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第弐拾九話 もがれた羽

《現代》 東応大学 特別医療研究室


 こちらの動揺を誘うのが狙いか、先に口を割ったのは六生の方であった。


「昴君、君に話したことは全てだ。彼女はこれから、虎次郎君を結界の外へ引きだろうとするだろう。その時がチャンスだ。作戦はさっき伝えた通りだ」


『了解です』


「頼んだ」


 ブルーホール内のバリアブルバブルの濃度は、すでに隠された時代(ハイデンヒストリー)を上回ろうとしていた。閉ざされた水門が開かれた時、虎次郎の脳に埋め込まれたダイバーインプラントは、想像を絶する力を彼に与えんとする。


 その時まで、何があっても耐えるのだ――

 

 

隠された時代(ハイデンヒストリー)》 鶴岡八幡宮 本宮


「初代……聞いてないぞ、そんな話!」

「無理もないわよ。あれは事故みたいなものだったから。皆、ダイバースーツが定着しなくてね……魂が拠り所をなくして消滅したわ。私を除いてね」

「事故だって……!? 何で、お前だけ生き残ったんだ」

「さあね。単純に私の生きる力が、自然霊体としての道を切り開いたとしか言いようがないわ。私は君と違って、質量のある本物の幽霊だからね。まさか、私が殺したと思ってる? 勘弁してよ……私だって不幸な事件に巻き込まれて、脳死に陥った哀れなドナーなのよ? 君と同じで」

「一緒にするなよ! 例えあんたが、俺と同じドナーでも……こんなに人を殺して、許されると思うのか!?」

「思っているから、やってるの」


 何の罪悪感もない返事に、虎次郎は二の句が継げなかった。深層に触れてしまったのか、六生は能面のような顔で彼に問い返す。


「だって、私はこんなに不幸な目に遭ってる。自分の一番望むもののために、戦う権利はあるはず。だから他人の命なんて、私にとっては踏み台でしかないわ。許されるはずでしょう? こんなに辛い想いをしてるんだもの……!」


 それが悪いことかと、光沢のない黒目は諮問する。


「君も同じでしょう? 私達の命の上に、二代目のダイバーとして存在してる。私達の事故があったから、あなたの魂は肉体と繋がったままでいられる……私達を踏み台にして、恩恵を受けている人間の一人なのよ、君は!」

「違う! 俺は何も知らなかっ――」

「私も何も知らなかった! 知らなかったのに、あいつらは事故を隠蔽するために私を殺そうとしている……! 自分の身を護るために、餓鬼を作り出すことは悪いことかしら? バリアブルバブルを知ることは間違っているのかしら? 答えてよ、私を殺しに来た人!」

「俺は……俺はあんたを殺そうなんて思ってもなかった!」

「いいえ。その生意気な正義感がそうするわ。奴らはそれすら利用してる……君は文字通り、操り人形なのよ。だって、君は自分の役目に薄々気づきながらも、そこに立っているじゃない! 私と戦うつもりなんでしょう?」


