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第参拾弐話 決着、魂が呼んだ奇跡

隠された時代ハイデンヒストリー》 鎌倉 市中(いちなか)


『六生の本名は杉浦亜里沙という。脳死になった当時の年齢は18歳、この東応大医学部の1年生でもあった。両親が医者だったのが影響していたのか、成績はかなり優秀なものであった』

「通りで理系なわけか! 両親も医者って事は、まさかダイブの関係者なの?」

『いや、杉浦夫妻は実験には関わっていない。ダイブのことは話に聞いていたくらいの認識でしかないだろう。だが一家全員、ドナー登録はしていた』

「他の被験者も?」

『そう。第一回実験のダイバーは、全て医療関係者の親族だった。年齢も10代から50代と幅広く、20人が集められた。全員、脳死患者だ』

「20人も……!?」


 その数に虎次郎は驚愕した。自分一人、ダイバーとして活動させるのにこれだけ骨を折っているというのに、20人を一斉にオーバースピリットダイブさせるとなると、どれだけ大規模な実験になるのだ。


『オーバースピリットダイブの理論は、君の生まれる前にすでに確立していた。目的は素粒子の謎解明、歴史の調査、脳死患者の最終意思確認……初めは全て純然たる技術の追求のために実験の場は用意されていた。ただし、医療関係者の身内限定のドナーが20人揃うまでという条件付だったが……』

『それが、5年前……』

『そうだ。ついに条件がクリアされ、ついに研究者が魂の素粒子の神秘に迫る時が来た。だが、事故は起こった。20人の魂は我々が当初計画していた四次元座標ではなく、ある別のスポットへと引っ張られてしまったのだ。そして、彼らがたどり着いた場所こそが、隠された時代(ハイデンヒストリー)だった。君のいる100年前の地点であったが』


 虎次郎も昴も息を呑んだ。ここから先が、全ての始まりなのだ。


『ダイブ自体は成功した。20人、全員の生命反応は健在だった……だが、喜びもつかの間、彼らにこの時代の脅威が襲い掛かった。我々が初めて餓鬼を目の当たりにした瞬間だ』

「じゃあ、先代ダイバーは皆、餓鬼に襲われて……」

『ああ。それが引き金となった。精神を乱した彼らは、ダイバースーツの圧力が安定せずに次々と魂の拠り所をなくしていった。彼らの脳は死んでいる。だから、君のようにダイバーインプラントで魂と肉体を繋ぎ止めておくことができなかった……我々にできたのは、ただ黙って魂の消滅を見ていることだけだ』


 六生は言った、自分の命は彼女達の失敗の上に成り立っていると。それが真実だと証明された今、この身体はただの皮肉でしかない。彼女達のおかげで生きていられる自分が、その生き残りを倒しに向かっているのだから。


 そして、植物状態の自分が優先的にダイバーに選ばれた訳も理解した。


「そうか。脳死じゃ、ダイバーインプラントが機能できないから、植物状態の俺が選ばれたのか……」

『すまなかった。君の言うとおりだ。脳死のドナーでは命綱なしで、暗い海の中をさ迷うのと同じ……二度と選ばれることはないだろう』


 脳死患者の未来に選択をもたらすはずの技術が、結局は現状の選択肢しかあり得ないと、切ない現実を突きつける。悲しいことに、それは未来を臨んだ先代ダイバー達の魂で思い知らされたのだ。


 だが、一つだけ疑問が残されている。なぜ、六生は生き残ったのだ。


「高槻さん、生き残ったのは六生だけって……あいつは自分の魂が強かったからっていってたけど、それは……」

『詳しい分析結果は出ていない。だが、貪欲までに生きようとする意思が彼女にバリアブルバブルの力を引き出させた。映像も不鮮明だったために、見たままの憶測になるが……彼女はあの時、意識の具現化を無意識にやってのけた。餓鬼が炎のようなものに巻かれていくのを覚えているよ……だが、その場面を最後に、彼女はモニターから姿を消した。再び彼女の姿を確認できたのは、一年前の素粒子のみの無人実験でだ』

『それで急遽、第二回実験が……』

『そう。それで君達がここにいる。政府からの命令は君が思っていた通りのものであった……だが、君達にお願いするのは、六生を止めることだ。殺すことではない。夜叉丸が手にかけるより早く、彼女の力を削いで欲しい』

