第弐拾八話 継承、繋がれた黒い糸
《隠された時代》 鶴岡八幡宮 別当邸
骸鬼が現れた傍ら、餓鬼は鎌倉市中を狩場に猛威を振るっていた。結界により餓鬼の手が及びにくい鶴岡八幡宮には相次いで避難民と餓鬼による負傷者が搬送されていた。結崎座は南野の家臣と共に民衆の誘導と僧医の手伝いで境内を駆け回る。
清次が参道付近にて怪我人の搬送状況を窺っていると、また一人、餓鬼の魔の手に三途の川を渡りかけた者が運び込まれてきた。
「大夫! 重症の娘はんが運ばれてきはった!」
「ほな、お通しせい! 座敷の準備はできとる」
許可を受けると、座衆は正門に向かって合図を送る。すると間もなく、若い娘を背負った武士が現れた。
「かたじけない! すぐに手当てできるぞ、もう少しだ! がんばれ!」
だが、彼女は激励に応える気配はない。
清次の誘導に従って、彼らは縁側から屋敷へと上がり、すぐに彼女を横にした。待機していた僧医が明かりを手元に灯すなり、露になった少女の容態に一同は愕然とした。
脂汗でじっとりと濡れた顔は青白く、すでに虫の息。当然だ。その首元は何かにかじられたように抉られて、血液は留まる気配がないのだから。
「あかん……! ぱっくり喰われてはる!」
「時間がない! 明かりをもっとくだされ、そして湯も!」
「は、はいっ!」
言われるがまま、清次は部屋を飛び出していった。
僧医はすぐに止血を施すが、妙な違和感にその手元を止めた。普通なら痛みで悶絶するはずなのだ。しかしこの娘はその気配はなく、微動だにしない。
死んでしまったのかと、彼女の顔を覗きこむと、長い髪に隠された娘の口元が笑っていたのであった――
鶴岡八幡宮 本宮
「まただ……熱い。肌がじりじりと焼かれるように……」
目覚めて間もない虎次郎は、落ち着きなく本宮の中を見回した。本宮には虎次郎と妃子の二人しかおらず、当然、見回したところで人影などあるはずがない。
「熱い? 私は何も……」
彼女もまた、周囲を見回す。太刀と脇差を腰に携え、襷で袖を括った完全武装状態で妃子は虎次郎の傍で控えていた。
「……不安でしょうが、安心なさい。ここは鎌倉に敷かれた結界の中心、鬼として力が強い者ほど入ることはできませぬ。すぐに夜叉丸に知れることとなりましょう」
妃子は祭壇の横に、何やら奉るように持ち込んだ着物を掛け始めた。炎の明かりだけの空間が、ぱっと明るくなる小袖の輝かしさに虎次郎は目を奪われた。
桜色の生地に広がる桜と白鷺の刺繍。あまりにも優しいその小袖に、妃子は粛々と手を合わせた。
「それは……?」
祈りに水を差すとわかっていても、虎次郎は聞かずにいられなかった。
「母の小袖にございます。御魂入りをした者の形見を傍に置くと、さらに結界の力が強まるそうです」
「お母上のね……」
「私の思い出に一番残っている小袖にございます……最期も、これをお召しでいらっしゃいました」
それは妃子にとって、もっとも大切な母親の形見であった。
「白鷺は母の実家である南野の象徴、故にこの刀もその名前を受け継いでいます。二人の想いがきっと、皆を守ってくれるはずです」
朱雀の宮の戦いから守り抜いた純白の宝刀を彼女はぎゅっと握り締めた。
「想いか……あれ? この着物――」
敦子の小袖に、虎次郎は不思議な感じを抱いた。ふと頭に浮かんだ光景に彼が口を開いた直後、誰かの怒鳴り声が外から聞こえた。
「何かしら……!」
妃子が襖を開き、回廊に出ると物凄い勢いで本宮への階段を上ってくる、清次の姿が飛び込んできた。彼は強張った表情で、妃子の名を叫んだ。
「清次! いかがしたのです!?」
「妃子様ァァァ! あかん! 逃げてください!! 紫紺の尼がすでに……!」
「何ですって!?」
全力で階段を上り切った清次は、肺が破けそうだとばかりに呼吸を荒げた。話せる状態になるのを待てず、妃子は彼に問うた。
「まさか、境内にヤツが現れたということですか!?」
「は、はい……屋敷の……者達がやられてしもうた! うちの座衆も……!」
未来が絶望の色に染まる。清次の顔に残る返り血が、彼の目の当たりにした恐ろしい光景を物語っていた。すでに屋敷は血の海だ。
またも、守れなかった――
「そんな……!」
膝をがくりと落とし、間違いであって欲しいと彼女は首を横に振った。
「ここにおっては危険や……はよ、お二人だけでも逃げなされ! 鶴岡にいてはもう時間の問題や……!」
無念さを噛み殺して、清次は二人に過酷な決断を迫った。
境内に侵入されては、もはや打つ手などない。もっとも強い結界を破ってしまえる力があの尼にあるなんて想定外だった。その考えの甘さに、妃子は涙を堪えて唇を噛んだ。
「どこまでも……運命は残酷な……!」
