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第拾四話 鮮血、奪われた希望

隠された時代(ハイデンヒストリー)》 由比ヶ浜


「雪下殿も妃子様もまだ姿が見えへんって……」

「左様。火の回りが激しく、朱雀の宮に我らも近づけん。先ほどの突風が木をなぎ倒してくれたおかげで火は広がらずに済んでいるが、賊の抵抗に遭い消火は進んでおらぬ」


 夜叉丸が姿を消して数分もしない内に、虎次郎と清次の元に守護の増援を連れた結崎座の面々が浜に乗り込んできた。虎次郎と清次の撹乱によって餓鬼の包囲網から逃れた数名の証言がきっかけとなり、かなりの人数が駆けつけてくれた。


 だが大方、八方塞となった苦し紛れの行動だったのだろう。数を揃えて決死の覚悟で乗り込んだつもりが、餓鬼はすでに死んでいるのだから拍子抜けに終わる。


「そんな強い山賊なんでっか? 雪下殿の兵は鎌倉一、いや、幕府最強の武士団とお聞きしましたっちゅうのに」

「そこなのだ、問題は」

「も、問題って……」

「正直、賊の数は大したものではない。だが、陣の取り方が奇妙なのだ。朱雀の宮周辺に多勢を置いていることは確認済み、それらが我らを妨げているのだが……そうなると、境内に残る手駒は僅かなものになる。ならば、雪下殿の軍勢が優勢と見ても間違いはないはず。だが実際は逆だ。境内から抜け出して来た者は口を揃えて、雪下殿の命が危ういと言う。少数であの手練れの兵達に叶うはずがない……!」


 悪夢が終わったと安堵していた彼らに気を使ったのか、武士は偉く遠まわしな表現を選んでいた。


 彼が何を言いたいのか、虎次郎と清次は嫌でもわかった。


「境内に餓鬼がおんねんな?」


 直接的な清次の言葉に武士はうろたえ、頷いた。


 周りで聞いていた座衆も落ち着きなく、清次と虎次郎の様子を見比べる。せっかく助かった二人の命、これ以上危険に晒すようなことがあらば、彼らの身も持たない。


「た、大夫! もうええやん、後は守護に任せましょうって!」

「そうや! わいらにできるのはここまでさかい。これ以上、お二人を危ない目に遭わせるわけにはいきまへん」


 泣きそうな顔。どれだけ切実な願いなのか、聞かなくてもわかる。胸が痛むが、清次はこのまま引き下がることが癪で仕方なかった。男としての自尊心や功名のためではなく、単純に運命に流されることが、自分の人生に敗北を強いられるようで堪えられなかった。


 一生、後悔に苛まれて生きるのは辛い。


 それはおそらく、座衆に力なく抱えられている虎次郎も同じ――


「行くんやろ? 虎次郎はん」


 予期していた残酷な棟梁の一言に、座衆は身を震わせた。


 すると虎次郎はゆっくりと俯けていた頭を起こして、清次を見上げる。その顔は驚きと戸惑いが入り混じるが、まだ消えない夜叉丸への怒りの炎がしっかりと瞳に映っていた。


「神なんかいらんと、啖呵切ってしもうたら行くしかあらへんやん」

「清次……」

「さっきも言うたが、人間を救うんは所詮人間や。あんさんの姿見て確信したわ。悔しくてウジウジし取る暇あらへんよ、虎次郎はん。生きた証残すっちゅうんは……大きな賭けに勝たんといかんちゃうか? わいはそう思う」


 他の人間からしてみれば非常に厄介なことだ。熱が入ってしまったのはむしろ清次だった。虎次郎を焚きつける彼の言動に座衆達は諦めを見せ、黙って虎次郎の反応を待つと決め込んだ。


 そして、彼は答えた。


「……馬を貸してくれ」


 増援の武士は顔を見合すが、餓鬼5匹を倒した彼の可能性を信じる他なかった。


「……承知した。我々もお供する」


 そう言うと武士は松林にいる仲間を呼び、控えていた馬を海岸に降ろした。


 史実と事実が相容れないこの時代、清次の寿命はかなりの信憑性を以って証明されている一方、妃子については何一つ明らかにされてはいない。


 彼女が生きるのか、絶えるのか。


 この先に待ち受けているのはその答えなのかもしれない。


 新たな不安を抱えたまま、虎次郎は清次と共に馬に乗り込み朱雀の宮を目指した。



 

