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第拾九話 告発、立ち上がる勇気

隠された時代(ハイデンヒストリー)》 鶴岡八幡宮


「虎次郎はん! 虎次郎はん!」

「……あ」

「虎次郎はぁぁん!? 目ぇ覚ましおった! 小太郎、はよ皆に知らせに行き!」

「はいな、大夫!」


 見覚えのない天井に、虎次郎は四次元的な意味で自分がどこにいるのか、しばしわからずにぼうっとしていた。だが、やかましいほどの清次の歓声に、未だ隠された時代(ハイデンヒストリー)にて命を繋いでいることをやっと認識した。


「虎次郎はん、大丈夫でっか!? お加減は!?」

「清次……ここはどこだ? 俺は一体……」


 そう言って身体を動かそうと力を入れるが、融通が利くのは首から上のみ。


「くっそ、やっぱ身体はそのまんまか……!」

「無理もあらへん。大層力を使ってしまったせいで、半日眠ったままやったさかい」

「半日って……あれ? あ、き、妃子は!? 妃子はどうなったんだ!?」

「生きとります。あんさんのおかげでっせ。肋骨を何本か折ってしまったそうやけど、命に別状はあらへん」

「そうか……」


 生まれて初めて心から安堵した。つまりは、彼女はあそこで死ぬ運命ではなかったと結果は結論付けている。少しは救われたような気がした。


 だが、自分の命が助かったとしても、あまりにも多くの命を妃子は失い過ぎた。姿が見えないだけに、気がかりでならない。


「でも、まさか消えて助けに行くとは……何や、夜叉丸様のおっしゃる通り、侮れへんお方やな」

「夜叉丸? 何であいつの名前なんか」

「それが……あんさんをここまで運んできてくれはったのは、夜叉丸様なんや」


 運んだ? と、虎次郎がその言葉の意味を理解するまで5秒の間を必要とした。


 そして、思いっ切り目を見開いて、

「え゛え!? 嘘だろ……!」

「ほんま、ほんま。今も外の大銀杏の木におりまっせ」

「大銀杏?」


 清次は立ち上がり、襖障子を開け放した。目の前には大きな池。明らかに半日前までいた朱雀の宮と雰囲気はまったく違う。かなり広大な敷地の中にいるようだ。


「ちょい、外に出てみまへん?」


 にやり、と彼は目を輝かせてそう言った。とりあえず虎次郎は頷き、清次の手を借りて立ち上がった。肩を担がれ、縁側から外に出る。ふと振り返ると、虎次郎は息を呑んだ。彼が運び込まれた屋敷に対してではなく、その奥にそびえ立つ石階段の上に建てられた、鮮やかな朱色の社殿の眩しさに打ち震えた。


「これは……!」


 現代にも残る鶴岡八幡宮の本宮が、彼の目覚めを迎えた。


 修学旅行で目にした境内と今目に映る施設はだいぶ違うものではあるが、真ん前の源平池、そして本宮など主要な建物はそのままだ。そのまま、現代に受け継がれていた。


「ここは鶴岡八幡宮の境内でっせ。そんで、この屋敷は雪下殿、南野永常様の別邸ですと。家臣の者曰く、半ば妃子様とお母上の敦子様のために作られたお住まいっちゅう話ですわ」

「よくわかんねぇけど、こんな境内の一部にどかんと住んじまうもんなの?」

「さあ……何せ、御魂入りされた方やし、夜叉丸様の目が届き易かったんとちゃいますか?」


 虎次郎は大銀杏に視線を移した。清次の言った通りだ。彼から見て左側の木の上で、夜叉丸が市中を見下ろしていた。一度、こちらを見たような気がしたが、彼は何の言葉をかけるわけでもなく、さっと風に吹かれてどこかへ消えた。


「あいつ……何のつもりで」

「わからへん。でも、一つ言えるのは紫紺の尼を倒せるのはあの方しかおらへん」

「力を借りろってか?」

「また、あないな大餓鬼現われてしもうたら、為す術はあらへん。敵を増やすよりはマシっちゅうこと……それは妃子様も承知の上でっせ」

「そういや……妃子は?」

「自室で療養なされてはるはずやけど――」


 その時、戻ってきた最年少座衆、小太郎の声に、彼らの注意は引き付けられた。何かを叫んでいるが、様子はどうも穏やかではない。


「大夫! 大変でっせ!」

「どないした!?」

「妃子様がおらへん! 布団抜け出して……そのままの状態や」

「何やと!?」


 血相を変える家臣と結崎座座衆は境内とその周辺を探し回っていた。虎次郎は再び部屋に戻され、一人、妃子発見の報告を待つことになった。


 彼女の行方は気がかりであるが、自分にはもう一つ、やらねばならないことがある。


 ダイバーとしての仕事。


「――もしもし、雪江さん」


 いつの間にか、自分の声を向こうへ届けることが自然にできるようになっていた。


 おそらく、夜叉丸はこんな具合にバリアブルバブルを操り、あれほどの攻撃力を発揮している。まぐれで起こした二回の奇跡で、半日も眠りこけてしまった自分には、到底辿り着けない領域であるのかと、切歯扼腕せざるをえない。


 いや。だが、できるのだ。


 意識の具現化を修得することで、自分の人生は180度変わる。意識的に力を操れれば、やり方次第で夜叉丸の力を借りずにもっと強力な餓鬼を倒すことだって可能だ。


 ――今のあなたにできることはなんですか?