「止めるって……最後はあんた達が手を下すってか?」

『そうだ。戻るべき場所へ、戻ってもらうために……』

「戻るべき場所……?」


 高槻はそれ以上の言及を避けた。


 それはどういう意味なのか。単純に現代に戻すという意味ならば、黙る必要もないことだ。彼女を殺さずに処分するとしたら、それしか道はないのだ。


 だけどこの様子、それ以外の何かがあると言わんばかりの反応だ。

ふと、昴は思い立って口を開いた。


『高槻さん、そう言えば……杉浦亜里沙はなぜ脳死になったんですか?』


 その問に、ついに高槻は言葉を濁すことさえも止め、沈黙へ逃げた。


「高槻さん!」

『悪いが……それは答えられない』


 高槻はそう言うと、その話を打ち切った。


 彼らもそれ以上追及するつもりはなかった。いや、正確にはする余裕がなかった。


 視界の奥、燃え盛る炎に照らされる袈裟を纏った小さな影を虎次郎は捉えた。彼は走る速度を上げ、一心に六生を追いかける。


 疲労も、ぎこちなさもないダイバースーツの精度に驚きながら、虎次郎は昴と共に次なる手段を模索する。


「いたぞ! このままなら追いつける」

『ああ。磁場の乱れが酷いが、苦しくはないのか?』

「全然! 疲れがないのが違和感だけど……お前は大丈夫なのか?」

『何を』

「俺がこんなに走れるってことは、お前も走ってるんじゃないのか?」

すると昴は笑った。

『いや、実際には突っ立てるだけだ。筋肉に電気が通ってるのか、熱いけど。戦闘時みたいに、バリアブルバブルと身体機能を駆使するような複雑な動作の場合だけ、俺は動く必要があるらしい』


 つまり、単純に走るだけなら昴の身体機能を担っている脳の情報が、自動的に虎次郎に反映されるという仕組みだ。虎次郎の欠落した神経の一部を昴が補っている寸法になる。


 他人の脳を借りているというのに、まったく違和感はない。それどころか、意識の一部を共有していることも、初めからそうであったかのような居心地だった。


「お前、本当に昴なんだよな?」

『何を今更、それはお前が一番わかってるだろう?』

「あまりにも自然過ぎて……いつ俺の意識に介入してきたのかもわからなかった」


 こんな形で再会できるなんて、心から嬉しく思える。


 だからこそ、言うべきことがお互いにあるはずだった。だが、彼らはそれを言い出せないまま、待ち構える試練にだけ集中することを選んだ。


 ある種の気まずさが、この連携を乱すことを懸念したためだ。


 これが良い選択だったのかはわからない。しかし、今は勇気がないのだ。


 失った絆を取り戻せるかどうか、その不安を振り払い、二人は駆けた。


 その時、六生が足を止めた。屋根の上の六生は虎次郎を殺意の眼で見下ろし、叫ぶ。


「来いッ! お前達!」


 不気味な指笛が闇を割った。


『来るぞ!』


 何かの凶兆と本能の戦闘指示に身体は動く。背筋を這いずり回る悪寒に、虎次郎は太刀を握り締めた。


「いるぞ……すごい数が……!」

『後ろだッ!』


 虎次郎が無意識に反応する。素早く身を返し、背後の気配を突き刺さした。


 赤茶色の肌、鋭い爪と角。やはり、餓鬼だ。


 飛び出した小餓鬼の腹部は引き裂かれ、青い光を上げて地にのた打ち回る。


「助かっ――」


 そこまで言いかけて、彼は言葉を撤回した。虎次郎の予感は的中していた。一帯には闇に光る禍々しい眼光と赤茶色の肌、すでに餓鬼の群れが彼を取り囲んでいたのだ。


 あまりの数に怯む虎次郎を、六生は薄ら笑った。


「決着を着けるわよ、虎次郎。あなたが死ぬか、私が死ぬか、二つに一つ! 必ず、その魂……私の望みの糧としてやる!」


 現代の時間にして5年の歳月、殺戮に手を染め続けた人間の顔はこんなにも恐ろしく映るのだろうか。鶴岡八幡宮の時とは違う、不祥な憎しみの業火が六生の魂を燃やしていた。


 もはや相手は人間ではない。人の形をした餓鬼――


「昴、俺は腹を括った……! あの女、やっぱり倒さないとだめだ」

『いいんだな? 同じダイバー同士の戦いになるぞ』

「構わないさ、わかったんだ。自分が可哀想だからって、誰かを不幸に陥れるようなバカは……死んでも救われねぇってことがァァッ!!」


 激しい怒りに駆られていたのは虎次郎も同じ。その感情の激流に魂の力は増幅する。呼び寄せられたバリアブルバブルの光の量が、彼の持つ潜在能力を物語った。


 彼は踏み込む。襲い掛かる複数の餓鬼目掛けて、太刀を振り上げた。先頭の1匹の顔面を白鷺は切り裂き、後方の2匹の攻撃をかわす。反転。すかさず正面からの襲撃に面で餓鬼を真っ二つ、そこからの抜き胴でまた1匹仕留めた。


