第弐拾七話 英知、鋼の鎧
《現代》 東応大学 特別医療研究室地下 ブルーホール
危機の最中でも、虎次郎の感情は絶えずこのブルーホールに流れ着く。その泉の中で、一時間ほど待機していることになるが、次第に時の彼方の出来事が、自分のリアリティであるという錯覚と葛藤するようになっていた。
――いや、錯覚じゃない。
時間という壁が取り除かれた空間に自分はいる。うまく説明は出来ないが、そうなのだ。
あれはとても遠い場所で起こっている出来事なのだ。
軍隊のアサルトスーツのような格好に、機械の鎧とも言える装置を全身に身につけた昴は、瞑想するように部屋の中心に座っていた。
リードダイバーの装備は彼が想像していたよりも、重装備であった。まず頭だが、軽量なメタリックシルバーのヘッドギアで覆われ、目元までバイザーが下ろされている。ヘッドギアの素材は金属でありながらも軟らかく、日常生活では決して出会えない触感を有していた。そして手足も同様に、同じ金属でつくられたメタリックシルバーの篭手や臑当てを装備しており、高感度センサーが何百という箇所に内蔵されている。これで昴の動作情報を正確に読み取るという寸法だ。
「虎次郎……」
ここでは彼の姿を見ることは出来ない。だが、心は彼の安否を知ることが出来る。
隠された時代から流れ着くバリアブルバブルの囁きが、つい先ほどと違う。精神的な負担が和らぎ、何事もなかったかのように安らいでいる。眠っているのか。
『お待たせした。虎次郎君が紫紺の尼の攻撃から立ち直った。今のうちに接続作業に移る』
「わかりました」
『バリアブルバブルの視覚化を開始する』
高槻の一声で、部屋の照明は落ちた。
そして、海の中にいるようなマリンブルーの光が昴のいる部屋を満たした。その景色は、本当にブルーホールのそこから海面を仰ぎ見るダイバー気持ちを味あわせるようであった。
「これが……」
『ただの光ではない。素粒子が光速で循環しているためにこのように見える。だが、これだけの潜在能力を持っているにもかかわらず、この素粒子の移動速度は地上では変則的だ』
「魂に引かれる性質のせいで……」
『そう。速度を緩め、人の生命エネルギーが解放されるのを待ち続けている。時間という概念を超えて、この素粒子は誰かの思念を実態化させるために旅をしているんだよ』
「大したロマンですね……こいつがあるせいで、僕らは終わったことを掘り返してしまったのに」
『だがなければ、君が虎次郎君と面と向かうことも叶わなかった』
昴は面白くなさそうに眉を寄せた。
『さて、悪いが時間はない。リードダイバーとの神経系の接続を開始する。〈インストラクター〉を起動しろ』
〈インストラクター〉とは昴の身に着けている機械の鎧のことだ。研究者達の復唱に続いて、インストラクターは機械の産声を上げた。
『間もなく君の意識は虎次郎君とシンクロする。集中したまえ。眠るようにインストラクターに精神を委ねるんだ』
ヘッドギアが起動する気配に昴は目を閉じた。深呼吸の後、無心に還る。
そして、一切の音が消えた。
作業が停止したのではない、同調が進んでいるのを指先の神経に走る微弱な刺激が教えてくれている。数秒後、それは全身に達した。
不思議だ。この鎧の熱が肉体に伝わった途端、肉体の存在が曖昧になった。確固としてその命令を担っていた脳と運動神経が繋がりながらも別々の場所に隔離された、そんな感覚に陥る。
それから間もなく、ブルーホールの中で人の気配を感じた。
『シンクロ完了。ゆっくりと目を開いてごらん』
高槻の声に昴は目を開いた。
そして、その目を疑った。
「何だこれ……!?」
奇妙なことに、彼は神社の本殿のような場所に仰向けになっていた。しかも、どうしかことか、心配そうに自分を覗きこむ妃子と清次の姿がある。弱視であることを忘れてしまうほど、はっきりと彼らの顔を拝むことが出来る。
まるで、自分が虎次郎の代わりに隠された時代にダイブしてしまったような光景――
「嘘だろ……! 俺は一体……」
『虎次郎殿! お目覚めになりましたか!』
妃子は自分に向かってそう言った。
まさか、自分と虎次郎が入れ替わってしまったのか。
混乱する自分を静めようと、あれこれ脳裏を巡らせたその時、自分の意識と関係なく視界が動いた。
『お、俺は……』
聞き間違えるはずがない、親友の声だった。
そして、再び自分の意思と関係なく動く視界に、昴は自分の置かれた状況を理解した。
「そうか……これはお前の視覚なのか。俺とお前の視覚が繋がったのか!」
これが脳の共有、虎次郎と自分の意識が同調して成せた奇跡。
『物分りが早いな。君のリードダイバーとしての素質は予想以上のようだね』
