第弐拾弐話 足音、忍び寄る死神
《現代》 東応大学 構内 駐車場
ここまであった全てのことを聞かされた昴は、そのあらぬ事ゆえ言葉を失った。
「私が知ってるのはここまで……今頃、だいぶ事も進んでいるのかもしれない」
忍は駐車場に車を止め、しばしエンジンをかけたままの状態にした。助手席の昴に顔を向けると、彼は何やら考え込んでいた。
「信じられないでしょう? 私だって……そんなに科学技術が進んでるなんて思ってもいなかった」
「……本当だったんだ」
「え?」
すると、昴は顔を向けた。
「聞いたことがあったんです。祖父から……日本史には大きな空白があるって事と、オーバースピリットダイブの話。祖父は最近、鶴岡八幡宮で妙なものを発見したって言ってましたので……それが本当なら、おそらく」
「妙なもの?」
「日記です。北条氏縁のものだそうですが、作者が不明なんです。名前はわかっているんですけど……幕府の記録には残っていないらしく、その内容もまた、史実にはそぐわない御伽話だって」
「御伽話……まさに隠された時代のことだわ」
「それだけじゃないんです。その日記を渡せと政府から通達がきてるんです。それも半ば脅迫みたいに、家に押しかけて」
忍は眉をひそませた。
「日記を処分するつもりね……真実は永遠に闇の中ってわけか。でも、何だか腑に落ちないわ……」
隠された時代の存在を隠すだけなら、その日記が偽物、もしくは空想物語だと公表してしまえば落ち着くのだ。第一、それならドナーを用いてダイブを実行するのはおかしい。自分や昴のような釘を刺さねばならない人間は増えるだけだ。
大袈裟だ。里見教授の家に押しかけて、脅迫紛いに日記の引渡しを要求する必要はないはず。だが、それを実行したとなると、何としても隠された時代を抹消しておきたい別の理由が存在するのは確かだ。
「奴らが隠したいのは神の存在でも餓鬼の存在でもない……もっとヤバい何か。そんな気がする」
「その高槻教授という人達が、虎次郎を使って何かを消し去ろうとしてると?」
「あり得るわ。調査だって言ってる割には、餓鬼や夜叉丸についてよく知ってる感じだった。あなたを連れてきて、対抗策に出るっていう段取りの良さも引っかかるのよね……昴君、何かお爺さんから聞いてないかな?」
「お爺さんから?」
「何でも。高槻教授の名前とか、オーバースピリットダイブが云々とか……」
「高槻教授のことは俺も知らなくて……関係者が家に来た時も、俺は蚊帳の外で――」
昴は言葉を止め、顔色を変えた。
そして、彼は言った。
「何で虎次郎なんだ……」
「何でって、それは……」
「何でわざわざ植物状態の人間を登用したんだ。それっておかしくありませんか? 元々は脳死患者のための技術なのに、どうして脳が必要なんです? 魂の素粒子だけでダイバーを生み出すことが目的のはずでしょう?」
「確かに……矛盾してるわ! 要は人工的な幽霊なんだから、脳の状態なんて関係ないはずよ。なのに、まだ回復の余地がある虎次郎をダイバーに選ぶって事は、魂と肉体を同時に生かさなくてはならない……技術的にヘビーだわ」
そもそもの原因は虎次郎が植物状態でのドナー登録をしてしまったことにあった。しかし、よくよく考えればその契約の存在自体が不可解なのだ。昴にも声があったように、ドナーの募集は優秀な運動能力を持つものを中心に行われていた。それも大層な人数がいるはずだ。その中の誰かが脳死となり、契約通りダイバーとしての役割を任命される事だって十二分にあり得る。ただ、問題なのは時間だ。どれだけの確立で彼らが求める魂の素粒子の提供者が現れるのか定かではないが、そうそう欲しいときに現れるものではない。
つまりは、待てなかった。これに尽きる。
待てない理由――リスクを背負ってでも植物状態のダイバーを選別した理由が、あの研究者達にはある。
そして、オーバースピリットダイブの目的は隠された時代の調査ではない。
一刻も早く、対処しなくてはならない別の問題が隠されている。
「どうして気づかなかったのかしら……やられたわ。夜叉丸とか餓鬼のことばかりに気を取られて、もっと根本的なものを見落としてた」
「話を聞く限り、それだけの技術があるってことはその分、実験もしてるはずですよね。虎次郎を選ばなくてはならなかった理由って……俺にはどうしても何かの落とし前をつけようとしているように思われてならないんです」
「そうね……今はともかく、敵陣に乗り込んで腹の内を探るしかない。虎次郎はあいつら次第だし――」
雨露に滲むフロントガラスの向こうに、白衣の男性が一人、自分達を迎えるように建物から出てきたのを忍は目にした。
彼に沸き立つ敵意を全て向けて、
「おいでになったわ……昴君、悪いけど付き合ってもらうわよ」
「はい」
二人は車を出た。
《隠された時代》 鎌倉 結界周辺
鎌倉は鶴岡八幡宮を中心に据え、四方に設けた社によって餓鬼の侵入を極力防いできた。青龍の宮、白虎の宮、玄武の宮、そして朱雀の宮、この四つの社には夜叉丸の意識の一部を物質に融合させた鳥居がある。この鳥居はバリアブルバブルを集めるアンテナとしての機能を有し、夜叉丸が鎌倉全域の監視をするに当たって、敵の気配を触感ごとく彼に伝える隔離神経とも言える存在であった。
