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エピローグ 久遠、受け継ぐ命の縁

隠された時代ハイデンヒストリー》 鶴岡八幡宮


 大階段を下りかけた時、背後に降り立った強い気配に虎次郎は足を止め、海風に導かれるがまま振り返った。


 やはり、そこにいたのは朱色の羽織に烏帽子、表情を語らぬ小面をかけた夜叉丸の姿だった。


「行くのか」

「ああ……妃子達に会いに行ってから」

「その必要はない」

「は?」


 夜叉丸の視線が指し示す先に、虎次郎は言葉が出なかった。


 焼失した本宮のすぐ傍、急いで横道から駆け上がってきたのだろう、妃子と清次、結崎座の座衆が彼を見送るために集まってきてくれていた。


 息を切らした妃子が開口一番、虎次郎を叱咤した。


「何も言わずに……言ってしまうかと思いましたよ!」

「ごめん……そんなつもりじゃなかった」

「まったく、私との約束をお忘れになったのですか!」

「ほんまですわ。どこに行きはったと思えば、もうお別れの時でっか……何や、もの悲しいもんわな」

「だ、だから悪かったって!」


 別れの心構えすら許さない忙しなさに呆れ果てた小言が飛び交った。弁解すべく、彼らの元へと走ろうとするが、再び走る電撃のような刺激に彼は歩みを止めた。


 忘れもしない、ダイバースーツが自由を失ったときと同じ感覚。運命はこれ以上自分を隠された時代(ハイデンヒストリー)に長居させたくないらしい。身体から飛び立って行く、青い光の残像に虎次郎は踏ん切りを着け、進むことを止めた。


 その光景に、妃子は悲しげに顔を歪めた。


「残念だけど……あんまり、話してる時間もないみたいだ」

「虎次郎……あなたは!」

「高槻さん……後どのくらい、ここにいられる?」

『5分だ……それが限界だ。自然融解が予想外の速さで進んでいる……その前にダイブしなくては危ない』

「5分か。それで十分だな……」


 力の代償としては妥当だった。現代の仲間にはすでに想いを伝えてある、ならば時間の使い道は一つだ。


 残された5分を、親愛なる隠された時代(ハイデンヒストリー)の人々に捧ぐ。


「みんな、ありがとう。妃子、清次……お前らに出会わなかったら、今頃俺は生きていなかった。みんなが俺を助けてくれたから……俺はここにいて、前を向いていられる。ありがとう……みんなに会えたことが人生最大の喜びだ」

