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第弐拾壱話 波紋、見えない水底

隠された時代ハイデンヒストリー》 鶴岡八幡宮 別当邸


『――要するに隠された時代(ハイデンヒストリー)とはバリアブルバブルの海であり、その性質を使える者が少なくとも二人存在している。一人は〈夜叉丸〉、もう一人が〈六生〉』

「〈紫紺の尼〉ってヤツか」

『その通り。この2名を中心に幕府を始め、鎌倉は動かされている。主な原因として、紫紺の尼が作り出した人の怨念の実体である餓鬼が、人々の命を脅かしていること。それの唯一の対抗手段である夜叉丸の存在とは、幕府成立の際に亡くなった人々の魂の塊。彼の場合、その力を維持するために、生贄を取って強い生命エネルギーをその身に宿さなくてはならない。それが〈御魂入り〉という北条得宗家に課された呪を指す』


 夜叉丸は御魂入りを条件に、一定の範囲で鎌倉を守護することを約束している。一定の範囲というのは、おそらく、彼のさじ加減。それは昨夜の由比ヶ浜の戦いで実証済みだ。


 時代の指標となるのは〈北条妃子〉、彼女の名はどの歴史書にも刻まれておらず、まさに闇に葬られていた歴史そのものであることを裏付ける。執権が北条守時という事実を彼女自身が口にしていたので、虎次郎がダイブしたのは西暦で言う1333年前後であることが判明した。


 研究者達はこれらの情報を元に隠された時代(ハイデンヒストリー)とは、元寇から幕府崩壊まで約20年の空白期間があったと断言した。これは虎次郎の生まれた年が2000年なら、本当は2020年だったということではない(、、、、)。つまり、今まで歩んだ時間はそのままで、元寇から幕府崩壊までのとある20年分の出来事が意図的に消されたり、並び替えられたりしていることを意味する。悪意のある歴史の編集が過去に行われていたのだ。


 隠された時代(ハイデンヒストリー)は存在したが、存在しないことこそ都合がいい。


 これが後の世の権力者が出した答えだ。理由はおそらく、夜叉丸や紫紺の尼の強大な力にあるのだろう。この力を誰かが手にすることは厄介だ。再び餓鬼が現れる危険性も拭えない、そうなる前に人々の記憶から神と餓鬼を消し去ることが専決だった。素粒子の飛来周期との関連性など知らない当時の人々にとっては自然な反応だ。


 あらゆる方法の末、現代には神も餓鬼もいない。残るのは伝承としての神と鬼。


 人が人による統治をするために忘れられた負の記憶が、この隠された時代(ハイデンヒストリー)なのかも知れないと雪江は言った。


『正直、ここまで時代を詳細に特定することができるなんて驚いたわ……君には頭があがらないわよ』

「妃子を情報源に、よくここまで調べられたよね。どの文献にも載ってなかったって言ってたのに……」

『実は、北条妃子から洗ったわけじゃないのよ。決定的な情報源となったのは、むしろ服部三郎清次の方』

「清次が? そう言えば、清次のこと文献なんかで特定してるんだっけ……あいつ何者なの? 芸能とかで有名だったりするの?」

『超有名よ。高校生ならテストに出てもおかしくないくらい』

「ま、マジで……!? だ、誰!?」


 声も裏返るヒントに、虎次郎は好奇心のまま回答を求めるが、彼女は意地悪く返した。


『だーめ! 教えてうっかりしゃべったりしたら、大好きな作品をネタバレされたのと一緒。未来を教えちゃうなんて、今を一生懸命に生きている人に失礼だから教えない』

「そ、それはそうだけど……」

『ま、でもね、彼は今までの常識なら51歳で亡くなる人だった。だけど現在の年齢から推測すると本当は70歳過ぎて没したんじゃないかって、分析結果が出ているの。それは彼の人生が隠された時代(ハイデンヒストリー)に大きく関わっていたためにある……彼が現代に残したものもね』


 いつか、彼らの面影を探す日はくるのだろうか。


 そう考えた時、虎次郎は近い将来、隠された時代(ハイデンヒストリー)が迎えるべき日を見た。


 神様がいなくなる日々――


「要するに……清次が生きている間に餓鬼はいなくなるってことか」

『それは断言してもいい。この時代をそのまま辿っていけば、神と餓鬼は消滅する可能性は高いわ』

「それが、バリアブルバブルの高濃度飛来周期の終焉ってこと?」

『おそらくはね。周期から外れたとたん、今まで魂に寄せ集まったバリアブルバブルの数が激減し、質量を維持できなくなる。普通の幽霊でいることが精一杯ね。ざっと計算しても、室町幕府成立までが夜叉丸の寿命ってとこかしら……』

