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第拾三話 ままならぬ想い

隠された時代ハイデンヒストリー》 由比ヶ浜


 たった今起こった出来事を話せといわれても、整理するには一人じゃ不可能だとはっきり言える自信が清次にはあった。砂浜に這い蹲り、折烏帽子が吹っ飛ばされそうになるのを必死で押さえながら、彼は薄目でこの光景をしっかりと収めていた。

 

 そう、これは神風だ。説明しようと思えば、神の仕業と一言で片付くことなのだ。

 

 ただし、それを起こしたのが虎次郎ということを除けば――


「ほんまに……どういうことっちゃ……」

 

 嵐が去った砂浜には、気流に裂かれた餓鬼から放たれる蒼雪が暗闇に舞い、光は暴風の爪跡を薄っすらと照らし出す。なぎ倒された松の木を背に立つ夜叉丸と息を荒げる虎次郎はじっと睨みあったまま、他の物が口を挟む隙など与えはしなかった。


「舐めるなよ……人間を! 俺は絶対にお前なんか必要としない!」

「……」

「俺はこんな身体でも、自分の人生に誇りを持てる生き方をしてやる! どんな姿だって構わない……お前が喰いきれないほど強い魂か存在することを証明してやるッ! 腐った魂の化物を、この手で消してやるよ……!」

 

 神への恐れを克服した虎の目に、夜叉丸は態度を変えた。余裕を捨て去り、一層険しい視線を彼に注ぐ。それはまるで、宿敵を認めた瞬間だった。


「……やはり、お前もあの女と同じが」


 彼はそう呟き、腰に携えた大太刀に手をかけた。


 来る、と虎次郎が息を呑んだその瞬間、夜叉丸は朱色の羽織を翻し、まったく別の方向へと踏み出した。


 刹那、黒い影が別の松の木から走る。


「――ちッ!」


 一瞬で間合いを詰めたにもかかわらず、夜叉丸の大太刀は影を外し、松の木を一刀両断するに留まる。すぐに体勢を整えるが、影は夜と一体化し、気配を隠す。


「ずいぶん警戒しているじゃないか! 小心者め、いい加減、出てきたらどうだ?」


 怒りで凌駕したはずの負の念が蘇る。身体の芯を凍らす威圧感は依然としてダイバースーツを貫き、虎次郎の魂に揺さぶりをかけてくる。肌の焼けるような熱さも止まない。


「糞が……! 隙を見て俺とこいつ諸とも片付けるつもりだったか、舐めた真似を!」


 あれだけ冷淡だった夜叉丸の口調が荒い。彼は闇をじっと見据え、その向こうに潜む相手に更なる殺気を放ち続けていた。


 しかし、虎次郎の身体を硬直させていた寒さが反比例し、和らぎをみせる。それに気づくのと同時に、夜叉丸は声を急激に落とした。


「……朱雀の宮に戻った。あの尼……何をするつもりだ……!」


 夜叉丸の攻撃対象は一転した。もはや虎次郎達に関心を向けることなく、彼はそのまま空に舞い上がり、闇に消えた。


 あの時と同じ。彼が去った後、夜風に悲しげな木々の囁きが聞こえる。


 何だったのか。全て夢であったのではないかと、速くも密度の濃い緊迫の時間は現実を曖昧にした。


「行ってもうた……」


 呆然と立ち尽くす虎次郎の背中から、清次は視線を移す。浜と海、響く烏の鳴き声、埋る死体と浮かぶ死体。いかに恐ろしい時間を生き残ったのか、冷静になった脳は嫌になるほど的確に状況分析を始める。


