仕切りなおしの打ち上げ
後味の悪い打ち上げの翌々日。練習後の帰り道で、俺はリョウにはとりあえず謝った。登美さんに謝る気はサラサラ無いけど。
「こっちこそ。止めきれなくって悪かったな」
「そこで、あっさりと許せるのやから、リョウは大物やな」
「いやいや。俺なんか、小物、小物」
リョウはそう言って、目を細めるように笑った。
「そう? 俺やったら、悦ちゃんのことを『遣り手婆』とか言われたら、止まらんで?」
「止まる程度にしか想ってねぇ相手、ってことだよ」
うわ、ひどっ。
「そろそろ潮時かな、と思ってるし」
「潮時、ってお前……」
「トミィのあの性格は、虫除けには丁度よかったんだけどよ。ゆりや悦子さんを敵に回したら、マサもお前も彼女を守るほうを選ぶだろ?」
「”守る方”って……。守らん方は、何なん?」
「織音籠を守るほう」
あっさりと言いながら立ち止まったリョウが、自販機に小銭を入れる。ガコン、と音を立てて出てきたジンジャーエールを手にするリョウに倣って、俺も小銭を入れて……ボタンを押す。
って。しもた。半分無意識やったから。百パーのオレンジジュース、買ってしもた。
「織音籠を守るほう、か」
仕方なくオレンジジュースを開けながら、つぶやく。
「彼女と別れるか、織音籠を辞めるかって選択になったら、お前らあっさりと織音籠を捨てるだろ?」
「それは、ヒドイんと違う?」
「あっさり、は言いすぎでもよ。究極の選択を迫ったら、お前らは絶対、”彼女”を取るだろうがよ」
「……否定は、せぇへん」
「だろ? で、だ。お前とマサのどちらか一人でも抜けたら、織音籠は成り立たない、と」
「そうか? マサが抜けたら痛いやろけど……」
マサが抜けたら、曲作る奴が居らんようになるけど。俺も、なん?
半信半疑な俺の顔をジンジャーエールの缶越しに見たリョウが、思いもよらぬことを口にする。
「ジンがどうして酒を飲まないと思う?」
「『咽喉、潰したないから』って本人が言うとったやん」
「お前、ジンが酒飲むところ、見たことないか?」
そう言われて、考える。
「無い、のと違う?」
「いや。お前の歓迎会のときまでは、アイツもビール飲んでたぜ?」
「そうやったっけ?」
「ああ。本人が言うには、『ユキが入って、このまま突っ走ってデビューしないとって使命感が出た』んだとよ」
「……」
「つまり、お前が入るまではプロになるって意識が、アイツには薄かった、ってことだな」
オレンジジュースを口に含む。甘酸っぱい香りが、口に広がる。
「お前が入って、ジンは酒とコーヒーを止めた。大声で笑うこともなくなった」
「へ?」
「咽喉を極力守る生活をアイツに始めさせたのは、ユキ、お前だよ」
「そう、やったんや」
リョウのその言葉に、なんか、こう……”織音籠”に、ぎゅっと結び付けられた気がした。
その束縛感が、心地よい。
おんぶ紐で母親の背中にくくりつけられた赤ん坊が、あっという間に眠りに落ちる時って、こんな心地いい束縛に包まれとうのやろか。
『トミィとのことは、追々考える』と言ったリョウと、シャッターの下りた電気屋の角で別れて。
俺は、アパートへと足をむけた。
十一月に入ってからマサと、”仕切りなおし”の打ち上げのことを話し合った。
『クリスマスも近いしなぁ』とか言いながら、少しでも安上がりな店は……と、食い道楽のサクも話に巻き込む。
「だったら、いつもみたいに、誰かの部屋でやればいいんじゃねぇの?」
練習までの時間つぶしの間。総合大のカフェテリアで、そんなことを言いながら、サクがコーラに口をつける。
「やっぱり、そうなるやんな?」
