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第拾弐話 神風、解き放たれた魂

隠された時代ハイデンヒストリー》 由比ヶ浜


 虎次郎がこの浜で目覚めたのはほんの数時間前のこと。初めて餓鬼を目の当たりにしたこの浜で、彼らは更なる悪夢に遭遇することとなる。

 

 潮風に滲む血の匂い、波音を掻き消す断末魔。暗い海に哀れな骸達が身を浮かべる傍ら、赤茶色の鬼が五体、四つんばいで空かせた腹を砂地につけ、舐めまわすかのごとく追い詰めた獲物を取り囲んでいた。


 まさに生き地獄――


「あは、は、はははは……!」


 自分の未来は喰われる以外に存在しない。恐怖と諦念が人々を狂わせ、彼らは笑う。瞬きを忘れ、目頭が今にも裂けて血の涙を流しかねないほど見開かれた眼球は、じりじりと迫る赤茶色の餓鬼を鮮明に脳へと送り込んでいた。


 研ぎ澄まされた感覚が、皮肉なことに彼らを生かす。


 一思いに死ぬとはどれだけ幸せなものか。

 

 見てみろ、死んだ方がマシだったということもあるのだ。


 夜叉丸はそんな世の無情を、松の木の上から眺めていた。


 無論、手を貸す様子もなく。


「……来るか」


 彼がここに来たのは他でもない、この哀れな子羊達を鬼の手から救うためではなく、ただ一人の異質な存在に会うため。


 奴が何をしでかす気でいるのか、その真意を探らなくてはならないのだ。


 足下の松林に、二つの魂の鼓動が鳴り響く。予想を覆したその力強さに、夜叉丸の面の瞳が松林を駆け抜ける二人の姿に向けられた。


 片方は数時間前とは比べ物にならないほどの顔つきで、砂浜の餓鬼を見るなり怒鳴った。


「行くぞ、清次! 飛び込め!」

「もう知らん! どうにでもなりなはれッ!」


 腹を括った清次は颯爽と地獄絵図と化した砂浜に虎次郎を背負ったまま飛び込んだ。しかし、当然ながらあまりの悲惨な光景に二人は狼狽する。


「あ、あかんわ……予想はしとったけど……!」

「あの人達から注意を引かねぇと……」

「ど、どないすんねん!?」

「近づくしかないだろ……!」


 ――や、やっぱり。


 そう言われると覚悟はしていたが、いざその時となると足は竦む。それでもやらねばなるまいと、清次は唾を飲み込み、突撃。


「くそぁぁぁぁぁッ!」


 恐怖を振り払い叫ぶ。


「クソ餓鬼どもッ! 俺らはここだッ! 来やがれェェェッ!」


 その雄叫びに餓鬼に包囲された人々は気づき、狂気を通り越し驚愕する。


「――あ、ああ! 助けに――」


 若い娘が涙ながらに手を伸ばした瞬間だった。餓鬼が飛びかかり、ついに、


「ぎゃあぁぁあぁぁあぁ!!」


 娘を喰った。


 爪を引き抜かれた首元から、闇に染まった真っ黒い鮮血が砂地に四散する。


 清次は思わず足を止めた。


 目の前で五匹の餓鬼が次々とその娘に群がり、食い荒らす。彼女らを助けるどころか、奴らの意識は

追い詰めた獲物に集中してこちらに見向きもしない。最悪の事態だ。


「……あいつら、よほど腹でも減ってんとちゃうか。こんだけ騒いどるっちゅうのに、こっちに来る気配なしや!」

「どうしてだ……昼間はあんだけ俺をつけ狙ってきたのに」


 最初の餓鬼の襲撃を思い出す。すると虎次郎は何かに気づき、現代との通信へと思考を切り替えた。


「高槻さんッ! 雪江さんッ! 聞こえてる!?」

『聞こえている。驚くほど通信状態に問題はない』


 その言葉に、虎次郎は安堵ではなく戸惑いを覚えた。


「何でだ……昼間はまったく、繋がらなかったのに」

『ダイブの自覚がなかったとは言え、この結果は異常だ。それに餓鬼が君達に興味を示さないことも、昼間の事例に矛盾している』


 依然として餓鬼の注意は目の前の獲物達、こちらに襲い掛かってくる気配はない。娘の肉体を散々食べ散らかすと、餓鬼は長い舌で血が滴る口元を嘗め回し、次の狩の対象を見繕い始めていた。