「な、何や、水臭い……こっちまで、しんみりしてまうやないか!」

「た、大夫、鼻水拭いて……!」


 目頭に結界寸前の涙を浮かべた清次は、座衆の陰に隠れて、袖であらゆる顔面の水を拭き、咽び泣くのを隠すように堰をした。


「妃子、これ……返してなかったな」


 数多の危機を救い、この血塗られた因縁を鎮めた宝刀白鷺を、虎次郎はついに腰元から外し、妃子に差し出した。


 あまり動けないことを悟った妃子は、自ら前に出て虎次郎の手から白鷺を受け取った。飛び交う青い光に、妃子は涙せずにいられなかった。


「確かに……お約束、果たしてくださいました……!」

「本当は、もっとちゃんと返したかった。ごめん、こんな形で……」

「いいえ……お命が無事だっただけで、妃子は十分でございます」

「ありがとう……どうか、元気で生きていて――」


 その時、虎次郎の脳裏で雪江がダイバースーツ融解開始の合図をした。号令と共に気圧が変動し、大気が渦巻く。


「妃子、下がれ……!」

「……! あなたに……あなたに私の生きた証を残します! だから――」


 気流が激しさを増したその瞬間、危険を悟った夜叉丸が妃子を引き離すが、未練の眼差しで、妃子は彼に叫んだ。


「だから! 探しに来て! いつか必ず、あなた自身で探しに来てッ……!」


 遥かな時の彼方で、妃子は彼の再起を疑わなかった。


「約束する……!」


 その言葉を最後に、虎次郎の耳から隠された時代(ハイデンヒストリー)の音が消えた。


 妃子の声も、清次の声も、己を取り巻くバリアブルバブルと大気の乱気流の壁の前に届くことはなかった。


 次元の向こうへ引っ張られる感覚、現代にある身体が魂を呼んでいるのだ。


『最終段階開始。オーバースピリットダイブ、発動10秒前』


 聞こえるのは、もはや現代からの声のみ。


 だがその中で、彼は確かに聞いた。


 鈴の音が、一つ鳴ったのを。


 顔を向けると、歪む次元の先で夜叉丸の静かな瞳が待ち構えていた。


『誇りを持て、お前の魂に』


 それが、脳裏に木霊した最後の言葉だった。送られた天敵からのエールに、最後の力振り絞って、得意げな顔で頷いてみせた。


 次の時には、身体の感覚が曖昧になり、魂に開放感が生まれた。


 ――ありがとう。


 魂を越えた出会いに感謝する。


 青い閃光が周囲を飲み込む。まるで、穏やかな水流に抱かれるように彼の魂は現代へと流れて行った。


 爆発的な風圧と青い閃光が瞬時に収束すると、妃子は目を開いた。だが、もはや秋宮虎次郎の姿はそこになかった。


 ぽっかりと空いた心の穴に、彼女はどうすることもできず、夜叉丸にすがりつくように大声を上げて泣き出した。


「……なぜ、そこまで悲しむのだ。いずれ、消える男とわかっていただろうに」

「何も……して差し上げられなかった……そんな自分が情けのうございます……!」

「お前は言ったではないか、自分の生きた証を残すと。それで良いだろう?」

「ですが……!」

「お前がどのような人生を送ったのか、あいつにわかればそれに越したことはない」


 納得できないのか、妃子は悔しそうに自分の袴の裾を握り締めた。収集が着かないことを厄介に思った夜叉丸は、一枚の紙を彼女の膝元に投げ捨てた。


 紙には何やら墨で円が書かれていた。それを目にした妃子はぴたりと止まり、凝視し、彼に問うた。


「……これは?」

「虎次郎の記憶にあった、あいつの好物だ。後の世の鞠らしい。そいつを作って、数百年後、度肝を抜いてやれ」


 説明を面倒そうに省き、妃子が落ち着いたのを見計らって、彼は去ろうとした。


 しかし、即座に察知した妃子がそれを阻止。袴を引っ張られ、危うくすっ転びかけた夜叉丸は少し怒ったように彼女に言った。


「何だよ! まだ何かあるのか!?」

「話が終わっていません。これは何のために使うのか、どんな大きさで、どんな色なのか、きっちり説明してもらわないと困ります!」

「ほう、随分といつも態度が違うじゃないか……!」

「偉そうなことを抜かしますが、あなたは子供なのでしょう? だったら、母上達だけではなく、私の言うことも聞きなさい!」


 掌を返したような妃子の言動に、夜叉丸は戸惑った。中の女性達は何やらクスクス笑い声を立てている。自分に何が起きているのか、まったく理解が追いつかなかった。


「なぜ、急に強気なんだ、お前は……!?」

「何をおっしゃる。意外にも、あなたは人間から何かを学ぶという謙虚な姿勢をお持ちだそうで。この妃子が直々に、世に言う『じゃじゃ馬』との接し方を伝授して差しあげようとしているのです」


 涙をぴたりと止め、彼女は薄ら笑った。


 ついに夜叉丸は理解した。


「こいつ……!」


 ――母親が中にいるとわかった瞬間、同調を誘って俺を丸め込むつもりか!


「さあ、お話なさいッ! 夜叉丸ぅぅぅ!」

「くっそぉぉぉ! 一体誰だ! こんな悪知恵を吹き込んだヤツは!」


 十年越しの鬱憤の解消法を見出した妃子は、あれよあれよと言う間に夜叉丸を追い込み、絵についての詳細を漏れなく聞き出した。


 何とも騒がしい光景に、あの嘆き悲しむ可憐な少女はどこへ行ったのだと、結崎座はため息をついた。ちなみに、妃子に入れ知恵をしたのは彼らである。


「必死やなぁ、妃子様」

「無理もないやろ……初恋の人になりかけた方だったさかい、虎次郎はんも罪な人や」

「ええ!? 大夫、ほんまに?」

「駄目やなぁー、お前ら! 芸人は感受性が命やで? こんなことにも気づかへんとは、鍛え直しやわ!」


 類我なる雄々しき生き様を目の当たりした清次は、その心に新たなる挑戦を画策していた。後に世に知れ渡ることになる『能』の演技論の根幹を、彼はこのとき胸に秘めていたのだった。


