未来へ
暮れから成人式まで帰省しとった俺が久しぶりに練習に参加したのは、翌週の金曜日やった。
その夕方、練習前に腹ごしらえをするために、牛丼屋へ行こうと駅前を歩いてたら、リョウが登美さんとは違う女の子を連れとるのに逢った。
互いに、手を挙げるだけの挨拶をして、すれ違って。
練習を終えたあとの帰り道、皆と別れたあとで尋ねてみる。
「リョウ、今日のあの子、なになん?」
「彼女、に決まってるだろうがよ」
「いや、決まってへんし」
「あのな。いくら俺でも、二股なんかかけねぇよ」
「俺でも、って、なにがやねん」
突っ込んだ俺に、リョウは声を立てて笑う。メタルフレームのメガネが街灯を反射して、チカリと光る。
「トミィには”振られた”からな。傷心の俺を慰めてくれた、”彼女”だよ」
「はぁ? お前がふられたぁ?」
嘘、つけ。
思いっきり信じてない目で見とるやろう俺に、学園祭の後くらいから単色の金色になった髪をかきあげながらリョウが言葉を続ける。
「『織音籠と私と、どっちが大事なのよ!』っつうからよ、『織音籠』って答えたら、一発ひっぱたかれて、ジ・エンド」
「だから。なんで、そないなるん?」
「ちょっとばっかし、金と時間をケチったから」
「はぁ?」
「ジンやサクが別れる時のパターンってあるじゃねぇ?」
「あー。まぁな」
プレゼントが気に入らんかったとか、デートよりもバイトを優先したとか。
「そろそろ潮時だろなって、アレを真似したら、一発」
『ドッカーン!』とか言うとる場合か?
そのまま、その夜はリョウの誘いに乗って奴の部屋で飲むことになった。
「お前がさ、夏頃だっけ。言ってたことがあっただろ?」
ビールのプルタブを開けながら、リョウが言う。
「何、言うたっけ?」
「『大事にしてたら、ちゃんと伝わる』だったかな」
「あー」
言うた、な。
開けたばかりの缶ビールが口元にあるというのに。ビールの香りやなしに、目に見えない絆創膏の香りが漂った。
「虫よけ、のつもりでトミィと付き合ってたからよ。やっぱ、大事にしてないって伝わってたのかな、と思うところはある」
「虫よけって……あのなぁ」
「楽だぜ? ”彼女が居る”って事実だけで、みんな結構あきらめる」
「諦めへんのも、居るやん」
誰とは言わへんけど。
「まぁな。だから、トミィみたいに自分から攻撃していってくれたら完璧」
「登美さん以外にも虫よけが居ったみたいな口ぶりやん」
「最初は、ゆり」
「おい」
リョウは、ニヤっと人の悪い顔で笑ろとうけど。アカンやろ、それは。
「本当に、ゆりと付き合ってたわけじゃねぇぜ? 高校時代に、『彼女がいるから』って、寄ってくる子に断ったら、周りが勝手に ゆりを彼女だって決め付けただけで」
「で?」
「ゆりに協力してもらってさ。互いに『付き合っているかどうかは、ナイショ』って、卒業までごまかした」
『ナ・イ・ショ』って、お前なぁ。立てた人差し指、唇に当てて首傾げんなや。
似合いすぎやから、やめぇって。
リョウの仕草に、げんなりしながらビールを飲む。
「お前がモテるのは、判っとうけどな。それでも、ええかげんにしときや? そのうち刺されるで?」
『そもそも、何で虫よけなんか要るねん』と言った俺の顔をチラリと見たリョウが、自嘲気味に笑った。
「昔、惚れた女にひどいこと言って傷つけたことがあるんだけどよ。アイツ以上に惹かれる女も居ないし、かと言って、寄ってくる女を適当に捌くのも労力がいるし」
「その彼女が忘れられへんのやったら、ちゃんと謝って付き合うたらええのに。そこまで大事なんやったら、本気で謝っとるって伝わると思うで? お前が本気で『好きや』って言うたら、応えてくれるんと違う?」
昔、って中学高校の頃の話やろ? そんな子供のケンカ、相手もいつまでも引きずらへんと思うし、俺がやった以上にひどいことなはずないやん。
それでも、ちゃんと謝ったら、悦ちゃんは許してくれたで?
