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第六話 残された者が為すべきこと

《現代》東応大学 特別医療研究室


「調べましたが、鶴岡八幡宮の若宮別当に〈南野永常〉と言う名は見当たりません。彼女は執権が北条守時と言っていたから……1333年前後と見て間違いないです」

「一ヶ月前に発見された鶴岡八幡宮の発掘品の推定年代と照合する。やはり、室町時代に歴史書の大幅な改定が行われていたようだな」

「ちょっと、話が見えない。つまり、何? この後、足利尊氏が出てくるのはもっと後だってことになるわけ? 教科書の年代が本当はズレてるってこと?」

 

 話に置いて行かれまいと、忍は二人の間にぐいっと入り込んだ。


「そんな感じ。ズレは所詮、書物しか資料がないんだから想定内のことよ。ただ、ズレていたのが本当だったとして、その空白期間に何が起こったのか、調べる必要があるわけ」

隠された時代(ハイデンヒストリー)の影に素粒子の力ありってわけね……あのバカ、とんでもないことに首突っ込んで……!」

 

 虎次郎に交信を拒否され、忍はじれったさに縛られたまま、彼の動向に目を光らせていた。だが、悲壮感に満ちていた顔つきは当に消え去り、我侭を押し通そうとする弟への怒りと、どうにかして話し合いの場を設けたいと言う前向きな気持ちが彼女を動かしていた。

喚いてばかりでは何も始まらない。


 冷静に、確実に、状況を把握することが解決への唯一の近道なのだ。


「状況調査も大事だが、ひとまず虎次郎君の身体能力の回復を優先する。あの妃子と言う娘が言っていたように、夜叉丸が我々に牙を向けば虎次郎君は危ない。私は対抗手段の用意に取り掛かる……雪江君、すまないが、他のスタッフの指揮を任せるよ」

「了解です」

「ちょ、ちょっと待って! 対抗手段って……まさか、あの神様相手に戦うっての?」

「その通りです」


 ポーカーフェイスの彼の前で、忍は顎が外れるほど口を開けた。そして大きく首を横に振り、声を裏返して、


「何言ってんのォ!? ただの野球少年に何をやらせるつもり!? 無理無理無理! RPGじゃないんだから! 魔法でも使えない限りあんな化け物に勝てるわけないし!」


 ナンセンスだと、彼女は騒いだ。しかし、高槻は至って真面目に答える。


「勝てるか知りませんが、互角には渡り合えます。無論、魔法ではなく科学で」

「ど、どういう意味……?」

「わかりませんか? 夜叉丸と虎次郎君の身体は同じ理屈で出来上がってます。なら、同じことができないはずがない」


 その言葉に忍は目を丸くした。


「つまり、その……あの餓鬼を押し潰したみたいに、虎次郎も何かの力で餓鬼を倒せるってこと? まさか、バリアブルバブルの力で?」

「正解です。あれはれっきとしたバリアブルバブルの可変性の応用なんです。夜叉丸は、一瞬にして彼の元に集まったバリアブルバブルに空気分子の情報を送り込み、餓鬼の上空1mのみ、気圧をマリアナ海溝並みの高さに変化させた。さすがに、人間の肉体を強化させただけの餓鬼には耐えられませんよ」

「空気分子に変えた……!? え、えっと、念じれば何でもできるってわけ?」

「いいえ、自分の知っているものに限ります。魂の情報とは人の記憶も含まれています。例えば、このパソコンをバリアブルバブルで再現しようとすれば、キーボードやマウスの触感、視覚情報、内部構造を知っていれば、バリアブルバブルが記憶通りに変化してくれます。最も、機械は内部構造があるので無理ですが……鉄や水など単純なものなら誰にでもできるはず」


 気休めとは言いがたいが、彼の話の通りに物事が進めば心配は一つ消える。今まで動かなくなった体のことで一杯一杯だったが、身体能力が回復することで、虎次郎はバリアブルバブルの使い方を学ぶ余裕得られる。


「再び餓鬼と接触する前に、この問題を解決したい。それには……秋宮さん、あなたの力が要ります」

「私の?」

「はい」


 蚊帳の外にされた人間に頼みをするとは、一体何を考えているのか。忍は些か不安に思いながら彼の次の言葉を待った。


「率直に言って、虎次郎君の身体機能を再現するのは不可能です。ですが、別の人間から運動神経と肉体を借りることで、彼のダイバースーツにその動きを反映させる可能です」

「それは、また誰かをダイバーとして、隠された時代(ハイデンヒストリー)に送り込むってことじゃあ……」

「違います。肉体を貸与する人物は現代に留まったまま、魂の提供も必要ありません」

ますます理解に苦しむ、という顔を忍はして見せた。

「それじゃあ……どうやって」

「特殊な装置をつけてもらいます。微弱な筋肉の電流に反応する義手・義足に似たようなものですよ。これらをバリアブルバブルが密集した部屋で装着することにより、虎次郎君の脳が忘れてしまった情報を彼に届けることができます」