 それからしばらく、鶴岡八幡宮には賑やかな笑い声が絶えなかった。




 

 それから数週間後。


《現代》 東応大付属病院


 虎次郎のリターンは成功し、何のトラブルもなく肉体と魂の着床は確認された。高槻曰く、まるで奇跡のような出来事らしい。杉浦亜里沙の関わった実験において、彼女達の魂を呼び戻せなかったのは、このリターン理論の欠如のためだった。


 技術が改善したと言っても、大半の成功要素が虎次郎自身であったことは間違いない。魂の素粒子そのものについてまだ解明されていない点が多いが、成功の根底には虎次郎の強い意思があったことは確かだ。だからこそ、道を見失わずに帰ってこられたのだ。


 彼は特別病棟に移された。今日もまた、忍が見舞いに訪れ、静かな時を過ごしていた。


「『政府、医療研究費の一部を凍結。技術進歩に問題か?』だってよ、虎次郎」

「……」

「高槻さんねぇ、全責任を取って学会から身を引くらしいわ」

「……」

「気に食わない人だったけど……あの人、一回も言い訳しなかったのよね」

「……」


 窓の外には木枯らしに吹かれる枯葉達、春が恋しいものだ。

暖房の効いた病室の中、忍は新聞を声に出して、虎次郎にいくつか読み上げてやった。

リターンをして以来、彼の様態は安定していたが、裏を返せば何の変化はないとも言える。未だに目覚める気配がない虎次郎であるが、忍は諦めずに毎日毎日、彼に話しかけ続けた。いつか、返事を返してくれる日を夢見て。


「虎次郎……杉浦亜里沙さんの遺骨が、ご両親に手渡されたらしいわ。録音された最後の会話、聞いたんですって。それでね、雪江さんが伝えてくれた……」

「……」

「『ありがとう。娘を救ってくれて』だって。冷や冷やさせられたけど……あんたはすごいことをやったんだよ」


 思い返す度に、弟の強さを誇りに思う。あれだけの困難を乗り越えた力の持ち主なのだ、目覚めない方がおかしい。今はきっと疲れた心を休めているのだろう。


 もう少しの辛抱だ。


 その時、誰かが病室をノックした。「どうぞ」と声をかけると、松葉杖を外した昴の姿があった。制服姿の彼は、もはや歩くことに何の支障もないように見られた。


「失礼します。こんにちは、忍さん」

「昴君! 来てくれたの? 嬉しいわ――」


 彼を出迎えるべく立ち上がったその時、ドアの隙間から昴の背後霊の如く病室の中へ飛び込んだ女性の姿に、忍は白い目を向けた。


「よっ!」


この馴れ馴れしさ。今朝も会ったばかりの、雪江だった。


「何であんたがここにいるのよ! 昴君、何か変なことされなかった!?」

「い、いや、何も……」

「ひっどーい! いたいけな男子高校生に誤解を招くような発言は控えてよ、忍っち」


 素で舌打ちをした忍を見て、昴は怯えた。


「で? 何の用? まさか、見舞いだけってわけでもないでしょう?」

「つれないなぁ。ま、そうなんだけど」

「?」


 すると雪江は昴の手に持たれた、横長の黒いトランクケースを指差す。刀一振り、入れられる長さだ。雪江の合図に彼は頷き、トランクの開封を開始した。


「な、何よ、これ」

「重要文化財ってヤツ。里見教授が鶴岡八幡宮で発見した……大切な過去の遺産」

「鶴岡――!」


 そこまで言うと、忍も彼らの意図をくみ取れた。嬉しそうに、白手袋をつけて慎重に開封作業を進める昴の姿に、これが何であるのか確信した。


 開かれたトランクから、現れたのは漆塗りの箱と純白の刀――


「これ……白鷺じゃない!」

「そう。これこそ虎次郎君へ残された、北条妃子の生きた証。昴君、刀を抜いてみて」

「はい」


 指示に従い昴が太刀を抜くと、未だ輝きを失わぬ白金の刃が、この時代に息吹を上げるはず、だった。


「え……」


 予想は裏切られる。再び見せた白鷺の変わり果てた姿に忍の胸が騒いだ。


「折れてる……どういうこと!? 虎次郎が帰った後、バリアブルバブルの結晶もどっか消えちゃったの?」

「いいえ。これは紛れもなく、虎次郎君の意識の具現化によって蘇ったままの白鷺よ。折られてるけど、六生にやられた傷跡と違う。おそらく、これはその後の戦乱によって折れてしまったと考えられる」