 嫌な女だ。否定が出来ない理屈ばかり突きつける。


 追い詰められた虎次郎の傍らで、妃子はじっと隙を窺っていた。耐え忍ぶことも困難な空気の中で妃子は懸命に糸口を探すが、夜叉丸を待つ以外の策は見つからない。


 だが、そんなことは六生の知るところであった。


「夜叉丸を待っても無駄よ。あれは私の最高傑作が相手をしている……こちらを助けにくる余裕なんてないでしょうね」


 その時、彼らを取り囲むバリアブルバブルが動き、気圧が変動した。はっとして、虎次郎が目を凝らすと六生の身体が薄っすらと青く光っている。


 もう、見限るつもりか。


「さあ、虎次郎、こっちにおいで。あなたの持つダイバーインプラントが、私の望みを叶えてくれる。あなたの命と引き換えに、奴らを全員始末してあげるから」

「虎次郎殿、なりませぬッ! あなたは違う! あなたは私を救ってくださった! あなたは人を生かすためにここにいる!」

「誰がやってもそうなってた。私達、ダイバーは何も変えられない。できるのは、自分の命を燃やして、過酷な運命に抗うことだけ!」


 結界を越えた六生の気迫にダイバースーツは悲鳴を上げた。言い返す気力もない自分に、バリアブルバブルを繋ぎ止める力があるとは到底思えない。


 生きていることが罪でしかない。


 その重圧に、心は限界を感じていた――


「もう、限界にございます……!」


 彼の心を読んだかのように、妃子が呟いた。我に返ると、激昂した彼女の背中が自分を護ろうとしてくれていた。


 恐れを通り越した妃子は闘志に満ちた声で言った。


「虎次郎殿、申し訳ございませぬ」

「……妃子?」

「冷静にと申し上げましたが……この妃子、これほど腸が煮えくり返ったことはございませぬッ!!」


 命の恩人への侮辱、脳裏を駆けた相次ぐ不幸が彼女に刀を抜かせた。真っ先に六生目掛けて、飛び掛る。


「やめろ、妃子!」

「覚悟ォォッ!」


 憎悪の一撃が六生の首元目掛けて振り下ろされる。だが、岩に叩きつけたような衝撃が刀を伝った。次の瞬間には太刀は硬直し、微動だにしない。


「なっ……!?」


 圧倒的な力量。刀は六生の素手に受け止められていた。一滴の血も流れぬ掌は、強靭な握力によって刀を軋ませる。


 知りたくもなかった力の差に歪む妃子の顔、それを六生はくすくすと笑った。


「南野の時もそうだった。100%殺せる状態を作った時、永常は呆気なく死んだ。つまり、確実に殺せる状態に陥ったなら、その人間はその場で死ぬことを運命に許されている」

「貴様ァッ!」

「私がやらなかったら誰が殺してたのかしら? 得宗家かな?」


 最愛の人達の命を侮辱された妃子は、白鷺を六生の手から引き抜こうと悪戦苦闘するが――


「無駄だって」


 ――パキンッ!


 無情な響きに彼女の息が止まった。


 ただ一度の攻撃で、餓鬼をも切り裂く宝刀白鷺が峰から粉々に砕け散った。叔父や家臣、そして母の想いが詰まった宝が、一瞬にして、ただの鉄くずと化したのだ。


 その隙に六生は妃子の身体を拘束し、破片となった切っ先を彼女の喉元に突きつけた。動きを殺された妃子は、捻られた手の苦痛と屈辱に歯を食いしばる。


「これで決まりね。死を受け入れぬと言うのなら、この子の首を掻っ切るだけだわ」


 だが、妃子は笑った。


「甘い! 己の力に酔ってる証拠!」

「何――」


 妃子の奇怪な言動に眉を顰めた刹那、背後に人の気配。すでに遅かった。振向けば一本の矢が六生の頬を掠めた。門からの攻撃。そこにいたのは――


「い、今や! 妃子様!」


 桜門のすぐ下で弓を構える清次に、逆に彼を射ぬかんとする殺意が襲う。肌で感じる重圧に彼は重い呼吸を繰り返すが、彼の勇気は妃子に好機を与えた。


 六生の懐から脱走、妃子は再び刀を引き抜く。


「しまっ――」

「うあぁぁぁッ!!」


 脇差を喉元目掛けて突き出す。咄嗟に六生はそれを刃の破片で払うが、清次の突撃に妃子に止めを刺し損ねる。


「おぉぉぉぉッ!」

「ちっ! 邪魔するなァァァァッ!!」


 歯がゆさに苛立ちは爆発し、彼女はついに意識の具現化の構えを取る。時間にして、コンマ数秒。突如、妃子と清次の背中に見えない錘が圧し掛かった。


「か、身体が……!」

「あかん……立っていられ……へん……!」


 強大な空気の圧力が二人の全身を地面へと押さえつける。二人を生き埋めにしなければ済まぬと言うかのように、彼らの身体がじりじりと地面へと減り込んでいく。肋骨にかかる負荷の大きさに、二人の苦痛の呻きを上がった。


 そして、六生は瞬きもせずに清次を見下ろし、刃を持ったその手で頬に触れた。微かな傷だが、それは六生の深層に深い傷をつけた。


「そうか……お前は消せないのね。だったら、二度と舞えないように腕の一本でもいただくわ。歴史書なんて、真偽の知れるとこ……後でどうにでもなる」

「何言って……痛ッ!」


 諦めずに清次は抵抗を試みるが、動けば動くほど負荷のかかった身体に激痛が走る。


 もはや、虎次郎を護る者は誰もいない。


「待たせたわね。先にあんたよ。さっさと殺してあげる」


 祭壇の傍、残された虎次郎に告死の眼差しから逃れる術はない。


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