「それって、あとどれ位?」

『長くて5年』

「5年……」


 短いのか、長いのか。人によりけりだが、虎次郎にとってその時間はあまりにも短い。


 あと5年であの神は消える――


「5年もあれば十分だ」


 少年の声。襖障子に映る影に彼らは息を止めた。


「こそこそと人のことを嗅ぎ回って。もう少し周囲に警戒できるよう、その身体に手を加える必要があるな。だがそれも、お前達の技術とやらでは不十分か」


 襖は開かれ、逆光を浴びた朱色の羽織と白い小面を掛けた夜叉丸の姿が現れる。彼はそのまま部屋にずかずかと入り込み、虎次郎の目の前で座した。


 こんなに間近で、神の姿を拝んだことがあろうか。驚きと警戒心から虎次郎は酷く緊張した顔を向ける。


「な、何だよ、いきなり! ここに連れて来た恩でも売りに来たのかよ。礼なら死んでも言わねぇから安心しろ」

「当たり前だ。気色悪い」

「んだと、こら……!」

「単刀直入に聞く、お前は自分が何のためにここに送られたのか理解しているのか?」

「何を……」

「お前はお前を傍観している奴らの腹の中を知っているのかと聞いている」


 唐突な質問に、虎次郎は心をざわめかせた。


「し、知るも何も、隠された時代(ハイデンヒストリー)の調査だ。俺は植物状態だ……魂だけで人間が生きられるかどうか、それを知る役目を担ってる」

「本当にそうか?」


 おかしい、この異様な緊張感は何だ。まるで崖の上に立たされた気分だ。


「……何が言いたいんだよ」


 すると夜叉丸は、朱色の袖から一握りの青い銀杏の葉を取り出した。


「ここに銀杏の葉がある。一枚だけ、偽物を混ぜた。どれかわかるか?」


 普通の人間の目には、夜叉丸の小手に覆われた掌に、青々とした銀杏が5枚乗っているだけの光景に過ぎなかった。


 だが、虎次郎にとってそれはまったく別物に映る。目を凝らす必要がないほど、一枚だけ青い光に縁取られているのがはっきりとわかっていたのだ。


「これだな。俺から見て左下、一番下に入り込んでるヤツだ」


 腕が上がらないために、虎次郎は顎で答えを指した。


「そうだ。これは俺が蒼雪で作り出した偽物だ」

「ソウセツ?」

「お前達の言葉でいう〈バリアブルバブル〉というヤツだ。意味は〈可変する泡〉というそうじゃないか、お前の記憶にあったぞ」


 記憶という言葉に、虎次郎ははっとした。


「朱雀の宮の時か……! 見たのかよ、勝手に人の記憶を!」

「お前を操っている奴らの中で一人だけ、俺の記憶にある者がいた」

「……は?」

「声だけだが、聞き間違えるはずがない。その声は別の人間の記憶から拾ったものだ。なぜ、関わりのない二人の人間から同じ声の持ち主の記憶がある。説明してもらいたい」


 夜叉丸の声は低く、低く、重みを増していった。


 わけがわからない。一体誰のことを言っているのか、皆目見当がつかなかった。


 雪江達は何をしているのだ。高槻は? なぜ皆、肝心な時に助言をくれない。


「……誰も答えぬか。お前の運命はあまりにも過酷だな」


 当惑する彼をよそに、夜叉丸は掌から偽の銀杏を摘み上げ、虎次郎の目線上に掲げる。すると銀杏の輪郭が段々ぼやけ、ついには見えなくなってしまった。


「消えた……?」

「違う。色を周りと同化させた。触れれば、まだ銀杏の葉があることがわかる。これが通常、俺が移動する際に姿を消す理屈だ。気配は絶てるが、移動速度はこの身体で出せる限りだ。もっとも、それについてこられる人間などいやしない。ある者を除けば――」


 銀杏の葉が再びその色を取り戻した。だが次の瞬間、今度は砂が風に吹かれるように、青い光を散らして消えた。


「ある者?」

「そう。これが出来る人間さ」


 本物の銀杏が乗った掌に青い閃光が走る。それが引いたと同時に、消えたはずの偽者の銀杏の葉がそこにあった。


「これは物体の形を崩し、素粒子の持つ速度を用いて移動する手段。肉体から開放された魂の潜在的な力だ。お前が妃子を助けた時に使った力でもある」


「――ッ!」


 その瞬間、恐ろしい殺気が虎次郎の身体を貫いた。錯覚ではない。夜叉丸の掌の銀杏が全て枯れ、身体にかかる重力が二倍以上になったかのようにダイバースーツが重い。


 圧力に垂れ下がった頭を渾身の力で上げる。凄絶なオーラを放つ、小面の眼光が彼を待ち構えていた。


「虎次郎。この移動法、実は俺自身にはできない芸当だ。そして俺の知る限り、後者の移動方法ができるのはお前ともう一人しかいない」


 夜叉丸は立ち上がり、彼を見下ろして、言った。


「紫紺の尼こと、六生だよ」

「何だって……!?」


 それは紫紺の尼も時間を移動できるということを意味するのか。もしもそうなら、夜叉丸以上の力量を持つ脅威であると同時に、バリアブルバブルの使い方を誰よりも理解している可能性が高い。