 予想だにしない華麗な身のこなしに、現代のサポートチームは沸いた。


『すごい! 昴君の動作反映率が120%を超えてる。リードダイバー自身も潜在能力を開花させてる状態よ……行けるわ、二人とも!』


 雪江のお墨付き通り、昴の才能は一気に戦局を優勢へと持ち込んだ。ブルーホールに集約されたバリアブルバブルは、昴の握る機械の柄に青い光の刃を与え、時空の彼方の白鷺と武器同士をリンクさせている。


 それを武器に昴は、相次ぐ餓鬼の攻撃をものともせずにかわし、標的を仕留めて行く。


 全神経を昴に預けた虎次郎は、その凄さをより実感していた。彼は剣道のことをよく知らない。だが、この動きには昴が全国優勝するために積み重ねてきたであろう、肉体と精神の鍛錬が見事なまでに花を咲かせている。


 それは同時に、昴の血の滲むような努力を意味していた。


『キリがない! 斬っては出てくるばかりだ……!』

「悪人が多いのか、死ぬほど幕府を憎んでる奴らが多いのか……餓鬼にされるヤツが多過ぎだぜ」

『どうする? 先に六生をやるか?』

「やるしかないか……くそッ! 夜叉丸みたいに一気に片付けられれば……!」


 意識の具現化を用いれば、餓鬼を一蹴することなど容易かった。だが虎次郎はまだコツを掴みきれてはおらず、白鷺の力を補正することで精一杯だった。


 埒が明かない。リスクは大きいがやるしかない。

四方を囲む小鬼達、その先で高みの見物を決め込む六生に向かって、昴は虎次郎に太刀を構えさせた。


『動作は任せろ。お前は自分の感情を爆発させるんだ!』

「わかった。行くぞ、昴ッ!」


 もはや退路は絶たれた。自分達の可能性を信じ、再び六生へ立ち向かうべく踏み出した。だが、その矢先――


『ストップッ! 高エネルギー反応――』


 雪江が叫んだ。


 先に昴が反応したのか、虎次郎の足に急ブレーキがかかる。


 その直後、真横の建屋が粉砕した。猛烈な勢いで、大砲の砲撃よりもどでかい何かが着弾し、向かいの建物に激突。間一髪、それは虎次郎の目の前を横切ったが、驚愕のあまり身体が硬直する。


「おらッ! 油断すんなッ!」


 少年の怒声に、虎次郎ははっとした。


 ダイバースーツに走る悪寒。咄嗟に振り返り、飛び掛った餓鬼を一刀両断。そしてまた、間合いに入った一匹を天高く突き上げた。


 青い光と粉塵が舞う中、瞬時に瓦礫に埋もれたでかい図体を確認する。顔は瓦礫に埋もれてわからない、だが、虎次郎は自分の魂のざわつきから、それが巨大な餓鬼であることを悟った。


 まだ骸鬼は生きていた。しかし、胸に突き刺さった大刀が杭のように奴の動きを止めていたのだ。

それが誰の大刀であるか、答えは定かだ。


 この上なく憎たらしい小面の神が、屋根の上からこちらを覗き込んできた。


「何だ、相方の方が頭脳明晰で剣術に長けているじゃないか。こちらに来れば、お前よりもよほど役に立ったであろうに」

「うるせぇよ。お前もずいぶんボロボロじゃねぇか」


 虎次郎は夜叉丸を鼻で笑い返した。


 ご自慢の朱色の羽織が埃を被り、烏帽子がやや曲がっていたのを彼は見逃さなかった。言われて初めて気づいたのか、夜叉丸は「どこがだ」と平然を装って、さりげなく直す

が、もう遅い。


「無様ね、夜叉丸。いいのかしら? 骸鬼を虎次郎の元に連れてきて。骸鬼はまだ生き生きしてるわよ」

「ふん、問題ない。貴様こそ、結界の中でペラペラ喋らんことだな。迂闊に炎など使って、記憶をばら撒くのもどうかと思うぞ」

「何……!」


 面の下の嘲笑に、六生の顔色が変わった。


「ああ、そうだ。火傷はどうした六生? 手の甲だけで済んだのか? よかったな、全身黒焦げにならずに済んで」

「夜叉丸……?」


 急に話が反れた。不可解に思った虎次郎がふと、夜叉丸から目を離し六生に視線を移すと、驚いたことに六生は酷く狼狽していた。


「あんた……まさか……!」

「気をつけろよ? 餓鬼を作り出した人間が、餓鬼以上に醜い姿になっては居たたまれないからな。顔すらわからぬ消し炭になっては、生きる意味などどこにもない……ここで生きることも許さん。ならばその命、この時を以って露と化すが良い」