 朱雀の宮 回廊

 

 妃子の目に映るのは夥しい屍の山、そのほとんどが家臣達だった。


 義憤と共に埋めようのない喪失感がその小さな身体を蝕んでゆく。今朝も普通に言葉を交わし、慰霊祭の支度に精を出していた者達がなぜこのようなことになったのだ。


「どうして……皆……!」


 日常を、人生を奪われた。もう二度と、彼らと挨拶を交わす朝は訪れない。永遠の夜に放り込まれた彼らはこの先も眠り続ける。


 ――せめて、安らぎがあらんことを。


 涙を堪え、彼女は一人、鮮血に染まった回廊をひたすら進む。脱出間際を敵に襲撃され、女中達を逃がすことで手一杯だったが、生き残った兵達は今も本殿への敵の侵入を死守してくれている。


 彼らのために、一刻も早く永常を見つけ出さなくてはならない。


 突き当たりに差し掛かり、妃子は警戒して柱の陰から回廊の直線を覗いた。進路に転がるのはやはり多くの屍、妃子は柱から姿を現し、一つ一つその顔を確認するように歩いた。


「酷い、これは……!」


 総毛立つ光景が彼女を待ち受けていた。


 どれもこれも、人の原型を留めていないものばかり。ここに来るまで何体もの死体を目撃してきたが、この回廊にあるものほど悲惨なものなどない。まるで壊れた人形のように肢体が欠如するか、明後日の方向に向いてしまっている骸が、回廊と高欄の下に打ち捨ててあったのだ。