「虎次郎はん! 何か助言でも降りてきたんでっか!?」

 

 相変わらず独り言にしか聞こえない現代との通信だが、清次はこれを目に見えない誰かと話しているものだと割り切っていた。というよりも、下手に動くことができないこのもどかしい状況を打開できるなら、神でも仏でもいい何でもいい、知恵を貸してくれと彼は焦っていた。


『作戦を変えたほうがいいわ。とにかく、今は分析結果に耳を貸しなさい』

「んな、呑気なこと……!」

『忘れたの? 餓鬼の爪はダイバースーツを貫通するのよ。その際に負の感情を伴ったバリアブルバブルがあなたの中に流れこんで来た……下手すると脳死どころじゃない、ダイバーの姿のまま精神崩壊を起こすわよ』


 雪江の言葉に虎次郎は息を呑んだ。


『いい? 餓鬼は人の生命エネルギーを感知して行動してる。おそらく、そのせいであなた達のことが見えていない』

「餓鬼に俺達が……見えてない?」


 鸚鵡返しに呟かれた情報に清次は耳を疑った。


「ど、どういうことでっか!? 虎次郎はん!」

「え、えっと……つまり?」

『視覚で物を捉えないってこと。餓鬼はこの空間にあるバリアブルバブルの変化に反応し、目標物との距離を測っていると推測できる。超音波を出して泳ぐイルカみたいなもんよ。だから、通常の生命エネルギー反応ではないダイバーを攻撃するには、その周波数を察知するまでに時間がかかるのよ。なぜなら、あなたの魂そのものがバリアブルバブルに覆われてしまっているから』

 

 と、言われて要約して清次に説明できるほど虎次郎の頭は良くない。ぽかんとした表情に気づいた雪江は、改めて端的に言い直す。


『要するにダイバースーツが滝であなたの魂が餌! 激しい滝の裏側にある餌の匂いを嗅いで探せって言っても無理でしょ? ダイバースーツからは大量のバリアブルバブルが四次元軸上を循環ため、餓鬼単体じゃあ、虎次郎君の魂は見つけられないってこと』

 

 例えが微妙! と、虎次郎は口をへの字に曲げて揚げ足を取ることを我慢する。


 そして、そのまま、


「何か……俺の身体が滝で、魂が滝の裏側にあるから匂いがわからないんだと」 

「な、何や? と、とりあえず、虎次郎はんがおるからわいは大丈夫てことでっか?」

 

 腑に落ちない説明だが、返ってきた清次の言葉に虎次郎は妙に納得した。


「ああ! そうか……俺の身体からバリアブルバブルが放出されてるから、本来、餌食になってもおかしくない清次の魂も隠れて餓鬼にはわからないわけか!」

「餌食って何!?」

『ご名答。そして彼の寿命はわかってる……自信なかったかも知れないけれど、私達から言わせて見たら理想的な組み合わせよ』

 

 あれだけ怖くて仕方なかった運命の一手が、思わぬ展開を呼んだ。つまり、こうして背負われているうちは清次に危害が及び事はない、ダイバースーツが嬉しいことに彼の魂を護ってくれるのだ。

 

 しかし、すんなりと終わる話ではない。


「思いの他、安全なのはわかった。だけど、やっぱり昼間のことと辻褄が合わない! それに……あの人達は助けられないのか」

 

 突きつけられる死への緊張に耐え切れなくなった者がまた一人、虎次郎の視線の先で餌食になった。若い農民の男だった。彼は海へと逃げ出そうと足を踏み出した矢先、背中を鎌のような爪に刺され、そのまま餓鬼に魂を吸われた。

 

 このままここにいても、安全なのは自分達だけ。


「……虎次郎はん、何となく話はわかりました」

「え?」

「ほな、降りてもらいましょか?」

 

