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”彼女”たち

 相変わらず、講義、講義、学食デート、講義、バイト、練習、バイト。

 そんな一日を繰り返して、日が過ぎる。

 入学した当初、興味が持てなかった講義も、専門が始まれば興味の湧く分野も出てきた。去年の暮れ、リョウに発破をかけられたのも、一つのきっかけではあったけど。


「俺たちは、プロになる気だからよ。利用できるモンは、全て使うぜ?」 

 サクが『旨くて安い』と見つけてきた定食屋に、昼飯を食いに行って。たまたま来ていたリョウと一緒になった、クリスマス前の日曜日。やつは、日替わり定食のコロッケを箸で割りながら、そんなことを口にした。

「全てって、何やの?」

「全ては、全て。大学の講義だって無料(タダ)じゃねぇんだからよ。利用し尽くす」

「講義、って。おまえ法学やろ? どない使う気なん?」

 国文科のサクと英語学科のジンは、作詞をしようとしとるから、国語や英語が必要なのは分かる。作曲を担当しとるマサは、その物ズバリの音楽理論の学科らしいし。

「将来、織音籠(オリオンケージ)を法律面でサポートをする」

「はぁ?」

「おまえだって、経済大なら分かるだろうが。契約とかの面で、絶対に法律の知識は必要になる」

「はぁ……」

 そこまで、本気で考えとるのか。

「ユキも、乗る気があるなら。マーケティング学とか、俺たちが習えないようなことを、習っておいてくれねぇ?」

 他の三人は、完全に芸術系に特化してるからな。俺たちは、実務をフォローしようぜ。

 リョウは、そう言いながらコロッケを口に運んだ。


 そんなことを言うてたリョウが、法学部の講義だけやなしにマサの受けている講義にまでもぐりこんで作曲の勉強をしとる、と聞いた時には自分との意識の差に打ちのめされた。

 俺だって、やってみせたるわ。

 見ときや?

 負けず嫌いが首をもたげた。


 そして、みっちりと詰め込めるだけ、講義を詰め込んで、合間にバイトと練習と。悦ちゃんとは、相変わらず学食デート。

 俺は、そんな大学生生活の二年目を送ってた。



 悦ちゃんは、相変わらず飲み会には参加してない。今年の新歓は俺もパスしたし。

 けれども、いつまでもそれではアカンやろな、とは思っとる。社会人になれば、接待とかで飲み会を避けられへん事も出てくるやろし。

 本人と相談して、納涼会に参加してみよっか? ということになったのが、梅雨に入った頃の事やった。


「広尾、今年の一年って、五人くらいやったっけ?」

 悦ちゃんとは選択の講義が違ってたその日。世間話のついでに、ふと尋ねてみた。

「いや。二十人、ほど?」

「はぁ? 何で、そんなに増えたん?」

 ゴールデンウィークにテニスやった時、そんなに居らんかったやん。

「おまえのせいだよ」

 横から、パックジュースを飲んでいた木下が口を挟む。

「俺?」

「ゴールデンウイークに織音籠のライブ、あっただろ」

「あったけど……それがどないしたん?」

「『ユキが入っているなら、わたしもー』って、一年の女子がどばっと」

「はぁ」

「おかげで、飲み会のたびに『ユキが来てなーい』って」

 作り声の木下に『ユキ』と連呼されて、背中がさむーくなる。

 