状況が落ち着くのを見計らって、高槻の声が入ってきた。
『これはまだ五感だけのシンクロだ。身体機能の接続も完了しているが……反映はタイミングを見て行う』
「なぜです? 急を要する事態なんでしょう!?」
『状況が変わった。まだ手の内を読まれては困る……これは切り札なんだ』
神妙な言い回しに、昴の額から冷や汗が伝う。
「まさか、もう……!」
『戦いはもう始まっている。間違いなく、彼女はすぐ傍に潜んでいる』
高槻の言う通り、妃子と清次は六生が仕掛けてきた事実を虎次郎に告げた。
鎌倉市中に今までに見たことがないほど巨大な餓鬼が現れたこと。そして、夜叉丸がすでに交戦中であること。
全てを耳にした時、昴の心に唇を噛み締める虎次郎の気持ちが流れ込んできた。
《隠された時代》 鎌倉 市中
北方からの霞の奥に、そいつの影は現れた。すでに餓鬼が足下を這い回っていることをこの目で確認したが、肝心の六生の姿はない。彼女を追ってここまで来たはずが、出会ってしまったのは世にも奇妙な武士の巨人――
「六生じゃない……何だ、あれは」
自分の半身とも言える小面が共鳴するかのように震えている。
「や、夜叉丸様!」
家屋の屋根の下、負傷した兵が一人、仲間に連れられ、恐れ多くも神の名を呼んだ。その面構えは緊張のあまり引きつっていたが、何が強い意志を持って夜叉丸を見上げているのは間違いなかった。
「何だ。手短に頼もう」
「や、ヤツです……朱雀の宮の鳥居を破壊したのは! 結界で身を焦がしながら、巨大な鉈で鳥居を殴打していました!」
「身を焦がす程度だと……貴様、見たのか」
「はい! しかとこの目で……!」
すると彼は仲間の手を振り払い、痛みのあまり脂汗を流しながら地に膝と手をついた。そして涙を浮かべて神を仰ぎ見た。
「お願いでございます、夜叉丸様! どうか、わが主君、南野永常を無残にも葬ったあの餓鬼どもを、微塵も残さず消し去ってくださいませ! 成してくださるのならば、この魂をどうぞお上がりください……!」
決死の嘆願だった。彼は傷もいえぬ身体で、深々と頭を地につけた。
傍にいた仲間達も、想いは同じとばかりに夜叉丸への直訴を買って出た。武士がこれほどまでに頭を垂れる意味を、彼も理解していないわけではなかった。
だが、話は別だ。
「断る。己が見初めた魂以外、いくら貢がれようと喰らう道理などない」
「そんな……後生な!」
「それを許せば、己の命と引き換えに敵を殺すことも認めたと同じ。我は人にあらず、神としての道理を全うするが真理」
「無情だ……これでは鶴岡の勤めに励んだ我が殿は報われやしない!」
絶望のあまり、兵達は地に爪を立て、土を抉り取った。罵詈雑言を必死に留めたその顔に、夜叉丸は平然と振舞った。
中の魂達も彼を非難することなく、ただじっと、主の言葉を待っていた。
そして、
「だが、安心しろ。あれを倒すことは必須、我は我のためにあの不穏分子を排除する。弔いなど、面倒な建前など不要の――」
『口が過ぎますよ。夜叉丸』
「……産物だ!」
一言多いと、女達に口を挟まれた。本来なら別に頼まれなくても倒すと、彼らに伝えるつもりが、いつもの皮肉屋が彼の意図を大きく屈折させてしまった。
案の定、兵達は反感の面持ちだ。だが、発言の訂正を申し出る時間はない。
「ちッ……まともに結界に突っ込んで、焦げただけだと? 強力な餓鬼ほど五体が黒焦げで弾け飛ぶってのに……!」
『とても硬い皮膚で覆われているのでしょう』
「きっと、あの女の力の大半が注がれてるはずだ。その分、こいつは厄介だが、逆を言えば六生の力は低下してると見て間違いない」
霞はいつの間にか濃霧となり、彼らを白い無機質な世界へと引きずり込んだ。直立していた骸鬼の影が猫背へと変化する。その瞬間、地震の如く大地が揺れた。
骸鬼が足を踏み鳴らしていたのだ。
「来る……全員下が――」
夜叉丸が骸鬼から眼を離した刹那、身を切り裂く突風が身体を掠めた。
視線を戻した時にはすでに遅く、兵達は大鉈の餌食と化していた。声を上げる間もなく、屍と化した彼らの血を踏んで、骸鬼は鉄兜に覆われた目とただれた口をこちらに向けた。
「化物め……! その図体でよくもそこまで動けるものだ!」
夜叉丸は刀を握り締め、大気中のバリアブルバブルを一瞬にして呼び寄せる。彼の周囲の気圧は急激に下がり、骸鬼は急激な体内膨張に呻き声を上げた。
「その状態で外からの衝撃を受けたらどうなるか、今から教えてやるッ!」
夜叉丸は骸鬼の額目掛けて踏み込んだ。破裂寸前緒風船に刃を立てたその瞬間、強烈な音を立てて骸鬼の甲冑が空に飛んだ。