 突然、清次はそう言うなり、虎次郎の身体を砂の上に降ろした。理解が追いつかぬどころか、手足も動かぬ虎次郎は清次を呼び止める余地も与えられず、砂地に寝転がされて。


「ま、待て! 何する気だよ!」

「心配あらへん。ちょいと、行ってきますわ」

「行ってくるって……お前、まさか――!」

 そのまさか(、、、)だった。凍りつく虎次郎に得意げな笑みを送り、彼は餓鬼の包囲陣に向かって真っ直ぐ走った。


「ほなッ、喰うてみぃ! 化け物どもッ! わいは死なへんで!!」

「ば、バカ野郎ッ! 戻れ! 戻れって! 危ねぇから!」

 

 虎次郎から離れたとたん、餓鬼は一斉に飢えた眼を彼に向けた。彼はまさに5匹の獲物と化し、その予想外の行動力と度胸に虎次郎と現代の研究者達は度肝を抜かされた。

 

 だが、清次の思惑は当たる。

 

 包囲陣が崩れ、餓鬼が前へ前へと繰り出していくと、身動きが取れなかった何名かの背後がガラ空きになり、千載一遇のチャンスが訪れる。彼らは清次の誘いに乗り、命を懸けた大勝負へ足を踏み出した。フラッシュバックする骸達の最期、心臓が止まりかけた刹那、餓鬼はこちらを見向きもしなかった。当然だ、精神が死に掛けた彼らよりも、清次の魂の方が強い輝きを発しているためである。

 

 この瞬間、硬直した戦況が大きく動いた。


『イケる! 成功だわ!』

「や、やった! 清次、成功だ! 早く戻――」

 

 視線を戻すと、飛び込んできた光景に虎次郎は石のごとく固まった。

 

 言われなくても彼は逃げ帰ってくる。ものすごい形相で走って来くる。背後に余計なものを連れ、陸上選手もびっくりのダッシュでそれを振り切ろうと必死だった。


「全部連れて来たァァァァ!?」

「虎次郎はァァァァんッ! はよッ! 手ェッ! もう無理ッ!」


 虎次郎はぎこちない身体に鞭を打ち、寝転んだまま手を伸ばす。光芒が見えた。野球部の虎次郎が嫉妬するほどの反射神経で清次は砂地をスライディングし、盗塁に成功。歯をガタガタさせながらその手にしがみついて離れない。


「ど、ど、どや! どないになってん!? わい、喰われてへん!?」


 虎次郎は咄嗟に餓鬼の動きを確認する。


 やはり、雪江の言った通りだった。奴らには自分達が見えていない。一番近い餓鬼との距離は半径4mほど、その餓鬼でさえ、獲物が神隠しにあったようにきょろきょろと周りを見回している。


 と言うよりも、壊れたコンパスそのものだった。虎次郎に近づくなり、彼らは方向感覚をなくし、ぐるぐると二人の目の前を徘徊していた。


「こんな反応……こんなに甘っちょろいはずがない。第一、夜叉丸の時だって――」


 その時、妙な胸騒ぎに襲われた。

 

 背中から指先、つま先、脳天まで冷たく蠢く何かかが身体を浸食していく。数秒前までの身体とは別物だ。身体を支配しようとしているその奇妙な感覚は、身も凍る寒さを体内に埋めつけ、火傷に似た激痛を肌に与えた。


「あ、熱いッ……な、何だよ……これ……!」

 

 その異変は、現代の分析データにも反映されていた。


『虎次郎君、どうした!?』

「肌が焼ける……! なのに寒い……!」

「こ、虎次郎はん!? どないした!?」

 

 忘れもしない、初めて餓鬼と接触したあの時。

 

 全身を駆け巡ったプレッシャーは、こうやって自分から立ち上がる気力を奪って恐怖のどん底に叩き落した。


 あの時は気づかなかった、比較する経験がなかったからだ。しかし今なら、はっきりとわかる。


 ――誰に見られていたんだ。


 夜叉丸ではない別の第三者が、餓鬼に襲われ絶望する自分を高みから見物していた。その負の感情は間違いなく、その第三者がもたらした脅威。


 それが今、現れた理由、答えは一つ――


「……逃げろ」

「へ?」

「逃げるんだ、清次……今度こそ、殺される」


 あれだけ気概に富んでいた彼はどこに行ったのか。顔面蒼白になった虎次郎の口元は震えながらそう囁く。急変した彼の姿は新たな危機を予感させ、清次の脳裏に撤退と言う選択肢をちらつかせた。