 悦ちゃんが出ないから、って俺も飲み会はまるっきり顔出してへんかったし。先週のテニスは雨で流れたし。そんな事になっとるとは……まったく知らんかった。

「ごめん、迷惑かけとう?」

「いや。それがきっかけで、皆がまあまあ仲良くやってるから、良いんじゃねぇの?」 

 飲み終えたパックジュースを音を立てて吸いきった木下が、へらっと笑ってみせる。

「ま、次に飲み会に出るときは、覚悟しとけ、ってこと」

 広尾はそう言って、丁度教室に入ってきたヨッコちゃんに手を振ると、彼女の元へといってしまった。

「覚悟、いるん?」

 そう尋ねた俺に、木下の答えはというと。

「お前もだし、”ユキの彼女”の悦ちゃんにも、かな?」

 そんな、さっきとは違う意味でさむーいモンやった。



 飲み会に出る、覚悟、なぁ。と考えて。

 酒がらみの恐怖も乗り越える必要のある悦ちゃんの負担に、俺のほうが気が重くなる。


 ちょっと、どっかで練習。したほうがええのかなぁ。

 二年生だけで飲みに行って”酒の席”に免疫をつけるか、織音籠の誰かと飯に行って”ユキの彼女”って認識に免疫をつけるか。

 二つの選択肢を思いついたけど。どっちにしたほうが、ええのやろ。



 そんな事を、暇を見つけてはグルグルと考えてたある土曜日。

 練習に ゆりさんが顔をだした。

 静かに部屋へと入ってきた彼女は、そのまま気配を消すように隅っこに座った。


 物音ひとつ立てなかった彼女の存在を思い出したのは、リョウが休憩を告げてからやった。

「はい、差し入れ」

 ペットボトルのお茶と紙コップを差し出した ゆりさんに口々に礼を言って。

「ゆりは、今日は最後まで見ていくのか?」

 紙コップに口をつけたジンが尋ねる。

「ううん。バイトもあるし、そろそろ帰ろうかな」

 腕時計を見ながら、あっさりとそう答えた ゆりさんはバッグを手に取ると、

「あ、まっくん。残った紙コップは、今度うちに持ってきてね。じゃぁ、よろしくー」

 それだけ言って、手を振りながら部屋から出て行った。


「あっさり、しとうなぁ」

 そんな彼女を見送りながら、つい呟いて。

「マサ、ええのん?」

「なにが?」

 お茶のお代わりを入れながら、不思議そうにマサが聞き返す。

「何って。せっかく ゆりさん来とったのに。大して話、してへんやん」

「うーん」

 うなりながら、マサがペットボトルをジンに渡す。

「俺が楽器を持っているときは、あんなもんかな。いつも」

「そうなん?」

「音楽馬鹿、っていつも言われているし。由梨(ゆうり)も、忙しいわけだし」

「忙しい、って言うたかて。その合間を縫って来てくれとうのに?」

「それは、そうだけど……」

 困ったような顔で、紙コップに口をつけたマサの隣で、ジンが口を挟んできた。

「ゆりとマサって、昔から夫婦だからな。互いに空気、なんじゃないのか」

「空気、って、ひどない?」

「ひどくないだろ? 空気無かったら、生きていけないわけだし」

「そっちなん?」

「そう、そっち」

 ジンはそう言って、咽喉の奥で笑っている。


 なんていうか……。『構ってくれー』って、アピールしまくる洋子さんや、リョウの彼女の登美さんとはえらい違いや。

 悦ちゃんが、この場に来たら……ゆりさん寄りだろうな、と思って。

 ピピっと、閃くモンがあった。


 悦ちゃんの、”飲み会の練習”。ゆりさんに頼むのは、どうやろ?



 その日の悦ちゃんとは夕飯に行く約束をしとったから、練習の後で待ち合わせのコーヒーショップへと向かった。

 店の大きな窓ガラス越しに、テーブルに教科書らしき本を広げた悦ちゃんの姿が見える。

 あ、待たせてしもた。明日は、雨や。


 入り口へと回りこんでいる間に、悦ちゃんのテーブルの前に二人の女性が立っていた。彼女の座るテーブルへと足を向けた俺に、そのうちの一人が身をかがめるようにして悦ちゃんに何かを言ったらしいのが見えた。

 友達か?

 そう思った俺は、ちらりと見えた横顔に自分の間違いを知った。

 洋子さんと登美さん、や。

 悦ちゃん、何を言われたんや。

 テーブルの間をすり抜けて近づくと、俯いとる悦ちゃんが見えた。



「なにしとるん?」

 荒くなりそうな声を、意識して抑える。相手は、女の子。メンバーの彼女、やねんから。なるべく、穏便に。

「あらぁ、ユキぃ」

「彼女、泣かさんといて欲しいねんけど」

「えー、泣かしてなんて……」 

 振り向いた洋子さんらの言葉に、俺に気づいたらしい悦ちゃんの顔が上がる。

 俺と目が合って、ほっと息をついたのが分かった。

「ちょっとぉ、ユキぃ。泣いてないじゃないー」

「ハイジ、ウソ泣きしたわね?」

 彼女らが、口々に文句を言うとるけど。

「洋子さんも、登美さんも。ええ加減にしときや? ウソ泣きと、泣くのを我慢してる違いくらい、分かるやん」

 目ぇ、潤んどるやん。

「そんなの、ユキが騙されてるだけよ」

「伊達に一年も付き合ってへんもん。それに俺、悦ちゃんにやったら騙されてもええし」

「なによ、それ」

 上目遣いの洋子さんに、鳥肌(さぶいぼ)がたつ。

 やめてくれ、って言うねん。

「っていうか。ユキぃ、『トミ』って呼ばないでよー。おばあちゃんみたいで、嫌ぁ」

 その横で、登美さんが鼻を鳴らす。誰が『トミィ』なんて呼ぶねん。って、リョウか。確かに、そう呼んどったな。


 ゴチャゴチャ言うてる二人を適当にいなして、悦ちゃんの向かいに腰を下ろす。『ご飯、行こか』って俺の言葉に反応して教科書を片付けだした悦ちゃんの、飲み残しに手を伸ばす。

