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無色透明

 ここは、俺の居場所やない。

 そんなことを思い始めたのは……いつからやろうか。それは、俺自身が気付いた時には、すっかり馴染みになってた感情やった。



 四人兄弟の末っ子に生まれた俺は、多分、家族からかわいがってもらった。兄貴とは十歳以上年が離れとるから、喧嘩するどころかテスト休みの時なんか幼稚園のお迎えまで来てもらったりもしたし。二人居る姉貴たちにとっては、手頃なぬいぐるみ感覚で。

 両親にとっても、子育てにすっかり慣れてからの子で。”適度”に目を離して育てられたのやと思う。厳しく躾けられた意識も無ければ、放任された気もしない。


 学校では気の合う連中と馬鹿話をして、部活動のサッカーをして。片手間、に文化祭では子供の頃から習ってたドラムを叩いて。

 いじめられたことも無ければ、いじめたことも無い。ごく当たり前、に学校生活を送ってきた。


 何不自由も無く、何の苦痛も無いような生活やのに。

 心の奥底で、声がする。


 『俺の居場所は、ここやない』

 『俺の生きる場所を探さんと』


 ふとした瞬間に聞こえる、声。

 その声に背中を押されるように、高校三年生のとき。俺は家からは絶対に通えない県外の大学を受験した。



 残念ながら、第一志望の国立大には嫌われたけど。無事に滑り止めの私立大に合格した俺は、楠姫城(くすきのじょう)という地方都市でアパートを借りて一人暮らしを始めた。

 新生活に緊張しているだけなのか、”声”は鳴りを潜めている。


 新入生ガイダンスで、なんとなく隣り合って座ったやつらと話が合うて。広尾と木下、と名乗ったソイツらと一緒に、たまたま声をかけられたサークルにも入った。

 ここが、俺の居場所やったら、ええのにな。

 そんなことを考えながら、夕食のインスタントラーメンをすする。


 講義も始まった。

 けれども期待に反して、”なんとなく”偏差値で選んだ経済大学の講義は、まだ一般教養ばっかりなせいか、『なんとなく……?』程度の興味しか持てない。

 やばいかなぁ。大学って、高校以上に退屈そうや。また、”声”が聞こえてくるのと違うやろか。

 内心ではそんなことを思いながら、とりあえずバイトを探してみたりする。



 ”退屈”に怯えてた俺に電話がかかってきたのが、四月の半ば。サークルの新歓コンパがあると言う。 

 近所にある総合大学との合同サークルなので、総合大の校門前で待ち合わせをするらしい。

 集合の日時を確認して、電話を切る。

 サークルに居場所があったら、ええのになぁ。



 当日の土曜日。

 午前中の講義を終えて学食で昼飯を食って。待ち合わせの時間まで、プラプラと駅前をふらつく。


 お、こんなところに牛丼屋を発見。明日の昼飯、ここにしてみよっかな。

 あ、レコードショップもあるやん。って、アカンわ、実家やないから、プレーヤーないわ。兄貴のお古がこっちに回って来ることは……ないよな。


 一人、心の中でしゃべりながら歩く。


 すっかり、へんな癖がついてしもた。”声”を聞きたくないからって。なんか、ヤバイ人みたいや。

 って。また……。



 ちょっと早いか、と思いながら、足を総合大の方角へと向ける。

 サークル、どんな子が居るんかな。

 酒飲むの、実は初めてやけど。俺、飲めるかな?