「妃子様、しっかりせんと! 虎次郎はんに死なれては、全ての望みは断たれてしまいますわ!」
「そうですね……ここで泣いても始まりますまい。急ぎ、市中の夜叉丸の元へ――」
「駄目だッ! 妃子!!」
突然の怒声に妃子は振り返った。すると、沈黙を破った虎次郎が苦しそうに胸を掴みながら、立ち上がっていた。
虎よりも鋭い眼光に、妃子と清次は戸惑った。
「虎次郎はん……どないしたんでっか……?」
「黙れッ! それ以上その姿で話しかけんな! 早く離れろ、妃子! そいつは清次じゃない!」
「……え?」
「忘れもしない……この焼かれるような熱さ! 由比ヶ浜でお前は俺を見ていた!」
一瞬でも隙を見せまいと、彼は威嚇の構えを強める。
その意味に、妃子は全てを悟った。
彼女の本能は最大級の警戒を以って、すぐさま清次から距離を取らせた。そして、携えた刀に手を掛ける。
茶番は終わった。
清次の顔から活力が消え、猿楽の面のように無機質な素顔が虎次郎を見据える。そして、清次の姿をしたそれは二人の顔を見回すと、薄気味悪く笑って見せた。
「厄介だわ。姿を変えても、似たもの同士だから余計に共鳴してしまうみたい」
無邪気さが残る声が淡白に響く。
妃子は虎次郎を庇うように前に立った。
その勇敢さを嘲笑ながら、刺客の体は青い光を放って姿を変えた。
鶴岡八幡宮 別当宅
彼の手元から滑り落ちた桶が、渇いた音を立てて足元に熱湯をぶちまけた。火傷のような足の痛みすら麻痺させる惨劇に、彼は立ちすくんでいた。
地獄絵図。
霧で湿った空気に広がるのは、生臭さと鉄の匂い。それは赤い湖に浮かぶ肉片と臓物が本物であることを彼に知らしめていた。
戦慄のあまり清次は腰を抜かし、骸から眼を背けた。
「誰や……誰がやったんや……! こんな酷いこと!」
そこにあるのは僧医と少女を運んできた武士。庭には命辛々逃げてきた女子供の哀れな姿。皆殺された。
「……あの娘や。あの娘が紫紺の尼やったんや! あかん! 虎次郎はんと妃子様が!」
震える体に鞭を打ち、彼は決死の想いで立ち上がった。ふらふらの足取りで、彼は二人の元へ急ぐ。
鶴岡八幡宮 本宮
青い光の中から姿を現したのは、藤色の袈裟を纏った少女だった。歳は妃子と変わらないくらいで、とても人を殺すと思えないほど可憐で柔らかな顔立ちだった。
意外な正体に、二人は唖然とした。
「驚いた? もっと婆かと思ってたでしょう? 私が六生、またの名を紫紺の尼よ」
素顔を晒した六生は不適な笑みを浮かべて虎次郎に問いかけた。
「何で俺を付け狙う!」
「邪魔だから。だけど、必要な道具でもある」
「道具だと!? 何が目的だ……!」
「知る必要はないわ。大人しくしてくれれば、妃子さんを殺さないであげる。まあ……彼女がここで死ぬ運命でなければ、別の人間を殺るだけだけど」
「てめぇ! いい加減にしろよ! 何なんだよ、お前は……!? 何で餓鬼を作った! なぜ、神じゃないのに力を使えるんだ……お前は人間なのか!?」
身体がまともに動いたのなら、殴っていただろう。ほくそ笑む彼女に虎次郎は自制が聞かぬほど激怒していた。
だが、一方で妙な感覚を覚えた。
「可哀想に。自分が何のためにここにいるのかも知らないで」
その言葉に、虎次郎は顔しかめた。
「どういう意味だ? お前は一体、俺の何を知ってる!?」
「あ、忘れてた。ねぇ、妃子さん。私、あなたに話があるの」
「――ッ! 答えろッ! てめぇ!」
飛び交う蝶のごとく話を変える六生のペースに虎次郎は苛立ちばかりを募らせていた。そんな虎次郎を静めるように妃子は声をかける。
「虎次郎殿、悪人が大人しく真実を話すはずはございませぬ。どうか冷静に……」
「そんなこと言わないでよ。じっとしてれば、あなたには用がないんだから」
「ならばなぜ、朱雀の宮を襲撃したのです?」
「実験のためよ」
「何ですって……!? どういうことですか、それは!」
「簡単なことよ。夜叉丸がどうしたら現れてくれるのか、新たにこの時代に舞い降りた後の世の人間が、どれだけの潜在能力を持っているのか……知りたかったの」
不意に吐かれた言葉に、虎次郎は驚愕した。
「『新たに』って――」
「新しい技術の開発には数多の犠牲が付きまとうものよ、虎次郎。特に、命に関わる技術はね……」
わざと遠まわしな言い草が、虎次郎に漆黒よりも深い闇を思い知らせた。
この高見から見下ろすような目は、未だ絶望の淵にいる自分を示唆している。
有無を言わせず、残酷な真実を彼に悟らせた。
――最悪だ。
「じゃあ……お前は!」
「初めまして、後輩君。私は初代オーバースピリットダイバーの唯一の生存者。あなたのボス、高槻幸之助に殺されようとしている哀れな魂よ」