手にしたビールの缶に口をつける。話の展開のせいか、絆創膏の香りが離れてくれない。
同じようにビールを口に含んだリョウが、ポツリと言う。
「手遅れ」
「そうなん?」
「うん。この前、ちょっと用事があって、実家戻った時に妹がさ」
泣きそうに見える顔で、リョウがビールの缶を揺らす。
「アイツが、駅前を男と歩いているのを見たって」
「……なんで、妹が彼女を知っとるん?」
「幼なじみ、なんだよ。妹同士も”同級生の大親友”ってやつでさ」
『りょうこちゃんのお姉ちゃんが、男の人と腕組んで歩いてた』なんて、声色を作ってみせる。
さっきから、似合いすぎや、言うてるねん。
「母親同士も、茶飲み友達でさ。アイツとケンカになって気まずくなってからも、親はそんなこと知らねぇからよ。学校から帰ったら、台所でアイツの母親がお茶飲んでたりするし」
「それやったら、仲直りできそうなもんやけど?」
「それがさ……本人は、俺の顔を見ただけで思いっきり嫌そうな顔しやがった」
「サイアク、やん」
決定的に嫌われとるのに、情報だけは入ってくるやなんて。
そう考えながら、ビールに口をつけて。
ゾッとした。
一年生の忘年会。悦ちゃんが許してくれんかったら。俺かって、そうなってたんや。
広尾たちを通じて噂を聞くか、講義の合間に姿を見るだけで。
近寄らせてもらえんようになってたかも、しれへんねや。
なんとなく、二人で黙りこんでビールの缶を傾ける。
「で、今度の子も虫よけなん?」
「トミィほど、気が強くないとは思うけど」
「それでも、悦ちゃんイジメたら、俺は怒るで?」
「判ってる。同じことにならないように、ゆりにも気をつけるつもりだし」
軽く笑いながら、缶を空けたリョウに合わせるように、俺もビールを飲み干した。
そやけどな。リョウ。
お前が虫よけのつもりで女の子を連れとう姿、本命の彼女が目にしてたりせぇへんのか?
彼女が男を連れとるところ、おまえの妹が目撃したみたいに。
因果は廻るねんで?
そんなリョウの恋愛事情はさておいて。
就職活動のつもりで売り込みをかけていた地元のインディーズレーベルから、CDを出す話が持ち上がった。時期としては、今年の夏、と。
それを機会に、俺たちは互いの呼び名を、《JIN》《RYO》《MASA》《SAKU》、そして《YUKI》に改めた。なんとなく、RYOかMASA? って思っていたリーダーもRYOに決まった。
そうして俺たちは、プロへの最初の一歩、を踏み出し始めた。
夏休みは、そのCDがらみで何かと忙しく。サークルのほうは納涼会だけに参加した。
「YUKI、CDが出るって……」
「そやねん。よかったら、買うてな?」
「YUKI。この前のライブ、行きました!」
「ホンマ、ありがとうな。今度は……」
「YUKI、合コンしませんか?」
「それは無し、な。みんな彼女が居るねんし」
「ええー」
「自分の彼氏が、合コンしとったら気分悪いやん。俺やったら、嫌やで?」
ビールを酌み交わしながら、『YUKI』『YUKI』って次々に現れる下級生の女の子に、愛想を振りまいて。
その合間、合間に、隣に座った悦ちゃんの手をそっと握る。
握り返してくれる悦ちゃんの柔らかい手に、ほっと息をついて。
新たに現れる下級生からビールを注いでもらう。
途中で、今年の代表になった香坂が横に座った。
「相変わらず、だな」
「ごめんな。俺、滅多に来んのに、座の空気、変やんな」
「気にするなよ」
「だって、俺。小心モンやし」
「なら、宣伝料、払ったらいいだろ?」
悦ちゃんの正面に座った木下が笑いながら話によってくる。
「あー、今日の会費。野島が払うか?」
「やめてぇな。金欠で、盆に帰省できるか怪しいのに」
泣くふりをして見せた俺に、悦ちゃんが俺の肩をつつく。
「うん? どないしたん?」
「ユキちゃん、今月苦しいのだったら、明日のデート……」
「うわぁ。本気にせんとって。この人数は払われへんけど」
『悦ちゃんのことは、最優先やで』って、耳元でささやく。
そっと体を離して、目に入った悦ちゃんの頬が、真っ赤に染まっとる。そして、ごく小さい声で聞こえた。『ユキちゃんの アホ』って。
悦ちゃんが、そんなこと言う日が来るなんて。
それも、俺の方言を意識したのやろう。『アホ』って、イントネーションが微妙に違うところが、こそばゆい。
MASAが、何べんも『まっくんの、ばかー』って ゆりさんを叫ばす気持ちが分かった気がする。
八月には、悦ちゃんと二人で夏祭りに行って。
彼女が一人で参加する予定やった夏合宿は台風の直撃で中止になって。
そして。
CDが出たおかげでライブの客足も、伸びた。そんな夏休みやった。
「総合大の学園祭な。ステージのトリを務めてくれってよ」
そんな報告がRYOからあったのが、空気が秋らしくなってきた気がする土曜の午後の練習で、やった。
「務めて”くれ”?」
「ん、実行委員会からの、依頼」
微妙な言葉尻に引っかかったSAKUに、 JINが答える。
「って、ことは……」
「今年のゲストは、俺らってことなん?」
「そんなわけねぇだろうがよ」
思い上がったことを言うた俺とSAKUの頭をひとつずつRYOがはたく。