 期待と不安で、待ち合わせまで時間がある、と言うのに、つい早足で歩いてしもた。


 集合場所には当然のごとく、誰もいなくて……やない、な。


 長い黒髪を風に遊ばせた女の子が一人。足元を見るようにして立ってた。

 驚かせんようにと、そっと近づいて。

 ああ。しもた。”そっと”過ぎて、気ぃついてもらってない。


「あー」

 どうやって声かけようか迷いながらの、間の抜けたような俺の声に、彼女の顔が上がった。

 真っ白な肌に、面相筆で一息に書いたようなスーッとした目。その目が小さく見開かれたのが分かる。

 あーあ。驚かせてしもた。まあ、ええか。

「新歓、やんな?」 

 半分期待をこめて、たずねる。

「は、い」

「一年、やんな?」

「はい」

「ああ、よかった」

 俺の言葉に、不思議そうに首が傾ぐ。

「俺、一人やったらどうしようかと」

 そう言って笑って見せると、彼女の目が糸のように細くなる。

 彼女のその微笑に、一つ、鼓動が跳ねた。


 なんやろ。彼女と、彼女の周り。色がついてないような錯覚を覚える。

 薄い水色のワンピースも、真っ黒な髪も。ほのかに血の色を乗せた頬も。目に入ってくる彼女の姿は、色彩にはあふれとるはずやのに。

 空気、が無色透明。


「俺も、一年。経済大の野島(のじま) 和幸(かずゆき)。よろしく」

 まずは、自己紹介を。

「私も、経済大です。灰島(はいじま) 悦子(えつこ)っていいます」

 促すように彼女を見たのが通じたらしく、彼女も名乗ってくれた。

 そうか。一緒の大学やったんや。

 気が付かへんかった。無色透明やから、見えてなかったのやろか。

(えっ)ちゃん、か」

 強引かな、と思いながら、彼女の名前を略してみる。

「ええっと……はい」    

 戸惑うような声で返事をした彼女は、真っ赤になってうつむいてしまった。


 なんやろ。こんな子、見たことない。

 無色透明の、この子。俺の色に染めてみたい。



 木下たち他の連中が来るのを待つ間、”悦ちゃん”と他愛の無い言葉をポツリポツリとやり取りする。

 人見知り、なんかなぁ。

 『ハイ』と言う返事と、黙って首を振るしぐさと。

 イエスかノーか、の返事だけの彼女。

 なら、とばかりに。

「悦ちゃん、自宅通学?」

「はい」

「市内に住んでるん?」

 今度は、ノーと首が振られる。

「そうか。俺、こっちの出身やないから、って。言葉、聞いたら分かるか」

「あ、はい」

「この辺で、お勧めのラーメン屋、知らん?」

 ノー。

「そうやわなぁ。あんまり、女の子はラーメン屋には行かへんわ」

 クスリ、と笑いが漏れる。

 オタフクさんみたいに細い目が、ええなぁ。幸せ、呼んでくれそうや。


 イエスかノーかで答えられる質問を選んで、話をしてたけど。そろそろ、ネタが尽きてきた。

 うーん。どないしようかな?

「あの」

「うん? どないした?」

 おや? ちょっと、打ち解けてくれたやろか?

「退屈、ですよね?」

「いや?」 

 頭、使っとるから、俺はメッチャ楽しいねんけど。

 ああ、そうか。

「悦ちゃん、待ちくたびれた?」

 今度は、ノー。


「ごめんごめん。待たせた?」

 大きな声が聞こえて、顔を上げた。

 大またで、ノシノシと歩み寄ってきたのは、上級生、やろな。

 残念。悦ちゃんとの”おしゃべり”はここまで、になりそうやな。


 佐々木と名乗った上級生が、一応サークルの代表者らしく。俺たちも、それぞれ名乗る。

 その背後に木下の姿が見えた、と思ったのと同時に、どこかから湧き出したかのように人が集まってくる。

 うぇー。怖ぇー。

 戦争映画で、特殊部隊が草むらから湧いてきたみたいや。

 俺の隣で、悦ちゃんが小さな悲鳴を上げたような気がした。


 全員が集まったことが確認されて、って。学校の遠足みたいに、点呼とるんやな。これ、すっぽかしたら、どんな目に合わされるのやろ?

 一人、アホな事を考えながら、動き出した集団について、俺も歩き出す。

 横目でなんとなく、悦ちゃんの姿を捉えながら。


 連れて行かれた居酒屋では、奥のほうの座敷へと通された。

 中学校の一クラス分くらい人数が集まった学生の集団なんか、隔離せんと。うるさすぎて、店の迷惑になるのやろう。

 座敷では、上座のほうから席が埋まる。なんとなーく互いに様子を見ながら立っているのは、多分同じ一年生。誰かが仕切らな、話が進まんわなぁ。

「ほら、どこでもいいから座っちゃって。どうせ、飲みだしたら移動するから」

 そう言いながら自ら末席に座った女性は、多分さっき点呼をとってた人。サークルのナンバーツーってところかな。

 彼女が座ったことで、その隣、さらにその隣、と席が埋まる。

「なんか、Aが出てしもた『七並べ』みたいやなぁ。あ、悦ちゃん、ここ座ろ」

 ボヤっとしてたら、悦ちゃんと席が離れてしまう。

 そう思って、急いで二人分の席を確保した右側に彼女を座らせる。

 悦ちゃんの正面に座った広尾が、眉を上げるようにして俺の顔を見た。


 乾杯があって、それぞれが自己紹介をして。

 一年生は、二つの大学をあわせて、十二人。女子が五人、男子が七人、で、二つの大学から、それぞれ六人ずつ、か。

 経済大の男三人は、互いに顔見知り、なわけで。残りの、女子三人やけど……悦ちゃん以外の二人が、高校からの友達なぁ。人見知りっぽいのに、悦ちゃん、何でこんな状態のサークルに入ったんかなぁ。めっちゃアウェーやん。



「ね、高校生のときって、なんて呼ばれてた?」

 ビールグラスを片手に、悦ちゃんの右斜め前に座った上級生が話をふる。二年生の坂口さん、って言ったかな? 