 本気を出されたら、自分などひとたまりも――


「お前らの言葉を借りるなら、餓鬼は生物の中で食物連鎖の頂点だ。だが、その微妙な均衡を維持するために、俺のような神がこの世に存在する。だが、六生の存在はそれを乱した。何としても、俺はあの尼を葬らなくてはならない……だから!」


 嘘は許さない。無表情のはずの面は確かにそう言っている。


「俺に手を貸せ、虎次郎。お前の後ろで傍観しているヤツらの腹の底を暴いてやるよ」

「何……!?」

「お前はシロだ。だが、お前の背後で傍観している連中は信用できん。奴らと縁を切って俺につけ、虎次郎!」


 意外な申し出ではあるが、ダイバースーツを押し付ける強大な力は弱まる気配はない。


 ――脅迫か。


 拒否すればたちまち、ダイバースーツは木っ端微塵だろう。だが、だからと言って素直に頷くつもりなど――ない。


「いいのか? 虎次郎。お前は明らかに利用されている。お前の本当の姿を哀れむどころか、都合よく思っている連中だ。そんな連中の言いなりでいいのか……!」


 夜叉丸の言い分もわかる。利用されているのは百も承知だ。


 だが、夜叉丸も紫紺の尼を倒すために使えるものは使う所存なのだろう。


 ――それが、ムカつく。


「どいつもこいつも……」


 結論は、こうだ。誰も信用できない。


 そして極めつけは、こぞって人のことを可哀想、可哀想って――


「口先ばかりの……偽善者が」

「何だと」

「一人じゃ無理だとわかって、掌返しやがって――」


 殴りたい、ただ一心に。


 漲る怒りは再びダイバースーツに運動の記憶を呼び起こさせる。爆発寸前の感情は、身体をガクガクと動かし、強大な力に踏ん張る気力を彼に与えた。そして、


「俺はッ……そういう人間がッ……一番嫌いなんだよォォォォォォッ!!」


 二本の足は覆いかぶさる圧力の重みを見事に跳ね返し、夜叉丸目掛けて走り出した。


 大気の錘からまさかの脱出に、反応が遅れた夜叉丸は当然至極――


「いっぺん死ねッ!」


 報いの鉄槌に顔面を打たれる。反動で崩れ落ちる虎次郎共々、彼は大きな音を立てて床に倒れ込んだ。


「や、やったっ……!」


 虎次郎は歓喜した。床に仰向けになった身体は、やはり火事場の馬鹿力を発揮したに過ぎなかったが、それでもあの夜叉丸に一発食らわせた爽快感は彼の溜まっていた鬱憤を一気に晴らした。


「……この野郎……調子に乗りやがってッ!」


 その声に、ギクリと喜びが一瞬で引っ込む。


 誰だ。自分は何も言ってない。


 だけど聞こえてきたのは、紛れもなく夜叉丸の声――


「……え?」

「止めだ! お前ら(、、、)の言う通りにできるか! こっちが手を貸してやろうと付け上がりやがって!」

「や、夜叉丸?」

「邪魔すんな! 俺は俺でこいつの横柄さには腹が立つッ! こっちも殴らなきゃ気がすまねぇ!」


 別人とも言える変貌振りに、虎次郎は愕然とした。口調だけでなく、その内容も虎次郎以外の誰かと話しているようなものが耳につき、反撃すると騒いでいる割には中々実行できずにいる。


 まるで複数の人間に怒られているような、そう言う印象が見受けられる。


 虎次郎が冷や冷やしながら夜叉丸の様子に目を配っていると、どこから騒ぎを聞きつけたのか、清次を先頭とした座衆が物凄い勢いで部屋に流れ込んできた。


「どないしたんでっか!? 虎次郎はん!」

「い、いや、あの……!」

「あ、夜叉丸様や」


 小太郎が罰当たりにも指したその先、夜叉丸は苛立つように何かと葛藤していた。


 ざっと状況を見て、大筋の出来事を悟った清次は、ただ一言。

「夜叉丸者様、皆様(、、)の言う通りにせんとあきまへん!」

「何で、お前にわかる!」

大人(、、)だからや! そないなこともわからへんとは、まだまだ未熟の証拠!」

「なっ……!」


 畏怖しない清次の返答に、虎次郎は呆気に取られた。一体、自分の寝ている間に何が起こったのか、周りの状況が昨日までと違う。しかも、


「……くそっ!」


 夜叉丸もそれ以上なす術もなく、肩を怒らせ、屋敷の外へと出て行った。

 