「夜叉丸、お前は何を――」

「あぁぁぁぁぁぁッ!!」


 突如、上がったヒステリックな奇声が虎次郎の声を掻き消す。飛び上がる勢いで、六生を見ると尋常ではなかった。


「醜いって……言った!?」


 闇夜に劣らぬ青さが六生の顔を染めていく。彼女は長い髪を掻き乱し、何かに脅え始めた。その気迫が、バリアブルバブルを通じて虎次郎の体にも流れ込み、何度も自分を苦しめたあの感覚を呼び起こす。


「熱い……! 何でこいつは……!」

『虎次郎!? どうした!』


 昴には何もわからない、だが血肉を焼き尽くす灼熱に虎次郎は悶絶していた。痛みだけではない、魂に侵食してくる六生の意識は不気味な光景を彼に見せた。


 それは、燃え盛る炎と、薄暗いベッドの上で生命意思装置に繋がれた――


「いやぁぁぁぁぁぁぁッ! 嫌嫌嫌嫌嫌! 殺す! 人の中覗いてんじゃないわよッ! 骸鬼! 動きなさいッ!」


 急速に気圧が変化すると同時に、虎次郎はその熱と幻覚から解放された。


「やはりか……」


 襲い掛かる灼熱にものともせず、夜叉丸は虎次郎の傍に降り立った。


 一人の神と、ダイバー2人がいるせいか、六生の激情に呼応するバリアブルバブルの量は観測史上最高値を更新し、ダイバースーツにじりじりと負荷をかけていた。


 骸鬼の動きが激しい。胸に刺さった大刀を両手で握り締め、ぐいぐいと揺さぶっている。あの大刀が抜けるのも時間の問題だと彼らは直感した。


「……あいつは再生能力を有している」

「はぁ!?」

「理屈はこうだ。今までの餓鬼とは違い、血肉が蒼雪によって底上げされただけではない。次々に壊れた細胞を作り出している核がある。その核というのは、人の治癒能力を暴走させるよう、指示された蒼雪の塊だ」


 そして夜叉丸は、骸鬼の血塗れの目隠しを指差す。


「あの包帯の下に核はある。あそこだけ、血で湿っているのも、核の力で破けた皮膚の再生が追いつかないからだ。そして、力を外に逃がして頭部の破裂を防いでいるのもある」

『あそこを狙えば、骸鬼の再生能力は止まるってことか』

「そうだ。お前の腕にかかっている」

『え……』


 虎次郎に問いかけたつもりが、思いがけない夜叉丸の返答に昴は焦った。自分の声が聞こえていたということよりも、今の言い方はまるで――


「夜叉丸……まさか、お前、俺にやらせるつもりか!?」

お前達(、、、)にだ。身体の自由が戻ったのは都合がいい。そのおかげで、一つの策が可能になった」

「な、何だよ、策って!」

「それだ」


 木の瞳が向けられたのは、妃子より預かった宝刀白鷺だった。


「妃子から話は聞いているな? その刀に俺の力を……いや、御魂入りの力を送り込む。そうすれば、二人分以上の生命力で意識の具現化ができる。俺がその刀を持ってしまっては、飽くまで俺の力だけでしかない」

「よくもまぁ……いけしゃあしゃあと!」

『虎次郎君!』

「……時間がない。俺は六生を()る」


 殺気と突風。夜叉丸はそれだけ言い残すと、風力で屋根の上に舞い上がった。


「小鬼は倒してやったぞ」

「何……!?」


 仰天した虎次郎は周囲を見渡した。今の突風の力なのか、あれだけ数で自分達を苦しめた数多の餓鬼が地にひれ伏して微動だにしない。数秒後、無数のバリアブルバブルの光が暗い路地を照らした。