 衝撃のあまり、妃子の足がふらつく。


「餓鬼か……餓鬼がいるのか……?」


 しかし、違和感を覚えた。目を覆いたい衝動を抑え、妃子は足元に転がる死体の状態を凝視すると、彼女の知る餓鬼の特徴にそぐわない点がいくつもあることに気づく。


 これが本当に餓鬼の仕業であるなら、肉体が喰われていなければならない。ところが、これらの死体はバラバラにされてはいるが、噛み痕どころか爪痕すら見当たらない。


「違う、餓鬼じゃない。もっと大きい……もっと大きい何かに手足を引き裂かれた痕!」


 だが、微かに聞こえる人の声が彼女の行く手を阻む。誰かの気配に彼女はすぐ傍の部屋陰に身を隠した。そして、耳を澄ます。


 男が二人、口調からして家臣ではない。


「後は本殿だな。御頭はどうした?」

「例の尼に貰った力で遊んでら。見ろよ、この仏さんの山を。御頭は人間を辞めちまったみてぇだな」

「気をつけろよ。下手したらこうなるのは俺らだ……肩身が狭いぜ、まったく」

「本当だな。ったく、紫紺の尼だか何だか知らねぇが、余計な心配を持ち込むんじゃねぇっての!」


 賊の一人が苛立って、足元にあった老爺の骸の頭を蹴った。首の骨が折れた弾みで、老爺の光を失った暗い瞳が隠れている妃子の元へと向けられた。


 見覚えのある骸の顔に、芽生えたのは真っ赤な殺意だった。彼女は自分の指を砕く勢いで薙刀を握り締め、狼の目つきで死角から飛び出し、叫んだ。


「――うわぁぁぁぁぁッ!!」


 彼らが冒涜したのは、妃子の学問の師範だった。


 思い出を、日常を踏み躙った怒りは本来の器量以上の力を妃子に与えた。鬼気迫る形相に不意を突かれた賊達は完全に出遅れ、妃子に間合いを許してしまった。


 そして、一人。


 気がついた時には首からばっさり、持って行かれた。


 瞬く間に、血を噴き出した相方が骸の仲間になった。残された賊は唖然としながらも、反射的に手にした太刀を振り上げて、


「こ、この――」

「ああぁぁぁぁぁッ!!」


 繰り出された妃子の憤怒の一撃を、力を以って止めにかかった。


 だが、刃は薙刀の柄に嵌り、動きを失う。得物を見限り、両者は腰元の太刀に手を伸ばす。直後、刃と刃が激しくぶつかり合い、鍔迫り合いは均衡状態へと持ち込まれた。


「やってくれんじゃねぇか、小娘が! まだ生きてんのがいやがったとは……!」

「貴様! 貴様ァッ! 殺したな……! 皆を殺した!」

「ハハッ! いつまで持つかな~」


 汗ばんだ汚い笑みが、じわじわと近づく。荒くれ者の腕力に負けじと、妃子は持てる力の全てで対抗するが、力が入らない。


 それもそのはずだ。初陣に見合わぬ数の相手と戦ってきた妃子の握力は、すでに限界を迎えていたのだ。


「遊びは終わりだ、小娘! すぐにお仲間と――」


 言葉が切れ、賊は硬直した。鍔が外れ、ふわりと相手からの抵抗が突如消え失せる。警戒して、妃子が一歩下がろうとすると、賊の体が力なくその場に崩れ去った。


 うつ伏せに倒れた賊の背中には、どこから飛んできたのか、一本の矢が突き刺さっていた。呆気に取られて矢から視線を上げると、安堵と喜びが妃子の胸に込み上げた。


 そこには雄々しく弓の構えを解く、永常の姿があった――


「大事はないか、妃子!」

「叔父上!」


 妃子は駆け出した。喜びもつかの間、返り血を浴びた姪の顔に永常の心は悲しみの色に染まる。思わず彼は妃子の肩を抱きしめ、安堵に涙を滲ます妃子を覗きこんだ。


「なぜ皆と共に逃げて行かなかったのだ……!」

「まだ家臣達が命懸けで戦っております! 叔父上を連れて戻らねば、彼の者達に顔向けができませぬ!」

「ここは我々に任せるのだ。逃げろ、妃子! ここは駄目だ。餓鬼に似た何かが屋敷の者を殺しまくっている……気づかれぬうちに立ち去るのだ!」

「で、でも! 叔父上は? 叔父上はどうなさるのです!?」

「私のことは気にするな。それよりも、お前を死なせてしまったら、御魂入りをした姉上に示しがつかぬ。早くお逃げ。お前は我らの最後の希望だ……得宗家の血を引く、正統な姫なのだよ……!」

「できませぬ! できませぬ……!」


 叔父は気づいているのか、口にしているその言葉は別れの言葉だ。


 どうして、突き放そうとするのだ。どうして、自分を一人にしようとするのだ。一時の危険よりも、そちらのほうが何倍も恐ろしい――孤独の日々の再来だ。


 妃子は聞き耳を持たず、頑なに首を横に振った。


「……ならば、お前に一つだけ命を懸けて欲しい役目がある」

「な、何でございましょう……」


 潤んだ瞳に、永常はゆっくりと頷いた。


「これから、我が南野家代々の宝刀〈白鷺〉を取りに行く。それを受け取り次第、鶴岡八幡宮へと持ち帰るのだ。何としても賊の手から白鷺を死守せねばならん……この役目がどれだけ大役であるか、わかるであろう?」

「……叔父上は?」

「お前と宝刀がここを出たのを確認したならば、我らも後を追う。早く事が済めば、二人とも助かろう」


 なんて酷い脅迫だ。優しい声色で話されたのは残酷な交換条件でしかない。

つまり、殿(しんがり)だ。妃子がここを脱出しなければ、永常は彼女を守るために戦い続ける。最後まで共をすることを許さないという意図が明白であっても、これを否定することは一門への裏切りとなる。逃げる以外の選択肢は許されない。


 背水の陣を敷かれてしまった。


 彼女は拳を握り締め、子供のように頷くより為す術はなかった。


「……ならば、行くぞ。ついて参れ」


 永常は踵を返し、妃子の目を勇ましく歩く。太刀を引き抜き、いかなる奇襲をも迎え撃たんとする背中を、妃子は追いかけた。


 宝刀〈白鷺〉が奉られている本殿はここからさほど遠くない。長い回廊を真っ直ぐに進み、突き当たりに差し掛かった。ここを曲がれば拝殿、幣殿、本殿を一直線に望むことができる。すでに目と鼻の先だ。