誰かの部屋で、ツマミを持ち寄って……ってのは、俺らにとって、金欠のときのお約束やった。
「誰かって、誰のとこがいいだろな?」
「一番広いのは、リョウの所、じゃねぇの」
サクの意見に、ちょっと考えたマサが頷くけど。
「リョウの所って。マサ、それはヤバイのと違う?」
「ヤバイ、か?」
「また、誰かさんが乱入してきたら、洒落にならへんやん」
「うーん」
”誰かさん”を想像したらしく、マサの眉間に皺がよる。
それにリョウの部屋なんか、悦ちゃんが緊張しそうや。
「俺の所か、ゆりさんのところが、悦ちゃんにとってはええのやけど」
「由梨の所は、俺が嫌」
「二人とも、わがままー。っつうか。答え出てんじゃねぇの? ユキの部屋、って」
サクが笑いながら、混ぜ返す。
それもそうやな。
「ほな、俺の所で。あとは、時間と買ってくるものの分担、やな」
そんな案に、悦ちゃんもゆりさんもOKしてくれて。
十一月の下旬、翌日に祝日を控えた日曜日。俺の部屋に、計七人が集まっての”打ち上げ”が行われることになった。
掃除も済ませた俺の部屋に、玄関チャイムの音が鳴る。
壁の時計は、約束の二十分前。
「相変わらず、早いなぁ」
開けた玄関ドアの向こうで、大き目のトートバッグにスーパーのレジ袋を提げた悦ちゃんが、目を細めて微笑んどった。
「明日は、雨?」
「いや。掃除とかは終わってるから。俺の勝ち」
そんな会話を交わしながら、突っ掛けたスニーカーを脱ぐ。俺の後でクスクス笑う悦ちゃんの声がする。
部屋に上がった悦ちゃんは、普段テーブル代わりに使っとう家具調コタツの上に、かばんから取り出したタッパウェアを置いた。
悦ちゃん、遠いのやから乾き物持ってきて、って言うたのに。重くなかったか? 準備大変やなかったか?
彼女の負担を気にしながら、容器の蓋を開けて。
うおぉ。明太ポテトやん。こんなん、作れるん?
目にした好物に、一瞬で心配が吹き飛んで。ひとつツマミ食い。
「めっちゃ、うまいやん」
「そう? よかった。お皿、出さなきゃ」
俺の率直な感想に、糸のように目を細めた悦ちゃんが棚へと向かう。その背後、調理台で炊飯器が炊き上がりの合図を鳴らした。
『おかず、作らなくっても良かったの?』って、皿を手に気にしとう悦ちゃん。
ええねん。これがどないなるか、楽しみにしとってな?
いたずらを仕掛けるときみたいなワクワクした気分で、悦ちゃんの隣でグラスを取り出す。ビールを飲まへんのが……三人、やな。
悦ちゃんは、”テーブル”にグラスを置いた俺を覗き込みながら、今度はグラスの数が足りないと心配しだす。
心配せんでも。これまで、何べんも飲み会しとるねんで? 俺らは、こんな風に。
ジンがやってきて、”飯の支度”を始める。
こいつもリョウも、なにやらポリシーがあるらしくって、とにかく人の顔見たら、『飯食えー、飯食えー』ってうるさい。特に、ジンは小器用に”在るもので料理”なんてことまでするから、今日みたいな部屋飲みの時に、調理担当になるんはお約束。
俺もジンの手伝いを始めたところで玄関チャイムが鳴る。
「悦ちゃん、ドア開けて」
「あ、はい」
手が離せんようになった俺の代わりに、玄関に向かう悦ちゃん。聞こえてきた声は……リョウ、やな。
立て続けに鳴ったチャイムに入ってきたのは、サクみたいや。
うーん。一人はリョウとはいえ。あの狭い玄関で、悦ちゃんを男と接近させとくのはちょっと心配。近すぎて、また具合悪くなったりせんやろか、って。
「悦ちゃん、ちょっと手伝ってー」
呼び戻した俺に、いつもと変わらない悦ちゃんの『はい』が聞こえる。
隣ではジンが人参を刻みながら、咽喉の奥で笑とった。