「ゲストはゲストでちゃんと講堂でやるだろうが。俺たちは、あくまでも”野外ステージのトリ”」
「なーんや」
「『なんや』か。悦子さんは『うわぁ、すごーい』って、手を叩いて喜んでくれたってのによ」
RYOの言葉を、ふーん、と聞き流しかけて。
「ちょぉ待て。悦ちゃんが何で?」
「さっき、ドーナツショップで一緒になったからな」
横からJINが答える。
「なんや、それ。忘れモン取りに部屋に戻ったりせんかったらよかった」
「それは、忘れ物をしたYUKIが悪い」
うなだれとる俺を、他人事のように笑いながらMASAがアンプにコードをつなぐ。
「ゆりが、『まっくんは、どうしたの?』って寂しがってたぞ?」
「何で、由梨?」
「悦子さんと二人でお茶しに来てたから」
気を取り直してドラムセットの位置を調節しながら、聞くともなく聞いとったMASAとJINの会話が、頭の中でアクロバットをした。
「ちょい待って? 誰と悦ちゃんがお茶しとったん?」
「俺とJINが居る店に、ゆりと悦子さんがやってきたから、四人で」
「俺たちは先に出てきたから、今頃はゆりと悦子さんの二人、ってことだな」
RYOの言葉にJINが付け足す。
なるほど、と納得して。
スティックを手に軽く、素振りをするようにドラムセットのそれぞれの位置を確認して。
「じゃぁ、まずは……」
今日の練習メニューを確認したRYOの言葉に皆が頷く。SAKUとアイコンタクトでカウントを確認しながら……。
最初の一音を。
総合大の学園祭が、一ヶ月を切るほどに迫った頃。
MASAが帰り道、こそっと俺に耳打ちしてきたことがあった。『RYOの彼女が、ややこしいことを言ってくるかもしれない』と。
「なに、それ?」
「お前は、大学が違うから大丈夫かもしれないけどな。この前、由梨たちとRYOがお茶してた、っていってただろ? あれがどうやら耳に入ったみたいでさ」
そんなことを言いながら、前を歩く三人から微妙に距離をとるMASAに合わせて、歩調を緩める。
「で?」
「俺の、監督不行き届きって」
「はぁ? 監督不行き届きって……」
「ちょっかい出さない様に由梨を見張っとけ、ってことらしいな」
なんや、それ。
どこが、『トミィほど気が強くない』やねん。話を聞いとるだけで、ため息出るわ。
「また、今度もややこしそうやな」
「だろ? 学園祭の打ち上げに由梨たちも呼ぶなら、今年も分けたほうが良いかもな」
「そうやんなぁ」
JINはこの前、また別れたって言うとったから、悦ちゃん・ゆりさんペアと、残りの二人がペア、ってところか。
「まぁ、あの彼女の件は、RYOの耳に入ったら多分、一発で切り捨てられるだろうけどな」
そういいながら、MASAが肩に掛けたギターケースをゆすり上げる。
「そうやろか?」
「アイツ、そういうところ潔癖だぞ?」
「潔癖、かぁ?」
虫よけに彼女作るやつ、やで?
「他人が口を挟むと恋愛事はこじれるってのが、持論みたいだな」
「そうなん?」
前を歩く三人のうちの、一人低いシルエットを眺めながら、『意外と、繊細なこと言うのやな』と、失礼なことを思う。
「YUKI?」
俺の心の声が聞こえたわけでもないだろうに、RYOが振り返った。
「なに?」
「って、何でそんなに離れているんだよ?」
「MASAと、愛を語りあっとったから」
「お前ら、どっちも彼女が大事なくせに」
「RYOのことかて、大事やで?」
「バカな事言ってんじゃねぇよ」
声を立てて笑いながら、RYOが俺たちに並んできた。その向こうでJINたちは、ゆっくりと歩き続けとる。
「それはそうと、お前ら今晩ヒマ?」
「別に用事はないけど?」
だったら……と、SAKUの見つけてきた食いモン屋で、晩飯にしようって話にOKをして。
「なぁ、RYO。打ち上げなんやけどな……」
MASAとアイコンタクトで相談しながら、打ち上げの”二分割案”を提案した。
この年の学園祭で、俺たちはひとつの試みをした。
〈 今まで歌ってきた曲は、俺が詞を書いて、MASAが曲をつけているのですが。次の曲は…… 〉
曲の合間のMCで、JINが思わせぶりに言葉を切る。
客席からじれたような『JIN』コールが起こる。
〈 SAKUが初めて詞を書きました。曲はRYOで 〉
JINの言葉が観客に浸み込むのを待つ間、居たたまれないようにSAKUが客席に背を向ける。
去年、初めて総合大のステージに立ったときに、俺に気合を入れてくれた奴とは思えない恥ずかしそうな顔に、思わず笑いそうになりながら、『ちゃんとやれ』って、スティックで合図を送る。
そんなSAKUを励ますように聞こえた『SAKU、がんばってー』の掛け声に、片手を挙げて応えながら、SAKUがやっと客席に向き直る。
おかしそうに俺のほうを見たJINと、呼吸を合わせて……カウントを取る。
ドレミの音階と、日本語の五十音と。
使っている材料は同じはずなのに。
MASAとは違う、RYOの曲。
JINとは違う、SAKUの歌。
リズムを刻む事しかできない俺だけど。
ドレミでも五十音でもない、”俺”自身が。
この”音楽”に必要な材料でありたい。
ずっと、いつまでも。