「よくわからないけど……虎次郎の脳を誰かの脳がフォローしてくれるって事よね? 大雑把に言えば」

「そう考えてくださって結構です。我々はそのパートナーを〈リードダイバー〉と呼んでいます」


 高槻曰く、虎次郎の脳は手足の動きを司る前頭葉に障害を持ち、そこからの電気信号が途絶えた状態にあるため、他の神経細胞は生きているにも関わらず、手足を動かすことができない。だからこそ、大本である脳神経を別の誰かと共有することで、失った機能を一時的に取り戻すことができるそうだ。さらにこの共有により、虎次郎の損傷した脳は刺激を受けることができ、自らの身体機能の一部を回復できる可能性もある。


 前向きな兆しが窺える試みではあるが、ただ、それも素粒子レベルの話になる。虎次郎の魂はバリアブルバブルの循環機能を介して脳と接続している。その接続に、リードダイバーは意識を介入させる必要があった。


 これによって考えられる問題が一つ、虎次郎とリードダイバーとの相性である。


 脳を共有することは、すなわち意識を共有されることに等しい。自分の思考に他者の思考が入り込むことは、心地の良いものではない。その不愉快さがバリアブルバブルの循環機能を乱す原因になりかねないと高槻達は懸念していた。つまり、虎次郎に拒絶されることによって、その強い意思が現代との交信を強制的にシャットアウトしてしまう可能性が十二分にあるのだ。

事実、それはすでに起こっていた。忍との接触を拒否した折に、虎次郎とのコンタクトが一時不能に陥ったのはまさにそれだ。


 以上の仮説から、リードダイバーに求められる条件は、虎次郎の『信頼』を得ている人物であること。


 そして、彼と同等の体格と運動神経を持っている人物――


「痛みすら分かち合える信頼か……」


 忍に与えられた任務は、これらの条件に合う人間をここに連れてくることに他ならない。かなり無茶な依頼にもかかわらず、忍の脳裏には唯一人、これらの条件をクリアしている人間の顔が浮かんだ。

 ――と、言うよりも、彼しかいない。この研究者達もそう暗示している。


「……あなたの思っている通りのことで間違いありません」

「だとしたら、酷い頼みだわ」

「それを承知でお願いしたい。正直……この案以外、方法はありません」


 歯がゆさからか、高槻はゆっくりと忍に頭を下げた。頭を下げたくらいで彼らに対する嫌悪感を和らげる忍ではなかったが、その一礼がどんなに重く、どんなに真摯なものであるか彼女は理解していた。


「……わかりました。お受けします」

「……ありがとうございます。それまで何としても虎次郎君を守り抜いて見せます」

「勘違いしないで。これはダイバーとしての虎次郎のためじゃない……あのバカがやり残したことにケジメを着けさせるためよ。意思疎通ができるうちに……」


 事故の前と事故の後。忍にとってこの二つの時間はまったく別のものだった。虎次郎の欠けた生活は悲壮感ばかりが彼女の思考を支配し、弟の未来と自分の責務のことばかりを考えていた。

だが、あの事故で人生が一転してしまった人間がもう一人いる。


 忘れていた訳じゃない、どうしようもなかったのだ。彼を救うためには虎次郎の意識が回復しない限り無理な話だったから。


 でも、今はそれができる。


 高槻の依頼を正式に受諾するなり、すぐ忍は愛車に乗り込み、ある番号に携帯をかけた。すっかり日も落ち、外は雨が降り出している。


 フロントガラスにポツポツと滴る雨がワイバーに振り払われる様子を横目に、彼女は静かに鳴り響くコールに耳を澄ませていた。


 やっと忍はこの辛い運命が与えた自分の使命を見出せた気がした。プライドにかけて、涙は見せない。虎次郎と彼、二人の涙を受け止めるつもりでこの役目を全うしなくては、失ったものは取り返せない。


 間もなくして、コールが途切れた。携帯の向こうでゴソゴソと音が立ち、そして、

『――もしもし』


 久々に聞く、彼の声であった。


 数分後、忍の車は発進し、彼と約束した場所へ急いだ。それを研究室のモニターで確認した高槻は、リードダイバー投入の作業に戻る。その最中、彼はふと、手を止めて呟いた。


「ケジメか……」


 彼の手元には今回のダイブの資料と、もう一つ、過去の実験資料が置かれていた。


 それは始末書。日付は5年前のもの。


 彼はその始末書と、一枚の写真を凝視するとすぐに席を立った。


 写真には酷い火傷に見舞われた脳死患者の姿が写されていた。


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