 身が引き締まる。言葉もなく、永常の背中は高まる緊張を語っていた。


 そして、人の気配に二人の歩みは止まる――


「いるな……離れるなよ、妃子」


 息を殺し、永常は獣のごとく神経を研ぎ澄ます。重苦しい空気に息が詰まりそうになるのを堪え、妃子も索敵を急ぐ。


 拝殿は不気味な雰囲気に飲まれ、神々しさがおどろおどろしさへと変わっていた。永常は拝殿に妃子を残し、本殿へと先に進む。その間、彼女は背後からの襲撃を警戒した。


 瞬く間に済むことであるのに、まるで一刻以上耐え忍んでいる体感だ。唾を飲み、叔父の足音に耳を済ませる。

 本殿の奥で音がした。宝物庫が開かれる音。おそらく、叔父が白鷺を手にした。床が軋む。依然として人影は見えないが、叔父の足音は確かにこちらに近づいている。


 やった、と、妃子は確信した。


 だが、その直後、禍々しい殺気に背筋は凍りつく。


 床下が弾ける様に破られ、極太の腕が永常の足を掴んだ――


「叔父上ェェェェェェ!?」

「しまっ――」


 容赦なく腕は永常を床下に引きずり込み、彼は妃子の視界から消え失せた。床板は永常ごと破壊され(、、、、)、血痕だけが刹那を物語る。


 妃子は巨大な奈落の底を覗き見んとした。だが、耳をつんざく叫び声――


 ――グチャ!


 鈍い音と共に生温かい飛沫が漆黒から飛び出し、妃子の顔に伝う。指先で感じるその温かさと匂いを彼女は良く知っていた。


 今日、うんざりするほど味わった感触――人の鮮血。


 違う。違う、違う、違う違う違う違う違う――

青ざめるよりも早く彼女の身体は動いた。奈落の底を凝視する妃子を哀れむように、雲間から月光が静かに闇に隠れた現実を照らし出す。その光景に彼女の思考は停止した。


 胴体が見える。ぴくりともしない。首があったはずの場所から溢れ出る紅の体液に、純白の袍が侵されていた。


「おじ……うえ……?」


 そう呼んでも、答えてくれる口も、顔も見当たらない。


 彼の魂を探すかのように失意の瞳が泳ぐ。永常が咄嗟に手放したのであろう、床に捨てられた白鷺に目を留めるが、妃子の意識は硬直したしたまま。


 その時、地震が起きた。いや、正確には揺れているのはこの拝殿だ。建物はミシミシと鳴動し、白鷺が床の上でカタカタと震える。


 再び現れた殺気に、妃子の意識は引き戻される。白と銀色に輝く宝刀を守るべく彼女は飛び出すが、踏み出すと同時に、奥の床板が炸裂し――


「ハッハァァァァァアッ!!」


 宙に舞う無数の木片の中で、巨体の男が喜悦に満ちた雄叫びを上げ、その姿を現した。


 天井に背をつけたでかい図体、賊と同じ甲冑から覗く、岩のごとく盛り上がった手足の筋肉、柱を一刀両断してしまいそうな長い爪。そして、月光が映しだす男の肌の色に、妃子は一瞬でその男が何者であるか理解した――


「赤茶色……お前が……」


 抜け殻の身に地獄の業火が宿る。今にも血の涙を流しかねないほど妃子は目を開き、唇を噛み締めて、息を荒げた。


「お前が……殺したのかッ!」


 巨大な餓鬼は、にやりと笑った。


 そして、


「妃子ォォォォォッ!!」


 聞き覚えのある声。彼女は殺意に満ちた顔をそのまま、声の主へと向けた。


 餓鬼と心を鬼と化した少女の姿に、言葉を失う二人。清次と彼に背負われた虎次郎の姿がそこにあった。


 ――戻った彼らを咎める余裕なんてない。今はこの大餓鬼を殺すことで頭が一杯だ。


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