食事会
マサや ゆりさんとの食事会を納涼会の一週間前の予定で、約束して。
そろそろ梅雨も明けようか、という七月の半ばのことやった。
「サク、また別れたって?」
そんなリョウの言葉に、サクががっくりとうなだれる。ほぉ、とうとう洋子さんとも。
泣き言混じりのサクの話によると。
この前、俺にグチグチ言うとったのを、サクにぶつけて別れ話になった、みたいやな。
練習後の片付けの手を止めないまま、雑談が始まる。
「なんていうかさ。俺もうちょっと、大人しめの子の方が好みかも。よってくる子がケバ過ぎて」
ベースをケースに片付けながら、サクがぼやく。その言葉に同意したのは、ジンやった。
「俺も実は苦手。こっちが食われそうだよな。それに『私と音楽のどっちが大事なの』っていわれてもなぁ」
「なぁ。音楽が大事だよな。俺たちプロになりたいんだし」
我が意を得たり、ってサクが勢い込んで頷いとるけど。
「ちゃんと、好きになった子とつきあえばええやん」
好みやないのやったら、付き合うなや。どれだけ洋子さんのおかげで、悦ちゃんがとばっちりを受けたと思っとるん。
それにやな、
「ちゃんと好きになった子やったら……大事にしてることは伝わるもんやって」
あんな酷いことした、俺のことでも許してくれるねんで? 『ユキちゃんじゃなきゃ、嫌や』言うて。
『とっかえひっかえで驚く』とかマサにも言われた二人は、どうやら中学時代の思い出話を始めたらしく、俺にはわからん名前がボロボロ出てきたので、話から離れて片付けに集中することにした。
そして、その週末が、ゆりさんらとの約束の日やった。
マサたちとは、あの定食屋の前で待ち合わせをした。さすがに三十分も早くから、店の前で待っとくわけにはいかんから、悦ちゃんとは一度駅で待ち合わせる。
「緊張、しとる?」
「は、い」
いつもより白い顔で悦ちゃんが頷く。
「しんどくなったら、いつでも言うたらええから。無理は、せんとこな?」
「はい」
きゅっと力が入った彼女の手の甲を、繋いでいない方の手で軽く叩く。
孫娘に子守唄を歌ってやるオフクロの、手のリズムを思い出しながら。
店に入って、席に着く。
ふーっと、大きく息を吸った悦ちゃんが自己紹介をして、ゆりさんがそれに応える。
「ゆりさん、仲良うしたってな。リョウやサクの彼女とは、波長が合わへんらしくって」
あ、今は”サクの彼女”とは、違うな。と思いながらマサと顔を見合わせる。と、その横で、ゆりさんが顔を顰めた。
「”アレ”は、私も合わない」
「この前なんか、リョウの彼女と道の真ん中でにらみ合いしたもんな」
「にらみあい、ですか?」
二人の言葉に、悦ちゃんが逃げ腰になった。
そんな悦ちゃんに気づかず、マサが
「お互いに鼻で相手を笑うわ、由梨は、相手の口調を真似して『じゃぁねぇ、リョぉウ』とか言うわ。もう、いつ掴み合いになるかと、冷や冷やした」
そのときの状況を話しながら苦笑する。
あーあ。悦ちゃん、固まってしもた。
大丈夫やって。悦ちゃんとやったら、睨みあいになんかならへん、て。宥めるように彼女の頭の上で軽く手を弾ませると、ほっと肩から力が抜ける。
「ゆりさん。悦ちゃんが怖がるから、武勇伝は程々にしたってな」
「武勇伝、てねぇ。あっちが威嚇してきたから、受けて立っただけで。私がケンカ売ったわけじゃない」
さすが、ゆりさん。強いなぁ。って言うか、登美さん、どれだけあっちこっちでケンカを売ってまわっとるんや。それで”リョウの彼女”しとって、大丈夫なんか? 自分が『身の程知らず』って言われてへんか?
「まったくもう。まっくんが、余計なことをバラすから」
ぷーっと膨れっ面をした ゆりさんに文句をつけられたマサが、軽く謝る。その謝罪を『ばーか』のひとことで受け流したゆりさんが、二冊あるメニューの内の一冊をマサに手渡す。
残った一冊に手を伸ばした俺の横で、小さく悦ちゃんが『ホント、夫婦……』とつぶやいたのが聞こえた。
ひとつのメニューを悦ちゃんと一緒に見ていると、『夏ばてか?』『熱は無いな』とか言いながら、向かいの席でマサたちがいちゃつきだした。
それをメニューの陰からのぞいた悦ちゃんは、唖然、って顔で。
「マサ、ええ加減にして。悦ちゃんがビックリしとる」
「ユキちゃん、大丈夫。ゆりさんとマサくんが仲いいなって思っているだけだから」
はっとした顔でこっちを見た ゆりさんに、悦ちゃんが慌てて俺にストップをかける。
そんな俺たちを眺めた ゆりさんが首をかしげる。そして、悦ちゃんの顔を見ると、一言。
「ユキくんと、悦子さんの方が仲いいと思う」
「ええっ、そんな」
ボンと音がするほど悦ちゃんが真っ赤になった。
顔を手で覆って、小さく体をすくめるようにした悦ちゃんの肩を宥めるように叩く。洋子さんらみたいな悪意はないやろけど。これはちょっと、悦ちゃんがかわいそうや。
「ゆりさん、イジメんといたって」
「今の、いじめてた?」
「だって、困っとうやん」
「ユキくん? どこまで、過保護なの?」
「うん? 俺にできる限界まで」
『訊いた私が、ばかだったー』って、天井を仰いだゆりさんを見たマサに、今度は俺が目で叱られてもた。