 だが、もはやここには何の脅威もない。


 直垂を振り払いながら、清次は神風によって抉られた砂地に立ち上がろうとすると、突然、虎次郎がふらつき始めた。


「虎次郎はん!」


 緊張が切れたせいか、彼は膝をがっくりと落とし、そのまま力なく砂地に転がった。心配して清次が駆け寄るが、彼はうつ伏せに顔を隠し、ぎこちない掌で砂を握り締めて、


「くそッ……!」


 ぶつける先のない悔しさに苛まれた。


 褒め称えることも、今の彼には何の意味も成さない。砂を握り締めることだけが過酷な運命への今できる抵抗、そんな彼の姿に哀愁の念を抱かずにいられなかった。


「俺は……俺は……!」

 

 永常との会話を思い出す。永常は虎次郎を最後の希望だと言った。


 まさにその通りだった。


 だが、奇跡は起きたと言っても、所詮は奇跡でしかない。残念ながら、彼は自分に秘められた潜在能力を宝の持ち腐れにしている。掌握できていないのだ。


 力があるのに、成し遂げられない。


 それは本当に、悔しくて死にたくなる――



《現代》 東応大学 特別医療研究室

 

 意識の具現化。自分の記憶にあるものをバリアブルバブルで具現化する情報技術のことを言う。先の虎次郎が起こした突風がまさにそれだ。風を巻き起こすこと、すなわち空気を動かすことは、一番身近な分子の構成を再現することであり、常に肌に触れているためにイメージは容易であった。


 このような理由もあり、彼は火事場の馬鹿力を発揮するに至った。偶然が起こした奇跡とは言え、彼が見せたバリアブルバブルの力は凄まじい数値を残し、今後のオーバースピリットダイブの発展には不可欠なデータを記録したことは間違いない。


「突発的な結果とは言え、この領域に辿り着いたのは想定外の早さですね」

「ああ。あの夜叉丸もダイバーの正体がわかっていた上で挑発していたな。虎次郎君の状態はどうだ」

「ダイバースーツの質量が若干減少しています。おそらく、意識の具現化による反動と考えられます。連発すれば、ダイバースーツの形状維持が難しくなるのは必須でしょう」

「やろうと思って、できることではない。心配は無用だ。問題は相手に先に手の内を見せてしまったことにある」

「……目標にこちらの意図が読まれることを恐れているのですか?」


 ディスプレイの光が、無表情を装う雪江の顔を照らす。


「だとしたら、どうするかね?」


 雪江の弾くキーボードの音がぴたりと止まった。背中に突きつけられた彼の視線に、雪江の視点はディスプレイに固定されたまま、振り向くことができなかった。


「失礼、邪推でした。作業をダイバースーツの補強作業に移行します」


 そう言うと再びキーボードが絶え間なく鳴り始める。


 自分でもおかしいと思える言動だった。このような現場で、好奇心に任せて相手の心裏を突くなど、不利益以外の結果を生みはしない。それは私情を制御できていない証拠なのだから。


 だがその一瞬の油断を、彼は許した。


「雪江君、彼は何としても連れ戻す」


 思いがけない上司の言葉に、彼女は手を止めた。


「彼は被害者だ。救わなければなるまい」

「……本当の目的を知ったら、虎次郎君が協力してくれるとは思いませんが」

「そうなってしまうのも運命だ。責任は私が取る」

「大人の勝手な都合だわ」

「わかっているよ。だからこそ、全ての瞬間が唯一のチャンスなんだ。やるしかない」


 高槻はそれっきり、この場で語ることはなかった。


 雪江も全てを知らされているわけではない、だが、見当はついていた。プロジェクトの立ち上がりから高槻と共に行動してきたが、彼が本心を見せたのはこれが初めてだった。


 胸の内を明かしてまで、自分達に信頼を求めようとするのは、この試みが失敗してしまった時の代償があまりにも大きいことにあるだろう。


 彼の立場、虎次郎の命、それだけでは済まされない。


 人が永延と順守し続けた秩序が崩壊する――


「了解」


 今はただ、ダイバーを守ることに専念すればいい。

 

 一人の真実の追求者として、雪江は時空の彼方の虎次郎達の動向を見守った。


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