「それで邪魔はないだろう?」

「うっ……」


 嫌味なほどの力量。面白くなさそうに歯をむき出しにして、虎次郎は大刀を引き抜いたばかりの骸鬼と対面した。


 しかし、身を起こしただけで、骸鬼の大きさは虎次郎から言葉を奪った。


『虎次郎君……激励の言葉でよければ送ろうか?』

「そ、それで勝てるのなら何だって!」

『だそうよ? どうぞ一言』

「え……」


 冷や汗の量が増す気がした。一番声を聞きたいのに拒み続けた、最愛の人の気配に虎次郎は凍りついた。


 ――ずっとそこにいてくれたのに、何て情けないんだ。


 彼は覚悟した。どんな非難を受けようとも、全て受け止めると割り切った。


 だが、姉は――


『伝言、「バァカッ! 自分で撒いた種だ。自分で何してみろアホッ!」だって』

「……」


 返ってきたのはただの暴言だった。


『後ね、「やり残しは許さない」だって』

「……うん」


 よほど、接触を拒んだことを怒っているようで、その仕返しとしか思えない行動だった。命を懸けた戦に赴く弟の見送りをボイコットするなんて、どんな姉だよと内心突っ込みを入れながらも、彼はその意図を理解していた。


 話は、じっくり後で聞くからと――


『虎次郎、俺を連れてきてくれたのは忍さんだ』

「姉ちゃんが……?」

『だから後でちゃんと……腹割って話せよ』

「……わかった」


 白鷺、リードダイバー、ダイバースーツ、自分の身を護る全ての物に人の魂の支えがある。これを纏うことを許された自分に、命を捨てて戦うことなど許されない。


 許されるのは、唯一つの道。


『じゃあ、虎次郎君……行くわよ。その魂、絶対消しちゃ駄目よ!』


 ついに骸鬼が瓦礫の中から大鉈を拾い上げ、血に塗れた包帯の眼で彼を見下ろした。


 虎次郎は白鷺を握り締める。


 現代で待つ姉と今も身体を貸してくれている昴に伝えないといけないことがある。

そして、鶴岡八幡宮を護る妃子と清次との約束も――


「帰るよ……必ず。行くぞ、昴ッ!」


 虎次郎はダッシュした。大鉈が一直線に彼らの頭上を狙うが、これを回避。股下に飛び込んだ。


「野球部の見せ所!」


 唸る身体の記憶。彼は骸鬼の股下を勢いのままスライディングで盗塁、背後を取った。


『もらったぁッ!』


 ダイバースーツが躍動する。立ち上がった勢いで、昴は骸鬼のアキレス腱をばっさり切り裂いた。

しかし、その感触は二人に衝撃を与える。


 刀からは伝わったのは餓鬼の鋼の如く硬い皮膚の感触ではない、柔らかな人の肉ともいえる嫌な感触。


 そして、噴き出す鮮血に夜叉丸の忠告の意味を知る。


「何だ……この嫌な感触は……」

『再生能力って……これじゃ……まるで!』


 剥き出しのアキレス腱が激しく蠢き、元の形を取り戻すべく動き始める。バリアブルバブルの光は微量しか視認できず、餓鬼と違う生物的な性質に彼らは怖気づく。


 人を斬ってしまったような感覚が、次の攻撃を阻んだ。


『うろたえないで! それが六生の狙いよ! あなた達は人を斬ってるんじゃない、人の魂を解放してるの! 忘れないで!』

「忘れないでって、そう言われても……うわぁぁぁぁッ!?」


 骸鬼が反撃に出た。敏捷な脚力を爆発させ、大鉈を振り上げて飛び込んでくる。

機転を利かせた昴のフォローが巨体の下敷きから虎次郎を救い、得物を握り潰そうと手を伸ばす骸鬼の追撃を弾いた。


 虎次郎は身体の底から息を吐き出した。


「サ、サンキュー……」


 昴がいなかったら、危うく脳に死んだと勘違いさせるところだった。


 彼らが一呼吸置く間にも、何事もなかったように骸鬼は立ち上がり、そのでかい図体の影で彼らを覆った。


 まるで蟻の気持ちだ。弱点はわかっているのに対策法が見つからない。


「あんな高いところを狙えつったって……!」

『俺達は本来持っている身体能力しか発揮できない。六生のように飛べれば勝機があるかもしれないが……今のままじゃ、ヤツがしゃがんでもくれない限り――』


 その時二人は気づく。たった今、チャンスが訪れていたことを。


「――そうか! 転ばせればいいのか!」

『逃げの戦法を取れば、さっきみたいにヤツは飛び掛ってくるかもしれない! ヤツを撹乱させるぞ、虎次郎』

「そら、来た!」


 突破口を見出した彼らは大通りを走った。思惑通り、骸鬼は虎次郎を追いかけてくる。


 一方で、虎次郎が真っ向勝負から路線を変えたことに六生も気づいていた。だが、特に反応することもなく、彼女は驚異的な殺気を放っている夜叉丸のみを視界に写し、全神経を尖らせる。