この各々の社は全て鶴岡八幡宮別当の南野一族が管理をしてきた。結界とも言えるこの鳥居を破壊しようとする不届き者は少なくない。そういった事情から、いち早く敵を片付けるために、南野の屈強な兵が各社に配置されている。
朱雀の宮も襲撃を受けたものの、その機能は依然として健在なままだ。亡き永常の兵達は彼の意思を全うするために、未だ朱雀の宮の警護に努めることで忠義を尽くした。
荒廃した朱雀の宮は、主のいない二度目の夜を迎えようとしていた。
「妙だ……寒気が止まらん」
「緊張しているのは皆同じだ……無理もない、昨日の今日なのだからな」
山の方面から吹く生暖かい風に彼らは粟立ち、しきりに背後を確認する。遺体こそ全て運び出したが、惨劇の爪痕は闇が深まるにつれて彼らの脳裏に色濃く蘇る。
静まり返った境内。見張りのために焚かれた篝火だけが、彼らの頼りだった。
その時、視界の端を黒い影が横切った。咄嗟に振り向くと、今度は背後から草木を掻き分ける音が聞こえた。
「いるぞ……! かなり速い」
「鳥居から前に出るな――」
「うわあぁぁぁぁぁぁ!?」
一人の悲鳴に彼らは一斉に顔を向けた。腰を抜かした兵が震える指先で何かを指し示している。
全身の毛穴から冷たい汗が噴出した。
その指先を視線で辿ると、顔半分の肉がない、骸骨の暗い瞳が彼らを待っていた。
「く、首が……!?」
「転がってきたんだよ、そこの茂みから! 何かいる……とんでもないやつが……!」
何かを訴えるように固まった生首の表情。武士達は同僚の変わり果てた姿に震撼した。
反対側の茂みを一人が、恐る恐る覗き見た。それが運の尽き――
「――!?」
「おいっ!」
言葉を発する隙もなかった。彼の頭部が鋭い爪にぐさりと捕まれ、茂みに連れ込まれた。断末魔の叫び。唾液をすする音の後、バリバリと何かが砕ける音が続く。直後、一帯には血の匂いが漂い始め、あるものが残された者達の前に飛んできた。
彼の右腕だった。抉られた傷跡は、餓鬼の再来を決定付けるものとなった。
「いかん、餓鬼だ! 早く幕府――」
徐々に大きくなる地響き。彼らは立ち往生した。
異形だ。遠目だが、霧の中から現れたのは、この世のものとは思えぬ巨大な影。その太く長い手には大きな鉈のようなものが握られていた。
「な、何だ……あれはァァ!?」
餓鬼と違う、あれは大きな人影だ。しかも殺気を通り越して、あれは自分達をただの障害物としかみていない。姿しか見えないがわかるのだ。
本能は叫んでいる、あれは殺人人形だと。餓鬼のように生き物としての気配すら感じない、巨大な生きた人形だ。
そう新たな敵影に気を取られている最中、彼らに死神の足音は聞こえてはいなかった。
足元に群がった赤茶色の肌に気づいた時、彼らの頭部は餓鬼に噛み砕かれた。数秒もせず、首をなくした胴体は血を噴出して倒れ、餓鬼が残り粕に群がった。忙しなく様々な音を立てて、彼らはご馳走を食べ尽くす。やがて残されるのは、地のついた甲冑だけ。
一瞬にして人間が食物連鎖の餌食なったことが、この上ない快感を木の上から傍観していた彼女に与えた。
「昨日死んでいればよかったものを……私に盾突くから」
鳥居の前で、巨人がついに足を止めた。霧の合間から見えるその姿は想像を超えて不気味なものであった。
血で染まった布で隠された目、上下が溶けてくっついた唇、曲がった背筋に極端に長い手足。甲冑こそ着ているが、昨夜朱雀の宮を襲った大餓鬼よりもはるかに大きく、人間であったのかどうか怪しい風体――死霊そのものだった。
巨人は片手に携えた大鉈を振り上げた。
「時間がない、さっさと壊して。その鳥居がある限り、夜叉丸に勘付かれずに行動することは出来ない。私が結界を中和している今のうちだけよ、やりなさい!」
六生の一声で、地面が突き上がる。巨人が大鉈で鳥居を殴打し、鳥居に埋め込まれた抵抗力は激しくスパークを起こす。強力な鳥居の防御力の前に巨人は足元をふらつかせた。
「やりなさい! 腕一本吹っ飛んだって構いやしないわ! お前の幕府への憎しみはその程度なの?」
まるで機械だった。六生の命令に忠実に、焼きただれていく手首にさえ巨人は沈黙を保った。痛みの概念すら持ち合わせていないのか、磨り減っていく肉体に無言のまま、大鉈の攻撃は一点集中的に激しさを増す。
そして、亀裂が入った。
鳥居の一部が陥落すると、内側で群がっていた餓鬼の俊敏性がさらに増した。そして鳥居の上部を破壊すると邪魔していた抵抗力は消え去り、巨人は結界内に侵入を開始した。
「進め、骸鬼。これで夜叉丸はこちらの動きを察知し辛くなった。鶴岡の結界にさえ引っかからなければ……あとは、私の力でこいつらを隠せばいい」
六生は紫紺の帽子を投げ捨てた。
「待ったわ……こんなに嬉しいことはない! だって、願いはもう手に届くんだもん」
歓喜の時を待つその心は病的な高揚状態にあった。無意識に心臓があった箇所に立てた爪は、衣服を突き破る圧力を伴いながらも、その体に痛みを与えることができなかった。




