゃんの顔が上がる。

「なんか、悩んどる?」

「はい?」

「なんか、今朝会うてから、ため息多いで?」

 『ばれた』

 そうはっきりと顔に書いた悦ちゃんが目をそらす。

 これは、俺もJINたちと同じ目に合うのやろうか。


 聞いたらアカン。『嫌や』って言われへん悦ちゃんが自分から言い出すまで、そっとしといたら。あと数時間、数日、いや、もしかしたら数ヶ月はこのまま居れるのに。

 引き止める声はするのやけど。 

 喋り出した口は止まらへん。


「例えば……甲斐性のない俺と付き合っとるのが嫌になったり、とか……してるのと違う?」

「……」

「世の中の女の子って、彼氏に色々買ってもろたり、ええ所連れて行ってもろたりしとるやん? 考えたら、俺、ほとんどそういうことして来んかったし。挙句に、悦ちゃんに『ご飯、おごる』言わせとるし……」 

 卑怯というか、卑屈と言うか。情けない言葉を重ねる自分に、『そら、嫌にもなるわ』って、内心で突っ込む。そして悦ちゃんは、泣きそうな顔しとっても、偽悪的な俺の言葉を否定してはくれへんかった。

 ああ、ビンゴやねんな。


 泣きそうになりながら思い出す、悦ちゃんの荒れた指先の感触。俺がフリーターの間に悦ちゃんはどんどん、社会人として成長していってしまう。

 俺、悦ちゃんに、釣り合っとうかなぁ。

 悦ちゃんと付き合うとるのは、身の程知らずなんやろか。


 お通夜の席みたいに、二人で黙り込んだまま食事をした。

 悦ちゃんとこれまで数えきれへんほど、一緒に飯食ってきたけど。こんだけ、黙ったまま何を話したらええのか分からんかったのは、初めてやった。

 あの”忘年会”の翌朝でも、もっとマシやった。

 ああ、そうや。俺、夢食うとるだけやなしに、もっとひどいこともしたんや。


 ポテトを咥えとる筈やのに。鼻先に香るのは、絆創膏のゴムの香り。



 そのまま、西のターミナル駅に戻って、更に西の自宅へ帰る悦ちゃんが、プラットホームへ上がろうとするのを引き止めた。

 手を引くように、柱の陰へと誘う。


「ユキちゃん?」

「ごめんな。不安定な仕事選んでもて」 

 それでも、悦ちゃんには『ごめん』としか、言われへん俺が居った。 

 釣り合いが取れてへんのやったら、一日でも早く釣り合うようになってみせるから。『悦ちゃんの彼氏は、俺や。文句あるか』って、世界中に胸張れるようになるから。

 それまでは『嫌や』って言わんと

「待っとってくれるかなぁ」

 離したらへん、って全力で抱きしめた俺の腕の中で、悦ちゃんは

「ユキちゃん、私の方こそごめんね」

 と呟いた。



 『ごめんね』って、なんやの? やっぱりもう、アカンのやろか。

 心のなかは千々に乱れながらも、デビューの日へのカウントダウンは刻々と過ぎて行く。



「ゆりさん、頑張っとう?」

 デビューを控えた織音籠としての仕事の合間、ちょっとした休憩の時間にMASAと話す機会があった。 

「ああ。卒業から、電話でしか話してないけど。見習いは、しんどいみたいだな」

「ゆりさんもか。悦ちゃんも、ちょっと痩せた気がする」

 この前、顔を見れただけでも、まだMASAたちよりは恵まれとるのやろか。でもなぁ、別れ際に『ごめんね』やし。

「ゆりさん、デビューの事、なんか言うとった?」

「いや、別に。悦子さんは、何か言ってたのか?」

「このまま、付き合うんかって、ごっつい悩んどる」

 悩んでる、のはちょっと違うかなぁ。結論、出てへんって希望に俺がすがっとるだけやろか。

 MASAのつり目が、話しを促すように俺を覗き込んでくる。 

「JINやSAKUなんか、あっさり振られたしなぁ。女の子にとったら、こんな稼業の男と付き合い続けるのんは、覚悟いるんかな」

 あ、こんな言い方したら、ゆりさんが女の子やないみたいやけど。

 それでも、なんとなく。安定しとるMASAたちに縋りたいというか、あやかりたいというか。

「覚悟、な」

「ゆりさん、肝すわっとるし。さっさと覚悟、決めとったんかなぁ」

 うーんと、唸ったMASAが天井を睨む。

 

 その姿を横目に見つつ、ペットボトルの紅茶に口に含んで考える。

 悦ちゃんと ゆりさんの差やなしに、俺とMASAの差なんやろか。幼いって言われる俺とは違って、飄々としたMASA自身に安定感があるもんなぁ 

 安心して全てを任せられる、孤高の守護神のイメージ、やな。


 そう、このイメージは、織音籠をサッカーチームに重ねた感じ、やろか。

 JINの声が無ければ始まらないから、アイツはストライカーやろ?

 リズム隊の俺やSAKUは、ディフェンダーで、司令塔の役割をしとるリーダーRYOはミッドフィルダーで。

 そして、MASA……鉄壁のゴールキーパー。

 


「おい、そこの二人。そろそろ、移動だってよ」

 SAKUの呼ぶ声に、我に返る。

 軽く返事を返したMASAに合わせて俺も席を立つ。

「由梨たちがどんな”覚悟”をしてるにせよ、俺たちはそれに応えるだけ、じゃないかな」

 歩き始めたMASAがボソっと、言う。

「……応える、か」 

「うん。このまま付き合っててもいい、って思ってもらえるように、がんばればいいじゃないか」

 さすが。

 孤高の守護神。


 言うことが、違うわ。

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