「向こうは戦いのコツを掴んだらしい。勝算が狂ってきたな」

「勝ち誇るには早いわよ。あの骸鬼は憎しみの塊……神への復讐心の強い魂で造った、本物の鬼よ。たかがダイバーに倒せる訳はない」

「哀れ。あの馬鹿の持つ本当の強さを貴様は理解していない。同じく時を流れた魂というのに、貴様の心は煤に塗れている。心まで灰にされてしまったのか?」

「それ以上、あたしの心を弄ぶなッ! 何が神だ……偉そうにッ。一番助けて欲しい時に何もしてくれなかったクセに……!」

「ないものを強請るな。自然に与えられた運命に俺は干渉しない。俺の役目は秩序を保つこと」

「なら放っておいてって言ってるじゃないッ!」


 張り詰めた糸が切れた。六生の気迫が屋根を木端微塵に砕き、夜叉丸との直線に真空が生まれた。刹那、空気抵抗を受けない瓦礫の破片が弾丸よりも早く夜叉丸に襲い掛かる。


 彼はバリアブルバブルを空気の壁に変え、破片に抵抗を加えた。力が相殺された破片は壁の消失と共に呆気なく夜叉丸の足元に落ちた。


 だが、その隙に六生が逃走する。


「あの尼……! 虎次郎、逃げろッ!」


 夜叉丸の怒声に、虎次郎は初めて六生の接近に気づいた。


 端からこちらを仕掛ける気など皆無、六生の狙いは虎次郎ただ一人だったのだ。


「敦子!」


 主に応え、心の中の彼女は白鷺に宿る魂の一部を解放させた。白鷺の力により、増幅したバリアブルは、虎次郎の本能に意識の具現化を呼びかける。


「その命を寄越せッ! 虎次郎ォォォッ!」

「――!」


 悲しきダイバーの繰り出すエネルギーに、魂の素粒子が強烈な勢いで吸い寄せられていく。六生の手に集約されたのは、その存在を消し去るほどの思念の塊。


 魂の消滅を吹き込まれたバリアブルバブルが、凄まじい力を以って虎次郎に襲い掛かる。


「やらせるかぁッ!」


 敦子の意思が虎次郎を動かした。彼の闘志を具現し、猛烈な青い閃光に包まれた白鷺はそのエネルギーの塊目掛けて振り切られた。


 接触、激しいスパークと爆風に似た風圧が一帯を破壊する。


 土壇場での意識の具現化によって、虎次郎は本能的にエネルギーの対消滅で対抗するが、それでも相手の攻撃は衰えず、均衡から逃れられない。


 押し返される刃、粒子同士の激突で削られる我が身。強力な磁石の如く、六生の思念は虎次郎の魂を身体から引きずり出そうと爪を立てる。


 彼を護るため、ブルーホールの昴も両腕にかかる重圧に必死に踏ん張っていた。足に抱えた痛みなど忘れ、無我夢中に全精力を虎次郎に捧げる。


 だが、空間の歪みと閃光の向こうで六生が笑った。


 ――危険。


 またも、バリアブルバブルの流れが変わる。瞬きも許されない間だった。突如、六生が消えた。思念ごと消えた。


 空振る白鷺、彼の力は行き場を失う。その時、飛び込んだ現代の姉の叫びに、虎次郎は最大の誤算を招いたことに気づく。


『虎次郎ッ! 上!!』


 目線を上げると、すでに骸鬼が大鉈を振り下ろさんとしていた。


 骸鬼の背後、家屋の上の六生の姿に虎次郎は直感した。


 彼女は飛んだのだ。短い時間を。短距離ダイブを――


「やばっ――」


 骸鬼は鉈を振り下ろした。虎次郎が回避行動に走るが、突如、足に覚えのない痛みに足が止まる。


 六生は勝利を確信した。大きな振動、上がる土煙、虎次郎のダイバースーツは修復不能な損傷を受けたはずだった。


 だが、土煙の中から現れたのは受け止められた大鉈の刃、そして忌々しい朱色の衣。寸前で夜叉丸が介入し、その大鉈を一本の大太刀で受け止めたのだ。