そんなやり取りを経て、注文が決まって。
料理を待つ間、化粧品がどうとか、ジンたちの高校時代の話とか。上手にゆりさんが話を誘導してくれて、悦ちゃんの緊張も解けてきたみたいやった。
ゆりさんと悦ちゃんの分の料理を運んできた女将さんが、悦ちゃんらを見ながら何気なく、言うた。
「今日は、ユキちゃんとマサくんが、彼女連れかい?」
「今日はって? 誰か、来たん?」
「先週、サクちゃんが彼女と来てたよ」
こっちも何気なく問いかけて。返ってきた答えに、マサと顔を見合わせた。
先週って。まさか、別れ話……。
俺らが、顔を引きつらせているのに気づかなかったらしく、ゆりさんの前に料理をおいた女将さんは
「いいねぇ、若いねぇ」
と、お愛想を言って微笑む。女将さんの後ろから来た店員から、俺らも料理を受け取りながら、
「女将さんだって、若いやん」
と、いつものノリでごまかす。
「ユキちゃん、おだてても、何も出ないよ」
そう言って笑った女将さんは、ごゆっくり、と言いながらカウンターへと戻って行った。
そんな際どいやり取りが合ったことに気づかない二人が、声をそろえて『いただきます』をしたのにつられるように、俺たちも箸を割る。
「それ、何?」
ゆりさんが箸をつけた小鉢を、マサが覗き込む。
「冬瓜、って知ってる?」
「いや」
「まっくんが、知ってたら逆に驚くか」
「うまいのか?」
俺は、あんまり好きやないのやけど。”冬瓜”を知らんらしいマサは、受け取った鉢から一切れ、口に運んで……黙って、ゆりさんに鉢を返した。
口に合わんかったみたいやな、と思って笑いをかみ殺していると、
「本当に、夫婦みたい……」
ため息をつくような悦ちゃんの声がした。
「やろ? リョウたちが『当てられる』って言うとん、わかる?」
「うん」
上気した顔で悦ちゃんが頷く。と、ゆりさんが、何かに咽た。
その背中を叩いてやっているマサが、『ユキには言われたくない』とつり目で睨む。
キャーこわーい、と内心でおどけていると
「おまえらだって、おんなじように言われてるだろ?」
続いたマサの言葉に、今度は悦ちゃんがグっと妙な声を上げて、慌てたように味噌汁椀に手を伸ばした。
その背中を、さっきのマサのように叩いてやって。
ああ、なるほど。
「確かに、違わへんけど」
でも、夫婦、の空気まではいかへんで?
悦ちゃんが、落ち着いたらしいので手を離して。
「なぁマサ。あいつらも、どないなん?」
「どうって?」
「リョウたちの付き合い方。軽すぎるんと、違う?」
「軽い、な」
「恋愛ごっこ、なんかな」
去年のクリスマスに彼女に振られたと落ち込んでいたジンは、年明けには新しい女の子を連れとると思ったら、その子ともあっという間に別れたし。サクは洋子さんと別れた直後、『好みのタイプじゃなかった』なんて言うてたし。リョウの周りの女の子を威嚇してまわっとるらしい登美さんは、男漁りしとるっぽいし。
もっと、一生懸命、相手のこと見たら、どないなん? って思う。
ちょっと、暗い目のそんな話題が挟まりもしたけれど。
「ねぇねぇ、悦子さんとユキくんって一緒の大学なのよね?」
「あ、はい」
「じゃぁ、一緒に講義受けたりするの?」
「ええっと。はい」
「うわぁ、そうなんだぁ」
ゆりさんがうれしそうにそんな話をしている。
「ゆりさん、何? どないしたん?」
「ほら、私、看護大じゃない? 男子、ほとんどいないのよね」
「じゃぁ将来は、看護婦さんに?」
悦ちゃんが、感心したような声を出す。
女の子の憧れの職業、やわな。
「うん、そうなの。でね、ほとんど女子大みたいな感じだから、共学って、どうなってるのかなって」
「はぁ」
「どうなってるのかな、ってな。高校共学じゃないか」
俺とだって一緒のクラスだっただろ、ってマサが笑う。
「そうやったん? マサたちクラスメイトやったんや」
「ほとんど話したこと無かったけどな」
「ホンマに?」
「ホンマ、ホンマ」
俺の言葉を真似て、ゆりさんが相槌を打つ。
「二言目には、『まっくんの、バーカ』ってな」
「……それで、よくまぁ付き合うことになったな」
聞いてて、呆れるわ。
「俺の、粘り勝ち」
「そう、なんですか?」
そんな話題に珍しく興味を示した悦ちゃんに覗き込まれたゆりさんが、真っ赤になった。
「もう、まっくんのばかー。何の話をしてるのよ!」
「だから。ギタリストの腕をつねるな!」
「つねられるような事を言う、まっくんが悪いー」
赤い顔のまま、ゆりさんがそっぽを向いて。
それを見ていた悦ちゃんが、楽しそうにクスクスと笑った。
ああ、よかった。
楽しんで、悦ちゃんが”食事会”をしとる。
”ユキの彼女””マサの彼女”って、レッテルを超えて、友達になれたのと違うやろか。
安心した思いで、店を出たところで二人に礼を言うた。
今日来てもらったことに。マサが、ゆりさんみたいな”ええ子”を彼女にしとることに。
そして、織音籠に近いところにできた悦ちゃんの友人に。
そんな俺に、マサが苦笑気味に言う。
「ユキ。お前、どこまで過保護なんだ」
その言葉に俺は、自戒と誇りを持って答える。
俺の全力。守れる限り、と。




