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第弐拾四話 失意、語られる真実

隠された時代ハイデンヒストリー》 鶴岡八幡宮 別当邸


 一人になった途端、虎次郎は蘇った疑念に現代との交信をしばらく頓挫していた。


 前進を急ぐ一方で、夜叉丸の言葉が胸に痞えている。思えば、顔も知らぬ研究者達の言葉をよくもここまで信じて来られたものだ。それほど自分に余裕がなかったことを反省する反面、やはり、彼らの真意を知らなくては前進のしようがない。


 焦る。不安だ。


 何を信じれば良いのか、わからないからこそ、一つでも多くの情報が要る。虎次郎に躊躇している暇などなかった――


「せっかく身体が動いたのに、また首から下はパッタリか……」

『惜しいわね。だけど、現在のダイバースーツの状態は良好よ。紫紺の尼の干渉が入った時はどうなるかと思ったけど……夜叉丸のおかげで魂の汚染は免れたわ』

「夜叉丸は、紫紺の尼が自分とは違うって言ってた……雪江さん、どういうことだと思う? 紫紺の尼って一体――」

『おそらく、バリアブルバブルが高濃度の環境下で生まれた人間の中に、それだけの力を持つ魂がいたということよ』


 少し被せ気味に雪江は言った。


「……飽くまで、あの女は人間だってこと?」

「そうよ……強い憎しみを抱いた人。彼女がダイブできるって言う事実が何を意味しているか……考えなくても、わかるわよね?」


 自分と似た存在、辿り着く結論は恐ろしいほどシンプルだった。


「まさか……長距離ダイブのこと!?」

『そう。下手をすれば、あなたの肉体が眠る平成にもダイブ可能なのよ』

「で、でも、雪江さん! 平成はバリアブルバブルの濃度が低いから、ダイバーは質量を維持できないって……同じ理屈じゃないのかよ!」

『相手は私達よりも神の素粒子を熟知している……何があるかわからないわ。だから意識の具現化と短距離ダイブを何としてもモノにしておきたいのよ』


 ――それは、現代で殺されるってことじゃないか。


 暗い思惑の底から噴出したえげつなさに、彼は毒気を抜かれた。心に芽生えたのはくだらない正義感への後悔と羞恥、その他には何もなかった。


 皆、初めから知っていたのだ。知っていたのに、自分をこんな場所に放り込んだのだ。


 馬鹿でもわかる。自分に課せられた本当の役目――


「――出しにされた」

『どうしたの? 虎次郎君』

「……はっきり言えよ。あんた達の目的は隠された時代(ハイデンヒストリー)の調査なんかじゃない。あの紫紺の尼を……俺に殺させることだって」

『……虎次郎君、落ち着きなさい。勘違いはよくないわ』

「本当は全部知ってんだろ? だから意識の具現化だ、短距離ダイブだなんて、俺に無理難題押し付けて! 俺を盾にあの女を始末する傍ら、研究を進める魂胆なんだろ!?」

『やめなさい! 皆、必死にあなたを助けようとしているのに、勘繰るのは――』

「黙れよッ! もう、たくさんだ! 俺はただ……自分の可能性に賭けたかっただけなのに……こんなのって……最悪だ」


 全てが白々しい、誰の言葉も聞くに堪えなかった。まだ明かされていない真実に虎次郎は蓋をして、一切の弁解を痛烈に拒んだ。


『通信が乱れてる……!? 待って! 虎次郎君!』


 雪江の声が次第に遠ざかる。虎次郎の拒絶反応にバリアブルバブルは素直に応えた。ラジオの電波が届かなくなるように、現代の声は何も聞こえなくなった。


「腹立つけど……お前の言う通りじゃねぇか、夜叉丸」


 腹の内は真っ黒だった。

 

 せっかく見つけた生きる希望が、粉々に砕け散った。


 誰かの命を奪うためにダイバーとして存在することを許されていたのなら、あの一枚の紙切れは大罪の片棒を担がせる誓約書だ。知らぬ間に殺人を強いられていたのだ。


 あの女もそれを知っていたから、自分を殺しに来た。


「これじゃあ……結局……」


 実験用のマウスと同じだ。人間扱いされていない。


 自分の命とはその程度のものなのだ。彼らは植物状態の自分を実験用の魂の素粒子としか見ていない。


 新しい身体をやるから言うことを聞け、文句を言うな。


 一瞬でも信じた自分が馬鹿らしい。きっとこれで自分は消されてしまうんだろう。自分はもはや、都合の悪い存在でしかないのだから。


「もう……いいや」


 疲れた。皆に利用される。


 柱に寄りかかり、虎次郎は虚空を見つめた。




《現代》 東応大学 特別医療研究室


「やっぱり。そうだと思ったわ……ただの実験にしては準備が良すぎるもの。早急にダイバーを隠された時代(ハイデンヒストリー)に送り込まなければならない理由が、あなた達にはあった。違う?」


 昴を高槻の元へと連れて来た忍は一人、このオペレーションルームへと戻ってきた。彼女のいない間にあった出来事を知る暇もなく、忍は弟の悲痛な叫びに失望した。


 雪江からの反論がない。


 彼女は忍の揺さぶりを無視するように、ただモニターを見つめ、作業に集中する振りを見せている。理屈屋の彼女から言葉がでてこないということは、よほど動揺しているとわかる。虎次郎の発したことは、大方、的を射ていることなのだろう。