「一口貰ってもええ? 咽喉渇いた」

「はい。あ、何か買ってくる?」

「いや、これでええわ」

「じゃぁ、一口といわず、全部どうぞ」

「うん、ありがとう」

 カップに三分の一ほど残ってたカフェオレを飲み干して。仰のいた視界に、まだ居た洋子さんの姿が映る。

「洋子さん、なに? 用事あった?」

「ユキ、ハイジとご飯にいくって……練習は?」

「うん? さっき終わったけど?」

「今日は、五時からって……」

「あー。火曜の夜に、三時から六時までって連絡がきたで? サクは、『バイトのシフトを夜に変更する』って言うとったけど?」

 そう答えた俺に、洋子さんが唇をかみ締めた。

「えぇー。私も、聞いてなぁい」 

 その横で登美さんが、喋り口に合ったグニャグニャした仕草で体をくねらす。

 ”かわいさ”をアピールしとるつもり、かもしれんけど。口元に添えた長い爪や、人を食ったみたいな真っ赤な唇が怖すぎるわ。

「リョウは……打ち合わせがてら、マサと飲みにいくって」

「またぁ? もう」

 もう、ってな。お前らも『これから”男狩り”に行きます』って、戦闘モードちゃうんか、それ。女同士で、茶ぁする格好でも、ガッコ行く格好でもないやろ。


「そっかぁ。サク、バイトに行っちゃったんだ」 

 そろそろ、悦ちゃんの荷物がまとまった、と思ったところで、洋子さんの声が落ちてきた。

「バイトの方を、とるんだよね。いつも」

 お前が金食っとるのと違うんか? まぁ、バンドも金食うけど。

 どれだけ、アイツが頑張っとるのか、考えたことあるんか?

「それは、サクに言い。こんなところで、ぼやいても仕方ないで」

 俺は、同情なんかせぇへんからな。


 トレイを手に立ち上がった俺に続くように、悦ちゃんが立つ。

 俺の視界から、悦ちゃんが外れんように。俺に見えんところで、二人に”要らん事”を言われたり、やられたりせんように。悦ちゃんを先に歩かせて、俺たちは店から出た。



 この日の夕飯は例の定食屋へ行って。

 互いの注文を済ませてから、悦ちゃんに尋ねる。

「で、今度は何、言われたん?」

「何って……」

「洋子さんと登美さんって、いわゆる類友やから。この前みたいなこと、ステレオでやられたのと違う?」

「ユキちゃん、トミさんとも知り合い?」

「リョウの彼女」

 ああ、なるほど、とつぶやきながら、悦ちゃんはお茶を手にした。両手で包むように持ったお湯飲みを、静かに口元に運ぶ仕草に、ふっと意識をとらわれる。

 着物慣れ、しとるからかなぁ。さりげない仕草が、きれいやねん。

 って、アカンやん。

「悦ちゃん、話ごまかしたやろ。ちゃんと話して」

 話を強引に戻すと、悦ちゃんの目が困ったようにテーブルと俺の顔を行き来する。

 ちゃんと、話すか。嫌なんやったら、『話したない』って言い。


「身の程しらずって」

 小さな声で、悦ちゃんが白状した。

 したけど。それはまた……。

「えげつない……」

 っていうか。それが、”ユキの彼女”として見られるっていうことか。 

 俺のせいで、また悦ちゃんを傷つけてしもた。


 悦ちゃんが、これ以上そんなことを言われんために取れる簡単な方法は二つ。

 俺が”織音籠のユキ”を止めるか、悦ちゃんが”ユキの彼女”を止めるか……やけど。

 どっちも嫌やなぁ。どっちも俺の居場所やねんもん。

 悦ちゃんが『もう嫌や、彼女やめる』って言うまで、このまま居るのは。


 卑怯、やろか。



 そんなことを思案してる間に料理が来て、悦ちゃんが歓声を上げた。その姿に、料理を運んできた女将さんが相好を崩す。

 『かわいい、美人さん』を繰り返してくれる女将さんの言葉に、落ち込みかけた俺の気持ちも浮上する。

 そうやんなぁ。悦ちゃん、こんなに美人さんやねんもん。俺が悦ちゃんをこんなに好きやねんもん。

 誰に、憚ることもないやん。

 恥ずかしがっとる悦ちゃんに

「悦ちゃん、誰にも負けへん美人さんやって。そやから。身の程知らず、なんかと違うねんで?」

 って、言いながら箸を手に取る。

 堂々と『ユキの彼女です』って、胸、張ったり。



 うれしそうに”小アジの南蛮漬け定食”を口に運んでいる悦ちゃんの姿を眺めながら、期せずして、今日一度に見ることになったそれぞれの”彼女”を思い比べる。 


 金も時間もつぎ込んどるサクと、それでもまだ不満のあるような洋子さん。

 互いに忙しいから、とあっさり帰って行った ゆりさんと、それを当たり前のように受け止めるマサ。

 そんなマサと呑みに行ったリョウと、男漁りをしとる雰囲気の登美さん。

 そして、登美さんに『身の程知らず』といわれた悦ちゃん。


 誰が、一番幸せで。

 誰が一番身の丈に合うた付き合いをしとるのやろ?


 そんなことを考えながら、アジの身を解す。

 『夫婦だからな。空気なんだろ?』と、ジンの低い声が脳裏に浮かぶ。

 安定しとう、よな。マサのところが一番。

 ゆりさんやったら……同じ”彼女”の立場で、悦ちゃんにプラスになる”何か”を、与えてくれそうな気がする。


 悦ちゃん。

 近いうちに、ゆりさんと飯、食いに行こ? な? 

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