「鎌倉幕府の滅亡か。まさか……彼女、そのときに死んだとか……!」

「いいえ。生き延びたわ。詳しくはこの漆の箱に入ってた日記に書かれてた。驚いたことに彼女、後醍醐帝についたみたい」

「倒幕派じゃない! 思い切ったことをしたわね……」

「南北朝の動乱でも南朝側として室町幕府に追われたみたいです。でも、難を逃れて、戦後は商人として生きて……天寿を全うしたそうです」


 身内のことのように、忍は涙を浮かばせて安堵のため息をついた。


「日記の現代語訳を渡しておくわ。そこには、彼女達のその後が記述されているの……夜叉丸の失踪と共に訪れた、隠された時代(ハイデンヒストリー)の終焉がね」

「夜叉丸は……やっぱり」


 雪江はゆっくりと頷いた。


「そう。室町幕府成立直前にね……バリアブルバブルの飛来周期と共に消えてしまった。神様でさえも、実体を維持することができなかったみたい」

「あの神様のことだもの、倒幕や何だって関係なく信念を貫いたでしょうね」

「残念ながら、日記からは夜叉丸についての詳細を得られなかった。何度も改編した形跡から、おそらく、日記が後世へ受け継がれることを優先して記載を避けたんでしょう」

「人の魂が……餓鬼になれることを後世に伝えたくなかったからですか?」

「そうね。人は夜叉丸の存在によってそれを思い出す。それで餓鬼が再び現れたら、本末転倒よ。餓鬼を倒すために、また御魂入りを選ぶんだから……権力の頂点にとって、夜叉丸との契約ほど厄介なものはないわ。忘れることによって、人間同士の争いに専念できる……ま、そんなことしなくても、全部消えちゃったわけだけどね」

「複雑です……何だか俺にはあの神が、誰よりも人間の強さを立証したと思えてならないのに……」

「君はリードダイバーだったから余計にそう思うでしょうね……でも、彼の姿はあの結崎座の大夫、清次が後世に面影を残してくれた」

「え……」


 意外な回答に瞬きを繰り返す昴に、忍は確信を持って告げた。


「観阿弥なのよ、彼は」

「観阿弥……まさか、能の大成者の!?」

「そうよね? 雪江さん」


 一番知らなそうな彼女が正解を述べたことに、雪江は驚きを露にした。


「驚いた……いつ気づいてたの?」

「結崎座って名前と、夜叉丸の面の特徴を知った時からかな。私、伝統芸能とか好きなのよね。それに一番最初に身元が割れた人間でもあるし、まさかって思っただけ」

「なるほどね、通りで途中から嘘のように落ち着いてたのもそのせいか」

「笑えない冗談だわよ、それ。彼の生存時期が後にずらされたのは、足利家絡みってところかしら?」

「夜叉丸を良く知る人間だし、尊氏と因縁があったのかもね。でも、後に足利義満に気に入られちゃうんだから、周りはどうしようもなかったんでしょうよ。それを追い払うって事は、将軍家が神を恐れてることを意味するしね……」