マサとゆりさんも程なくやってきて。ジンが包丁で手を切るハプニングをはさみながらも、支度が整う。
テーブルに並んだ三つのグラスにジンが買ってきたウーロン茶が入れられる。一つのグラスをゆりさんに。そして、もう一つを悦ちゃんに。それからマサに頼まれて追加で出した空のグラスも、ゆりさんの前に。
「ジン君は飲まないのですか?」
「悦子さんだって、飲まないんだろ?」
一個残ったグラスを前に、ジンがペットボトルに蓋をしながら答える。
「悦ちゃん、未成年やもん」
悦ちゃんが俺以外の人間も居るところで酒を飲むとしたら、まずこのメンバーで練習を、って思っとうから。いつもみたいに『体質で飲めない』とは、言わせんように予防線を張る。それを聞いた悦ちゃんが、『え?』っと戸惑ったような声を上げた。
その頭を軽く撫でとったら、ジンのやつが
「俺だって、未成年だもーん」
と、俺の口調を真似する。
似とらへんし、かわいないし。
「そう、なんですか?」
「ん、俺、一月生まれ。多分、この中で一番年下」
驚いた様子の悦ちゃんに、そんなことを言いながらジンが声を立てずに笑う。
そんなやり取りを経て、乾杯して。
悦ちゃんは、隣に座っとる ゆりさんの飲み物事情に興味を示す。
ゆりさんの前には、ウーロン茶とビールが入った二つのグラスがあるけど、その代わり俺たちの前にあるビールの缶がなかった。
「ゆりちゃんの分のビールの缶は?」
「マサが飲んでる」
「はい?」
「マサと仲良く半分こ、やんな?」
「気の抜けたビールなんか、まずいだけだろうが」
サラリと言ったマサの隣で、ゆりさんがビールのグラスに口をつける。
夏休みの前、くらいやったか。春休み同様にゆりさんを含めた飲み会をしてた時に、マサが妙なことをしとることに気づいた。
泡の消えかけた ゆりさんのビールを飲み干して、新しくビールを入れなおす。そんなことを、自分のグラスが空くたびに繰り返す。
「マサ? なにしとん?」
「うん?」
「入れなおしたら、ゆりさんどれだけ飲んだか、分からんようになるのと違うん?」
「俺が、分かってるから」
はい? 分かり合っとう夫婦め。こっちには、わけ分からんわ。
怪訝な顔をしただろう俺と、目を合わせないようにしながらマサが種明かしをする。
「お代わりで入れるときに、泡込みで前の量を超えないように気をつけてる」
「はぁ、それやったら、確かに泡の分だけ減るわな」
「だろ? それと、炭酸が抜けてない分、腹に溜まるから、無茶飲みができなくなる」
「……あほか」
「酔われるより、マシ」
そう言いながら、マサは自分のグラスにもビールを注いだ。
そんなことを思い出しながら、明太ポテトに手を伸ばす。
あのとき、誰もマサのしとる事を笑ったりせんかった。ああ、やっぱり夫婦やんな、って。
そやから、俺もこのメンバーでやったら、悦ちゃんに酒を飲ませても大丈夫と違うやろかって考えとるのやけど。
「おいしい」
そんなことを考えとる俺の横で悦ちゃんは、ジンの作った炒飯に歓声をあげた。
「やろ? 誰かのところで飲む時は、ジンが飯担当やねん」
「誰が作っても同じだって」
俺の言葉に照れたようにアーモンド形の目を細めながら、ジンが顔の前で手をパタパタと振る。
そして、自分のグラスにウーロン茶のお代わりを注ぐと、ついでのように声をかけた。
「悦子さんもいる?」
と。
その言葉に、悦ちゃんの肩に力が入ったのが分かった。
箸をおいて。彼女の背中に手を当てる。
『手当てって、体に手を当てるから、”手当て”なんだぜ』って、サクが言ってたのは、何のときやったっけ?