だが、彼らは動けなかった。悪い予感が現実すでに現実と化していたからだ。


 餓鬼の目と目が合った――


 戦慄。


「……嘘だろ」

 

 濁った瞳がこちらを捉えた。餓鬼は突如目の前に現れた敵を威嚇し、その荒い息を砂に埋める。


「あ、あかん……こっちに気づいとるで……! 何でや!?」

「同じだ……昼間の時と同じ! どうすれば……!」


 信じられない事態だ。奴らには二人の姿が見えている。理論通りなら、バリアブルバブルに隠された虎次郎と清次の魂を察知することなどできるはずがない、それが結論だった。 


 しかし、たった今、話は振り出しに戻る。昼間の由比ヶ浜で遭遇した餓鬼とまったく同じ反応を示し、次の攻撃対象を虎次郎と清次に定め、背後から突きつけられる怪しい視線はさらに存在感を増すばかり。


 不意に、餓鬼が戦いた。


 敵意の矛先が自分達から一瞬でも外れたことに、彼らは他方に何者かの気配を感じ取った。身体を起き上がらせることが困難な虎次郎よりも早く、清次はその視線の先に現れた姿に愕然とする。


「こ、虎次郎はん!? あ、あれは――」


 リン、と鈴が一つ鳴った。


 それは地獄さえも破壊し得る神の調べ。


 揺れる瞳をゆっくりと動かし、視界の端で微かにその姿を捉える。風になびく、朱色の羽織と長い太刀――


「酷い様だ。そんな体たらくで、よくも人を救おうと考えたものだよ」


 少年のような声に、皮肉とののしり。再び鳴り響く鈴の音が、因縁深い小面の神の降臨を告げた。


「夜叉丸……!」


 歯を食いしばり、虎次郎はその名を口にした。


 夜叉丸は松の木の上から彼らを見下ろし、嘲笑する。


「そこの5匹は優先的にお前を攻撃するように命令されている。残念だな、後の世のくそガキ。そいつらの爪にかかれば、今のお前なんて一ころだ」

「命令? どういうことだよ!?」

「さあな、自分で考えてみたらどうだ?」

「てめッ……!」

「何を怒る? お前が悪い。大人しく元の身体に戻っていれば眠っていられたものを、関係のない時代の出来事に首を突っ込んだ結果だ。魚の餌と化した連中と同じ末路を辿るだろうよ」


 感情を語らぬ小面の主は不気味な声で、


「絶望して、死ね。さ迷える魂よ」


 断崖から突き落としたも同然の言葉が、虎次郎の何かを壊した。


 一瞬でも期待を抱いた自分が呪わしい。心が真っ黒な炎に燃やされる。


 魂の匂いを嗅ぎつけた餓鬼の存在も、熱く焼け爛れるような肌の苦痛も、虎次郎は全て忘れて憎悪に似た感情を滾らす。


 生まれて初めて、人を憎いと思った――


「こ、虎次郎はん! 動いたらあかん!」


 護身用の太刀を手に、清次は血相抱えて周囲を見る。先ほどと同じ、餓鬼は獲物の動きに敏感になっていた。しかし、荒げた鼻息と唸り声が耳障りにも彼らを取り囲む中、虎次郎は松の木の上を見据えたまま、それでも抗うことをやめない。