「憶測にしても……弟はとんでもない歴史の渦の中心にいたってことね」


 一瞬だったとしても、壮大な歴史の大河へ放り込まれたことに感慨せざるを得えない。


 虎次郎が去った後幕を開けた動乱の時代の中で、清次も妃子も立派にその命を燃やし尽くしたのだ。

戦友達が先頭切って見事な花を己の魂に咲かせた。その事実が意味するのは他ならない。虎次郎そのものに捧げられた願いだった。


「ハードルは高いぞ、虎次郎……!」

「現代人は現代のやり方で、真の花を咲かせってわけね、私達にもいい教訓になったわ」

「……それじゃ、後は任せるわよ、昴君。高槻さんがいなくなるんだもの……私も悠長に構えてられないからね」


 役目は終わった。そう判断した雪江はサングラスを取り出し、あからさまな意思表示で忍を見た。

「あら、帰るの?」

「ええ。あとの説明は全部昴君に託してあるから」

「そう。研究のし過ぎは美容の敵よ……よく眠ることね、その顔」

「ふふっ……心得とくわ」


 素っ気ない見送りかと思えば、一本取られたのは雪江のほうだった。顔に出ていた疲労から、一息する暇もない彼女の仕事の日々を、忍に悟られてしまったようだ。


 奇妙な友情。不器用な労いの言葉を後に、雪江は病室を出て行った。


「……憎めない女め。ところで、あとの説明って彼女言ってたけど」

「あ、そうなんです! これが――」


 昴は急いで手付かずだった漆の黒い箱を取り出した。そして、そのふたを開けた瞬間、忍はかつてない驚きに胸をときめかせた。


 20㎝四方の子座布団の中心に据えられていたのは、純白の鞠。それもただの鞠ではなかった。紅い糸でわざと縫い目をつけられた、高貴で不恰好な――


「野球……ボールじゃないッ!? な、何で!?」

「さあ……こればっかりはなんとも。お爺さんもわからないとお手上げで」


 物を言わせぬ感動が全身を駆け巡った。この時を越えた野球ボールを今すぐその手に出来ないことがどんなに口惜しいか、本人を経ずに忍は理解していた。


「……ただ、日記の最後にこんな一文がありました。それは――」


 手渡された現代訳の最後のページを、忍は無意識に眺めた。


 そこに書いてあったのは最期に残したのであろう、懐かしさ溢れる彼女の想い。


『どうですか、あなたは。私達はもう十分咲き誇りました』


 その一文を読み上げた時、眠っていたはずの虎次郎が少し、微笑んだような気がした。



                     




 ある日、天候が荒れて、大銀杏が折れた。その際、私の身は自由となったが、私はあえてその場に留まった。あと数年間、歩くためには力を温存する必要があったからだ。


 悔しいが、あの神様の力は本物だ。その存在は消えたが、ヤツの力はずっとこの身を大銀杏から離すことはなかった。見事に、この魂は消えようとしている。


 だけど、時は来た。


 私はついに歩き出した。六百年以上の時を経て、この魂は在るべき時間へと帰す。


 目指したのは他でもない、私の心残りを遂げられる場所。


 でも、その途中、運命はまたも邂逅する。


 私はある事故現場の傍を通りかかった。転倒して間もないトラック、路上には男の子が二人、血を流して倒れている。二人とも高校生だ。一人がジャージ姿、もう一人が野球のユニホーム――


 それは、私が覗いた彼の記憶と同じ光景。


 だから、一目で彼らが誰なのかわかった。


 丁度いい。溜まった借りを返さずに消えるのはプライドが許さない。


 その一心が私を動かした。この空間にあるわずかなバリアブルバブルと私の命の力を使って、私は自分の姿を変えた。


 辛いだろうに。だけど、君は生きる。私なんかよりもずっと強く――


『死にやしねぇよ、虎次郎――』


 夜叉丸の振りをして覗き込んだ君の顔は、やはり、羨ましいほどキレイだった。


 私はその後、最後の力で目的地に辿り着いた。


 霊園だ。とある墓標の前に着くと、少々歳をとった夫婦がいた。


 彼らはその墓石に向かって何か話しかけている。悲しげな眼差しが注がれる先には、やはり、私の名が刻まれていた。


 罪悪感に耐え切れなかった。私は背中に向かって、ついに言ったのだ。


「ごめんなさい……」


 聞こえていたのか、結果はどうでもよかった。


 言えたことに後悔はなかったから。


 その時、私の魂は砂のように風に吹かれた。


                                           

                                          ―完―


長々とお付き合いありがとうございました。とりあえず完結です。これを執筆してる最中、どうしても自分より不幸な人間を作り上げて安心したいという衝動に駆られていました。上から、こういう人を見下して、自分はまだマシだと思いたかったんでしょうね……でも、気がついたら、虎次郎が羨ましくて仕方なかった。こいつががんばってるのに、生みの親の自分は何をしてんだと、奮い立ったきっかけでもあります。

さて、自分なりにテーマを書いたつもりですが……いかがでしたか?ふじしろはしばらく、執筆のためにどろんします。

読んでくださった全ての方へ、本当にありがとうございました。

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