 これにて一件落着。

 

 虎次郎の予想を遥かに上回る早業で揉め事は鎮圧された。正直、ダイバースーツに再び何らかの支障が出ることは覚悟の上だったが、ただ大人に一喝されて終了とはなんとも腑に落ちない幕切れか。


 ――大人?


「虎次郎はん、大丈夫でっか?」

「何なんだ、あいつ……急に変わりやがって」

「夜叉丸様? ああ……」


 すると清次は呆れたように笑って、


「あの方はおそらく、知識と理屈は神様やから持ってねんけど、それを人に伝える術を知らんのです」

「は?」

「要するに、子供なんや。あの方は子供の神様なんや……人間で言う元服寸前ぐらいの御歳なんやろう」

「子供? 夜叉丸が!? まさか……」

「そう思うやろ? わいも気づいたの昨日のことでっせ。ただ不思議と、虎次郎はんと対峙すると心に面を掛けるさかい、中々ボロが出へんかったな……」


 元服を経た座衆は清次に同調したような顔を次々と見せる。何だか面白くない。まるで自分は置いてけぼりだ。そして、皆で夜叉丸の味方をしているようで納得いかない。


「心に面? はっ、意味わかんねぇ。最後誰と話してたんだよ、あいつ」

「きっと……中におる人達やろ」


 視線をずらし清次を仰ぎ見た。切なさを帯びた眼差しで、夜叉丸の背中を見送っていた。


「……魂ってことか?」


 清次は頷いた。


「あの方の中で、多くの人がまだ生きてるんやろう。その方達と話す姿が、虎次郎はんが元の時代の方と話す時とまったく同じやったんで……そうとしか思えへん」

「じゃあ、あいつは魂を支配してるんじゃなくて、共存して……」

「仰山、色んなこと言われてるんとちゃいます? きっと、わいらが思ってる以上に、あの方は優しいのかもしれへん」

「……」


 あと、5年。それで十分だと彼は言った。


 何を思ってその時間を生きるのか。何のために――




『まったく……まさかお力をあのように振りかざすとは、情けない』

『大人しく、我らの言うことを聞いていればよかったものを。なぜあのように熱くなるのです?』

「わかってる! 皆して同じ事を言うな……!」


 夜叉丸の中で生きる女達の魂は、誰も彼も呆れたように彼の行動を咎めた。


『敦子殿、あなたも何かおっしゃいまし』

『敦子殿?』


 だが敦子は出てこない。夜叉丸の中にいる数多の魂の片隅に篭っているままであった。それも当然だ。これで夜叉丸は二度の口論を終えたことになる。一度目は寿福寺で――


「敦子は泣いてる……妃子にあれだけ怒ったから」

『まさかお母上の言葉とは……妃子も気づきますまい。夜叉丸、お辛いでしょうが、それがあなたの運命にございます』

『私達の願いと向き合ってくださるそのお心……それこそ、あなたの生きた証にございます。お先はあまり長くありませんが、存分に御勤めを果たしなさい』


 知っていた。自分は神として長くあり続けられる時間に生まれなかったこと、心身ともに成熟するためには時間が少なすぎたこと。全て生まれた時から知っていた。


 だが、改めて人の英知によって告げられると焦る。


 あとどれだけの人の願いに向き合えるのか、果たせるのか。


『夜叉丸、どうかもっと……自分らしく振舞いなさいまし』


 敦子の声だ。


『もっとご自分を見せなさい。そうでなくては、あの方にあなたの成し遂げたいことは伝わりますまい』

「あいつは俺を信じない。それどころか、敵と見なしている」

『いつまで駄々をこねているおつもりですか? 黙っていては誰もあなたのことを気にとめようとしません。皆はあなたの顔色ばかり窺うことでしょう。人はそこまで器用ではないのです』

「だからと言って……!」

『素直になるのです。あなたは、あの方と上手く向き合える』


 見てくれとは相異なり、ここまで自信が持てないとは恥ずかしい。


 壊すのは簡単だが、直すことの難しさを彼は痛感し、彼女達に教えを請うている。この努力を妃子と虎次郎が気づくことが出来たら、彼への理解も始まるだろうと、中の女達はじれったくその時を待ち続けるしかなかった。


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