「夜叉丸……!」

「何やってんだ! なぜ逃げ――!?」


 虎次郎に気を取られたその時、骸鬼の左の拳が二人を襲った。夜叉丸は大鉈を振り払い、虎次郎の首根っこを掴んで打撃から免ようと後退する。


 しかし、骸鬼は異常な執念を発揮した。


 骸鬼は大鉈を放し、その右手で二人を掴まんと手を伸ばす。


「くそッ!」


 変則的な戦法に夜叉丸は回避を優先した。右手から逃れるために、彼は虎次郎を連れたまま、天高く舞い上がった。


 だが、彼女はそれを待ち構えていた。


 背後の気配に、夜叉丸は判断の誤りを悟った。攻撃的な気流、すでに六生は最後の力で意識の具現化の構えに出ていたのだ――


「しまった――」

「これで終わりだ……夜叉丸ゥゥゥゥ!!」


 青い光の竜巻が、岩をも両断する鋭いかまいたちとなって二人の命を欲す。


「がぁぁぁッ!」


 夜叉丸は虎次郎を庇って直撃を受けた。押し寄せた空気の刃に、象徴とも言える朱色の衣は引き裂かれ、その身は風圧によって空高く投げ出される。


 ひびの入った小面、傷口から流れ出す青い光、初めて見る満身創痍の夜叉丸に虎次郎は絶句した。

地表に叩きつけられる二人、六生は止めを刺すべく飛び降りた。だが、沈黙したはずの夜叉丸が、即座に立ち上がり六生目掛けて突撃する。


「うぉぉぉぉぉッ!!」

「こいつ……! まだ――」


 喉元を掴まれた彼女は、夜叉丸の強力に勢いのまま吹っ飛ばされる。体勢を整えようと抗う隙も与えず、夜叉丸の憤怒の斬撃が殺意のままに繰り出された。


 虎次郎も決着を着けんと立ち上がろうとする。だが、自分の足に起こった異変に顔色を失った。

それは、あまりにも早い代価の支払い――苦痛に喘ぐ昴の姿。


「昴……どうした!?」

『こんなところで……!』


 バリアブルバブルから伝ってくる、足の激痛。相次ぐ猛攻撃に事故で爆弾を抱えてしまった昴の足は限界に来ていた。


『昴君! 大丈夫!?』


 周りの心配を振り払うように、昴は必死に立ち上がろうとしていた。


 だが、骸鬼は一刻も早く彼らの魂を欲していた。感情を露にするように、荒ぶる骸鬼の息遣いに虎次郎は戦の終焉を悟った。


 次でどちらかが終わる、と。


『ふざけるな……この程度で止まってたまるか! お前に護られたまま、何も出来ずに負けるなんて冗談じゃないッ!』

「昴……」


 立ち上がる親友、折れてゆく心、己の情けなさに虐げられる。結局、昴がいなくてはないもできないのだ。


 この様は何だ。何のケジメも着けられぬまま、深い眠りに戻らなくてはならないのか。


 骸鬼の顔に隠された弱点が、限りなく遠く感じる――


「あ……」


 空を仰ぐ。その時、彼は見つけた。


 唯一の勝算――己のみに与えられた奇跡。


『いいか、虎次郎、俺が走ったらお前は白鷺で――』

「もういいよ、昴。ありがとう」

『!? 馬鹿野郎! 帰るって言ったじゃないかッ!』

「違うんだ。勝てるぜ……俺達!」


 自身と活力に満ちた彼の意思、断崖に立たされたも同じ状況の中で、彼の魂は熱さを増す。理由はわからない。だが、言葉なくして昴は虎次郎を信じた。


 昴が感応して動いた直後、骸鬼の巨大な拳が、その鉄槌を彼らの頭上に下した。


「虎次郎!?」

()れェェェェッ!」


 二人の目に映ったのは、絶対不可避の死。虎次郎は骸鬼を見上げたまま動かなかった。ただ一点を、天の高見を見つめたまま、虎次郎は地響き轟く土煙の中に消えた。土煙の中、地面に減り込む巨大な拳、自ずと辺りは静まり返った。