悦ちゃん、大丈夫や。アレは酒と違うし、ジンは絶対酔わへん。
ほっと、小さく悦ちゃんが息を吐いて。余計な力が抜けたのが、俺の手にも伝わる。
「はい、いただきます」
そう答えた悦ちゃんは、一センチほど残っていたお茶を飲み干して、グラスを差し出した。そこに、お茶が注がれる。
ジンに礼を言って、悦ちゃんがグラスに口をつける。
ほら、大丈夫やったやろ?
”飲み物を注がれる”のは、別に怖いことやないねんで?
飲んで騒いで、ってしとるうちに、サクがノートを取り出した。周りの騒ぎから一人外れて、ペンを走らせる。
俺たちには見慣れたその光景は、初めて目にした悦ちゃんには新鮮やったらしい。
「サク君は、何を書いているのですか?」
そう尋ねた悦ちゃんを、サクがペンを握ったままの手を口元に当てて、じっと見る。
「悦子さん、この前から思ってたんだけどよ」
「はい」
「ゆりさんみたいに、『サクちゃん』でも、いいぜ?」
「はい?」
「今、噛んだだろ? 俺の名前」
「……」
赤くなった悦ちゃんが俯いた。その横で、ゆりさんが陽気にはしゃいだ声を上げる。
「いいじゃない。悦ちゃんも『サクちゃん』って呼んじゃえ、呼んじゃえ」
その声を聞きながら悦ちゃんが、俺に小さい声で尋ねてきた。
「いいのかな?」
「ええのと違う?」
そして、彼女の耳元でそっと囁く。
「悦ちゃんも、ゆりさんと同じくらい俺らの仲間やってこと」
俺が織音籠に必要なら、悦ちゃんも込みでええやんな? リョウ?
マサたちみたいに、『夫婦やから、仕方ない』って、言うてくれるやんな?
俺が織音籠に縛り付けられとるのと一緒に、悦ちゃんも縛り付ける。
どっちも離したくないから。どっちも縛り付けてしもたら、ええねん。
そんな束縛を知らずに悦ちゃんは、いつものように幸せそうに微笑んだ。
『サクちゃん』と言いなおした、悦ちゃんにサクが作詞のための言葉を書き留めていることを説明する。
とは言っても。まだひとつも形になってなくって、今のところ作詞は全部ジンがしとるのやけど。
「こいつら、律儀に中学校の先生の言うことを守って創作ノート書いてんだよ」
そう言ったリョウが、ジンの背後の床からノートを取り出して、中をパラパラとめくって見せる。
俺も何度か見せてもろたことがあるけど、ジンのノートは半分くらいが英語で書いてある。
それも、考え考えって感じやなしに、スラスラっと筆跡が流れとる。
「さすが、外大ー」
ゆりさんがそんなことを言いながら、今度は小さい子みたいにパチパチと拍手をする。
あーあ。ゆりさん、酔うてしもた。お茶とビールを交互に飲んどっても、マサが調節しとってもこれやから。
「おい、マサ。そろそろ止めさせろ。酔ってるぞ」
「止めろって言って、止めるならな」
ジンとマサがそんなことを言いながら、ゆりさんのウーロン茶のグラスを一杯に満たし、ビールのグラスを空ける。
「ふーんだ。まっくんのばーか」
ゆりさんはそう言いながらアッカンベーをして。マサのとり皿に山盛りのきんぴらごぼうを入れた。
お開きにしたあと、悦ちゃんを駅まで送っていく。
悦ちゃん同様、自宅生のマサは、ゆりさんの部屋に泊まるとかで、二人で仲良く帰っていったし、他の三人もそれぞれ自分の部屋へと帰っていった。
柔らかい悦ちゃんの手をリズムを付けて握る。その動きに合わせるように握り返しながら悦ちゃんが、言う。
「すごく楽しかった」
と。
「そっかぁ。よかった」
「また、みんなとこうやってご飯、食べれたらいいなって思うくらい」
そうか? そない言うてくれるか?
良かったぁと、ため息をついて、夜空を見上げる。
悦ちゃん、あれが俺の大事な居場所やねん。
俺と一緒に、”織音籠の一員”で居ろな?
約束、やで?