「……お前はそこにいたのか?」

「虎次郎はん! 何を……」

「お前はずっとそこにいたのかって聞いてるんだ……!」


 冷酷な面、視界に映る唯一の存在に叫んだ。胸を砂地から離し、身を座らせることに成功したことにも彼は気づいていない。


「それに答えて何になる? その身体で俺を殺しにでもくるつもりか」

「ちゃんと答えろよ……! お前はそこで俺達を……餓鬼に襲われてたあの人達を見てたのかって聞いてるんだよ!」


 底力が、虎次郎を立ち上がらせた。


 その瞬間、一匹の餓鬼が彼めがけて飛び掛る。だが、清次が咄嗟に振り切った太刀が餓鬼の胴体にヒットし、餓鬼の体は砂地に叩き落された。


 それでも、夜叉丸は微動だにせず。


「それがどうした」

「何もしないでただ見ていたのかよ……こんなに人が死んでるのに何も思わないのかよ! お前だって、人間の魂の集まりじゃないか!」


 すると、面の下から不気味な笑い声が上がって、


「助けるとでも思ったのか? それこそただの驕りだろう」

「何だって……!?」

「確かに俺は人の魂によって成り立つ存在。だが、だからといって人を助ける義理はない。むしろ死んでくれた方が好都合だ。お荷物は減るし、強い魂を喰うことができる」


 虎次郎が口を開いた瞬間、傍で清次の悲鳴が上がる。2匹の餓鬼が、清次に襲い掛かり、彼の身体を砂地に押し付け、動きを奪っていた。


「清次!」

「こ、虎次郎はん……!」


 赤茶色の太い手足に押さえつけられながら、彼は弾かれた太刀に必死に手を伸ばす。その間にも残り3匹の餓鬼は、虎次郎を仕留める間合いを確保し始めた。


 戦術的。奴らの黒幕が、確実に虎次郎を殺しに出た。


 例えここで生き残ったとしても、最期は夜叉丸に殺される。


 そう、殺されるんだ。ここで、終わりなんだ。腹立たしいことに、神と名乗った鬼に喰われる為にこんな時代に放り投げられた。そのために友達を傷つけて、事故にも遭った。


 憎い、憎い、憎い、運命が憎い――


「どうしたんだ? 虎次郎。まさか、お前らを哀れんで手を貸すとでも?」


 ――神の名を借りた化物め。


「仕舞いだよ、お前の人生」


 ――俺はお前を許さない。


「……夜叉丸」


 憎悪が激しく魂を燃え上がらせた。思い起こすのは、肉体の感覚。身体の細胞の一つ一つまで熱を帯びて、騒ぎ出す。燃え盛る命の鼓動はこの作り物の体躯に留められぬほど増長し、更なる力を呼び起す。


 青い光の雪が舞い、大気が激震する――


「――夜叉丸ゥゥゥゥゥゥッ!!」

 爆発的な突風。叫びは凄まじい嵐を呼び起こし、砂を抉り、松を薙ぎ倒し、海を荒らす。猛威は呆気なくも去る。空気の刃に身を引き裂かれた5匹の餓鬼は青い光を放ち、その身を土へと帰した。

餓鬼の身体をも切り裂く気流の力の前に、夜叉丸の松は根こそぎ倒れ、ついに神はその足を地に着けることになった。



《朱雀の宮》

 

 突如、殺人的な風が境内に襲い掛かり、目の前で死闘を繰り広げていた兵と賊は、殴りかかる暴風から身を護るためにその手を一時止めざるを得ない状況に追い込まれた。


 突風は荒波のごとく社殿を破壊し、境内を侵食する炎さえも風前の灯とせんとばかりの力を伴って、轟々しい雄叫びを上げる。


 誰もが身を縮め停止する中、不思議なことにその風は妃子にとって、ただの強風でしかなかった。自分よりも遥かに体の大きな賊が、まさに彼女に太刀を振り下ろそうとした瞬間、突風が賊の巨体を猛打し、一瞬の隙を得る。


 闘争本能が疼いた。


 妃子は暴風の中、払い落とされた薙刀を拾い、真っ直ぐ突き出し――


「うわぁぁぁぁッ!」


 無我夢中。刃は肋骨を超えて心臓を一突き。


 賊は声を発する間もなく、呆気ない最期を遂げた。そして、魂の抜け落ちた図体から、血の滴った薙刀を引き抜いた頃、風は弱まりを見せる。


 汗ばむ額、震える手先、乱れる呼吸。全てを受け止めて、彼女は月すら見えない夜空を仰ぎ、零した。


「神風……」


 いずこから吹いた風か、それは知る由もない。だが、あの風は命の追い風となった。

 

 もう大丈夫、と、彼女は薙刀を握り締め、助けた女中達に退避を催促した。


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