「やった……! 虎次郎の意識を感じない、あの拳の下にあるのは空っぽの身体! 見なさいよ、無力な神様……私は宿命に打ち勝ったのよ!」


 静まり返った明け方の空は、狂喜の笑声を以って夜を終えた。


「……ただの粒子の人形で、お前は一体何をするつもりだ」

「帰るのよ! 元の時代へ……私を脳死に追いやった男を殺すためにね!」

「……そうか。お前の目的はそれか。だが、残念だ」

「何……!」


 すると面の下から意地の悪い笑いが零れた。


「哀れなり! 己の疲弊にも気づかぬ愚かさよ。蒼雪の動きを読めば、笑う余裕など絶無であると貴様は知れると言うのに……」

「そんな――!?」


 時、すでに遅し。犯した過ちは最後にして最大の失態であったと彼女の魂は凍りつく。


 バリアブルバブルの動きすら読めぬことを自覚した時にはもう、彼女の5年越しの謀略は崩壊の地響きを上げていた。


 王手はすでに打たれていたのだ。なぜなら、骸鬼の拳の下には、虎次郎の姿をした空っぽのダイバースーツはなかったのだから――


「そこだッ! 虎次郎!」


 夜叉丸の怒号に、己の身体に空の中心へと吸い込まれるような感覚が急襲する。次の瞬間、微粒の青い光が空に向かって吸い上げられて行くのを彼女は視認した。


 刹那、空に閃光が弾けた。青き光の中から現れたのは紛れもない、骸鬼の拳に押し潰されたはずの虎次郎の姿だった。


「馬鹿な――ダイブしたって!?」

「うおぉぉぉぉぉぉッ!!」


 彼が飛び出したダイビングスポット、それは数分前に六生の攻撃によって打ち上げられた地点。現時点の骸鬼の真上に当たる、そこに彼は飛んだ(、、、)のだ。


 引力に身を任せ、虎次郎は青白く光る白鷺の刃を、骸鬼の左目目掛けて突き刺した。


「オ、オォオォォオォォォ―― !」


 耳を覆いたくなる獣の呻き声が空をかち割った。骸鬼は虎次郎を頭部から振り落とさんとするが、意識の具現化によって増幅する白鷺の刃は、骸鬼の意に反してぐいぐいと顔面に食い込んで行く。


『落ちないで! 踏ん張って二人とも!』

「こんのヤロがぁぁぁッ!」


 激痛に耐えて踏ん張る昴と、己の生命を爆発させる虎次郎。増長する魂の力に呼応して、彼方より飛来しバリアブルバブルは、彼らに更なる力を与える。


 刃が骸鬼の頭蓋骨に埋められた核に触れた。咆哮するスパーク、反発し合う力が大きくうねりを上げ、虎次郎は激震する白鷺を無我夢中で押さえつけた。


 刃に伝う虎次郎達の魂の力は、次第に悪意の核を削いでいく。


「や、やめてェェェェェェェッ!!」


 六生の絶叫も二人の耳には入らない。対消滅を繰り返す神の粒子、ぶつかり合う思念と思念。宝刀白鷺は彼らの魂に眠る生命力を全開まで引き出し、敦子の魂によって潜在能力以上の破壊力を発揮した。


 そして、核の砕ける音が響いた。


 骸鬼の叫喚と共に、左目の傷口から上がった青い光の柱が雲間を突いた。


 虎次郎は止めとばかりに白鷺を抜き取り、骸鬼の首の付け根から心臓目掛けて、ばっさり切り裂いた。


 微粒の青い光が薄っすらと朝日の映える市中に舞う。


 力尽きた彼は、そのまま宙に身を投げだした。


「虎次郎!」


 すかさず夜叉丸は飛び出し、彼の身体を受け止めた。その顔を覗くと意識はあるようだが、力を使い果たして言葉すら出てこないようであった。


 骸鬼は左目を押さえたまま痛みに狂乱した後、大地を揺らしてがっくりと崩れ落ち、そして、果てた。


 一体何人の憎しみが像を為していたのか、骸鬼の抜け殻から零れ出る青いバリアブルバブルの光には、負の感情の儚い残り火が宿っていた。


「……俺達、やったのか」

「ああ」

「だけど……何か、悲しいな」

「同情するな。死んでも悪意を失わぬ魂は、ろくなモンじゃない。いつまでも負の感情に囚われ続ける弱い奴らだ。そいつらは恨みや悲しみに依存しないと自分自身の存在を認識できない、自分が自分でなくなることを極端に恐れているんだ」


 事態の鎮圧に安堵するも、夜叉丸の口調は厳しかった。そして、冷たい木の瞳は戦意喪失し、地にひれ伏した六生の元へと注がれる。


「そうだろ、六生。いや、杉浦亜里沙と言うさ迷える魂よ。お前はその憎しみを捨ててしまうことを恐れていた。そうでなくては自分の魂をそれほど強固なものに仕立て上げられなかったのだからな」

「……うるさい」

「時間だ。話してもらおうか……事の発端を」


 それは六生にも、虎次郎にも言ったわけではなかった。まるで潜んでいる誰かの言葉を待つように、夜叉丸は言葉を閉ざした。


『虎次郎君、昴君……今まで、すまなかった。後は私がやる』


 それに応じたのは他でもない、現代で彼らの戦いを見守り続けた最高責任者、高槻幸之助だった。


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