「まずは……広尾君?」

「ストレートに、苗字呼び捨てっす」

「ま、ごく普通だな」

 悦ちゃんの隣、”大きな大山さん”が相槌を打ちながら、坂口さんにビールを入れてもらってる。広尾が、俺の正面に座っている経済大の女子、横田さんを会話に引き入れたような形で、六人の会話グループが出来上がっていた。当然、俺と大山さんの間に座っている悦ちゃんも強制参加。

「横田さんは?」

 坂口さんが次を指名した。反時計回り、やな。多分。

 って。次、俺やん。

「ヨッコでした」

「ようこちゃん?」

「いえ。横田の……」

「ああ、『ヨッコ』ね」  

 坂口さんにうなずき返しながら、”ヨッコちゃん”が大皿に手を伸ばす。さりげなく、広尾が彼女の方へと、皿を押してやる。

 へぇ。なるほど。

 広尾と目が合う。眉を動かして、なにやら言いたい様子やけど……ああ。まぁたぶん。ヤツは”ヨッコちゃん狙い”と。


「野島君は?」

 おおっと。大山さんから指名が来るとは、予想外。回って来る順番は予想内。

 箸を置いて。さて、どんな反応が来るかな。

「ユキって」 

「いやーん。かわいい!」

 うわっと。悦ちゃんやなしに、ヨッコちゃんが反応してもた。

 広尾、睨まんといて。悪気はないんやって。

「和幸やから。親に小さい頃からそう呼ばれとったもんで」  

 これはホンマ。親父が”和宏”やからって。ちなみに、兄貴は”和臣”で、『オミ』やし。

「じゃ、最後は灰島さん」

 坂口さんの指名に、悦ちゃんが小さくなる。

 おーい。次やって、わかっとったやろ? 

「なんて呼ばれてた?」 

 そんな彼女に、大山さんが追い討ちをかけてきた。

 消え入りそうな声で聞こえてきたのは……。

「ハイジ」

 そう、くるかぁ。ユキとハイジかぁ。

 子供時代に見たテレビの名作アニメが、よみがえる。ヨーデルを歌いながら踊る子ヤギと少女と……少年。


 俺が頭の中に思い浮かべたのと同じ映像がおそらく、この会話をしていたみんなの頭にも浮かんだらしい。 

 坂口さんと、ヨッコちゃんが身悶えして、間に挟まれた広尾が複雑な顔をしとる。

 そして。

 言った本人は、俺の隣で小さく縮こまってた。

「悦ちゃん。あんまりその呼ばれ方、好きやないの?」

 周りに聞こえないようにコッソリと言うた俺の声に、ビクリと体を震わせて、俯いとった顔がソロリと持ち上がる。

 ひざの上で、ぎゅーっと握り締めた手を解いてやりたくなる。


 小さく聞こえた、彼女の返事は。

 唯一声に出す『イエス』。


 うーん。このままやったら、絶対みんな面白がって『ハイジ』と『ユキちゃん』って呼ぶやんなぁ。どうしたもんか。

 考えるまでも無く、さっきの映像が戻ってくる。ヨーデルを歌いながら。

 ああ、そうか。

「坂口さん?」

「なぁに? ユキちゃん」

 ほら、やっぱり。


 姉貴たちに鍛えられた、”お願い”スキルを駆使して、この場の主導権を握っているらしい彼女にひとつ、お願いをしてみる。

「ハイジは大人になったらペーターのモンになるから、子ヤギのユキとしては、あんまり嬉しないのやけど?」

「あらら」

「できたら、ハイジは止めて?」

 ”紅顔の美少年”やった頃には、お願いポーズを付けたら完璧やった。百八十センチを超える身長まで、でかくなった今、ソレをやったら……地元ではネタとして、通ることもあったけど。とりあえず、温存しておこか。

「えぇー? アレってそんな終わり方だっけ?」

 ヨッコちゃんが、話に寄ってきた。

「続編、があるらしいねん。作者 別人やけど」

「野島君、よく知ってるわねぇ」

「うちの姉貴が、続編読んで怒り狂とった。怒るんやったら、読まんかったらええのにな」

 アホやなぁ、と子供心に思ったのは、小学校低学年やったっけ。

 さっきから、黙ったままの悦ちゃんに話を振ってみる。

「悦ちゃんは、読んだことある?」

「あ、はい」

 嫌いや、言うても、自分の名前やもんな。


 坂口さんが、『見た目がハイジじゃない』とか言い出して。あー、まあ。うん。和風美人さん、やもん。悦ちゃんは。

「色白やから、悦ちゃんのほうが『ユキちゃん』やな」

 フォローのつもりで言ってみる。別に、俺が『ユキちゃん』やなくっても構へんし。

「さっきから、おまえずっと『悦ちゃん』って呼んでるな。前からの知り合いか?」

 広尾が突っ込んできた。ナイスアシスト。

「いーや。さっき初めて会うたけど。皆が来るまでに、交流を温めてん。早いもん勝ちー」

 って言いながら、大皿からイカの炒め物を取り分ける。

 取り分けながら、悦ちゃんに声をかける。『入れてやろうか?』って。

 『他の人の分が……』とか言って遠慮している彼女に、『悦ちゃん』『悦ちゃん』としつこいほど呼びかけながら、彼女のお皿にもイカを入れる。


 その作戦が、功を奏して。

 彼女は『悦ちゃん』と呼ばれるようになった。

未成年者の飲酒は、法律違反です。

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