「……」


 前に進みたい。


 ただその一心で、彼は自分の身に起きている出来事を冷静に整理することに努めた。




《現代》 喫茶店


 振り返れば、ただの喧嘩だった。ただの喧嘩がきっかけだったに過ぎない。だが、たった十数分の告発に昴はすっかり精神をすり減らし、抱いていた罪悪感の重みに苦悶する。  


 忍への謝罪のはずが、殻に閉じこもろうとしている自分に吐き気がした。


「ごめんなさい……本当に……ごめんなさいッ……!」

「昴君、泣かないで。あなたは悪くない……二人とも運が悪かっただけなのよ」

「すみません……すみません……」

「昴君、お願い……そんなに自分を責めないで。自分のせいで虎次郎がああなった何て思っては駄目よ」


 昴は両拳を膝の上で握りしまえたまま、俯いて押し黙った。


 慈悲の言葉すら、もったいない。


 「ごめんなさい」を口にする度、許されたいと願っている卑しさを自覚する。卑怯だ。そうやって殻に閉じ篭ることで、誰かに心配してもらいたいのだから。


 口火を切ってはボロしか出ない。こんなはずじゃなかった。


「ごめんなさい……俺が残って」


 伝えようとしていたことを感情が悉く掻き消してゆく。手元に残るのは自分可愛さゆえの悲壮感。こんなことでは虎次郎は、浮かばれやしない。


 生きていてごめん、と心から思った言葉であった。

 

 そして、彼の言葉に青ざめた忍は身を乗り出してこう告げた。


「昴君、違うのよ。あいつはあなたが好きだから、あなたに死んで欲しくなかったから、咄嗟にあなたを庇ったの。大事な友達だから護りたかったのよ」

「……」


 温かいはずの言葉が、昴の心を凍てつかせる。忍の言葉通りであったら、なおさら昴にとっては残酷な運命でしかなかった。


 もはや彼が一人で立ち直ることは困難。そう悟った忍は、ついに賭けに出た。


「昴君!」


 ガシャンッと、テーブルの上の食器を弾ませ、彼女は昴の胸倉を掴んだ。突然の出来事に周囲は騒然とした。だが、忍は気にする様子もなく、周りの客達以上に驚いていた昴に、覚悟を決めた顔で臨んだ。


「閉じ篭ったって、前に進めやしないわ! そこから出てきなさい……!」

「忍さん……」

「いい? 虎次郎はね、ずっと昴君のこと尊敬してたの。あの全国常連の剣道部を背負っているんだもの。なのに自分はって、いつも言ってた」

「虎次郎が……?」

「わかるでしょう? この意味が。あなた達二人はお互いが羨ましく勝手に溝を作っていた。逆に言えば、お互いを知ることで自分の欠点を思い知った。そういう、なくてはならない親友だったんじゃないの?」


 罪の意識に苛まれる瞳に、彼女は強い意志を以って問いかけた。


「家族も同然のあなたを、目の前で失うようなことがあれば……どんな状況下でも、あのバカはあなたを助けに飛び出すはずよ。事故の寸前に何があったかなんて問題じゃない、仲違いをしていたことなんて問題じゃない、大切なのは別のことよ」


 すっと、忍は昴から手を放し、言った。


「親友が命を懸けて護り抜いた命を、否定しないで」

「……!」

「懺悔なんか必要ない。誰かが命を懸けて護ってくれたその命に、誇りを持って生きなさい。親友が命を懸けるほどの価値が、あなたが生きることにあるの。だけど、今の自分を見て御覧なさい……あなたが虎次郎だったら、どうするかしら?」


 昴の中の何かが壊れた。事故以来、初めてその身体に血の通う感覚が蘇って行く。


 大切なことを忘れてしまっていた。


 悲しみとは違う、もっと熱い何かが込み上げる。それを堪えて、彼はゆっくりと口を開いた。


「きっと……殴りに来るでしょうね」

「でしょ?」


 先ほどとは違う、少しだけ晴れた彼の表情に忍は微笑んで着座し、冷めかけたコーヒーを口にした。


「……だけど、残念ながら虎次郎もあなたを殴れるご身分でもない」

「そうですね……」

「いいえ、植物状態のことじゃない。あいつも誰かに殴ってもらわないと困るってこと」

「……どういうことですか?」


 視線を上げると、忍は意味ありげな表情で、コーヒーをテーブルに置いた。


 そして、小声で、


「虎次郎は、オーバースピリットダイバーに選ばれた」

「……え?」

「詳しくはここで語れないけど……あいつは今、とんでもない事態に巻き込まれてしまった。率直に言うと、あなたの力を借りたいの」


 魂が呼んだ不穏な残響に昴は困惑した。だが、オーバースピリットダイブが繋いだ奇妙な運命は、彼の意思に関わりなくその身をあるべき流れの中に誘う。


 虎次郎の危機を肌で感じた昴は、数分後、忍と共に喫茶店を後にした。


 そして彼は、車中で忍から一連の出来事を聞かされる――


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