 埋もれた真相を掘り起こすのは今しかない。


「さっき、昴君と話してたのよ。何でわざわざ、脳死患者のための技術を植物状態の虎次郎を優先して使ったのかって……正直、脳死のドナーは他にもいたはずでしょう?」

「いたとしても、彼ほどの身体能力を持っている人間はそうそういないわ」

「それよ、問題は。なぜ、身体能力の高い人間ばかりドナーを募ってるの? ただの歴史調査のためなら、普通の人間で十分なはずよ。素粒子の力だってあるんだから」

「ご覧の通り、餓鬼の存在がその理由の全てだわ。逃げるためよ。ダイバースーツは、脳に眠る肉体の最新の身体能力を反映してしまう。下手に身体能力の低い人間をダイバーとして送り込んだら……どうなるか、わかるでしょう?」

「それだけの理由じゃ、不十分だわ。急いでいることを説明できてない。だったら、脳死のアスリートが現れるまで待てたはずよ……植物状態の人間を使うのはおかしいわ」

「彼は植物状態でのドナー登録をしていたわ。実験の参加に何の問題があるの?」

「あるわよ、ここに」


 そう言って、忍はジャケットのポケットから一枚の紙を取り出し、広げた。


 すかさず、雪江はその紙に眉を顰めた。


「『なお植物状態での意識の素粒子の提供は推奨されるべきものにあらず、脳死患者における提供者が皆無であり、かつ、急を要するやむを得ない場合のみ、この契約は実行され得る』、契約書の控えよ。友達に医者がいてね……調べてもらったわ。ドナー登録をしている脳死の患者が二名いるそうよ。なのに、虎次郎を使うのって契約違反じゃない」


 友達の医者、というのは真っ赤な嘘だった。鎌をかけたに過ぎなかった。


 だが、もしもこの指摘に触れることがなければ、十中八九、虎次郎のダイバー選出は不正であり、陰に思惑があることを認めたも当然だ。


 冷静に。冷静に探りだせ。


 未だ沈黙を保つ雪江の次の言葉は何だ。逃げられる前に次の一手を予測し、追撃の諮問を捻り出さなくては。


 緊張に顔を強張らせる忍に、雪江は再び目を向けると深いため息をついた。


 そして、


「……止めようとしても無駄よ。そうすれば、確実に虎次郎君は紫紺の尼に殺される」

 

 ついに、研究者達は折れた。


「認めるの?」

「認めるも何も、ご想像の通りよ。いずれは、勘付かれるとこちらも覚悟はしてたわ」

「じゃあ、やっぱり紫紺の尼を殺すために、この技術は作られたのね。あなた達は、現代に襲い掛かる脅威を排除するために、ダイバーを作った!」

「残念だけどそれは少し違う」

「何?」


 雪江は自嘲に満ちた口調で言った。


「元々の目的は、初めにあなた達に説明した通りだった。だけど……今のダイバーの存在意義はもっと複雑で……悲しい」

「……悲しい?」


 真実はあっさりと土の中から顔を出した。だがそれを聞かされた忍は、頑なに中止を迫ろうとした自分を改めた。



特別医療研究室 最下層 ブルーホール


「――おわかりいただけたかな?」

「……」


 咎める隙も与えず、高槻は昴に全てを話した。


 特殊な素材で覆われた、黒い球体の部屋の中に昴は通された。日常と切り離されたこの独特の雰囲気に一歩足を踏み入れた瞬間、全神経はこの空間の異質さに落ち着きを失った。


 そして、彼は気づいた。この球体は虎次郎の眠る加速装置の真下にあるということを。


「ここにはダイバーインプラントを経由するバリアブルバブルが往来している。言わば、送受信される情報の激流の中だ。君はすでに20分ほどこの部屋にいるが、そろそろバリアブルバブルの力を肌で、いや、心で感じることが出来たと思うが……どうかね?」


 疑心と苛立ちに満ちていた昴の心に、いつの間にか覚えのない憂鬱さが芽生え始めていた。あまりにも胸が重く、悲しい。今にも泣き出しそうなくらい情緒不安定だ。


「それが……今の虎次郎君の感情だ」

「虎次郎の? これが?」

「私には多少の気重さしか感じない。だが君は、虎次郎君をよく理解している。ここを流れるのは彼の魂の情報を持った素粒子でしかないが、虎次郎君の意思そのものだ。彼への理解が深い人間ほど、バリアブルバブルの影響を受ける」

「俺の魂が反応してる……?」


 高槻がいるということ以外、何もないはずの球体の部屋。しかし、目には見えないがここには虎次郎の想いが満ちている。


 言葉にできないほどの悲しみが、この魂に嘆きかけている。


「そういうことだ。ここに君を呼び出したのは他でもない……ここが君の仕事場だ」

「この部屋で……? 何を?」

「説明は作業と同時平行でいこう。君に聞きたいのは、全てを聞いて我々に協力をしてくれるかということだけだ。返答はどうかね?」


 松葉杖を握るその手が力む。


 彼らを信用したわけじゃない。だが、何も出来ないと思っていた自分に思いもよらない大役が舞い込んできた。


 高槻の話が真実であろうがなかろうが、自分が虎次郎にしてやれる最大の恩返しはこれなのだ。選択の余地なんて、ない。


「やります。虎次郎のために」


 昴は高槻に続き、戦支度を急いだ。


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